★阿修羅♪ 現在地 HOME > 戦争67 > 854.html
 ★阿修羅♪
次へ 前へ
ガス室の換気装置
http://www.asyura2.com/0502/war67/msg/854.html
投稿者 外野 日時 2005 年 2 月 27 日 23:57:01: XZP4hFjFHTtWY

(回答先: ホロコースト狂信者がドイツ語の基礎知識無しと罵る揚げ足取り批判 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 2 月 21 日 14:58:50)

-------------------------------------------------------------

ガス室の換気装置
http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/Points2/Ventilation.html

 西岡さんのおもしろいところのひとつは、自分の本のなかで引いている資料が語っていることを、すぐに自分で否定する点に現れています。
 クレマ2の地下にあったLeichenkeller 1(ガス室に転用された)について、西岡さんはこういいます。
 「先ず、地下の『ガス室』を処刑後にどうやって換気したのか、という問題があります。地下室ですから、気密性を確保するには良いかも知れませんが、人間が一杯に押し込められたその地下室を換気し、死体を搬出するには、大変な時間が必要とされたのではないか、という問題があるのです。青酸ガスは猛毒ですが、猛毒であるからこそ、処刑後、作業員が『ガス室』内部に入って死体の搬出作業をするためには、徹底的な換気が行なわれなければなりません。しかし、問題の地下室は、隣室との間に出入り口が一つあるだけなので、三方は地中に囲まれている細長い地下室なのです。
 換気扇を使おうと使うまいと、猛毒の青酸ガスを隣室に排気したとしたら、今度はその隣室の徹底的な換気が必要になります。しかし、これは、あまりに非効率かつ不合理なことです。では、地上に排気したというのでしょうか? しかし、そのような装置が存在していた痕跡はなく、戦争中の写真からも、そんなものはなかったらしいことが窺えるのです。」(『真実』、pp.119-20.)

 確かに、地下室を毒ガスで満たしたら、機械的な換気が必要です。「そのような装置が存在していた痕跡はなく」と西岡さんは書いていますが、それは嘘です。フランスのジャンークロード・プレサクはクレマやガス室について、多数の資料を発掘し、それらの構造を復元することに努力しています。彼はクレマ2の地下にあったLeichenkeller 1が吸気および排気という二重の換気装置を持っていたことを、同書で疑問の余地なく明らかにしました。そのことは欧米の否定派も認めています。西岡さんはプレサクの本を、英語とフランス語でお持ちだそうです。しかし、持っていることと読んでいることとは同じではありません。まともに読んでいれば、こんなでたらめを書かないですんだはずです。
 ところで、さきの文章の少しまえのページで、西岡さんは「当時の地下室の側面図」を出しておられます(p.117.)。正確にいうと側面図ではなく断面図であって、そうだと書かれています(きちんと読みましょう)。そこには半地下の「死体置き場」(Leichenkeller)の1と2がスケッチされています。
 さて、左側にある「死体置き場1」を見てみると、壁と天井のあいだ、それに壁の下部のなかになにやら構造物が描かれているのが判ります。これが吸気・排気装置です。それらが換気装置であることを明示した別の断面図も、複数残されています。
 「そのような装置が存在していた痕跡」を自分で提出しておきながら、その2ページさきで「痕跡はなく」というのですから、あきれはてます。
 西岡さんがいう「戦争中の写真」なるものがなんなのか、いかなる注釈もないので、私には判りません。どうせいいかげんな話だと思います。
 なおLeichenkeller 1の吸気・排気能力は、ともに1時間あたり8000立方メートルでした。Leichenkeller 1の容積は504立方メートルなので、理論的には4分ほどですべての空気を入れ換えることができたわけです。
 否定派が擬似科学的な装いをこらすために使う、いわゆるロイヒター(リューシュター)報告では、クレマ2と3には換気設備はないと書かれています。西岡さんはロイヒターの調査不足を、おそらく鵜呑みにして繰り返しているのでしょう。
-----------------------------------------------------------

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/holocaust/aml10914.htm

Message-Id: <199901311124.AA00206@lequio.altavista.net>
From: TAKAHASHI Toru
Date: Sun, 31 Jan 1999 20:24:37 +0900
To: aml@jca.ax.apc.org
Subject: [aml 10914] アウシュヴィッツのガス室
In-Reply-To: <199901241336.WAA11896@mail.jca.ax.apc.org>
高橋亨です。

★ はじめに ★

以下の議論を読むための予備知識として、まずアウシュヴィッツのガス殺施設
の概要を簡単に説明しておきます。

通常「アウシュヴィッツ」と総称されているものは、実際には巨大な収容所複
合体であり、次の三つの部分からなっていました。

- アウシュヴィッツI (基幹収容所)
- アウシュヴィッツII (ビルケナウ)
- アウシュヴィッツIII(モノヴィッツ)

基幹収容所はドイツ国内にもあった類の強制収容所でしたが、ビルケナウは文
字どおりの絶滅収容所、そしてモノヴィッツはIGファルベン社の大軍需工場を
中心とする強制労働キャンプでした。

アウシュヴィッツには、合計七つのガス殺施設が作られました。敷地内に以前
から建っていた農家を改造したガス殺小屋(ブンカー)が二つ、「焼却棟」と
呼ばれる施設が五つです。「焼却棟」は脱衣室、ガス室、死体焼却炉を備えて
おり、ガス殺した人間をただちに(死体運搬の手間をかけずに)隣接する焼却
炉で処理できる高能率の殺人工場でした。ここに送り込まれた人間は靴箱一杯
の灰になって出てくることになります。これらのガス殺施設のうち、基幹収容
所内にあったのは第一焼却棟だけで、残り(二つのブンカーと第二から第五ま
での焼却棟)はすべてビルケナウに作られました。

第一焼却棟はもともと基幹収容所付属の死体焼却施設でしたが、その死体置場
がガス室に改造され、ガス殺施設として用いられるようになったものです。こ
れに対して、第二から第五までの焼却棟は、最初からガス殺施設として建設さ
れました。

★ 第一焼却棟のガス室 ★

in [aml 10805] 木村さん wrote:
> 実際には話がまったく逆で、「ガス室」に関して「換気扇」の存在が焦点になっ
>たのは、私の表現では「銀座の真ん中のショーウィンドウに飾られていたガス室の
>代表」、アウシュヴィッツ・メイン・キャンプの「ガス室」には「換気扇」がない
>からなのです。

in [aml 10819] 木村さん wrote:
>ただし、これは一般論ですが、私が実際に見
>て、ヴィデオ撮影もしていきたアウシュヴィッツとマイダネクでは、そこら中が工
>事中で、「復元」と称する作業が進行中でした。すでに完成したような状況の建物
>も、良く見れば真新しい部分がありました。特に、アウシュヴィッツ・メイン・キ
>ャンプの「ガス室」の天井の穴は、木製の粗末なもので、戦後、映画撮影用に作ら
>れたことが明瞭でした。ですから、ダッハウのものも、大いに疑って研究すべきで
>しょう。

第一焼却棟内のガス室は、後に親衛隊用の防空壕に改造されています。換気口
やチクロン投入用の穴もこのとき塞がれました。(塗り固められた換気口やチ
クロン投入口の現状写真を[1]で見ることができます。)確かに現在見られる
投入口は戦後復元されたものですが、それは何らこの部屋がガス室でなかった
ことを示唆するものではありません。また、この部屋が換気装置を備えていた
ことは、1942年夏の煙突改修工事の際の図面から判明しています[2]。そもそ
も、死体置場だったこの部屋が換気装置を備えていたからこそガス室に転用さ
れたのです。

ナチは証拠隠滅のため、アウシュヴィッツを放棄する前にすべての焼却棟を解
体し、ガス室を爆破しましたが、防空壕に改造されて原形をとどめていなかっ
たこの部屋だけは破壊を免れました。現在アウシュヴィッツで展示されている
ガス室が、戦後になって「つくり直された」この部屋だけであり、より正確な
復元のため更に改修を必要としているのはこのためです。

一つ付け加えておくと、ホロコースト否定論者はこのガス室が復元されたもの
であることがアウシュヴィッツへの訪問者に対して隠されてきたかのように述
べていますが、これも事実ではありません。アウシュヴィッツ博物館の歴史家
フランチシェク・ピペル博士は、デヴィッド・コールのビデオに抗議して送っ
た手紙ではっきりとこれを否定しています[3]:

| Cole maintains that I first time admitted the allegedly unknown fact
| the Nazis adapted the crematorium in question in which the gas
| chamber were located for air-raid shelter, the fact allegedly
| unknown even for Museum guides. It is un truth. See enclosed copies
| of pages from the books which constitute the fundamental reading for
| Auschwitz guides. In book by T-an Sehn "Concentrat Camp
| Ogwiqcim-Brzezinka (Auschwitz-Birkenau) Warsaw 1957, You may read on
| the page 152-" In May 1944 the old Crematorium I in the base camp
| was adapted for use as an air raid shelter.

★ 第二〜第五焼却棟のガス室 ★

第二焼却棟と第三焼却棟は同じ構造で、それぞれ2000人用のガス室を備えてい
ました。第四焼却棟と第五焼却棟も同じ構造で、それぞれ1500人用、800人用、
150人用の三つのガス室を備えていました[4]。

in [aml 10819] 木村さん wrote:
> ビルケナウの方は崩壊したレンガの建物跡ですが、『ショア』で模型を写しなが
>ら「1度に3000人」などというのはデタラメもいいところで、精々20人ぐらいが入れ
>る部屋しかありません。

第二、第三焼却棟のガス室は面積が210平方メートルありました[5]。いったい
何をどう計算すれば、ここに「精々20人ぐらい」しか入れない、などという結
果が出るのでしょうか。

実際に測ってみるとよく分りますが、1メートル四方というのは思ったより広
いものです。成人男性が4人立っても余裕があります。ナチはガス室に犠牲者
を裸ですし詰めに押し込みましたし、犠牲になったのは主に女性や老人、子供、
そして極度の栄養不良と疲労でやせ細り、「労働不適格」と判定された人々で
した。210平方メートルに2000人というのは十分可能な数です。(「一度に
3000人」は恐らく2000人の間違い。)

>これも上記のプレサックがソ連崩壊後に万単位の資料を漁
>り、やっと見付けてきた「火葬場の設計図」があります。その中の「
>Leichenkeller 」(ドイツ語で「死体の穴蔵」、つまり「遺体安置室」)を、プレ
>サックは、ドイツ人が「ガス室と書く勇気がなかった」のだと主張(拙訳『偽イス
>ラエル政治神話』p.339.フランス語原著も手元にある)しているのです。

もちろんナチはわざわざ「ガス室」と明記して証拠を残すほど間抜けではあり
ませんでした。しかし、いくら完全を期しても、時として事実は漏れてしまう
ものです。例えば、アウシュヴィッツ収容所建設本部が第二焼却棟の完成を報
告した書簡(1943年1月29日付)の中では、「…ガス室(Vergasungskeller)
の使用は可能であり…」と、うっかり「死体置場」を「ガス室」と言い換えて
しまっています[6][7]。

この書簡はニュルンベルク裁判にも証拠として提出されたものなのですが、否
定論者たちはこの証拠を否認するため、(ドイツ語の解釈としては無理なので
すが)Vergasungskellerはガス室ではなく、焼却炉の燃料を気化させるための
部屋のことだ、と言い出しました[8]:

| 第一の問題点は、用語の誤解または曲解である。ユダヤ人虐殺物語の「ガス室」
| の用語は「Gaskammer」であって、「Vergasungskeller」の方は、火葬場の燃
| 焼温度を上げるための「気化室」または「気化穴」とでもいうべき構造のこと
| だ。

残念ながらこの言い訳は成立しません。アウシュヴィッツの焼却棟で使用され
た燃料はコークスであり、「気化」など必要ないからです[9]。(各焼却棟に
おけるコークス消費量の計算書の現物写真が[10]にあります。)その上、第四
焼却棟の施工を請け負ったリーデル・ウント・ゾーン社の左官職人が、1943年
3月2日の作業日誌に「Gaskammerでのコンクリート打ち」を行う、と明記して
しまっています[11][12]。

>実際には、
>発疹チフスが大流行した時には、20万人ほどの収容者がいたアウシュヴィッツ全体
>で、1日に100人を越す死者が出たと言うのですから、火葬場の焼き窯の側に「遺体
>安置室」が無かったら、それこそ大混乱です。

1944年の春、アウシュヴィッツはそのクライマックスを迎え、平均1日に一万
人もの人々が送り込まれ、その大部分が虐殺されました[13]。死体焼却炉のす
ぐ側にガス室がなかったら、それこそ大混乱です。

> ビルケナウの廃墟の「ガス室」説についても、その位置が、いくつもの集中収容
>所の宿舎のすぐ側で、いわば衆人環視の場所にあることを指摘して置きます。そこ
>へ入った一団が、出てこないとなれば、これもすぐに大騒ぎです。

は? ビルケナウの焼却棟は収容区画からは離れた位置に置かれていますよ。
第四焼却棟近くに並んでいる建物は、収容者から取り上げた所有物をため込ん
だ収納庫です[14]。

[1] Photographs From Auschwitz by Daniel Keren (June 1998)
http://www.nizkor.org/hweb/camps/auschwitz/1998-keren-images.html
[2] 石田勇治『ホロコースト見直し論の虚像』季刊戦争責任研究第8号
(1995年夏季)p.57
[3] http://www.nizkor.org/ftp.cgi/people/p/piper.franciszek/press/daily.texan.1093
[4] ティル・バスティアン著、石田勇治・星乃治彦・芝野由和編著『アウシュ
ヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』白水社 p.53
[5] A Layman's Guide to Auschwitz-Birkenau
http://www.nizkor.org/faqs/auschwitz/auschwitz-faq-06.html
[6] バスティアン前掲書 p.76
[7] http://www.nizkor.org/ftp.cgi/camps/auschwitz/images/bischoff-430129-vergasungskeller.jpg
[8] 木村愛二『アウシュヴィッツの争点』リベルタ出版 p.136
[9] バスティアン前掲書 p.166
[10] http://www.nizkor.org/ftp.cgi/camps/auschwitz/images/Coke_Consumption.jpg
[11] バスティアン前掲書 p.166
[12] http://www.nizkor.org/ftp.cgi/camps/auschwitz/images/k4-riedel-gasskammer.jpg
[13] バスティアン前掲書 p.55
[14] バスティアン前掲書 裏表紙見返し
--------------------------------------------------------------


 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > 戦争67掲示板



フォローアップ:


 

 

 

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。