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「原爆を許せ」と説教する「平和」 バチカン主導の「反核」の欺瞞 【長周新聞】
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 8 月 11 日 00:13:52: ogcGl0q1DMbpk

「原爆を許せ」と説教する「平和」
バチカン主導の「反核」の欺瞞
               米国の核戦争準備助ける 


http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/genbakuyurusetoseltukyousuruheiwa.htm

    2005年7月30日付

 
 広島と長崎に原爆が投下され、幾十万人の無辜(こ)の非戦斗員がむごたらしく焼き殺されてから60年を迎える。この史上もっとも凶悪な兵器である原爆を投げつけたアメリカは、60年たった現在、なおも正義の行為であったと開きなおり、先制使用を広言し、使用可能な小型原爆の開発をやり、さらに被爆国日本を原水爆攻撃の前線基地として再編しようとしている。しかも被爆地である広島湾を、岩国基地を中心に核基地として大増強するというこの上ない侮蔑(べつ)を加えている。

広島、長崎をはじめ全国、全世界で、原爆使用を押しとどめる世界的な力を結集した原水爆禁止運動の再建を願う要求はきわめて大きい。このようななかで、「反核平和」と称しながら、「加害責任を反省し、真珠湾攻撃を謝罪し、原爆投下を許さなければならない」「被爆体験を語ってはならず、和解しなければならない」などと、マスコミからも行政側からも叫ばれ、それに平和運動勢力と称してきた部分も合流している。力ある原水爆禁止の運動を再建するために、この潮流の主張するところの意味を明らかにしなければならない。

 被爆市民が語ることを抑圧

 広島、長崎の被爆市民は、被爆体験について語れなかったし、子や孫たちも聞いてくれなかったといっている。学校に行って「じいちゃん、ばあちゃんたちが悪いことをしたから原爆を落とされた」と教えられ、平和資料館も「広島は軍都だったから落とされた」という展示になり、新聞やテレビは夏が来るたびに「加害責任の反省を」と大合唱してきた。さらに「平和」の看板をかけた多くの勢力も「加害の反省をしないものは犯罪者」のようなふるまいをしてきた。

 そして最近では、「日本人は真珠湾攻撃を謝罪し、広島、長崎の原爆投下を赦(ゆる)さなければならない」、そして「和解しなければならない」との主張が、「怒りより祈りの方が尊いのだ」というキリスト教とダブさって主張されている。広島、長崎が原爆投下を許せという声が上がるのにつれて、アメリカはいっそう図に乗って原爆使用の方向にすすんでいる。

 『毎日新聞』(24日付)が特集した「還暦の戦後――祈りの長崎」で大きく紹介した「被爆絶対視せず、“加害”直視」と題する長崎大の舟越耿一教授の考えは、「反核平和」を叫んで、実際には核戦争を押しとどめる力をつぶしてしまう特徴をあらわしている。

 舟越氏は、本島等・元長崎市長の「日本人が真珠湾攻撃について謝罪し、広島と長崎が、原爆投下を赦(ゆる)すことである」「赦しえないことを赦す考え方、それが必要である。広島、長崎は“和解の世界”への先頭に立つべきであろう」という主張に深く共鳴し、「被爆者が前面に出ない市民運動」「原爆被害を絶対化しない平和学」を追究しているのだといっている。記事はさらに「怒りより祈りの方が深い」とか、「キリスト教徒永井隆博士」の「被爆体験は“み摂理”“神の恵み”」といった諦観を奥深い思想であるかのようにたたえている。

 「原爆を二度と使用してはならない」し「すべての核兵器は廃絶しなければならない」という叫びは、広島、長崎の惨状をくぐった人人の痛切な体験から出発している。ところが、広島や長崎の被爆市民は、その体験と思いをなかなか語れなかった。戦後日本を占領したアメリカは、「原爆投下は戦争を終結させ、幾百万の人命を救った」「原爆投下は戦争をした日本に責任があり、真珠湾への奇襲攻撃をした日本人は反省しなければならない」という宣伝が空の上から押さえつけていたからである。しかも占領軍は、原爆について公表することを厳重に禁止していた。

 このような状況をうち破ったのは、朝鮮戦争を開始し、戒厳令のような弾圧下にあった広島を舞台にしてたたかわれた1950年の8・6平和斗争であり、峠三吉はこの運動に歓呼して参加し原爆詩集を発表した。この運動はたちまちにして全国に広がり、五年後には広島で世界大会が開かれるまでになった。そして朝鮮戦争でも、ベトナム戦争でも原爆を使用することができないようにしたし、「原爆を使用することが正しい」などとはいわせない力となった。
   
 運動無力化に役割 「加害責任」叫び

 日本からはじまって世界的な大運動となった原水爆禁止の運動は、60年代に入って混乱し、すっかり力のないものとなった。その中心は、実際に原爆を投下した犯罪者であり、最大の原水爆戦争の仕かけ人であるアメリカとたたかうのかどうかであった。運動内部から、アメリカ擁護勢力が原水禁運動を破壊していったのである。

 そして70年代に入ると「原爆といえばパールハーバー」「侵略への加害責任をいわなければ国際的には通用しない」などと、アメリカの息のかかった国際的会合に行ってまるめこまれた連中によって、加害責任反省論が大大的に吹聴され、実際の原爆投下者であるアメリカの犯罪を追及することがまるで犯罪であるかのようにあつかわれた。

 1970年代には、米ソの核拡張政策と「戦略核兵器削減」など「核軍縮」のかけひきがつづいた。1978年に第1回国連軍縮特別総会が開催されるのを機に、商業マスコミが「核の脅威」の論陣をはるなかで、1981年、レーガン米大統領が「限定核戦争の可能性」を公言。これにたいしてヨーロッパを中心に、「新型ミサイル配備反対」の運動が高揚した。

 「原爆を許す思いやり」を宣伝

 ここに登場したのはローマ法王ヨハネ・パウロ二世であった。パウロは「均衡にもとづく抑止力は、道徳的に容認しうる」と声明。ヨーロッパのカトリック司教団は「西側の一方的な核凍結案に反対」し、「相互的でなければならない」と主張して、反ソ・アメリカ擁護の「反核」路線をとなえた。

 パウロはその線で、81年2月、原爆都市である広島を訪問、「戦争は人間のしわざ」であり、それを克服するには「国境や社会階級をこえた思いやり」が必要であると説いた。その意味を結果から見ると、原爆はキリスト教徒であるアメリカの「しわざ」であるが、そのような「しわざ」をした人間に二度としないようにさせるのではなく、「しわざ」をされた異教徒の側に「思いやり」を求めるものであった。

 広島と長崎しかない被爆都市の長崎市長であった本島市長は、天皇の戦争責任発言で有名になったが、自身が熱心なカトリック教徒で、バチカンを何度も訪れた。ローマ法王とも会って教えを請うた本島氏は、長崎の学校では「原爆を平和教育の原点にしてはならない」という決まりを押しつけ、原爆遺跡をつぶし、「原爆投下を許す思いやり」を実行し、被爆市民を沈黙させてきた。

 本島氏はのちに、「日本人が謝罪しない限り、アメリカは原爆投下は正当であったと言いつづけるだろう」「広島、長崎の被爆者たちはアメリカの“原爆投下”を“赦す”とはっきり言わなければならない」とか、「広島、長崎は“和解の世界”への先頭に立つべきである」「安保条約の是非を言えば論議はなりたたなくなる」と自説を語っている。

 被爆者が許すのならともかく、被爆していない本島市長が勝手に許してしまうわけで、「敬虔なクリスチャン」というのもその実態はかなり横暴なわけである。被爆遺跡はすっかり片付けてしまったが、アメリカの側は真珠湾で沈没した軍艦を記念館に残し、「リメンバーパールハーバー」をしっかり実行している。

 パウロの広島での「思いやり」宣言で、いたく感動したのが広島の原爆資料館で、87年10月には、日本がアジア諸国を侵略したから投下されたという「加害責任を問うコーナー」の設置を決め、96年東館が完成した。

 さらにパウロ宣言にいたく感動したのが、「日共」修正主義集団の宮本顕治で、全国幹部を集めた会議で「今日の情勢のなかでは当然で勇気ある呼びかけだ」と絶賛した。

 日本のマスコミも色めき立ち、平和運動の指導者のようなふるまいとなった。この年九月、『朝日新聞』は社説で、「日本の平和運動は原水禁運動にとどまりすぎて、核軍縮にとりくむ実効ある戦術に欠けてはいまいか」と書いて、翌年の第2回国連軍縮総会へむけて「反核軍縮運動」を提唱。日本における「反核軍縮運動」として、NGOの運動や道路に寝そべる「ダイ・イン」や「ローソク・デモ」などキリスト教的パフォーマンスがあらわれた。

 社会党系の原水禁議長である岩松繁俊氏も「加害責任を自己批判し、長崎から反核・平和を訴える」という主張をとなえた。秋葉忠利・広島市長は、「報復の連鎖を断ち切り和解を」と主張し、原爆投下を命令したトルーマンもその対象とすることを強調。2003年には、2年後のNPT再検討会議にむけて「核兵器廃絶のための緊急行動」を提唱した。それは今年5月のニューヨークで、すっかりあしらわれる結果となった。

 被爆市民の方を敵視し攻撃

 この運動の特徴は、被爆した広島、長崎の市民の怒りを抑えこみ、沈黙させること、そしてアメリカの核独占を擁護することが重要な内容となっている。

 この潮流は「加害責任の反省」「真珠湾攻撃の謝罪」「許せ」「和解せよ」の叫びで、被爆市民を怒らせている。それは被爆市民の共感をまったくえないばかりか、敵視しているのである。本島氏の「広島よおごるなかれ」と題する講演では、峠三吉を攻撃するとともに、「日の丸の小旗をちぎれるようにうちふって軍隊の出撃に熱狂的に歓声の声をあびせた、年寄り、主婦、娘さん、中学生、女学生、学童こそ、数年のちの“被爆者”たちであった」と、天罰であるかのように語り、「原爆投下者への“怒りや憎しみ”を持ってはならず、投下を赦すべきだ」と主張した。
  
 米国の擁護が特徴 屁理屈と高尚な説教で

 他方では、アメリカ擁護である。『朝日新聞』(25日付)は、若宮啓文論説主幹がコラム「風向計」で、「非道の責任を米国にだけ求めるのはフェアでない」と主張。昨年の8・6をまえに『朝日』が広島でおこなった「国際平和シンポジウム」では、筑紫哲也などが「反核を反米にすりかえてはならない」と主張している。

 この反核平和運動は、核拡散防止を柱にしているが、それは「原爆は真珠湾攻撃をしたから落とされたのだ」という論理の延長であり、アメリカに逆らって核開発をすることに反対し、アメリカの核独占を擁護するというものである。

 このような論調というものは、めずらしいものではなく、敗戦後占領下でやってきたことであった。「原爆は戦争を終結させた」「無謀な戦争をやった日本人は反省せよ」といい、被爆者の口をふさいで、アメリカ製のキリスト教に結びつけて、お祈りのあきらめに導くというものであった。

 その状況を突き破って、原水爆禁止の運動がまき起こると、自治体が参加する官製原水協の時代をつくった。60年安保斗争にむかうときには、アメリカとたたかってはならないという「敵なし」をとなえて、自民党や民社党の核禁会議が騒ぎ、60年を過ぎると「いかなる核にも反対」「部分核停」といって騒ぎが起きた。これらの分裂と混乱が行き着いた先が現在であり、要するに、実際に原爆を受けた被爆市民を排除し、原爆を投下し、戦後も原水爆戦争の危機をつくっているアメリカを擁護するというものであった。

 現在のマスコミをあげて、行政機関を動員し、学者を使い、バチカン・キリスト教が前面に出、さまざまな政治勢力がダンゴになった、いわば官製「反核平和」は、敗戦後のアメリカ占領下の状況にもどったものであり、使い古しの時代遅れである。

 そしてこの「反核平和」運動というものは、原爆体験をはじめとする現実世界と離れた屁理屈と高尚な説教をとなえることに特徴があり、いわば根のない空中遊泳運動である。したがって広島、長崎市民には相手をされず、アメリカにも国連にもなめられ、マスコミが騒ぐばかりで実態はローソクの火が消えたようになっている。

 現実の世界は核戦争の危機がなくなるのでなく、いっそう強まるものとなっている。しかも最大の戦場はアジアであり、あろうことか日本をアメリカの核攻撃基地に再編強化している。八〇年代の「核軍縮」運動はなるほどソ連の崩壊ですすんだ。「核拡散防止」といって朝鮮などの核開発を大問題にしてきたが、そうしてアメリカの核独占がすすんだ結果、原水爆戦争の現実的な危険性が高まってきた。核攻撃をしても報復の恐れがなくなることで、原水爆使用の条件が大きくなっているのである。広島、長崎への原爆投下は、まさにアメリカしか原爆を持たないという条件のもとであった。
   
 核使用容認が狙い 「原爆許す平和」の意味

 このようななかで、「原爆投下を許し和解する反核平和」とはなにを意味するか。それは平和の仮面をかぶって、広島、長崎の怒りを抑えつけアメリカの原爆使用を激励することに等しい。

 「真珠湾攻撃をしたから原爆を使った」というのは、アメリカ側の国民を動員するためのただのプロパガンダにほかならない。これを、日本の大新聞や学者がいまどき、オウム返しで叫ぶのは、まことにお粗末なかぎりである。

 アメリカは幕末のペリー来航以来日本占領の意図を持っており、日露戦争のあとには日本占領計画をつくっていた。日米開戦は、中国市場を奪いとり、日本を占領するという目的のために、アメリカ側からも待ち望んだものであった。

 日本の天皇を頭とする帝国主義支配階級は、中国全面侵略をやって中国人民の抗日戦争でにっちもさっちもいかなくなるなかで、米英仏蘭の植民地を奪いかれらとの戦争に突きすすんだ。かれらがこの戦争でもっとも心配したことは、自分らの支配の地位を守ることであり、日本人民の内乱・革命であった。そして、日本人民を犠牲にして米英の側に降伏し、かれらに守られて戦争犯罪の責任を回避し、支配の地位を維持することであった。アメリカ以上に日本人民を敵視していたのだ。

 原爆投下は、八月八日と決まったソ連の参戦まえに、日本を降伏させ単独占領するためであり、戦後のソ連との対抗のために、ソ連を脅しつけるためにも原爆投下を焦ったのである。すでに日本の都市は空襲で焼き払われ、抵抗する力はなくなって降伏は時間の問題になっているなかであり、戦争終結のためにはまったく必要はなかった。アメリカの利己的な野望のために、あのような残虐な兵器を平然と使用したのである。

 このようなアメリカの原爆投下の犯罪を「許せ」とか「和解せよ」というのは、現在原爆を使用することを容認せよということにほかならない。犯罪を犯したものがその罪を償ったならば、許すこともある。しかし犯罪者がいまだに謝罪すらせず、開きなおって、いまなお正義であったといって、ふたたび原水爆を使用しようとしているなかで広島、長崎の被爆者に「許せ」というのはこの上ない屈辱である。それは口では「反核平和」といいつつ、実際には原水爆戦争を引き寄せる大インチキにほかならない。

 「反核」といい「平和」というとき、広島と長崎の被爆市民に認められないものはインチキである。原爆を投げつけられ、その痛みを知っているのは広島と長崎の市民だけである。力ある原水禁運動を再建するには、被爆への新鮮な怒りから出発しなければならず、原爆の使用をもくろむ平和の敵を鮮明にしなければならない。

 原水爆戦争を阻止すること、あらゆる原水爆の製造も貯蔵も使用も禁止することは、全世界の要求である。被爆者攻撃・原爆投下者アメリカ擁護のインチキな「反核平和」潮流に振り回されるのでなく、広島、長崎の被爆市民、全国のあらゆる人民、さらに全世界の平和を愛好する人民によって、原爆を使用する者の手足を縛り上げる運動を再建することが課題である。

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