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元勲たちと死の商人
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投稿者 外野 日時 2005 年 1 月 31 日 00:21:56: XZP4hFjFHTtWY

(回答先: 三井・三菱など「企業慰安所」運営していた (朝鮮日報=韓国) 投稿者 外野 日時 2005 年 1 月 30 日 21:06:40)

 日刊ゲンダイ

 『政・財 腐食の100年』
 《明治 大正 昭和の裏面史》

 
 三好徹(稿)
 1931年東京生まれ。読売新聞記者を経て作家となり、66年「風塵地帯」で推理作家協会賞、67年「聖少女」で第58回直木賞を受賞。「チェ・ゲバラ伝」「幕末水滸伝」「三国志外伝」などの歴史小説をはじめ推理小説、サスペンスなど幅広いジャンルで活躍している。


 ■元勲たちと死の商人

 (略)
 板垣退助を何のために柳橋に招待するのか、本当は後藤だって見当はついていたが、わざと「何のために?」と質問したのだ。
「九十九商会が国有化されて帳簿を調べられますと、長崎時代の俗事がすべてつかまれてしまいます」
 と岩崎はいった。後藤に対しては、高知在住の保守派から「京、長崎において公事に託して遊興の事」の山内容堂(15代土佐藩主)あて告発状が出たことがあった。俗事とは遊興や不行跡の意昧であり、それが公になったら、岩崎も困るが、後藤はもっと困る。さらに、岩崎の返事は廃藩置県の計画をつかんでいることも暗示しているのだ。
 後藤は苦笑して、板垣を連れて行くことを約束した。板垣は金銭に淡泊だった。新政府の大官たちは大邸宅に住み、召使を数十人も雇って幕藩時代の大名のように暮らす者が多かったが、板垣は土佐藩邸の一室で起居していた。晩年に至っても、板垣の財産は高知市内の200坪の家屋敷と趣味の100頭の猟犬だけだといわれた。
 板垣のそういう性格を知っている後藤は、岩崎の接待攻勢も通じないだろう、と予測していたが、この招宴のあと、板垣が休息所を持つ、といい出した。休息所とは妾宅のことである。
 岩崎が宴席に呼んだのは小清(本名せい)という柳橋きっての美妓で、このとき17歳。5尺そこそこの小柄な女性だが、板垣は自分に酌をする小清を見て思わず息をのんだ。
 もとより岩崎はそれを見逃さなかった。


 板垣退助も丸め込んで九十九商会はスンナリ岩崎弥太郎の手に

 板垣退助には、高知に正妻の鈴がおり、ほかに政野という弘化元年(1844年)生まれの28歳の権妻(めかけ)が高知郊外の九反田にいる。彼がとくに好色というわけではなく、この時代の上層の武家階級では、妾宅を持つのはこく普通のことだった。板垣などはむしろ堅ブツの方だったかもしれないが、岩崎弥太郎の狙いは的中した。35歳の板垣は、安政2年(1855年)生まれの17歳の柳橋芸者・小清(本名せい)に心を奪われてしまった。
 こうした女性たちの年齢や本名がわかるのは、実は明治4年4月制定の戸籍法によって、正妻のほかに権妻も出生地や生年の届けを出すことに定められ、その記録が残ったからである。戸籍法はそのあとの学制や徴兵制のための前段階の新法だったが、同時にこういう副産物をもたらした。ただし、権妻条項は、具合が悪いと感じた政治家たちによって程なく削除された。
 また、岩崎は柳橋や新橋のきれいどころを写真に撮って秘蔵していた。数百人分あったという説もある。何も趣昧で写真を集めたわけではなく、威張ラセル飲マセル抱カセルの岩崎流の商策にとって必要だからなのである。
 岩崎は板垣にすすめて小清を落籍させた。余談だが、彼女は明治7年9月にほんの3日間寝込んだのちに亡くなった。20歳の短い人生だった。自由民権の闘士板垣の嘆きぶりは、見るものの目を覆わしめたという。そのあと板垣は権妻を持つことなく、浜町に家を買って高知から家族を呼び寄せた。
 そのことはともかく、九十九商会を岩崎に払い下げる一件については、とくに異議を唱える声はなく、海運、製糸、特産品の販売などの商権が岩崎のものとなった。また、フランス製の製糸機械と付帯設備3万円相当を30年の年賦にしてもらったことも、彼の辣腕ぶりを示している。
 明治6年3月、岩崎は屋号を三菱商会と改め、家紋の三階菱と山内家の三ツ柏紋を分解合成したマークを作った。もともとは所有の船の船旗用にデザインしたものだが、書類その他にも用いた。

 (略)

 三菱商会つまり岩崎弥太郎に対する政府のあまりにも過大な恩典は、岩崎流の猛烈なごちそう商法のおかげであったことは確かである。
 この頃の岩崎は、社員の誰よりも早く出社し、社員が社長室に置いてある出勤簿に捺印するのを確認した。そのあと、、各部門について社員に指示を与えてから外出。市場の景況、商店の動静を視察して11時頃に帰宅して昼食。そのあと外国人居留地(築地)へ行って外国商人を訪問ないしは商談。午後2時頃には会社へ戻って、朝に下した指示の実行ぶりを確認する。もし、思ったほどに進行していなかったら大声で叱咤し、それが一段落すると、要路の高官を招待してある妓楼へ赴き、酒席の間に政府の次の動きをさぐり、ときには徹底的に頭を下げ、場合によっては威嚇的な言葉をつらねる。これが岩崎の日課であった。

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