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この目で見たアジア  女と子供には結構つらいものがある (SENKI)
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 4 月 07 日 12:18:03: ogcGl0q1DMbpk

この目で見たアジア

女と子供には結構つらいものがある

http://www.bund.org/culture/20050415-2.htm

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フィリピン・スタディ・ツアーに参加して

フィリピン女性の現実を知った

大林美奈

 国が貧しく、日本に出稼ぎに来ている人も多いフィリピン。私が参加しているボランティア団体では、3年前にフィリピンからメラニーを招いて、「なぜ私たちは貧しいのか」という講演会を埼玉で行った。メラニーは、フィリピンの経済的支援を行う日本のNGO「LINK」と連携を取りながら、現地で活動しているフィリピーナだ。  

 昨年5月に再びメラニーが埼玉に来た。新たにストリートチルドレンの支援も始めたことを話してくれた。大学を卒業しても職がなく、外国でメイドとして働くことを余儀なくされている女性や、宗教のために離婚や中絶が禁止されていることなど、多くの女性が抑圧されていることも話してくれた。  

 外国でメイドとして働いていた女性が薬漬けにされ、果てには性の奴隷とされることもあるという。「フィリピン人のことを人間と思っていないんです!」というメラニーの泣きながらの訴えが、心に突き刺さった。  

 私は何かをしたいという心ばかりが先走って、メラニーに「何が必要なんですか? 何が欲しいのですか?」と聞くばかりだったが、その度に「自分の目で見て、何が出来るか考えてください」といわれた。それでいつかフィリピンに行かなくてはと思っていた。

娘が一緒に行きたい

 フィリピンに行くにあたって、スモーキーマウンテンというゴミの山で暮らす人々を描いた映画「スカベンジャー―忘れられた子どもたち」を観た。自分の故郷では食べることが出来ず、スモーキーマウンテンで暮らす人たち。小さな子どもたちは学校には行かず、ゴミを拾って一家の生計を担っていた。この映画を一緒に見た娘(10歳)もフィリピンに行きたいと言い出し、急遽一緒に行くこととなった。  

 当初11月に予定されていたフィリピン行きだったが、台風が多かったせいで蚊が大量発生し、免疫のない日本人の私たちが行くのは危険とのことで3月に延期になっていた。  

 3月は乾季で蚊が少ないとはいえ、マラリヤやデング熱など、体力のない子どもがかかれば命を落としかねない病気にかかる可能性もある。10歳の子どもが行くのは心配もあったが、ツアーの主催者である安積遊歩さんが現地のメラニーに問合わせてくれ、「今は蚊も少ないし、10歳なら大丈夫」とのことで一緒に行くことになった。  

 3月10日、9時30分成田発のJALに乗ってマニラへ。4時間ほどで到着した。マニラ空港で遊歩さんたちと合流するはずが、到着ターミナルが違い合流までに2時間かかった。そんなハプニングはあったが、なんとか無事にマニラのメラニーの家に到着した。家でくつろいでいると、メラニーが車でストリートチルドレンや大人の人たちを連れてきて、一緒に食事をしたり、ツアー参加者の手品で盛り上がったりして楽しく過ごした。

私、日本に行きたい

 5日間のうち3日間は、メラニーの故郷であるマーシン村で過ごした。マニラから車で6時間ほどの、のどかな村だ。のどかな風景が広がっているマーシン村だが、一家族あたり10〜15人のうち、働いている人は1人か2人で、3度の食事ができればいいほうだという貧しい村だ。台湾や日本など、外国に働きに行っている人も珍しくない。しかし村の人々や子どもたちの笑顔には、そんな状況をうかがい知る余地は微塵もなかった。  

 メラニーはソーシャルワーカーで、LINK会員の会費やカンパを資金に、奨学制度をたちあげたり、生活支援のためにサリサリストアー(日曜雑貨品を取り扱う店)の開業資金を貸し付けたり、フィリピン人の公共交通手段の一つであるトライシクルという3輪モーターバイクを分割で買う手助けをしたりしている。  

 何軒かの家をメラニーと一緒にまわった。みな、メラニーに感謝し、仕事につき生活できていることをとてもよかったと話していた。  

 夜はレア(20歳)の家に泊まった。彼女の家族は12人だ。兄4人は家を出ているが、そのうち1人は仕事がない。父親は家の裏の川で漁をし、母親はその魚を市場に売りに行っている。しかし不定期の仕事なので、収入は安定していないようだった。  

 レアは、今大学1年生だ。高校卒業後1年間働いて学費を稼ぎ、大学に入学した。姉も大学に行っていたが、今は休学中で働いている。レアも来年は働いて学費を稼がないといけないから、日本に行きたいと言っていた。「3、4ヶ月働いてお金を稼げば親も助けられるし、学費も稼げるし、雪も見てみたい」という。私が「日本に来たら会おうね」といったら、「夢だけどね」といって笑っていた。あとでメラニーに聞いたら、レアの両親は進学には反対で、すぐにでも市場で働いて家を助けて欲しいと思っているそうだ。  

 お金を貯めたいと思っても、両親や兄弟がお金をくれという。彼女もお金がないことは重々知っているから渡さざるを得ない。お金はなかなか貯まらない。でも、彼女は「I love studying」だから、大学に行きたいという。子どもや病んだ人のためのカウンセラーになりたいといっていた。  

 レアが、私の夫はどこにいるのかと尋ねるので、私が離婚したことを話すと、「フィリピンでは離婚が出来ず、結婚する時には女性だけに処女性が求められる。それはおかしい、不公平だ」と話していた。そこで私が、日本で日本人男性と結婚するフィリピン女性のことをどう思うか聞いた。  

 大抵の場合、日本人男性は英語もタガログ語も話すことが出来ず、女性のほうが片言の日本語で話していることが多い。すぐ離婚してしまうことも多く、離婚後は子どもだけフィリピンに帰して、一人日本で働いている女性も多い。もちろんシングルマザーもいる。暴力を振るわれているケースもある。  

 私だったら、言葉も通じないような相手とは結婚したくないといったら、レアはボディランゲージとかハグ(抱きあう)とか、そういうことで愛は確かめ合えるんじゃないの? 感情もやりとりすることができると信じていた。バツ一の私としては、そりゃ無理でしょうと思ったが、レアは信じていた。  

 レアは日本人男性と結婚して日本に住んでいる友達のことを話してくれた。最後に「私の女友だちは相手の男性のことをとても愛しているけど、相手が彼女のことを愛しているかどうかはわからない…」と言ってだまってしまった。  

 ただ日本人男性と結婚した家族を持つ家は、暮らしが全然ちがう。メラニーによれば、とにかく結婚が目的なのであって、その先は全然考えていないから2年くらいで離婚するカップルがほとんどだよと嘆いていた。

彼女たちが身近に思える

 今まで遠い国だったフィリピンが、今回のツアーで物理的・精神的にも近い国となった。一緒に行った10歳の娘も、最後はすっかり地元の子ども達に溶け込んで遊んでいた。今度は友だちを連れて行きたいというほどだった。本当に日本の子ども達にもフィリピンの現状を知る機会があったらいいなと私も思った。  

 私の住む町にはフィリピンの女性がたくさん住んでいる。ダンサーという名目だと、お店の保証もついているのでビザの取得が簡単で、多くの若い独身女性が日本に出稼ぎに来ている。  

 彼女たちは日本ではショーパブなどで働いている。きれいな格好をした若いフィリピーナ4、5人が一緒に買い物をしているスーパーのカゴの中には、インスタントラーメンが数個ということも珍しくない。フィリピンでは、小さなインスタントラーメンをお湯でふやかして、5、6人で食べるということを聞いた。彼女達の手元には一体いくらのお金が入るのだろう。  

 今回のツアーで、さらにメラニーとの関係が深まった。今後は、埼玉の地元で培ってきた障害者運動や介護の実践や、英会話サークルの経験から、具体的に支援していけたらと考えている。

(35才・地方公務員)


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タイとラオスで聞いた日本の評判

國井信男

 去年タイとラオスに行ったときのことである。タイ北部からメコン川を渡って、ラオスの首都ビエンチャンに着いた僕は、バスターミナルに停まっている殆どのバスの車体に、日本のODAで贈られたことを示すステッカーが貼ってあるのに驚いた。ちなみにバスは韓国車だ。  

 バスは大きいものや小さいものなど色々あるが、大概どのバスも乗客でいっぱいだった。  〈いらんダム造ったりするのがODAやと思うとったけど、役立つもんも贈んねんなぁ〉と、ODAを少し見直した。ちゃんとしたお金の使い方が肝心だと思いつつ、町を歩いた。  

 僕はラオスに行くまでラオスの事など何一つ知らず、イメージすら出来なかった。ところがラオスで僕が出会った人は、みんな日本が大好きで、日本とラオスは相当に友好的な国だと思っているようだった。  

 〈なんで?〉と思ったが、どうやら理由は現地で活躍する青年海外協力隊をはじめとするJICAの活動が大きいようだ。  メコン川のほとりの屋台の5ヶ国語を操るオッサンは昔、JICAの日本人にラオ語を教えたと言っていた。また、パトゥーサイという戦勝記念塔の上で会った僕と同い年ぐらいの坊さんもJICAの職員の話をしていた。  

 お寺の坊さんと仲良くなってお寺で日本語を教えたりした。たったの2日しか滞在できなかったが、いっぱい思い出を作ってタイへとまた戻った。タイでも想像以上に日本とタイは友好的だと思われていた。タイで出来た友人は、韓国よりタイの方が日本に近いと思っていた。地図を見せて「ここが日本で、ここがタイ、ここが韓国」と説明してやっとわかってもらえた。  

 タイでは変に日本が浸透していた。バンコクの駅で客待ちをしていた三輪タクシーの運転手のオッサンは、いかがわしい日本語を連発していた。タイの古都アユタヤの食堂で食事をしていたオッサンは、日本のコメディアンのギャグをしていた。このオッサンは三輪タクシーの運転手言うところでは、その辺のヤクザの親玉らしい。  

 このオッサンなかなか面白いことをいうオッサンで「日本の総理大臣知ってるで。宮沢、細川、羽田…小渕、森、ほんで小泉、次はブッシュか」と言っていた。あまりにうまい具合に今の日本がアメリカの金魚のフンなのを言い当てていて感心してしまった。日本はまあ、なんと情けない総理大臣と国か。  

 でもそんな小泉より「カワサキ」のほうが有名だった。バイクが主要な交通機関だけあって、カワサキとヤマハとホンダは誰でも知っていた。地名では東京、大阪と同じぐらい札幌のすすき野が有名だ。  

 晩、カオサンロードという安宿が密集している通りを歩けば小指を立ててクイクイと曲げたりしながら、「オニイサン、ススキノーススキノー」と言って、売春のブローカー(大体三輪タクシーの運転手)が寄ってくる。  

 良くも悪くも有名な日本だが、僕の独断と偏見では結構日本が好きな人が多い。韓国などと比べて、歴史問題や領土問題が少ないから、そう感じるだけかもしれない。  

 日本では靖国参拝や歴史教科書に対して抗議する中国政府や韓国政府の事が報道される。韓国人が日本人をどう思っているのかを知る機会は比較的多い。  

 タイやラオスで日本人がどう思われているか、僕が知らないだけかもしれないが、彼らは概して日本に好意的だった。

(20才・学生)


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フィリピンの子供たちを忘れない

小川愛子

 ついに、フィリピンに行った! 私の住んでる街に、初めてメラニー・カタランさんを招いての講演会から3年だ。カタランさんが最初に来た時は、活動拠点である故郷マーシン村には小学校にも図書館がない、図書館を作りたいと話していた。昨年来た時は、マニラのストリートチルドレンの救援活動をはじめたと云う話をしていた。  

 「是非、一度フィリピンに来て欲しい」という彼女の言葉に心動かされて、やっと実現したフィリピン行きだ。空港からマニラ郊外のラスべニアスにある彼女達の家に向かった。マニラは近代的なビルとスラムが混然とならんで、フィリピンの実情そのままを物語っているようだった。日本でなら5、6人位しか乗れない車に、10人と荷物を乗せても警官にとがめられる事もなかった。まずはビックリなフィリピン体験の始まりだ。  

 夕食の時、メラニーさんが信じられない数の子供達を車に乗せて連れてきた。彼らはマニラの街で、サンパギータの花輪等を売っている。1階のフロアにどどっとやって来た彼らと一緒に食事。「アノン パガラン モ(タガログ語で、名前は?)」と聞かれると嬉しそうに名前をいう。  

 楽しいひと時を過ごして、彼らはまた街の仕事に、生活に戻っていった。その後、車で出かけてみると、先程の子供たちがスーパーの周りで花を売っていた。メラニーさんの話では、親が花を売り切るまで家に帰る事を許さない子供もいて、かれらは仕方なく夜遅くまで街にいるのだという。家に帰らなくなってしまう子供もいる。空腹と辛い現実を忘れるために、ドラッグに手を出す子供も多く、子供達を取り巻く現実はとてつもなく深刻なようだった。  

 翌日、マニラから車で6時間のマーシン村へ。日本のNGO・LINKがつくった図書館とハウスがあった。村の生活は貧しく厳しいという事だが、マニラとは違っていた。2晩個人宅に泊めてもらい、高校や大学に通う娘達と話をした。3年間勉強してきた英会話で何とかつうじた。兄弟も多く、家にお金が無いから、来年で学校をストップして働くと深刻な話を打ち明けていた。リスニングがいまいちな私は、何回もワンスモア プリーズを云ってしまったけど、ゴメンね!  

 マーシン村では一つの井戸を何軒もの家で共同で使い、庭の境など無いような小さな家々が重なり合っていた。朝6時頃から庭を掃く音がして、近所を散歩すると養殖の牡蠣をもぎ取る作業をしていた。みんな働き者だ。  

 村には少子化の日本では想像できないくらい子供がたくさんいた。自分たちを忘れないでと、彼らは口々に言っていた。私達に何が出来るのか。課題をたくされたような旅だった。

(52才・会社員)


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(2005年4月15日発行 『SENKI』 1175号6面から)


http://www.bund.org/culture/20050415-2.htm

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