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平和・友好を至上とする日本外交の陥穽
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投稿者 グランディス 日時 2005 年 5 月 31 日 08:19:54: 1iBZc4uLqxeBw
 

日本外交の柱である「平和外交」という意味不明なスローガン風の指針がある。
パシフィズムを平和至上主義と訳すと響きがよく「平和を大事にする主義」という印象があるが、パシフィズムには「何もしない・抵抗しない」という意味もある。

もし、ある地域で本当に多くの無辜の自国民、あるいは他国民が犠牲になっている事があれば、「外交努力は最後の最後までするとしても、それでもダメならば、物理的な力でのそこにある殺戮、悲劇を止める必要がある」というのが世界の現実である。
ヒトラーのような独裁者が出てきて世界中を征服しようとすれば、それを防ぐために武力を使う事を手段として持つというのが日本以外の全ての国のコンセンサスだ。
その基本部分を否定した日本の戦後の外交は、非常にいびつであった。

正義の為、平和のための力の行使でも、力が力である限り、絶対に認められないという姿勢できた。
この姿勢は現実の国際社会に悪く影響してきた。
力を全て否定すると、どうしても「全ての国と仲良くしなければいけない」というふうにならざるをえない。
国が違えば、意見や歴史観や政策、主義思想全てが違う。
よって国と国との間には食い違いがある事を前提にしなければならない。
その結果、国同士のどこかに必ず摩擦は存在するといえる。

戦後の日本の外交では、そのような摩擦そのものが悪だと見なす傾向がある。
そのために、なんとしても摩擦を避けようとする。
摩擦回避の方法で、最も安易で完璧なのは、相手の言い分に全て従う事だ。
日本もその対応で志向してきたといえる。
「全方位外交」「等距離外交」「政経分離」などという響きのよい言葉をスローガンにしてきたのも、摩擦を避ける方法の一つとして掲げられてきた。
しかしこれは、普通の主権国家が展開している外交とは全く相容れない傾向である。

ホー・チ・ミンの言葉に「独立と自由ほど尊いものはない」がある。
勿論、政治的にも意図のあるスローガンだ。
この言葉には「独立と自由のためには平和を犠牲にしても戦う」つまり平和は最高至上の目的ではないという意味が含まれている。
少なくとも世界の他の国々は「奴隷の平和・自由の無い平和・貧富の差が激しい平和」では意味が無いという立場を取っている。
つまり、平和の中身を突き詰めて考えているのだ。
そして平和を犠牲にしてでも守らなければいけない価値観があるのだとしている。
しかし、日本の外交にはその点が決定的に欠けている。

平和を「戦争が無い状態」とだけ規定し、もし外部からの侵略や攻撃があっても、白旗と赤旗を用意して降伏すれば、平和だけは守られるからよい、としてきた。

外交の場面で口にされる「友好」とは何か?
一国の対外的な友好とは非友好というのは、自国の利益を追求していくプロセスで色々と出て来る結果である。
友好だから全て良いというものではない。
摩擦をなくすために、相手国の要求を全て容れるという「友好」ではいけない。
友好とは、あくまで手段であり、プロセス、あるいは結果であり、それ自体が最初からの目的ではない。

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