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いずれにせよ、何が真実であるのか中国や韓国の人と話し合う必要があるでしょう。
http://www.asyura2.com/0505/asia1/msg/1031.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 17 日 14:06:32: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: Re: 教科書を選ぶよりもネットで歴史の共通認識を直接作った方が手っ取り早いのでは? 投稿者 一言主 日時 2005 年 6 月 17 日 11:08:52)

そうでなければ我々は延々と異なる歴史認識で対立をする事になります。
教科書選びの民主化よりもこちらの方がもっと大きい問題です。
日本でいかに民主的な手続きを経て教科書を選んだとしても、日本人の多数が持っている歴史認識自体が小林よしのりなどの「自虐史観批判=侵略虐殺賛美史観」の影響を多大に受けているのであれば偏った選択になるでしょう。
問題は中国か韓国の人々といかにして共通の歴史認識を得るかです。
それを最初からあきらめるようでは近隣諸国との友好関係は望めないでしょう。

>Re: 教科書を選ぶよりもネットで歴史の共通認識を直接作った方が手っ取り早いので>は?
http://www.asyura2.com/0505/asia1/msg/1028.html
>投稿者 一言主 日時 2005 年 6 月 17 日 11:08:52: AlXu/i8.H/.Es

>(回答先: 教科書を選ぶよりもネットで歴史の共通認識を直接作った方が手っ取り早い>のでは? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 16 日 16:41:06)

>色々反論することがあるのですが、まず最初の表題から入っていこうと思います。
>歴史の共通認識を作ると言うことですが、歴史認識は色々人により立場により違うの>が当然です。一部の共産的な方や全体的主義的な方、独善的な方、もいらっしゃいま>すが、このような見方も否定しては行けません。

いえ、偏った見方に対する批判は必要でしょう。
否定では無く批判が必要なのです。
反証をあげる事です。

>しかし最もしては行けないことは、事実を曲げると言うことです。

当然です。

>事実を曲げた物は歴史とは言えません。虚構です。虚構の物に手間暇を掛けるのが最>も無駄なことでしょう。

ですから、現に人々の頭の中に様々な虚構の歴史観があるであろうからその虚構を批判する必要があるのです。

>歴史認識のすべての始まりは事実の確定からやらねばなりません。

はい。

>多くの歴史家は、古代の文献や実地に当たり事実を確かめようとします。そこから正>しい歴史認識を得ようとする物です。事実を覆い隠すと言うことは、歴史家の行為を>無にする物です。これは絶対にしては行けません。

はい。

>日本と韓国の問題は、歴史的事実を確定できないことにあると思います。

ですから、粘り強く何が事実であるのかについて共通認識を持つ努力をするべきです。

>韓国や中国は、私は昔のことはあまり知らないのですが、最近分かってきたことは、>彼らは真実よりも民族の誇りやメンツが優先してしまい、真実を後にするきらいがあ>ると言うことが明らかになってきました。

しかし、そういう事があったとしても何が事実なのかについて話し合うべきなのではないですか?

>この前の日韓の巡視船のにらみ合いを見ても韓国側に何が真実かを探求する心構えに>欠けていると見ることが出来ます。韓国と日本、ドイツとポーランドの違いは、歴史>的事実をハッキリさせてそこから出発していると言うことです。そこが日本と韓国の>間で歩み寄りが見られない点です。
>架空の歴史の共通認識を作っても仕方がないでしょう。

現在の架空の歴史認識を批判して修正する事によって真実の歴史の共通認識を持とうと言っているのです。
わざわざ架空の歴史認識を持とうとは言っておりません。

>韓国の事はあまりよく知らないのですがたまに新聞紙上で問題になる名前が強制的に>変えられたのかと言う問題でも、日本側に実際にそんな発令をした事例が内容ですし、また韓国の日本に来たことの無い人が、日本名を持っていたとは、到底思えません。

何故ですか?
以下の文章が参考になると思います。

【世相百断 第36話】



創氏改名考

--------------------------------------------------------------------------------

 57年前に敗戦という形で終わったファシズム日本がひきおこした侵略戦争は、アジアの広範な国々に回復困難な大被害を与えた。その規模においては、死者2千万ともいわれる中国侵略の傷跡が特に大きかったが、被害の質という点では、私は朝鮮がもっとも深刻な被害国だと思っている。

 日本のアジア侵略は、どこの国の被害が深刻かというレベルを超えたものだが、朝鮮の場合、敵国であった中国とは違い、日本の虎の子の植民地であったため、植民地支配をやりやすくするための皇民化政策の一環として、たとえば国家神道や日本語の強制、創氏改名などの日本文化の強制を通じて、朝鮮文化を抹殺しようとした。

 つまり日本に侵略された朝鮮以外の国々は、大きな被害を受けたが民族の誇りと固有の文化までも根こそぎ侵略されることはなかった。しかし朝鮮の場合、単に植民地として収奪するにとどまらず、満州事変(1931年)、日中戦争(支那事変、1937年)と戦況が進むにつれて、朝鮮をその物的、人的基地とするために「皇民化政策」を強行したことによって、民族の誇り、民族固有の文化まで抹殺しようとした。

 具体的に、当時の朝鮮でいったい何が行なわれていたのか。

 1936年の神社規則の改定により「一邑面一神社主義」(各村に必ず一つの神社をつくらせる政策)が打ち出され、朝鮮全土に国家神道の普及を図る試みがなされ、翌年から大々的な神社参拝の強要が始まった。さらに37年3月には、日本語使用を徹底化するよう各道(日本の県)に通達する。当時、学校で朝鮮語で話をしたら「罰金」をとられたり叩かれたりした。

 同年10月には「皇国臣民の誓詞」を制定し、朝鮮人に斉唱を強制した。「皇国臣民の誓詞」とはいったいどんなものか。

  一、私共ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス。
  二、私共ハ互イニ心ヲ合ワセテ、天皇陛下ニ忠義ヲ尽シマス。
  三、私共ハ忍苦鍛練シテ、立派ナ強イ国民トナリマス。

 これは学校用で、この他に一般用もあった。

 38年3月には、第3次朝鮮教育令を公布し、4月には学校教育から朝鮮語教育を排除した。この年の3月31日には、平壌崇義、崇実の両校を神社参拝(皇居遥拝)拒否の理由で廃校にした。皇民化政策に非協力的なものへのみせしめである。

 40年には朝鮮語による新聞『東亜日報』『朝鮮日報』の発行を禁止した。

 こうしてみてくれば、体系的、強制的な皇民化政策の実施をとおして、ファシズム日本が朝鮮文化を抹殺しようとしたことがわかるであろう。

 創氏改名は、こうした皇民化政策――朝鮮文化抹殺政策の一環として、39年11月に発布された朝鮮総督令第19号「朝鮮民事令中改正ノ件」の中で定められ、翌40年2月に施行された。

 もともと朝鮮の親族集団は、宋と呼ばれる祖先祭祀を中心とした男系血統集団であり、この男性系統を表示する姓と、一族の始祖の発祥名を示す本貫を称号としていた。ここに日本の家(同一戸籍の家族集団)制度を持ち込み、その称号である氏を新たに創設し(創氏)、公用名を従来の姓名から日本式の氏名に変更(改名)させたのが創氏改名である。

 具体的な創氏改名の方法は「創氏」と「改名」に分かれる。

 創氏の方は、戸主が6ヶ月以内に新しい氏を決めて役場に届け出る「設定創氏」と、期限内に届出がなかった場合は戸主の姓をもってその家の氏とする「法定創氏」とがあった。つまり届出があろうがなかろうが、法律的にすべてのものに創氏が強制された。

 姓不変の鉄則をもつ朝鮮の家族制度からすれば、受け容れがたいことである。朝鮮における姓とは、父方の血統を示す個人の標識だから、後天的に変えられるものではない。男系血統集団の姓を名乗る朝鮮では、同じ家の中にいくつもの姓がある。結婚しても、女性の姓は一生変わらない。また異なる姓のものを養子にすることはできないし、同姓同本の男女は結婚できない。「姓不変」「異姓不養」「同姓不婚」が朝鮮の姓の3大原則である。

 一方、氏や名を日本式に変える改氏や改名は法律的には任意だったが、巧みな手口で強制された。

 しかしあくまで「創氏改名」の重点は、朝鮮の戸籍を日本のそれとまったく同一形式に揃えることをとおして朝鮮の家族制度を解体し、日本のそれに同化させる「創氏」にあった。

 今回あらためて若干の勉強をしなおして、詳細がわかった部分もあるが、以上が創氏改名に関する私のおおよその理解である。

 なぜ勉強のしなおしをしたかというと、辻本武氏のサイト『「歴史と国家」雑考』の中の《創氏改名とは何か》を読んだからであった。

 辻本氏はこの論考の中で、「皇民化政策の一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に強制的に変えさせた。これを拒否しようとしたものは非国民とされ、様々な嫌がらせを受け、結局は日本名に変えた」という通説は誤りであり、「朝鮮式の名前を本名として維持している朝鮮人が少なからず存在する」。また「創氏改名を体験した在日一世のお年寄りたちから話を聞いても、このことについてほとんど気にかけておられず、ましてや屈辱とは全く感じておられなかったことも理解できた」として、「創氏改名が「朝鮮人の固有の姓を奪い、日本名を強制した」というのは、根拠のない俗説であることは明らかである」と断定している。

 これを読んで、私はびっくりした。創氏改名は強制ではなかったのか! 創氏改名の体験者である朝鮮人の中にも、「このことについてほとんど気にかけておられず、ましてや屈辱とは全く感じておられな」い人もかなりいるのか! となると、創氏改名に関する私の理解がまったく間違っていたことになる。

 そればかりではない。私はこの『世相百断』の第27話《外から見た日本》で「植民地時代は朝鮮名を名乗ることも朝鮮語を話すことも禁じられ、宮城遥拝や神社への参拝を強制された」「日本人が進駐軍に日本名を名乗ることも日本語を話すことも神仏に手を合わせることも禁じられ、ジョンやメリーと名乗れ、英語で話せ、キリスト教を信仰せよと強制され、違反した者は逮捕されたり首に看板をぶら下げられてさらし者にされたりしたら、どれほどの屈辱と不信をアメリカに抱くかはいうまでもないだろう」と書いている。私は嘘を書いてしまったことになる。体系的に歴史を学んだことのない身としては、正直、すこしあわてた。

 さっそく事実はどうなのかをいろいろ調べてみた。そしてこの作業で今まで見えなかったことも見えてきた。

 たとえば、「創氏改名はもともと朝鮮総督府の意志で始めたわけではなく、朝鮮人が熱烈に望んで始まった」とか、当時列強の一つだった日本人が海外で白人並みの待遇を受けていたのに、朝鮮人は満州で馬鹿にされていたので、名前だけでも日本人のものを使わせてくれという要望が朝鮮総督の南次郎のもとに殺到し、それを受けて「昭和十五年、皇紀二千六百年の記念事業で創氏改名が許された」といった珍妙な理由を挙げて、「創氏改名も神社参拝も強制ではなかった」と主張するものもあることを知った。

 つまり南京大虐殺はあったかなかったかといったレベルの議論が、この創氏改名をめぐる議論でも展開されている。

 ひととおり勉強をしなおして拙文を読み返してみると、たしかに記述に若干情緒的な部分がないわけではない。しかし「植民地時代は朝鮮名を名乗ることも……禁じられ」という創氏改名の部分にもうすこし詳しく書かねば意図するところが通じない面はあるが、当時の植民地朝鮮が置かれていた状況についての私の理解が大筋では間違ってはいないことをあらためて確認した。

 そこで上述したような創氏改名についての整理をしたうえで、辻本氏が言うように「創氏改名が「朝鮮人の固有の姓を奪い、日本名を強制した」というのは、根拠のない俗説であることは明らかである」のかどうかをあらためて考えてみたい。

 辻本氏は論考の中で「朝鮮の家族制度を否定し、日本の家族制度を導入する。これが1939年の創氏改名を含む民事令改正の日本の意図であった」ときちんとツボは押さえている。結論はこのとおりで間違いない。だが創氏改名がどのように行なわれたかをもうすこし詳しく見ていけば、当時の日本が朝鮮総督令で創氏改名をさせたけど、「朝鮮式の名前を本名として維持している朝鮮人が少なからず存在する」し、「このことについてほとんど気にかけておられず、ましてや屈辱とは全く感じておられなかった」在日一世もいるので、「創氏改名が「朝鮮人の固有の姓を奪い、日本名を強制した」というのは、根拠のない俗説であることは明らかである」というおかしな結論にはならないはずである。当時の朝鮮総督府の植民地政策はそんなヤワなものだったのか。

 創氏改名は40年の2月11日の「紀元節」から6ヶ月間にわたって行われたが、初日の届出はわずかに48件。「朝鮮人が熱烈に望んで始まった」などという主張が事実を隠したい一部日本人の嘘八百であることを如実に示す数字である。これは《創氏改名の意味するもの》がいうように「創氏改名が朝鮮人にきわめて不人気であったこと」さらには「朝鮮人がそんな届を喜んで出すと考えること自体がどうかしている」ということ以外のなにものでもない。

 総督府も、朝鮮人の「姓」に対する愛着をよく知っていて、創氏改名にあたって「姓」がなくなるわけではない、と盛んに宣伝した。たしかに創氏改名後の戸籍には「姓および本貫」欄があり、旧来の姓と本貫が書かれている。これをもって辻本氏は「創氏改名が朝鮮人の固有の姓を奪い、日本名を強制した」ものではないと考えたのかもしれない。しかし《創氏改名の意味するもの》によるとこれは一種のトリックであり、「目立つところには、「金本」とか「新井」とかいう氏しか書かれていないのである。つまり、朝鮮人が強いアイデンティティを感じている「姓及本貫」はほんの添え物とされ、日本の支配の下で、公的な場では氏のみ使うことが求められるようになるのだから、伝統的な「姓名」は「氏名」の後ろに隠れることにならざるをえなかった。「姓及本貫」は私的な家族内での伝承という意味しか持たなくなるのである」

 つまり形式的には辻本氏が言うように朝鮮人の姓と本貫が抹消されたわけではないが、公式・実質的にはそれはまったく機能していないのである。また創氏改名後も戸籍欄に朝鮮の姓と本貫が記載されていれば、実際には朝鮮人であることが一目瞭然であり、ひきつづき差別の対象の記号として重宝だ、というねらいも日本側にはあったらしい。

 朝鮮人のいやいやながらの服従の中で創始改名はこうして惨憺たるスタートを切ったわけであるが、前半の3ヶ月間に新たな氏を届け出たものもわずか7.6%に過ぎなかった。

 総督府の面目丸つぶれ。統治機能を総動員して失地挽回を図ることになる。これが後半の3ヶ月間で、最終的には80%の朝鮮人が届出を行うことにつながってくる。総督府による有形無形の強制が行われたことが充分窺える数値ではないか。

 では実際に朝鮮人に届出をさせるためにどんなことが行なわれたか。

 創氏をしない家の子供は学校に入れない、子供が学校で教師ににらまれる、日本への渡航許可や生業のための許認可を出さない、労務徴用の対象とする、などということが行なわれたらしい。また当時の日本の隣組にあたる「愛国班」を通して班員に届出の圧力がかかり、「にらまれたら何をされるか分からないという恐怖感が、雪崩を打って創氏届へと人々を走らせたといってよい」(《創氏改名の意味するもの》)状態だったらしい。

 まさにこれは有形無形の強制以外のなにものでもないだろう。

 こうして80%もの朝鮮人が不承不承新たな氏を設定して届け出た。新たな氏は、たとえば「崔」さんや「金」さんは「崔川」や「金本」といった日本風の氏を選択する他はなかった。制令第20号「朝鮮人ノ氏名ニ関スル件」で、「自己ノ姓以外ノ姓ハ氏トシテ之ヲ用フルコトヲ得ズ」とされていたから、別の朝鮮名を新たな氏として届け出ることはできない。せめて自分の姓を氏の一字にとどめたいと、上記の日本風の氏を考えるに精いっぱいで、こうした日本的ではない氏も「創氏」の実績を上げるために黙認されたようである。またこれとても総督府からすれば、朝鮮人であることが一目瞭然である氏は差別的な統治のためには好ましかったのである。

 さて、半年のうちに届出をしなかった人が20%いる。総督府からすればいまいましい数字だが、スタートのつまずきを考えれば、創始改名の届出が80%というのはまず満足できる数字ではなかったか。残りの20%は、旧来の姓を新たな氏とする「法定創氏」の処置がなされた。これをもってして辻本氏は「朝鮮式の名前を本名として維持している朝鮮人が少なからず存在する」というのだろうが、朝鮮の姓を新たな日本式の「氏」として転用されたということで、「本名として維持」されたわけではない。また「林」「南」「柳」などの姓は、そのまま訓読みすれば創氏したのと同じだから、創始の届出をする必要もないともされていたらしい。

 しかも届出に関するさまざまな圧力を考えれば、こういう人たちに対する風当りはかなり強かっただろうことは想像に難くない。こうした「不適当な」氏となった人には、裁判所の許可を得て「改氏」する道が開かれ、これによって日本風の氏に変える人がさらに5%ほど増えたという。

 結論をいえば、創氏改名はやはり朝鮮総督府の法律と「愛国班」を含んだ行政機構によって朝鮮人に強制されたのである。姓が廃止されたわけではなかったが、公式的には創氏改名以後旧来の姓が使われず、氏が使われたわけであるから、強制的に旧来の姓で呼ばれる機会を朝鮮人から奪ったわけである。

 今回創氏改名について勉強をしなおし、過ぎた時代を振り返るとは難しいものだとあらためて痛感した。歴史とは、その時代に巻き込まれ、喜怒哀楽の人生を生きた人々の痕跡である。人々の喜怒哀楽の時間は消えうせ、痕跡としての資料だけが後世に残される。後世の研究者は、その資料を用いて歴史を解明していくわけであるが、その資料に喜怒哀楽の痕跡はほとんど残されていない。資料に基づいて事実を再現しても、研究者に想像力が不足していると、その事実の裏にあって見えなくなった人々の無数の想いを再現することはできない。

 しかし歴史とは、形式的な事実を再現するのみではなく、その再現を通して時代を生きた人々の想いを再現することでもあるのではないか。そうすることによって初めて、現代を生きるわれわれとかつて生きていた人々との間につながりが見えてくるのではないか。それこそが、今を生きるわれわれにとっての歴史に学ぶということではないか。

 特にかつて日本が行なった侵略戦争を振り返る場合などは、資料から形式的なことを再現するだけでは足りず、当時向こう側に立たされていた人々がこちら側であるわれわれの行為をどういう想いで見つめていたのか、それを感知する溢れるばかりの想像力が必要となる。この想像力が不足していると、現代のわれわれにとっての血のかよった歴史は再現されないだろう。


(2002年5月4日)

http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sesou36.htm

創氏改名
http://www.google.com/search?hl=ja&q=%E5%89%B5%E6%B0%8F%E6%94%B9%E5%90%8D&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

>日本に入る場合に有利であったとか、日本企業に入社する場合に有利であったとか有>ったかもしれません。それでも姓氏改名の強制があったという事実はないわけです。>これを双方が認識して初めて歴史の認識が始まりいろんな見方生じるわけです。

何が事実か掘り下げていきましょう。
そのような営為こそが正しい歴史認識と正しい教科書づくりへの道です。

>今の問題は韓国側が名前改正の強制があったと言うこと全面にだし日本側と食い違っ>ていることです。日本側から見れば韓国がこう言うことを言うのは行った方が得だか>ら行ってるに過ぎないとか、邪推するわけです。

そのような邪推の前に事実の確認が必要でしょう。
下衆の勘ぐりになってしまいます。

>この辺が歴史事実が確定できない原因な訳です。

では、掘り下げて話し合っていけばいいではありませんか?

>どちらかというと韓国は歴史を変えたくて仕方がないようです。

そんな事を言う前に事実の確認をしませんか?

>韓国や中国との場合この歴史の事実が認定できない事が問題になっているわけです。>歴史認識は多様であるのは当然のことです。それぞれの生まれ、教育、習慣によって>違ってきます。又歴史という物はその時代背景にある考え方を透察する事が大事であ>り、今の時代や大幅な過去の時代や理想の境地から判定していく物ではありません。

とにかく事実の確認が先です。
一緒にそれをやっていきませんか?
他国の態度をとやかく言う前に。
それは生産的では無く、対立を助長する事にしかなりません。

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