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統一協会の機関誌月刊「ファミリー」2005年6月号を引用し、解説してみたい。
http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/761.html
投稿者 六マリア 日時 2005 年 6 月 24 日 23:19:31: 3ZRzDVU6nD04g

(回答先: 統一協会 投稿者 六マリア 日時 2005 年 6 月 14 日 01:15:33)

http://ww91.tiki.ne.jp/~oka_megumi/kimminhi.pdf
引用

金明熙の証し
 統一協会の月刊誌「ファミリー」の2005年6月号に金明熙の証しが載っている。
一読してみて、これは統一協会問題に関心を持っている者には大変興味深い内容であると思った。金明熙についてはすでに何度か「カルト研究」載せているが、再度取り上げてみたいと思う。
 統一協会は、公式見解として文鮮明先生の結婚は3度であり、金明熙との結婚は2度目であると発表している。
すなわち、文鮮明の結婚は、1度目が崔先吉で1945年、2度目は金明熙で1954年、そして、3度目が現在の妻韓鶴子で、1960年であると言うが、ここにひとつの解決されない問題がある。
それが何かというと、最初の妻・崔先吉の離婚が1957年1月8日であるのに、金明熙と1954年に結婚しているということである。
文鮮明と崔先吉の離婚の申告がなされたのは1957年1月8日であると、統一教会史余話(ファミリー1998年11月号)に載っているのである。
文喜進は、1955年8月17日に日本で誕生しているのであるが、その時、金明熙は文鮮明の正式な妻であったのか? あるいは、文鮮明が未婚の女子大生に子供を産ませたのであろうか?
もしそうであるなら、メシアが姦淫の罪を犯したことになり大問題である。
 この問題は、統一協会問題に拘わっている者としては既に答えの出ていることであるが、今回は、金明熙本人の証言を聞くと言うことに意味があると思うので取り上げてみる。

統一協会の機関誌月刊「ファミリー」2005年6月号を引用し、解説してみたい。

☆60P 「金明熙先生は、1930年に現在の北朝鮮の平安北道で生まれ、1954年に統一協会に入教しました。1955年に日本に渡った直後、文喜進様が東京で誕生されました。韓国に戻られたのは1959年10月2日に日本統一教会が創立される半年前のことです・・」

 ※ 1955年当時は、日本と韓国は国交樹立していないのに、なぜ金明熙が日本に渡れたのか? 「東京で文喜進様が誕生されました」という表現になっているが、金明熙が喜進を産んだのであり、後日、文鮮明の子供として認知されたということは、文鮮明と金明熙は夫婦でなければならないはずである。文鮮明は何故身重の妻を日本に行かせたのか?
何故、4年間も日本にいたというのか?
このことについては、朴正華や他の証言もあるがここでは取り上げないことにする。

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