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反戦イラク帰還兵へのインタビュー [反戦翻訳団]
http://www.asyura2.com/0502/war69/msg/799.html
投稿者 white 日時 2005 年 5 月 01 日 22:45:45: QYBiAyr6jr5Ac

□反戦イラク帰還兵へのインタビュー [反戦翻訳団]

 http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/20596514.html

2005年05月01日

【Left Hook独占記事:反戦イラク帰還兵Jim Talib 三等衛生兵(艦隊海兵部隊/救難降下兵)インタビュー】Derek Seidman ,A Radical Youth Journal Based in the U.S.(2004/11/29)

原文:Left Hook Exclusive: An Interview with an Anti-war Veteran from the Iraq War Jim Talib HM3 (FMF/PJ) interviewed by Derek Seidman
翻訳:203号系統

反戦帰還兵Jim Talib氏は、今年初旬まで7ヶ月に渡ってイラクに出征して居られました。最近、氏はこの戦争と占領について語り始めました。この度Left HookのDrek Seidman副編集長が彼に取材を行うことが出来、戦争・占領そしてイラクでの個人的な経験について幾つかの質問を、また反戦兵士と幅広い反戦運動との連携に関して思っておられるところを、伺っております。(Jim Talib氏の連絡先はjimtalib@yahoo.comです。)


先ず、イラクでの任務について教えて下さい。現地では何処の基地にどれ位居られたのでしょうか?

私はこの2月から9月まで海兵隊小銃中隊の歩兵として第一海兵遠征軍に所属していました。そしてイラクでは春と夏の殆どをキャンプ・ファルージャの外部基地にて過ごしていました。(陸軍から指揮が委譲されるまでは、ここは聖母前進基地《 F.O.B. St. M俊e 》と呼ばれていた。)私は、7ヶ月近くイラクに出征していたんです。

貴方が軍隊に入ったのはいつでしょうか?その理由は何だったのでしょうか?

元々、私は陸軍州兵として入隊しました、1993年頃です。家族の多くも軍人でしたし、大学進学資金を得るにはこれしか方法が無いと考えていましたから。ニュージャージー州軍が申し出るGI Billは、州立大学の授業料免除と同じように魅力的でした。軍隊に入った時に私は、いや誰もがみな、出征数の半分近くを予備役と州兵(「イラクの自由作戦」第三段階では、その割合が43%に達する予定である。)が占めている占領軍の一員となろうとは、思ってもみなかった。なので、月に一度の週末任務は、悪いものでは無かった訳なんです。

それに、私は地元を出たかったし、お金も欲しかった。お金を貰いながら訓練のために外に出て行く機会が、私には都合が良かったんです。

2002年の冬、私は陸軍州兵から海軍予備役へと移籍しました。現在も、そこに所属して居ます。「歩兵」と云う以前の所属を離脱したのは、もうその任務に耐えられなかったからです。最初に軍に入った時分より、個人的・政治信条的な考えが非常に大きくなっておりましたので、自分自身が小銃を担いで占領軍の一員になっている様なんて、考えられませんでした。検問所に立つのも嫌だし、家宅捜索をしたり市民を撃ったりしたくなかった。でも、思ったようには行かなかった。私は救急救命士であり陸軍の医療過程もパスしていたから、衛生兵として海軍に移ることが出来ました。でも、元歩兵と云う経歴や他の訓練経験のお陰で、直ぐに海兵隊に配属されてしまった。結局、病院勤務が叶わなかったどころか、占領の現場でやらなければならなかったことは、それこそ私が逃げ出そうとしていたことでした。

そんな事態に抵抗することも、仰っておられるように占領者なんて側に立つことも、勘弁して欲しかったことでしょう。今迄貴方が聞かされてきたことで、今回私たちがまだ伺っていないようなことが有るでしょうか?現場で起っていることや見て来たこと或いは貴方が受けた命令また普段の現地の状況について、こちらの人々に知っておいて貰いたいことは何でしょうか?
 
 物凄く酷い、一言でなんて言えない。経験したことが無いほどの苦しみです。同僚の海兵隊員たちが自ら楽しんでやっていたり言われるがままやっていたことの多くは、衛生兵と云う立場のお陰でやらずに済みました。市民の拘留や彼らへの虐待を、私は見て来ました。所属大隊の戦友が市民を撃つところも、何回も見ています。でも、そんなことなどアブ・グライブ報道やファルージャ侵攻のお陰で、誰も全く気に留めない。調査が入った事例もありましたが、殆どは揉み消されています。そんなことは日常茶飯事でガタガタ騒ぐ程のことでも無いし、アブ・グライブの拷問のように詳細な報告が為されることなんかありません。

 ある時、留置所に拘留者を引き連れて行った時です。上級尋問官が我々に、これ以上イラク人を連れて来るな、と言いました。「撃ち殺してしまえ。( Just shoot them )」と彼は言うんです。私は唖然としました。彼が本気でそう言っているのか、信じられませんでした。実際、彼は冗談で言っている訳では無かったんです。彼は、我々に命令として言っていました。後日、我々の或る銃座の前を、別部隊のハンビー車列が通りかかりました。見ると、イラク人の死体が二人、自分たちの頭巾で車に結わいつけられていました。まるで二頭の鹿のようにです。一人の頭からは脳みそがボンネットの上に垂れ、陽射しに焼かれて煮え立っていました。気色の悪い、まるで中世的な誇示ですよ。私が経験してきたことなんて、殆どが狂っているようなもんです。生けるものへの敬意なんて殆ど見ませんでした。また死せるものへの敬意なんてまるで有りません。死への責任なんて全く無かった。

ファルージャの状況を伺うことは出来ますか?その都市で戦争と占領によってどの程度の死傷者が出たのでしょうか?現地で見たことをお聞かせ下さい。

 合州国民間請負企業の2人が橋から吊られた後、春に短期間の攻撃(訳注1)がありましたが、私たちの部隊は「市」内には突入しませんでした。市郊外や南方と西方に在る村々で活動していたのです。その時の短期間の攻撃の他では、我が軍は市内に全く侵攻しておりませんでした。そこは「危険( ‘Red ‘ )」地帯とされており先月の攻撃までは回避すべき対象とされていたのです。(訳注2)

 周辺地域で目撃した光景は、全く私が予想していた通りでした。想像を絶する貧困。そして破壊され尽くした施設。それは人々が必要とする基本的な物資も供給できておりませんでした。私が見た壊滅した建物の殆どは、第一次湾岸戦争時の我が軍の攻撃、そしてその後に続いた10年来の経済制裁、更にその間中ずっと続いた空襲に因るものでした。発電所・学校そして浄水場などを含め90年代の内に破壊された施設の殆どは、標的として誤っておりました。イラクの人たちは、それらの攻撃の結果に現在も苦しみ続けているのです。

貴方は、主として経済的な理由によって軍に入った、と仰いました。それはあなたの多くの戦友たちもまた同様であったのでしょうか?貴方の経験から見て、軍務に対する兵士たちの動機はどのように違っておりましたか?

 私が州軍に居りました時には、確かに殆どの者の目的は大学進学資金でした。ですから、多くの労働者階級の子息たちが教育を得ようとして現在イラクに派遣され大学ではなくて戦場に在る、と云うことは悲劇としか言いようが無い(訳注3)。海兵隊では少々違っておりまして、G.I.Billに釣られて入った者も確かに居りはしましたが、自分たちの行為そして戦場に何を望んでいるかについて、より確信を抱いているように思えました。確かに、出征する前に予備役になるものも居ましたし、この占領に対する激しい抵抗を見て、その数も増えはしました。しかし殆どの者は、新兵教育訓練基地( Boot Camp )そして戦争を煽り立てるメディア・キャンペーンによって植えつけられた観念を、変えることが出来ませんでした。自分たちがアメリカを防衛し民主主義をもたらしている、と本当に信じきっている若者も居りました。彼らは自分たちに下された命令に疑問を抱くことも無く、また今や全てがハッタリであると証明されている民主化・大量破壊兵器そして9・11事件との関連性など、この戦争を正当化していたそれらの事々を鵜呑みにしておりました。

占領に対する武装抵抗斗争について、お話し下さいますか。

 そうですね・・・、それが、初めに予想されていたよりも、よりしっかりと組織化されていることは確かだと思います。平凡なアメリカ人でさえ、現在ではそれを否定することは出来ないようです。先に数週間に渡って行われたファルージャ攻撃では確固とした基盤施設が発見されました。ですので彼らは、私たちの攻撃に対して周到に準備された反撃を別地域で繰り返すことが出来るのです。ですが、それらの攻撃だけしか新聞では報じられません。実際には、夜襲を主として抵抗勢力による数え切れない程の攻撃があるのですが、そんなことは報道されていませんね。

 イラクに着いて最初の2ヶ月間、私たちの基地は殆ど毎晩のように間接攻撃を受けておりました。時には120mmロケット砲による攻撃もありました。未だ、一度もそれをご覧になられたことが無いようでしたらお教えしますが、長さがだいたい6フィートもあるんです。即席発射装置の習熟に加えて操作の習得・保管・輸送の能力を鑑みると、我々が戦っている相手はサンダルを履いてAK-47を手にした怒れるアラブ少年たちでは無い、と考えるのも尤もです。彼らは一度の攻撃で4〜5発を撃ちこみ、それが一晩に3〜4回もあります。迫撃砲攻撃と組み合わせて行われることもあります。彼らは損害を受けることなく、絶えず私たちを攻撃しているのです。これは素人に出来ることではありません。

これは、或る前進基地の一つでの話に過ぎません。小さな基地がイラク全土に設営されております。その多くは、これよりももっと頻繁でかつ猛烈な攻撃を受けているのです。そして、至るところに在る即席爆弾や路肩爆弾も忘れてはなりません。貴方がそれらについて聞くことがあるとすれば、死傷者が出た時くらいのものでしょう。でも実際には、目標を外したり爆発物処理班に除去された爆弾が山のようにあるのです。現地に居られたなら、これらを「安全に爆破処理」している音を一日中聞くことになるはずです。余りに多くの簡易爆弾が在るので、それらの搬出作戦そして製造・据付に関する技術的な訓練が大変です。

イラクに出征した兵士たちに関して、彼らの殆どには新兵教育訓練基地( Boot Camp )で植え付けられた観念が変革できない、と仰いましたが。新兵教育訓練基地での洗脳( indoctrination )は、どのように為されるのでしょうか?それによって新兵はどうなって行くのでしょうか?

 私もかつては居りました陸軍基礎訓練課程、所謂‘Boot Camp’では、命令に従うことを先ず教え込まれます。詰まり何か考えたり疑問を持ったりせず命令通りに行動することです。お判り頂けることでしょうが、軍隊がその目的を果たすことを可能にするためには、この種の教育が必要不可欠です。所が、占領とゲリラ斗争と云う複雑な状況下では、このような教育はやっかいな問題を引き起こすのです。

 戦場で「敵を殺そうとする」場合、民間人が居ると撃って良いのか悪いのかの判断が難しいのです。これは頭の中で予習した程には、明瞭でも単純でもありません。若くて経験も浅く、洗脳されて間もないような兵士が先ず初めに必ず直面するものでありますが、自分のとった行動が不適切で重大なことであったと、随分後にならないと解らないこともしばしばあるのです。

 市民を撃ち殺せと云った類の不正な命令を拒否するような大胆さそして巾広い視野は、若くて新米の兵士たちには殆ど期待できません。ファルージャからの報告と云うことで後になって「従軍メディア」が報じているように、上級司令官からそのような命令が時に下りて来ることがある、などと云う話は言い訳にならず、むしろ何度も繰り返されている日常茶飯事です。

 ですが、私は兵隊たちを非難する気になりません。彼らは死地に放り込まれて居る身であり、生きて家に帰りたがっています。かつては私もそうでしたから、解るんです。

 もう一つ憶えておいて頂きたいことは、受けた命令が仮令ジュネーブ条約や軍律或いは個人的または宗教的な信条に対して明らかに「反している」としても、命令に対して異論を唱えたり反抗したりすることは非常に難しいものだと云うことです。第一に、たとえ貴方の行いが善いものであろうとも、貴方はほぼ間違いなく軍律で罰せられることになるでしょう。軍隊内部に公式の司法制度はありますが、そんな所にはまず縁がありません。ほとんどの場合は、所属部隊の司令官が貴方を裁き罰するでしょう。それも司令官自身の内々の利益に依って判断される場合が多くあります。(訳注4)

 おまけに、告発をするとなると集団の異端者となり爪弾きに遭います。一人ぼっちで組織に立ち向かうことになるのです。多くの人たちにとっては、こんなこと取るに足らないように思えるかもしれません。しかし、同じ仲間連中と共に訓練を受けて来た、何年も一緒に居て共に戦い共に死に直面してきたような人間にとっては、実に大きな問題です。所属部隊の人間たちが、告発の案件に絡んでいる場合が多くなります。案件を暴露したりそれに関与し続けることは何にせよ、裏切行為とみなされるのも不思議ではなく、多くの者は為したがりません。

 はみ出し者の叫びを護りそして精査するための、あてに出来るような仕組みは存在しないのです。それに、新兵教育訓練基地では告発者となるような訓練は受けませんから。組織人( team players )たれ、と教育されるのです。そして先ほどのような状況に直面した時、兵隊たちが組織人として行動することは無理からぬことなのです・・・、その時とった行動に対する罪の意識にさいなみながら残りの人生を生きることになろうとも・・・(訳注5)。

貴方はどうして戦争と占領に反対する意思表示をしようと決めたのでしょうか?今までどのような活動をされてこられたのでしょうか。また告発行為に対して、軍から何か反応はありましたか?

 戦争を始めるための理屈がハッタリであったことは、出征する以前から私には判っていました。そして占領の実態を目の当たりにし私には伏せられていた抵抗斗争(訳注6)に直面して、私は家族や友人たちに真実を伝えなければならないと確信したんです。そうは決めていたものの、事をしっかり理解して聴衆の前で充分話が出来るように考えを纏めるのに数ヶ月が掛かりました。最初は大変でしたよ。

 初め、私は'Iraq War Veteran Against the War '(訳注7)と云う横断幕を掲げた反戦集会に出掛け、そこにただ立っていることから始めました。占領地での下らない事について人々に話す必要も無く、私の思っているメッセージを人々の目に触れるように出来るなんて素晴らしいことでした。初めの一ヶ月位は、特に親しい友達の他には体験したことを話したことなんて全く無かった訳ですから。参加する企画を徐々に増やして行くと、反戦行動を含めてその地域で行われている活動に参加することを促して呉れる人々も増えてきました。また、私はVeterans For Peaceに加わりました。最近まで、占領について思うところを多く書き溜めてきました。そして、戦争に掛かる経費について・私の体験について・占領を終わらせるための運動を継続して創り上げて行かねばならない理由についてなどを公に示すことに、作業を集中してきました。

 今迄のところ、嫌がらせなどは何も受けておりません。私の理解するところでは、兵隊は仮令「現役兵」であっても、制服を着ていなければどのような社会的・政治的活動でも望むままに参加することが出来ます。現在私は「予備役身分」で帰還しておりますので改めて言うまでもありません。実際、私は砂漠戦仕様の迷彩服を上着だけ着用することがあります。それで人々には私が何処から来たのかが一目で解かりますし、集会で糾弾されているarm-chair imperialistたちを凹ませるのに一役かうこともあります。そして、制服一式を着用している訳ではないので、軍は何も手を出せないのです。

 貴方のように発言したがっておられる他の反戦兵士とは連絡を取っていますか?この事態を終結させる試みに於いては、実際にイラクに従軍した兵士たちによる活発な反戦・反占領運動が、非常に重要な要素となってくると思うのですが、このような運動での可能性についてはどのようにお考えでしょうか?

 戦争に反対している数名のイラク帰還兵に会ったことがあります。ですが皆一様に、現地に行ったことの無い人々の前で発言する用意が出来ていないし、未だ自分たちの感じていることをしっかりと整理できていないようです。方法は違えど、誰しも通る過程ですね。忠誠心だとか愛国心だとかそれまでに植え付けられてきた思想を、帰還するなりみんな投げ出す用意が出来ている者もおりますが、彼らがたとえ戦争に反対しているとしても占領軍に加わっていた時分には中々そんなことを出来るものではありません。

 帰還兵として、私たちは占領に直接関係を持っています。イラク占領は、痛みを伴う喪失感・幻滅・罪悪感をひっくるめて私たち自身の人生の一部となっているのです。それらのことを抱えながら、政府を盲目的に支持することが愛国的だと考えている人々の「共通」認識を変革して行くことは、生易しいことではありません。しかしそれこそ私たちが為さねばならぬことなのです。真実を語って行くことは、戦場で死んでいった者たちに対して果たさねばならない約束であるように、私には思えるのです。(訳注8)

 確固とした反占領運動には帰還兵がちゃんと参加しているはずだ、と私は考えています。何故なら彼らこそが占領の当事者であり、我が国の醜悪な外交政策を実行してきた責任を負っているからです。しかし、この重荷は特定の人たちだけに圧し掛かっているものではないし、また私たちだけに背負わされているものでもない、と考えています。先に私は土曜日集会に行きました。主催者の一人がやって来て、集会に参加したことにお礼を述べて下さいました。更に彼女は、実際のところ私が彼女たちの集会の目玉だったと、私に教えて呉れたのです。それもまた真実だ、と思います。帰還兵であると云うお陰で、私たちが反戦行動にある種のお墨付きを与える役割を果たすことがある、しかし私たちはその前衛として立つべきではない、と思っております。この国にはイラク戦争に「反対している」人たちが多く居られる、と思います。が、まだまだ足りないように私には思えます。それに戦争を止めさせるため何かしらの行動を起こしている人は尚更です。非常に大きな潜在的可能性はある、と私は思っていますし、私たちもある種のきっかけになり得るでしょう。でも、斗争に加わるか否かを決めるのは、数多くの大衆つまり我が身大事のアメリカ人たちなのです。

貴方の仰られるように、イラクに出征した経験を持ちながら反戦運動に加わっている兵士たちは重要な役割を演じ得る、と私も思います。が、同時に彼らの身元が明らかになる危険性もまたありますね。では最後の質問に移りますが、活動家の方々が反戦兵士に接触する場合、どのような点を考慮しておくべきでしょうか?両者の間に建設的な交流を創り上げるには何を為すべきか。また、戦争と占領に対して何か為すことを願っている兵士たちに、市民的反戦運動が自らもっと門戸を拡げて行くにはどのようにすれば良いのでしょうか?

 私にはむしろ、帰還兵の身元が特定される恐れよりも、人々が自分たちの責任を忘れてしまって帰還兵に運動の牽引役を期待したり或いは帰還兵の運動に寄りかかったりする事に、本当の危険性があると考えております。現在の我等が大統領に投票していようがいまいが、また沈黙と傍観を決め込むことで政権の政策に加担していようがいまいが、重要なのは(帰還兵ではない)人々がイラクで為され続けていることへの自己責任を果たすことです。貴方が過ごす無為の毎日が、占領継続への同意とされて来たのです。

 戦争に反対している軍人との交流を築き上げることは大切ですし、私も力になりたいと思います。ですが、現在この類の運動を牽引している人たちはそれが不得手であるようです。反戦運動には、「独断的( dogmatic )」で自分自身の分析や立場を他者に押し付けがちな人たちが、数多く居ますね。勿論これはざっと見た感じで言ってますが、色眼鏡で観ている訳ではありません。でもとても重要なことだと思います。仮にこれから一緒になにかやって行きたいと云うような相手では無いとしても、端から自分の政治信条をぶつけるのは如何なものでしょう。ましてや、愛国心とか国家主義とか云った、貴方から見て「主戦論的( jingoistic )」で嫌な考えを持ち続けているような連中を相手にする時には、尚更です。

 若し、戦争に反対している軍人に出会ったなら、事を一緒に始めるには充分な共通性があるではありませんか。後は、より理解を深めてもらう時間を、彼らに与えることです。暴虐に満ちた自国の歴史そして今尚帝国主義的政策が推し進められていることを認めるのは、容易なことではありません。このことに関する情報を、貴方が出会った軍人に提供してあげて下さい。しかし一番大切なことは、これらのような考え方に接する機会を提供したり、彼らが上記のような政策の手先となって来た事実に向き合う機会を提供することです。それには長い時間を必要とし、多くの人には全てを判って貰えないでしょう。

 開放的でとっつき易い組織であることが、重要です。そして良く目につくようあるべきです。貴方の存在を知らしめておけば、貴方のことが帰還兵たちの目にとまって付き合いが始まるかもしれません。私の場合、地元の反戦団体と出会いは、偶然によるものでした。そして留意して頂きたいことは、特に帰還兵との付き合い始めの頃にやってはいけないことです。彼らの体験を聴衆の前で語って欲しいと直ぐに頼んだり、「多くの戦斗を体験しましたか?」とか「人を殺しましたか?(訳注9)」とか尋ねたりしないことです。そのような話を持ちかけるのは、戦場から帰ってきて数週間も過ぎてからでないと駄目でしょう。彼らには体験を話せるようになるための時間が必要なんです。前述のような接し方で彼らを刺激しては、貴方と一緒に何かしようと云う気持ちは無くなるでしょう。

 毎週々々、私は地元の反戦連合での活動を続けております。そして戦争に反対する意思と私自身の体験を皆さんに語ってきました。それが出来る大きな理由は、彼らが近づき易い人たちで無理なことを言わないと云うこと、また占領に反対すると同時に兵士たちへの支援をも主張しているからです。そして彼らは誠実で気取ったところが無いのも魅力です。彼らは、運動の組織化能力や首尾一貫していることそして信頼できる存在であることを、示して来ました。それ故に多くの帰還兵たちを彼らの運動に合流させることに成功して来たのです。運動の構築は、その土地での力関係などを変革して行く、長く苦労の多い道程です。しかし、占領に反対し運動を創り上げて行こうとする人は、このことを少しは頭に入れておくべきだと、考えております。

訳注1:ご参考。【合州国による大屠殺によって、イラク人の墓が増大している】
http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/2013819.html

訳注2:ご参考。【ファルージャ総攻撃の記録】
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/neareast/falluja/news.htm

訳注3:ご参考。【入隊勧誘官は嘘つきだ。】
http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/10965089.html

訳注4:ご参考。【奴等より悪い敵はいない:或る海兵隊員が沈黙を破る】
http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/587671.html

訳注5:ご参考。【イラクでの残虐行為:「我々の政府のために、私は無実の人たちを殺した」】
http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/861314.html

訳注6:ご参考。【イラク・レジスタンス・レポート】
http://www.geocities.jp/uruknewsjapan/Iraqi_resistance.html

訳注7:ご参考。【離脱】
http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/archives/8710602.html

訳注8:ご参考。【人間に戻った元将兵たちの声を聴け】
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/text/kajimura_kinyobi/kajimura_kinyobi.htm

訳注9:ご参考。【ベトナム帰還兵が語る 本当の戦争】
         【兵士よ故郷アメリカへ帰ろう!】
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/real_war.html
http://www.coara.or.jp/~yufukiri/allen.html

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