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解放のイタリア記者が手記 「米国は帰還を望んでいない」(CNN)ー手記前半の日本語訳
http://www.asyura2.com/0502/war68/msg/170.html
投稿者 ああ、やっぱり 日時 2005 年 3 月 08 日 01:10:32: 5/1orr4gevN/c

解放のイタリア記者が手記 「米国は帰還を望んでいない」
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200503070002.html

2005.03.07
Web posted at: 11:28 JST
- CNN

(CNN) イラクの武装勢力から解放された直後に米軍の発砲を受け、イタリア人記者ジュリアナ・スグレナさん(56)が負傷し、解放交渉にあたったイタリア情報機関職員が死亡した事件で、帰国したスグレナさんが6日、所属する左派系新聞マニフェスト紙に手記を掲載した。発砲を受けた状況が米軍の公式説明とは違うと主張しているスグレナさんは、拘束中に武装勢力から「米国はお前の生還を望んでいない」と言われたことを思い出したと書いている。

CNNはマニフェスト紙の許可を得て、スグレナさんの手記を全文英訳した。これはその前半を、英語から日本語訳したもの。左翼系マニフェスト紙はかねてから、米国のイラク攻撃や、米国のイラク駐留に協力してイタリア部隊を派遣したベルルスコーニ政権を激しく批判している。

「私はまだ暗闇の中にいる。金曜日は今まで生きてきた中で一番激しい1日だった。何日も拘束され続けて、私を捕虜にしている連中と話しをしたばかりだった。解放されると、もう何日も前から聞かされていた。この瞬間を待ちわびていた。彼らが話していたことの重要性が、後になってやっと理解できた。連中は『引き渡しに関して』問題がいろいろ出ているのだと言っていた。

「私を毎日いつも監視している見張り2人の様子から、何が起きているのか分かるようになった。2人のうち1人は、私の様子をことさら気にかけてくれた。彼はすごく嬉しそうにしていたので、何が起きているのか正確に把握するため、私はわざと挑発的に尋ねてみた。私がいなくなるから嬉しいのか、私がいつまでもここにいるのが嬉しいのか、と。『あなたがここを出ていくことしか知らない。いつになるのかは知らない』と初めて聞かされた時、すごくショックですごく嬉しかった。何か新しい展開になっているのを証明するみたいに、見張り役が2人とも私の部屋に入ってきて、私を励ましたりふざけたりした。『おめでとう。ローマに行くんだよ』って。ローマにって、2人はそうはっきり言った。

「とても不思議な感覚を覚えた。『ローマ』というその言葉で、自由への思いがこみ上げてきたが、同時にとてつもない虚しさに襲われたからだ。解放の時こそ、誘拐されて以来一番大変な瞬間になることは分かっていた。これまでの私の経験が『確かなもの』と呼べるなら、解放されるその時こそ、すさまじい『不確定』の真空が開かれると言える。『不確定』の方が、『確かなもの』よりも遙かに重い。私はそれを理解していた。

「服を着替えると、見張りが戻ってきた。『これから連れて行く。自分の存在を外部に知らせるような動きは一切しないこと。そうでないと、アメリカの連中が邪魔をしてくるかもしれない』と言われた。改めて知らされて、やはりそうかと思い、知りたくなかったと思った。今までで最も嬉しい瞬間、最も危険な瞬間にさしかかっていたのだ。もし誰かと、つまり米軍と鉢合わせをしてしまったら、銃撃戦になるだろう。私をとらえた連中は応戦するはずだから。

「目隠しをされた。パッと何も見えなくなった後、徐々に視界が開けてきた。外では何が起きているのか。バグダッドで雨が降ったことしか分からなかった。車は泥の中をゆっくり進んでいたから。運転手のほかに、武装勢力が2人。たちまち、聞きたくもない音が聞こえてきた。車が止まった場所のすぐ上で、ヘリコプターが高度を下げて空中静止していた。

「『落ち着いて。向こう側があなたを探しにくるから。10分もすれば、あなたを探しに来る』と言われた。私を拘束した連中はいつもアラビア語で話していた。あとはわずかなフランス語と、たくさんの下手な英語。この時も、そうやって話していた。

「彼らは車を降りて、私は身動きができず何も見えない状態で残された。まぶたの上に綿がのせられ、サングラスをかけさせられていた。私はじっとしていた。どうしたらいいか考えていた。一秒一秒を数え始めた。今のこの時から、次に事態が変わるまでの間と思って。次の事態とは、なんだろう。自由? 頭の中で数を実際に数え始めた時、優しい声が耳元でささやいた。『ジュリアーナ、ジュリアーナ。私はニコラと言います。心配しないで。ガブリエレ・ポロ(マニフェスト紙編集局長)と話しをしました。落ち着いて。自由になったのですよ』と言われたのだ。

「綿とサングラスをはずしてもらって、私はホッとした。何が起きているのかは分からなかったけれど、この『ニコラ』という人の言葉のおかけで、安心できた。ニコラはひたすらしゃべり続けた。ひっきりなしに、人なつっこい言葉や冗談があふれ出ていた。私はたちまち、全身で慰められている気がした。もうずっと忘れていた温かさを、全身でもらっている気がした。

「車は道を走り続けた。水たまりだらけのガード下をくぐり、水たまりをよけようとしてハンドルをとられそうになった時は、みんな大笑いした。なんて自由な気分だろう。バグダッドのびしょびしょの泥道で車が横転したりしたら、今まで散々な思いをしてきた上で最後はこんなところで自動車事故に遭ったりしたら、そんな話、誰も信じてくれないだろう。ニコラ・カリパリは隣に座っていた。運転手は2度ほど大使館とイタリア本国に電話をかけ、空港に向かっていると連絡していた。空港は、米軍が厳重警備をしているところだ。あと1キロだと誰かが教えてくれたとき……火が見えた。その時、火と銃弾が私たちを襲った。ほんの少し前まで楽しく陽気だった声は、二度と聞かれなくなってしまった。

「運転手が、イタリア人だと怒鳴り始めた。『イタリア人だ! 私たちはイタリア人だ!』 ニコラ・カリパリは私を守ろうとして私の上に覆いかぶさってきた。そしてたちまち、繰り返すがたちまち、最後の息を引き取るのが聞こえた。私の上で。私も体そのものに痛みが走った。なぜだかは分からない。でもちょうどそのとき、見張りたちの言葉をすぐに思い出した。私を自由にすることにためらいはないが、私は注意するようにと、見張りたちは言っていたのだ。『アメリカはあなたが戻ってくることを望んでいない』と。あのとき私は、そんなのはとるにたらない、偏見に満ちた言葉だとしか思っていなかった。でも今このときになって、あの言葉が何よりも苦い真実の味を帯びて甦ってきた。このことについて今はこれ以上はお話できない」

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