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「台湾海峡危機」は再び起こるか(2005年1月)  現代中国ライブラリィ  
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 3 月 13 日 11:36:10: ogcGl0q1DMbpk

■現代中国ライブラリィ 話題&解説

「台湾海峡危機」は再び起こるか(2005年1月)

http://www.panda.hello-net.info/colum/kaikyoukiki.htm

昨年末から年初にかけて、反国家分裂法制定の動き、李登輝訪日、辜振甫・海峡交流基金会理事長の死去、今春節での直行チャーター便の相互乗り入れの実現など、両岸関係に影響を与える出来事が相次いだ。現在の中台関係は、政治的緊張と経済緊密化が複雑にからみ合っている。今後も錯綜した状況が続きそうだ。

政治的緊張と経済緊密化が同時進行する両岸関係

 中国の反国家分裂法の制定が確実になった。昨年12月末、全国人民代表大会(全人代)常務委員会は「反国家分裂法」の草案を可決した。来年3月開催の全体会議に送られ正式採択される。

 反国家分裂法は「台湾独立」を阻止するための中国の国内法である。法案は台湾を「中華人民共和国の神聖な領土の一部」とした憲法規定をもとに、「平和統一」を強調する一方で、分裂活動に対して「必要な方式」を取る権利を強調するなど、武力行使に関する規定を実質的に盛り込んだものだ。

 一方、中国が猛反発したのは李登輝の日本訪問だ。01年4月の「病気治療」を名目にした訪問以来のこと。日本政府は「一私人による観光目的の日本訪問」として認めたことから日中間の軋轢が強まった。

 そして、1月3日には辜振甫氏が死去。同氏は台湾の代表的財界人の1人で、大陸との民間交流窓口を担当する「海峡交流基金会」(海基会)の理事長である。93年4月には大陸の「海峡両岸関係協会」(海協会)の汪道涵会長と、シンガポールで歴史的な「汪辜会談」を行っている。98年には、訪問団を率いて大陸を「参観訪問」。当時の江沢民主席と会見、両岸の交流を深めることを表明するなど、大陸側との折衝の中心人物だった。

 しかし、双方の思惑の違いもあり、その後の会談は停滞。00年5月の台湾独立を掲げる民進党の陳水扁総統の誕生と、「一辺一国」(それぞれが別の国)発言などで、両岸交渉のパイプは中断されたままとなっていた。大陸と太いパイプを持つ同氏の死は膠着状態にある両岸関係の行方にも影響を与える可能性がある。

 こうした対立の一方で、両岸の貿易投資面での依存関係の進展を背景に、03年1月の春節(旧正月)の時期には、台湾の航空機、チャーター便が香港経由で中国(上海)に初の直接乗り入れが実現。中国と台湾の54年間の歴史の中で初めてのことだった。1月26日、台湾の航空会社によるチャーター機が香港経由で上海・浦東空港へ乗り入れ、台湾のビジネスマンが帰省した。しかし、翌04年は台湾総統選などでの思惑がからんで実現しなかった。

 昨年12月には江蘇省の太倉と台湾(基隆・高雄)を結ぶ初めて定期貨物航路が正式開通。日本の石垣島を経由するが、貨物の積み替えは不要で事実上の「直行路線」である。

 そして、今年1月15日、中台の航空当局は、マカオで実務協議を行い、03年に続いて春節休暇期間中に帰省客のため、中台間の直行チャーター機計48便の相互乗り入れで合意。今回は香港などを経由せずにノンストップで運航する。中国の旅客機が台湾に乗り入れるのは49年の中台分断以来初めてだ。直行便の運航期間は2月9日の春節を挟む1月29日―2月20日。中国側は北京、上海、広州、台湾側は台北、高雄を発着空港とし、それぞれ24便ずつ運航する。

 台湾は、97年のアジア通貨危機を豊富な外貨準備などで乗り越えてきたが、その後の世界的なIT不況で大きな打撃を受けた。それまでの台湾経済を支えてきたのは、パソコンや携帯電話などハイテク製品の米国向け輸出だったが、米国のITバブルの崩壊でハイテク製品の輸出が大きく落ち込んだため、台湾メーカーは人件費や地価が安価で、様々な優遇措置が受けられる中国大陸へと生産拠点を移す動きを加速させた。対中投資規制の緩和も追い風となった。

 台湾企業にとって中国は最大の投資先になっており、大手、中小を問わず、台湾企業の大陸傾斜は止まらない。現在では華東、華南を中心に約100万人の台商(台湾ビジネスマン)が大陸で活躍している。
今後も三通問題は両岸の政治的思惑に影響されるだろうが、全体の流れとしては三通は進展するだろう。

台湾海峡の安定には良好な米中・日中関係が必要

 台湾海峡の緊張は東アジアの政治経済に大きな影響を及ぼす。これまで台湾海峡危機は何度が起きている。50年の朝鮮戦争勃発後、トルーマン大統領は第7艦隊を派遣して台湾海峡を封鎖した。これが最初の台湾海峡危機だった。

 55年には、金門・馬祖、大陸沿海で中台の武力衝突が勃発。国民政府が台湾に移ってきてから初の軍事衝突だった。58年には中国が金門・馬祖の前線に向って大砲による攻撃と金門地区への軍事補給を封鎖している。

 近年では95年夏から翌96年春にかけて台湾海峡を挟んで中国と台湾、米国との軍事衝突の危機が記憶に新しい。米クリントン政権が95年に李登輝台湾総統(当時)の訪米を受け入れ、これに中国が反発したのが原因だった。

 6月に李登輝が訪米すると、米国は台湾の民主化を歓迎し、96年3月に予定されていた初の総統直接選挙を支持した。

 これに対して、中国は駐米大使を召還、米中の安保対話は中断した。そして95年末には、台湾沖合におけるミサイル発射訓練を実施。

 台総統選挙を前にした96年3月8日、再び中国人民解放軍は台湾近海でミサイル試射を含む大規模な軍事演習を実施。これに対し、アメリカが空母2隻を含む機動部隊を台湾近海に派遣。世界は「米中戦争」の危機に固唾を飲んだ。

  結局、米中の軍事衝突は回避され、97年11月の江沢民訪米、98年6月のクリントン訪中と「三つのノー」(台湾独立に反対など)の表明によって両国関係は修復された。

 台湾海峡危機はいつでも起こり得る。双方の軍備はハイテク化されており、その意味では危険度はいっそう増しているといってもよい。

 現在は、ブッシュ政権の台湾独立不支持の明確化、昨年の台湾立法院選挙での与党敗北に見られる台湾住民の現状維持指向など状況は安定しているように見える。ただ、同じ独立指向といっても、台湾と大陸との間に豊富な人脈関係があり水面下での折衝も可能だった李登輝時代と異なり、現在の陳水扁政権には大陸との関係は希薄である。いったん緊張が起これば対処も難しくなる。

 中国の存在感は95年当時に比べはるかに大きくなっており、現在では中台の緊張と対立が東アジアに与える影響ははかりしれない。海峡両岸関係の安定化のためには、中台間はもとより、良好な米中、日中関係が欠かせない。(『政策フロンティア』2005年2月号)

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関連

中国共産党中央政治局常務委員 指導者プロフィール (中国情報局)
http://www.asyura2.com/0406/war60/msg/250.html
投稿者 愚民党 日時 2004 年 9 月 20 日

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