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生物種としての人間から考える進化論的視点 (荒 岱介)
http://www.asyura2.com/0502/senkyo8/msg/803.html
投稿者 愚民党 日時 2005 年 2 月 23 日 03:41:15: ogcGl0q1DMbpk

(回答先: 結局、神学と科学主義をこえられなかった左翼 (荒 岱介) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 2 月 23 日 03:28:50)


『近代の超克論者 廣松渉理解』出版記念講演(下)

生物種としての人間から考える進化論的視点

http://www.bund.org/opinion/20050205-1.htm

荒 岱介


ゾレン主義は歴史のクズ箱へ

 「〜でなければならない」「〜であるべきだ」というゾレン主義は、人間存在の外に措定される自然法則や歴史法則に従うべきだというパラダイムから導き出されていることを見てきました。この科学主義の席巻に対し1960年代後半になると、ヨーロッパの左翼・反体制派から「ヘーゲル・マルクス主義批判」が巻き起こります。デリダやフーコー、ドゥルーズなどのいわゆるフランス現代思想や、アドルノやハーバーマスなどのフランクフルト学派などが、「共産主義革命の必然」といった考え方は成立しないと否定するわけです。

 60年代後半といえば、ソ連・東欧圏における人権弾圧や計画経済の破産は西側世界の反体制派の間にも広く知られるようになっています。現代資本主義には問題があるが、既存のマルクス主義は問題解決の処方箋たりえないとなっていったのです。では、新たな社会変革運動はどこに立脚すればいいのか。それが現代思想最大の課題となりました。

 そこで、もっと人間存在のあり方に即した考え方をした思想家はいなかったのかと、近代から中世へと時代をさかのぼって追求していった結果、ヘーゲル─マルクスの流れとは別の思想家が発見されます。それがスピノザです。ドゥルーズやネグリはスピノザに注目しスピノザが脚光を浴びるのです。

 スピノザの視点は、一言で言えば「人はコナトス=自己保存要求にもとづき行動する」ということです。死への欲求がタナトスで自己保存要求がコナトスといわれますが、このコナトスから考えるべきだと主張したのです。そうしたスピノザ流のコナトスを体制変革の論理の根本にしたほうがいいと、最近でもアントニオ・ネグリが『〈帝国〉』などで主張しています。

 スピノザのコナトスという考え方は、最新の進化生物学・社会生物学の考え方とも重なるものをもっています。進化生物学では生命個体(正確にはその遺伝子)とは、自己を保存し、自己の子孫=コピーをできるだけ増やそうとする存在だと定義します。ドーキンスのいうセルフィッシュ・ジーン(利己的な遺伝子)です。長い生物の進化の過程では、その都度の環境に適応して自己を保存し、自己増殖することに成功した個体―生物種が生き残ってきました。こうした環境への適応─自然淘汰という進化論的な考え方は、生物進化だけでなく人間の本性(ヒューマン・ネイチャー)、つまり人間の社会的行動様式や社会的規範=道徳や倫理の大本にあることでもないかという考え方です。E・O・ウィルソンはそれを社会生物学として『人間の本性について』(オン・ヒューマン・ネイチャー)などで書いています。

 ウィルソンの社会生物学は、1975年の発表当初には左翼系の研究者たちから、人種差別や性差別を合理化し助長するという厳しい批判を受けました。しかしその多くは誤解・曲解であったことが今では明らかになっています。生物学的相違すら無視した極端な平等論(性差や個体差の無視)から批判するとか、自然淘汰―個体間の競争を資本主義における自由競争と同一視して批判するなどの、要するに左翼のゾレンからするイデオロギー的批判が少なくなかったからです。

 その逆に進化生物学は、生物の進化(形態や行動様式の進化)の解明においてめざましい研究成果をあげました。今時進化論を否定するのは、神による天地創造を聖書の言葉通りに信じるアメリカのファンダメンタリスト(キリスト教原理主義者)ぐらいなのです。人間もまた生物なのだから、人間だけが生物進化とは別の仕組みで進化し、人間の遺伝子だけが人間の心理や行動形態の発達に影響をおよぼしていないなどとは言えるわけがないのです。

 「人間の本性」とされるバイオフィリアや、道徳・倫理といった社会規範もまた進化論的に発達してきたというのは間違いないでしょう。経済法則や自然法則が人間を支配しているのではなくて、道徳や倫理などの人間行動の規範は大筋において、進化論的に形成されてきているのです。

自然改造はことごとく失敗した

 ということは、社会変革の論理もまた進化論を起点に考えるべきだということです。そこでは生物進化の前提たる自然環境との共生が前提です。人間をふくめた生物種の進化は「環境への適応」としてなされてきたものです。その自然環境を破壊してしまっては生物種としての生存はありえません。その逆にマルクス(主義)は、自然の法則、自然の摂理というものも、人間の営為や努力によって全部作り替えることが出来ると考え、「自然的自然から人間的自然への改造」といったことを主張しました。「人間的自然」とは人間の力が加えられた自然という意味です。

 この人間が労働を通じて自然を作りかえるという発想は、地球改造計画にまでいきつきます。これはブッシュの「環境問題の解決は科学の発達によってしかできない」といった科学主義のルーツで、歴史によって破産が証明されました。

 例えば、旧ソ連は1960年代からアラル海にそそぐシルダリアとアムダリア川流域で大規模な潅漑農業を実施しました。大規模に自然を改造しようとしたわけです。ところがその結果アラル海まで到達する水量は激減し、世界第4位の湖面積を誇っていたアラル海は、今やあと数年で消滅するといった有様です。後には広大な塩沙漠が広がり、灌漑された農地は塩害によって急速に失われています。

 また第二次大戦後、食料問題解決のためと世界中で導入された「緑の革命」も、大規模な潅漑設備と大量の農薬への依存を前提とした自然改造計画の一つでした。しかしその結果は、食糧問題の解決どころか、伝統的な農業と環境を破壊し、さらなる飢餓や砂漠化の原因にしかならなかったのです。緑の革命による自然改造は世界中で失敗し、自然環境の中に存在している人間は自然と共生して生命活動を営んでいくことの中でしか、その営為を保つことができないとなっていったのです。

 誰でも自己保存要求を持っています。自己保存要求は、別の言い方ではホメオスタシス(homeostasis)=恒常性の確保ということです。定温生命態としての人間は寒さや暑さに耐えられないので恒温の状態を求めます。例えば18℃とか20℃が適温で、そこに定位できれば恒常性を保つことができます。だから人間はその状態を求めて労働します。労働の成果を交換しあって、生きていくために必要な物を手に入れたりしてホメオスタシスを保とうとするのです。

 つまり人間は、ホメオスタシスを保てない状態に対しては抵抗します。自己保存を不可能にするようなものに対しては、人間は自己保存と恒常性を保つためにたたかうのです。それは矛盾と対決するムーブメントとなるわけです。そのムーブメントが人間の自己保存と恒常性を保つあり方を改善していきます。体制の変革とは、実際はそういうことでしかないのです。

 だからそこでは、左翼とか右翼とかもほとんど意味がないことです。左翼の側にゾレンがあったように、右翼の側にも宗教者=キリスト教徒にみられるようにゾレンがあります。そのいずれも、結局自分たちのイデオロギーが生み出しているわけです。要は自分が信奉している基準・ゾレンにすぎないのだから、ホメオスタシスとか自己保存要求よりは非本来的なことなのです。

 ということは、自然と共生でき、自然環境の中で生き延びていこうとする思考だけが人類の未来をつむぐということです。それはもはやまったく明らかでしょう。

マッハの生物学的視点を評価した廣松

 これをソ連邦の誕生と破産からみてみると、もっと話は見えてきます。20世紀初頭において、ニュートン物理学流の法則実在論のマルクス主義への適用を強調したのが、ロシア革命の指導者レーニンでした。レーニンは1909年発刊の『唯物論と経験批判論』でのロシアのマッハ主義者=ボグダーノフらへの批判によって、マルクス主義の絶対的真理性、革命の必然性を、まさに自然科学における自然法則と同様の客観的真理として主張しました。マルクス主義によって明らかにされる社会経済法則は客観的な真理であり、その真理を体現するマルクス主義の前衛党は、ゆえに人間社会を思い通りに改造できるとしたのです。レーニンはその論理で共産主義革命を客観的真理とし、「革命の必然性」を論証しようとしたわけです。

 こうしたレーニンの考えでは、現実の矛盾を止揚する運動ではなく、世界を見透かした前衛の措定する科学としての革命が真理となってしまいます。レーニン主義が、人間存在の外に措定される客観的な真理や法則に従うべきだという完全なゾレン主義になっていく根拠です。

 しかしロシアには、レーニンによって批判されたマッハ主義者のボグダーノフらもいました。彼などはマルクス主義の真理性はもとより、自然科学の法則もまた客観的真理などではないと主張しました。「革命の必然性」も真理を体現する「前衛党の無謬性」も、根底から否定したわけです。それでレーニンはムキになってボグダーノフらマッハ主義者を批判し、「哲学の党派性」の名のもとに彼らをボリシェビキ(ロシア共産党)から追い出すことに尽力します。

 廣松さんの話にもどすと、彼は最晩年には自ら「マルクス護教派」を任じたわけですが、もともとはレーニンではなく、マッハの主張を高く評価した人だったわけです。そもそも哲学者・廣松渉が世に出たのは、マルクス主義哲学者としてではなくマッハ研究者としてでした。マッハの主著『感覚の分析』(法政大学出版局)『認識の分析』(創文社)を、初めて日本語訳したのは若き日の廣松さんです。

 政治的立場はともかく、思想的哲学的には廣松さんはレーニン主義者ではなく「マッハ主義者」だったのです。知ってのとおりエルンスト・マッハ(1838〜1916)は、オーストリアの哲学者・物理学者です。彼は19世紀後半の時点で、当時誰もが客観的な科学法則(=絶対的真理)と信じていたニュートン力学の絶対空間・絶対時間概念を否定し、後のアインシュタインの相対性理論に大きな影響を与えます。マッハは当時その実在を誰もが信じていた「原子」についても、「原子・分子は思弁的モデルにすぎない」 と主張しました。マッハが活躍した19世紀末当時は、絶対時間・絶対空間を前提としたニュートン力学と原子論が物理学の定説とされていました。当然マッハの考え方は異端の思想とされます。しかし今では、マッハの考え方の方が正しかったと誰もが考えています。

 アインシュタインの相対性理論を例として言うと、宇宙船が光速に近づくと宇宙船内の物体の長さは短くなり重量は増えるとなります。宇宙船内の時間の流れも遅くなるのです。ニュートン的な絶対空間・絶対時間はそこでは完全に否定されてしまいます。現代の素粒子論でも、素粒子は粒子としての性質と共に波の性質ももつとされます。素粒子はニュートン的な「物体」=実体ではなく「場の状態」と考えられるのです。その先駆の主張をマッハはしていたわけです。

 マッハは「法則=生物学的適応の一形式」と捉え、近代科学主義的な法則実在論=ゾレン主義を否定したのです。彼は一生物として自然環境の中で生きている人間のありていなあり方から、科学法則についても捉え直すべきとしました。この「法則=生物学的適応の一形式」といったマッハの考え方こそ、現在の進化生物学・社会生物学による人間文化の理解(科学も含む)と通底する先見的な知見です。それを廣松さんは高く評価していたのです。マッハは人間を生きた生命体(コナトス)として捉え、人間活動を生命活動と捉えたのです。スピノザとも共通点をもっていた視点です。

マッハは物象化の構図も見破っていた

 そこから言ってもマッハ理解は、廣松哲学理解にとって非常に重要なポイントです。廣松さんは「マッハの哲学」(廣松渉著作集第3巻)という文章を書いています。それらを読むと、四肢構造という廣松哲学のコアはマッハの要素一元論からヒントを得ているのがわかります。

 リンゴをわれわれが見たときに、リンゴには赤い色があるとか、香りがあるとか、味とか、ツヤとか、いろいろなものをわれわれは感覚として感受します。マッハ以前の特にカント的な近代認識論では、感覚されるリンゴの背後・奥底にリンゴの実体(=物自体)という客観的な実体があると考えました。その物自体は感覚も認識もできないと考えたわけです。それに対してマッハは、リンゴの背後に客観的実在=物自体なんて存在しないと主張します。存在するのはわれわれの目の前に立ち上がっている赤い色であり、香りであり、味であり、肌触りであり、つやである。こうした感覚(要素)が現象として現れているだけなのだと彼は言ったわけです。これがいわゆるマッハの要素一元論です。

 廣松さんはこのマッハの主張を「例えば目の前にあるりんごから色、ツヤ、香り、味、形等々、可感的な諸性質をすべて剥奪していき、さらには思惟可能なあらゆる性質を剥奪していった際、あとに何ものかが残るかどうか? この問いに対して、(a)何ものかが残る、(b)残るかどうか何とも云えない、(c)何も残らない、という3通りの回答が可能であろう。(a)にいう『残る或るもの』こそがマッハの理解する物自体である。マッハはかかる『物自体』を棄て」「併せて先見的構成主義を棄てることによって、現象主義の立場を採るに至ったのである」(マッハと私)とまとめています。

 しかしマッハの業績として大きいのは、実は人間認識を「心理的な過程」「生理的な過程」と捉えたことのほうだと私は思います。マッハの哲学の非常に重要な概念に「思惟経済の原理」というのがあります。学問というものは、事実を思想のうちに模写し予写することによって、経験を代替したり節約したりすべきものであるとか、思惟の経済つまり事実の経済的な叙述こそが学問の本質的な課題とマッハは考えました。

 そこから、そもそも「法則」というものも経済的記述の一斑である。「法則」とは知的労力を節約するための縮約的記述である。自然法則は自然のなかで適切に行動しよう、現象に直面して混乱狼狽することのないようにしようという、われわれの心的欲求から生まれたものであるとマッハは整理したのです。法則は常にこの要求に答えるものであるが、その答え方はその時々の文化状態によって異なると。

 これを廣松さんは「記憶を賦与された生物にあっては、或る与えれた環境のもとにおけるその期待がいつも種と個との維持という目的に合致するように規制されねばならぬという要求がある」と「マッハの哲学」にしるしています。法則はかかる要求に応えるものであると。

 「法則は、如上の『期待の制限』として、生物学的適応の一形式なのである」。つまりマッハは環境における種と個体の維持、生物学的適応といった進化論的な考え方を明確に主張していたと廣松さんは認識していたわけです。自然法則は人間によるその時々の自然理解のための「生物学的適応の一形式」だと。この認識の下では自然法則の利用にも自ずと限界があることになります。科学的真理もまた時代や環境とともに変わるし、人間は自然を思いのままに改変することなどできないとなるのです。そもそも人間が自然を完全に認識すること(=絶対的真理の認識)などは原理的に不可能だからです。この理解の下で、廣松という人は共産党を支持し、その活動家になった。なんとも不思議な人だったのがわかります。

「哲学の党派性」というセクト主義

 革命ロシアの歴史では、こうした観点を有したボグダーノフらマッハ主義者のボリシェビキからの追放によって、ロシア革命は自然法則を全て認識した人間=無謬の前衛党が、社会も自然も、そして人間をも改造していくというインチキ宗教のような教義に変質していきました。ボグダーノフらをボリシェビキから追放したレーニンは、情熱とリゴリズムだけを「哲学の党派性」と言いなし、「党派性としての哲学」をゴリ押ししていったのです。正しいかどうかではなくて、リゴリズムをもって言い切っていくことが、レーニン主義の「党派性」ということになります。この結果レーニン主義は、現代科学や現代思想といった20世紀の最新の知見と対話していく回路を自ら閉ざしてしまいます。ロシア・マルクス主義(レーニン主義)は、限りなく硬直した体系へと純化していく以外なかったのです。

 最初に述べたように、レーニンをはじめロシアのマルクス主義者たちも、もともとは自由を求めました。ところが次第に「これがボリシェビキだ」「ボリシェビキは〜でなければならない」と、「こうであるべきだ」「〜でなければならない」ということを措定するゾレン主義の体系へと変質していくのです。そのいきついた先が、数百万人をラーゲリで虐殺したスターリン主義であったわけです。

 このようななりゆきを全部知っていて、しかもマッハ哲学を評価していた廣松さんが、どうして「同志スターリン」になるのですかね? まさに廣松渉は、マッハの研究をやりながらマルクス主義を擁護するという矛盾を生きた思想家だったのです。マルクス・レーニン主義のテーゼを自分は支持し信奉しているという態度を取りながら、別のことを考えていたのです。要するに人間は、己の信条というものをなかなか捨てられないのですね。

 廣松さんは、生涯にわたってマルクス主義哲学をマッハ流に改釈し直そうと苦闘し続けました。だが、廣松渉をもってしてもなお、マルクス主義をマッハ流に改釈するのは無理だった。マルクス―廣松ではなくマッハ―廣松として彼は論理をつむぎました。

 以上近代の超克論者として廣松渉を読む『廣松渉理解』ではこれを解き明かしているわけです。  そこから言っても、唯物史観ではなく進化論的な考え方から左翼のゾレン主義を総括していくことが、21世紀の新しい社会変革運動の課題なのだということはわかると思います。

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あら・たいすけ

作家・編集者。1945年生れ。60年代全共闘運動以来の活動家。著書に『行動するエチカ』『環境革命の世紀へ』『破天荒伝』『大逆のゲリラ』『廣松渉理解』など。
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(2005年2月5日発行 『SENKI』 1168号4面から)


http://www.bund.org/opinion/20050205-1.htm


【読書メモ】
http://www.asyura.com/0304/dispute10/msg/220.html
投稿者 愚民党 日時 2003 年 5 月 05 日

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