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ハンセン病患者:強制収容に絡み死刑 再審請求へ動き ─ (毎日新聞)藤本事件
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投稿者 天木ファン 日時 2005 年 3 月 20 日 12:45:45: 2nLReFHhGZ7P6

 ハンセン病患者:強制収容に絡み死刑 再審請求へ動き

 1950年代初め、熊本県でハンセン病患者が療養所への強制収容に絡んで殺人事件などを起こしたとして死刑になった「藤本事件」について、弁護士や法学者が再審請求の準備を進めている。患者を隔離する国の「無らい県運動」が最も激しい時期に起きたこの事件は、裁判が療養所内の特設法廷で非公開で進められたうえ、関係者の供述や凶器の鑑定に矛盾が多く、患者への差別や偏見で誤判が起きた可能性が極めて高いという。弁護士らは遺族を支援し、再審請求に結びつけたい考えだ。【江刺正嘉】

 福岡市で19日に開かれた藤本事件に関する初のシンポジウムで明らかにされた。ハンセン病訴訟の弁護士や刑法学者が、熊本地検に請求した事件の確定記録や、国立療養所「菊池恵楓(けいふう)園」(熊本県合志町)に保存されている藤本松夫・元死刑囚の手記など膨大な資料を4年がかりで分析した。

 事件は、無らい県運動強化のため、恵楓園が1000床増床され、熊本県が全患者収容に躍起になっていた時期と重なっていた。患者への差別・偏見を背景に、証拠のずさんさと拙速な審理が次々と浮かび上がった。

 凶器の刺し身包丁は叔父の供述で発見されたとされているが、供述調書には一切その記述がなかった。また、この包丁には血痕が全く付着していなかったが、裁判では「池で(藤本元死刑囚が)洗った可能性があり、支障はない」との法医学鑑定が採用された。

 もう一つの柱になった元死刑囚の叔父、叔母の法廷証言も、元死刑囚が逮捕される前に特例として開かれ、被告や弁護人が立ち会わないまま行われた。

 裁判自体も、恵楓園内に設置された特別法廷で開かれ、事実上非公開だった。裁判官や検察官、国選の弁護士は白衣を着用し、記録・証拠物は手袋をして火ばしで扱った。さらに被告が無罪を主張しているのに、1審の弁護士は争わず、5回の公判で死刑判決が出された。

 こうした事実から、弁護士らは「冤罪(えんざい)は明らか」として、法医学者に凶器の再鑑定を依頼するなど、再審請求の準備を進めている。

 被告人が死亡した場合は直系の親族や兄弟が再審請求できるが、最高裁によると、死刑執行後に再審請求されたケースは「把握していない」という。

 シンポに参加したハンセン病訴訟弁護団の徳田靖之弁護士は「国の隔離政策と裁判所が藤本氏の命を奪った。再審請求し、司法を見直すきっかけにしたい」と訴えた。

     ◇

 消毒液のにおいが立ちこめる特設法廷。白衣に長靴姿の書記官がはしで証拠物をつかみ、裁判長に差し出した。「司法関係者すら、ぼろぞうきんのように松夫を捨てた」−−。死刑執行から既に43年。だが、ハンセン病への偏見・差別を助長した隔離政策の誤りが認められるにつれ、藤本元死刑囚の再審を求める声は高まっていった。「藤本さんはハンセン病史上最大の被害者。名誉回復を」。生前を知る関係者は口をそろえる。

 「らい病にかかったら死んだ方がまし、という社会の雰囲気が、藤本松夫を死刑に追い込んだ。まさに差別・偏見」。熊本市の牧師、坂本克明さん(72)は教戒師として1年余、藤本元死刑囚と向かい合ってきた。しかし、知らないところで死刑が執行され、最期の言葉を聞き取る役目を果たせなかった。

 初めて面会したのは61年6月だった。他の死刑囚と変わらない穏やかな表情。しかし、途端に取り乱すこともあった。

 62年9月15日、突然の死刑執行を、翌日になって知らされた。教戒師の役目は執行に立ち会い、最期の言葉を聞き取ること。その手続きさえ無視された。「ばかにしていると憤った」

 再審への思いを強めたのは、20年以上たった日のことだ。「はしで、証拠をつかんで裁判長に差し出した。皆、ハンセン病患者を早く何とかしてしまおうとしていた」。裁判を担当した書記官から打ち明けられたのだ。「よってたかって、ぼろぞうきんのように松夫を捨てた」。涙を流していた。

 坂本さんは「命は取り返せないが、名誉回復はできる。国民の理解の薄さが死刑にしたと、はっきりさせてほしい」と訴える。【石川淳一】

 ■ことば(藤本事件) 熊本県北部の村で51年、役場の衛生係を務めていた元職員宅にダイナマイトが投げ込まれて元職員ら2人が負傷し、近くに住む藤本松夫・元死刑囚(当時29歳)が殺人未遂容疑などで逮捕された。元職員が県にハンセン病患者と報告し、療養所への入所勧告を受けたことへの逆恨みとされた。無罪主張したが52年、熊本地裁で懲役10年の判決を受け控訴。直後に療養所内の拘置所から脱走した。脱走中にこの元職員が山道で刺殺され、今度は殺人容疑などで逮捕。容疑を認めた調書はあるが、法廷では「自白」を否定し、一貫して無実を訴えた。しかし、57年に最高裁で死刑が確定し、62年、3度目の再審請求が退けられた翌日に死刑が執行された。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050320k0000m040108000c.html

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