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「昭和天皇は終戦時、退位すべきだった」菅氏発言 昭和天皇の戦争責任の問題を国民は回避すべきでない
http://www.asyura2.com/0502/bd39/msg/615.html
投稿者 TORA 日時 2005 年 5 月 14 日 15:08:20: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu94.htm
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「昭和天皇は終戦時、退位すべきだった」菅氏発言
昭和天皇の戦争責任の問題を国民は回避すべきでない

2005年5月14日 土曜日

8日のフジテレビ「報道2001」より

◆「昭和天皇は終戦時、退位すべきだった」菅氏発言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050509-00000006-san-pol

民主党の菅直人元代表は八日午前のフジテレビの「報道2001」で、日中間の歴史認識問題に関連し、「日本自身がやったことを日本人がどう判断するかが問われている」と指摘したうえで「日本自身が、日本の負ける戦争をやった責任を何一つ問わなかった。天皇陛下は退位されたほうがよかった」と、終戦時に昭和天皇が退位することで戦争責任を明確にすべきだったとの考えを示した。
 菅氏はその理由として「明治憲法下で基本的には天皇機関説的に動いていたから(昭和天皇に)直接的な政治責任はない。しかし象徴的にはある。一つのけじめを政治的にも象徴的にもつけるべきだった」と語った。
(産経新聞) - 5月9日4時59分更新

◆米より中国重視?政権取りへ持論 民主・岡田代表が講演
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050512-00000008-san-pol

民主党の岡田克也代表は十一日、東京・西早稲田の早稲田大学大学院で「政権党を創(つく)る」と題した講演を行った。四月の衆院統一補選での全敗を受け、求心力の低下がささやかれているなか、「岡田政権」の外交ビジョンや財政再建などの政策を大学院生らに披露。政権取りに向けた姿勢をアピールした。
 講演で岡田氏は、外交政策について「経済は相互依存が進んでおり、最大の貿易相手国は中国だ。東アジア共同体を目指したい」と述べ、中国を軸とする対アジア外交を重視する姿勢を強調する一方、対米関係については、「現在の日米同盟はいびつだ」などと批判した。
 内政では「政権をとったら最初の三年間は大きな増税はしない」と明言。さらに公共事業削減などで十兆円の歳出削減を目指す−などと“選挙公約”のオンパレード。
 菅直人元代表が昭和天皇の戦争責任に関し「(終戦時に)退位した方がよかった」と発言したことについて「退位していれば、国はまとまらなかった」としながらも、「どこかの段階で昭和天皇が歴史的なことについてお考えをお話しになる、あるいは途中で次に譲ることもあってよかったのではないか」と述べた。
 
(産経新聞) - 5月12日2時55分更新

◆国会NOW:「大勲位」から菅氏まで 天皇退位論 5月10日 JANJAN
http://www.janjan.jp/kokkai_watch/0505/0505106856/1.php

民主党の菅直人氏がフジテレビの番組で、昭和天皇の戦争責任をめぐって、天皇は退位した方がよかったと述べたという。筆者は同番組を見ていないので新聞報道で知るのみである。読売新聞によると「少なくとも(終戦時に)天皇は退位された方がよかった。天皇に直接的責任はないが、象徴的にはある」と述べたという。(YOMIURI ON LINEを参照)

 この発言に反響があったようで、菅氏は自分のウェブサイトで「賛否両論のご意見をいただいた。冷静な意見が大半だが、『どこどこの手先か』といったレッテル張りの批判もいくつかある。内容に関しての意見は大いに歓迎だが、レッテル張りは議論とはいえない」と書いている。その通りだ。冷静な議論が必要だ。(詳しくは同氏のサイトへ)

 昭和天皇退位論といえば、昭和27年(1952年)1月31日、衆院予算委員会で、中曽根康弘氏(当時33歳)が質問したことがもっとも有名だろう。天皇の戦争責任について、「戦争の形式的責任がない」としながらも、「過去の戦争について人間的苦悩を感ぜられておられることもあり得る」と述べ、自身で「御退位」の意思があるなら政府はどう考えるかとただした。サンフランシスコ講和条約も発効するという区切りの年であった。(詳しくは国会会議録検索システムへ)

 これに対し、時の首相、吉田茂は「非国民と思う」と答えた。「非国民」というレッテルを、それも国会の場で、貼られながら中曽根氏は後に首相となり、大勲位菊花大綬章なのだから、したたかなものである。中曽根氏自身、この質問はよく覚えていて、後に「(天皇は戦争について)御自ら心の痛みを感じておられる」「そういう意思を表明している」などと語っている。(朝日文庫「日本とドイツ 深き淵より」所収の「日独の違い」中曽根康弘元首相に聞く」を参照)

 天皇の戦争責任問題については、▽日本政府はポツダム宣言を国体護持すなわち天皇制維持ができると解釈して受諾した。これがその後の政策の基本方針となった▽東京裁判での訴追対象とならなかった▽マッカーサーも訴追に反対していた▽一方で国際世論には戦犯論があり、日本の知識人の間に退位論があった、という戦中から戦後にかけての事情をよく押さえて議論する必要がある。論者に対して単純なレッテル貼りすれば済むものでない。

 中曽根質問には政治的な背景もある。当時、中曽根氏は保守合同する前の野党、国民民主党の所属である。前年のサンフランシスコ講和条約調印のための全権団に国民民主党代表も参加したものの、権力争いとしては自由党と対立していた。(中曽根氏の経歴や活動については、「中曽根康弘の世界」のサイトも参照)

 政治路線も、吉田が日米安保に頼り、憲法改正はしないとするのに対し、中曽根氏らは自主憲法制定である。吉田は占領軍・米国を後ろ盾にしつつ、「臣吉田茂」と自称する。天皇への忠誠を示してみせる。しかし、ワンマンに不満も募っていた。中曽根氏は、その吉田を揺さぶったのである。

 菅氏の発言は、戦後60年を迎えるのに当たって、戦争をめぐる問題がなお決算ができていないことを言おうとしたのだとすれば、議論の契機とすればよい。ただ、テレビでなく、中曽根氏のように国会でやってほしい。中曽根氏、および吉田の発言をいま改めて読むと、おもしろい。水準の高さを感じる。それは永久に公式記録として残る。

(浜田秀夫)


8日のフジテレビ「報道2001」より


(私のコメント)
大東亜戦争を総括する際には天皇の戦争責任についてあるのかないのかについて議論しなければならないのですが、微妙な問題であるために政治家を始めとして国民も思考停止状態が続いてしまっている。天皇ご自身も語られないし質問することも宮内庁から禁止された。しかしこの問題を回避してはA級戦犯の問題から東京裁判の正当性から憲法問題や大東亜戦争の歴史的評価までそれがネックになって前に進まない。

8日のフジテレビの「報道2001」を見ていたら民主党の菅前代表が天皇の戦争責任のことに触れていましたが、これは西部氏の大東亜戦争に対する見方として「白人支配からの解放戦争であった」という見解に対する流れとして出てきたものだ。このような見解は株式日記でも何度となく主張してきたのですが、ようやくテレビでも評論家でもこのような発言が出来るようになった。

戦後60年間の中国や韓国からの謝罪要求に対する日本の政治家の謝罪外交は、大東亜戦争に対する見方を歪めるものであり、それが中国や韓国の外交カードとして利用までされるようになった。しかしこの原因を作ったのは日本の左翼メディアであり左翼団体であった。つまり歴史を材料にして日本の左翼メディアと中国と韓国が連合して自民党政府を攻撃して、終いには自民党内部も橋本派のような親中派が主導権をとるようになった。

このような状況では私のような民族主義者は保守反動のレッテルを貼られて世間からはまったく相手にされない状況が続いた。経済政策では反米的であり、政治外交としては反中国北朝鮮なのですが、これでは単なる排外主義ですが、逆に言えば経済面では中国と共闘できる面もあるし、政治外交としてはアメリカと連帯して中国に対抗できる面もあるので、排外主義ではなく現実的な民族主義を主張している。

「報道2001」においての菅氏の天皇の戦争責任の問題についても、そろそろ率直な議論も出来る状況になってきたと思うのですが、右翼や左翼のレッテル張りに終始する状況は好ましくない。天皇の戦争責任を論ずるには東京裁判の不当性から糾弾すべきなのでしょうが、学会やマスメディアなども東京裁判史観に毒されて議論にならなかった。

株式日記においても東京裁判の不当性を書いてきたのですが、戦争は国際法に違反した犯罪なのかというとそうではない。戦争が犯罪とするならばアメリカが一番の犯罪者である。東京裁判の時においても法的な根拠に問題がありましたが、当時の日本はどうすることも出来なかった。しかし現代は日本が国連の常任理事国として認められるためには東京裁判の不当性を世界に主張すべき時なのだ。

左翼はよくドイツは謝罪したのに日本は謝罪していないと主張するが、東京裁判とニュルンベルク裁判とは性格が大きく違う。ニュルンベルク裁判では「非人道的犯罪」つまりユダヤ人大虐殺に関与したものが死罪になったが、戦争犯罪そのものについては10年程度の懲役で済んでいる。ところが東京裁判ではユダヤ人大虐殺のようなことがなかったにもかかわらず7人もの死刑が出されている。不当に重い判決だ。

そのために南京大虐殺が東京裁判で突然出てきましたが、30万人もの一般市民が殺されたという物的な証拠も目撃証言もないままに松井大将は処刑された。単なる戦争犯罪だけで7人もの死刑判決が出され終身刑が16人も下された。ニュルンベルク裁判に比べると不当に重い判決が下された。その証拠に後日、刑が赦免されているのはいかに東京裁判が政治的なショーであったかを物語っている。

天皇の戦争責任を考えるならば、たとえ天皇が東京裁判で裁かれたとしても、国際常識的な判断からすれば有罪ではあっても退位する程度で済んだのではないかと思う。東条英機にしても懲役刑程度で済んだはずだ。ニュルンベルク裁判ではヒトラーの後を継いだデーニッツ提督ですら10年の懲役刑で済んでいる。

だからアメリカの思惑としては日本を二度と立ち上がらせないために、そして精神的に痛めつけるために広島長崎を原爆の実験場として使い、東京空襲で10万人もも一般市民を殺し、東京裁判でナチスドイツと比べて極めて思い判決を下して見せしめたのだ。当時は現代ほど人種差別に対する批判がなかったから日本人の命は極めて軽く見られたのだ。それはアメリカ国内で日系人の強制収容所が出来たことが証明している。

しかし大東亜戦争の結果としては白人の植民地支配の時代は終わり、アジアやアフリカの諸国は次々と独立するようになり、白人も有色人種も平等であることが認められるようになったが、大東亜戦争がなければ有色人種はいつまでも猿の仲間として人間としてみなされなかっただろう。これは大げさな表現ではなく今でも白人の一部は心の奥底では有色人種を劣等人種としてみている。日本が米英と対等に戦ったからこそ人間としてみなされることになったのだ。

だから「報道2001」で西部氏が大東亜戦争を「白人支配からの解放戦争」とみなせば、東京裁判も白人達の最後の悪あがきであったことも証明される。であるならば天皇の戦争責任の問題も、アジアの解放者としての天皇の歴史的位置付けも変わってくることになり、歴史的に見ても偉大な功績を残したとして称えられるべきものである。

◆靖国神社には”A級戦犯”は祭られてはいない --- 昭和28年8月の国会で名誉回復がなされている 2004年3月5日 金曜日 株式日記
http://www.asyura2.com/0401/dispute16/msg/584.html

8日のフジテレビ「報道2001」より

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