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精神の虐殺   マムドーフ・ムスタファー・アドワーン(シリア人・詩人) 
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/251.html
投稿者 愚民党 日時 2005 年 2 月 26 日 03:37:48: ogcGl0q1DMbpk

(回答先: 『ナチイデオロギーは人間が望み人間によってつくられた』 シュレーダー首相の演説 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 2 月 25 日 22:55:35)

精神の虐殺

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8139/rebanon1.html

マムドーフ・ムスタファー・アドワーン(シリア人・詩人)

私はシリア人、詩人です。
一九八二年の前半にレバノンで何が起こったか、陪審員も証人もオブザーバーもすべてごぞんじだ
と私は確信しています。私たちがそのことを知っているのは、私たちが、自分の生きている世界で何
が起こっているかに関心を抱いているためです。そうした関心を持っているゆえに、この法廷に参加
することを選択し、その審理に関与しているのです。私たちは、単に知識を増やすためにここに出席
しているのではありません。私たちの知識を正義のために生かし、この世界で起こっている事柄、私
たちの人間性と人間の良心に対して起こっているできごとに対する責任を共に担うためです。

私は提出する何らの文章も持ちません。私は戦場にいたわけでもありません。私は証人としてで
はなく一犠牲者としてこの法廷に参加することで、その努力を共有したいと思うのです。したがって、
私の言葉は、証言というよりは告白として受けとめていただきたいのです。

私は自らの記憶の及ぶ限りの長きにわたって、殺戮と迫害にさらされてきた民衆の一人です。私は
四二歳。私の記憶は少なくとも三〇年の過去にさかのぼります。この三〇年間、「自由世界」を自称す
る西側諸国、とりわけアメリカ合衆国は、これらの殺戮と迫害を行なう者たちを支援してきました。
私たちは、無言のまま殺されてきたのです。


脅迫しつづけるイスラエル

この期間中、私たちは多くのことを試みました。
私たちは人間の能力を高めようと努力しました。しかしイスラエルは、私たちのあらゆる努力を絶
滅の回避に向けさせたのです。私たちは、生活の改善を試みました。しかしイスラエルが私たちに強
いたものは、全力をあげて自分たちの地上からの消滅を回避することだったのです。

私たちは政府を良くし、後進性を除去しようとしましたが、イスラエルは絶えず私たちを脅かして
きました。私たちのうちの、もっとも後進的な政権ですらも、絶えず続けられてきたイスラエルの侵
略から自らを守ることによって、信頼性を獲得しているのです。私たちが自暴自棄になって、「イス
ラエルとの戦争はもうたくさんだ。生活を高め、もっと人間的な政治制度を発展させようではないか」
生言ったとしても、イスラエルは、私たちがそれに専念する時間を与えなかったのです。
一九八二年になって、ついにイスラエルの政治指導者たちは「聖書に書かれているのがイスラエル
の真の国境だ」と、記者会見の席上や外交官の集まりで、大っぴらに宣言するようになりました。つ
まりイスラエルは、ユーフラテス川とナイル川の問のすべての土地を手に入れたいのです。地理的に
いえば、この地域はシリア、レバノン、ヨルダン、それにエジプトとイラクのかなりの部分を含むも
のです。

私自身も、この地域の一部に属しています。

私はシリアの市民ではありますが、生涯を通じて自らをパレスチナ人と認じてきました。私は、わ
が民衆が、冷酷無惨なやり方で無言のままに殺されるのを目撃してきました。私たちは、現在におい
ても過去においても、死にたいと思ったことはありません。私たちは声高く叫び、抵抗したのです。


現代のアメリカ・インディアン

かつて人問の良心は、世界大戦をまねきかねないとしても、殺戮者を止めるのに十分でした。いま、
世界のほかの地域で何が起こっているのかを人間が知らないために、人間の良心は十分ではないので
す。沈黙と無知のあるところ、殺戮者たちは最後の最後まで殺戮を続けます。世界がそのことを知ら
される頃には、すべては終わっています。

殺された人々は、歴史の一部分となりました。アメリカ・インディアンたちの場合がそうです。暗
黒の大陸アフリカで起こったことがそうです。多くの人々が誘拐され、奴隷として「新世界」に売られ
ました。アジアで起こったこともそうです。幾百万もの人々が餓死しているというのに、彼らが生活
のよりどころとするものすべてを、植民地主義者たちは奪いつくしていたのです。ラテン・アメリカ
で起こったこともそうでした。

われわれは、「現代のインディアン」にされるのを恐れるのです。

現代の技術はわれわれの世界を狭くし、同時に、世界を聴覚障害者にしています。マスコミが西側
帝国主義者の考えを反映させているからです。その考えによれば、白人、とくに「自由世界」に住む
優越感を持った白人たちが危険にさらされない限り、いかなる問題であれ、興味の対象となり得ない
のです。だからこそチャールズ皇太子の結婚が、イスラエルによるパレスチナ難民爆撃よりも、また
ゴーラン高原の併合よりも、より重大なことと考えられてしまうのです。

アメリカと西ヨーロッパ諸国がシオニズムを支援する背景には、強力な帝国主義勢力の利害がある
ことは確実です。しかしこのことは、政策立案者をはじめ巨大な資本を持つ人々や独占主義者たちに
ついて言うべきことであります。

一般の市民はどうでしょうか。アメリカの市民たちは洗脳にさらされてきましたが、彼らの心理の
なかには、洗脳を容易にしているものがあります。アメリカ国家は、インディアンを絶滅させ黒人た
ちを奴隷にした移住者たちの手で建てられたものです。アメリカの市民たちは他の類形を見出して喜
ぶのです。彼らがあのように親イスラエルとなり、アパルトヘイトの社会が問題となりているなかで、
それほど反アパルトヘイトにならないのは、そのためです。


ヨーロッパの良心の危機

多くのヨーロッパ人たちにとって、パレスチナの危機は彼ら自らの良心の危機の表現です。過去に
おいてユダヤ人は、とくにヨーロッパで迫害を受けました。心の奥で、こうしたヨーロッパ人たちは、
その過去を許そうとはしません。しかしユダヤ人たちを再び受け入れようともしないのです。彼らは
良心をきれいに洗い清めて、しかもできるだけ安い代価で、自らのイメージを純粋なものにしておき
たがっているのです。ユダヤ人に対する行為をより人問的なものにするよりは、しかもユダヤ人たち
が安全に住める民主社会を実現するよりは、シオニズムを援助することの方がヨーロッパ人たちに
とっては容易だったのです。シオニズムはユダヤ人たちをパレスチナに送り込み、そこで支配権を握
るよう援助したのです。

ヨーロッパは過去の犠牲者に向かってこう語ります。「あなた方はわれわれの犠牲者でした。われ
われは長い問、あなた方を迫害し、殺戮したのです。今や、あなた方が正当な資格で迫害者、そして
殺戮者となるよう援助することによって、われわれの償いとしたいのです」

これこそヨーロッパの良心の危機なのです。ヨーロッパは、その犠牲者たちが殺戮者・犯罪人とな
るよう援助することによって、またその耳目を閉ざすことによって、その良心の責めを解消していま
す。さまざまな理由から欧米の生活様式に傾きかけている世界も、自らの耳目を閉じるよう強制さ
れています。そしてシオニズムに避難所を見い出したユダヤ人たちは、補強されたあと、私たちを殺
戮することで過去の恨みをはらしているのです。彼らは迫害者となり、罪のない私だちが犠牲者となっ
ています。


私たちは拡声器を必要としている

私たちが今日の世界の新しいインディアンになることを回避すべきだとするなら、何らかの方法で、
いつの日にか解決策を見いださなければなりません。

今度は私たちが、他の罪のない人々に恨みをはらせと言うのでしょうか。

どういう人を選べと言うのでしょうか。

どこまでいけばすべてが終わるというのでしょうか。

このような問いかけは、この場にふさわしくはありません。私たちに必要なことは生存への保証で
あり、インディアンと同じ連命にあわないようにすることです。ですから私たちは、闘いを進め、外
交の場でも働きかけてゆきます。私たちの問題を提起するために文学作品を書きます。私たちは、世
界中の人々が、いま起こっている事態に耳を傾け、その実情を知ることを願っています。シオニズム
と帝国主義と人種差別主義者の宣伝に負けないよう私たちの声を響かせるために、私たちは叫ぶのです。

それは、容易な課題ではありません。私たちは拡声器を必要としています。この法廷も、そうした
犠牲者の声を伝える増幅器のひとつなのです。

われわれの世界は、プロパガンダのノイズで満たされています。世界は人々の悲劇にあふれ、重大
な人間の問題に対する無関心でいっぱいです。私たちが虐殺されているというのに、なぜ世界は四カ
月問も沈黙していたのでしよう。ベイルートはローマ時代の舞台なのでしようか

観客たちは、沈黙したまま待っています。ローマ人たちのように歓声を発することなく、シャロン
とベギンが殺戮を終えるのを待っているのです。


三つの告白

私は三つのことを告白しなければなりません。

人間の正義感はどこかが狂ってしまっています。とくに政治のヴェールに包まれた犯罪が行なわ
れている領域では―。過去の三〇年問、私はあまりにも多くの殺戮を目撃し、殺戮について聞かさ
れてきたために、関心はかえって薄くなってきています。この過程で、私は、私の人間性のある部分
を失ないました。

何が起こったのかを知るだけでは十分ではありません。私の心が動かされるためには、情報はある
形をとって私に伝えられなければなりません。戦争で、洪水で、あるいは飢饉で、数百人が殺された
ことを知るだけでは、もはや十分ではないのです。人間は数字となってしまっています。数十人であ
れ、数百人であれ、実際の数は重要ではないのです。レバノンで非戦闘員がどれだけ殺されたのか、
誰が正確な数字を持っているというのでしょうか。難民キャンプでは何人が…。難民キャンプの人
たちにとって、この冬の生活がどんなものになるのかを、いったい誰が知っているのでしょう。

人間的な言葉で考えるのを避けるために、私は政治に逃げこみます。すべて犠牲者たちは「より大
きな問題」の一部分であり、大きな問題が解決されなければ彼らの苦難は終わらない―それで十分
ではないのか。「結局のところ、解決は複雑だ。答は他人にさがしてもらおう。それは自分の仕事で
はない……」こう言ってきかせる私は、気分も楽になり、ぐっすりと眠ることができるのです、、しか
し眠りに落ちる前に、私の内部では、そのことに対して非人問的になっている自分を感じるのです。
これが第一の告白です。

第二の告白は、起こっている事態について考えれば考えるほど、私はかかわりを深めるということ
です。しかしながらその瞬間に感ずるのは、そのことを阻止し得ないという喪失感なのです。それに
よって、私は無力感におそわれます。しかも私の無力感は代償を求めるのです。

ときには夜、ときには白昼夢のなかで、私は殺戮を始めます。夢のなかで私は、復讐心に燃えるので
す。わが民衆、私の世界、そして私の人間性に復讐するために、私は無慈悲に殺戮を行なうのです。
私は、夢想する殺人者にしだいに変貌してゆきます。それは現実の殺戮にさらに近づいたことを意味
します。「それはきわめて自然なことだ。殺戮の世界では、必要な場合には、殺すことによってでも
自らを守ることが自然なのだから」と人々は言うかもしれません。しかし芸術の創造にたずさわる者
が、殺戮以外なにも考えていないとすれば、それは何という世界でありましょう。私が人間性を失なっ
ているだけではなく、世界が破産しているのです。

最後の告白は詩作に関するものです。私は四二歳の詩人です。私には過ぎ去った青春があります。
この法廷に参加する直前に、私は八巻からなる私の全詩集の第二版を受けとりました。それによって、
私は自分の詩をもう一度読みなおす機会を得ました。

そのとき私は、恋愛詩を三篇しか書いていないことに気づいて愕然としてしまいました。女性の美
しさ、肉体、自然―こうしたものを歌った詩が、私の詩集にはありません.歓びを歌ったものもあ
りません。私の詩には、血と怒りと中傷が、失なわれた友や親類へのエレジーが、あふれているのです。

「お前は恐怖と憎悪の、復讐の人生を歩んできた。しかも、涙と悲しみと焦躁の散りばめられた、
人生を」と人々は言う。失なわれたわが人生、そこなわれた夢、理想。そして、拒絶されたわが芸術!

私も老年に近づきつつあります。自由に生き美しさを享受する機会は、日とともに少なくなってき
ています。しかし私は後悔しません。私は生涯を通じて、ベルトルト・ブレヒトの一句を信条として
きました。

「人問が殺されているのに、花の美しさを語るのは罪である」

しかし、バラを楽しむひとときを一度も見いだせなかった四二年の人生とは、いったい何でありま
しょう。四二年間は、戦争、強制移住、殺戮、虐殺、失望の連続でした。もし、バラをいつくしむ時
と能力が与えられていたなら、私はもっとましな詩人になっていたでしょう。


もう一つの虐殺

私の結論はこうです。

私が生まれ、私が生きているアラブ世界の一地域の状況によって、私はより人間的な存在となるこ
とを拒まれてきました。この間、私の人間性は血を流し続けているのです。

この喪失への私の唯一の償いは、私の責任の意識から、私の人間性のある部分が成長してきている
ということです。私は人間としての尊厳を獲得したことを感じます。私は犠牲者でありましたが、少
なくとも、私の世界のなかでは十分に生きてきたこと、私のまわりのできごとについて多くのことを
学ぼうとしてきたことは断言できます。誰しもが、たとえただ一人ででも、自分自身にこのような問
いかけをしてみるべきです。

次の問いに答えることによって、人々は、自分のなかにあとどれだけ人間性が残っているのかを知
ることができます。「どこまであなたは他人の非劇に無関心なのだろう? どこまであなたは世界で
おこっていることを知ろうと試みただろう? 知らなかったから無責任だと感じるのだろうか? あ
るいは知ろうとしなかったからこそ責任があると感じるのだろうか?」

虐殺について論議しているとき、死体の山を見つめているとき、これらのことを語ることはぜいた
くに思えるかもしれません。しかし私は、もう一つの虐殺について語りたいのです。それは、われわ
れの人間性、人間の義務と良心、われわれの人間的な感性に向けられる虐殺です。

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イスラエルのレバノン侵略に関する国際民衆法廷・東京・1983

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