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「前世の おもいで」
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投稿者 生成発展プログラム 日時 2005 年 8 月 04 日 13:47:16: iwGg3ccPrH5TQ
 

(貼り付け開始)

「前生のおもいで」

http://blog.goo.ne.jp/tobira2002

今日掲載する文書の内容は、今から15年近く前
に或るミニコミ誌に載った内容です。
 志摩川友重さんという人が「前生のおもいで」としてあるミニコミ誌に発表されたものです。私がある雑誌に載せたいので出版元に志摩川さんに掲載の了解をとって欲しいと依頼したら、なんと出版元は志摩川さんとの取次ぎを拒否したのです(しかし特に別途契約がない限り著作権は出版元ではなく志摩川さんにある)。
 ということで掲載をちょっと躊躇しましたが、これほど言葉を使わずに、しかも霊的な未知のエネルギーを駆使しての共同創造を具体的に記述したものはなかなかありません。全体の内容も「真実」であると直観した素晴らしいものです。で、あえてここに載せることとしました。
これは「新しい秩序へのヒント」の続きとも最終稿とも言えるものです。

今回の話はいつの時代のことであるか、よくわかりません。場所は今のアンデスあたりではないかと思われます。(後略)

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 私は高原で育った小さな男の子であった。
 高原といっても草は少なく、土は乾いているときのほうが多かった。私はその上を元気一杯に走りまわっていた。お腹の空いたときと眠たくなったとき以外はいつも家の外で遊びまわっていた。
 私には仲の良い友だちが一人いた。二人は走り回るのに退屈すると、よく石の切り出し場に遊びにいった。そこでは大人の男達が器用に岩場から石を掘り出していた。
 彼らは作業中に子供が側に寄ってきても絶対に怒ろうとしなかった。
 多くの場合、石はだいたい直方形に近い形に掘られていた。そしてその出来上がりは見事というほかなく、目で見る限り平面に近いものであった。一人がその石を完成させると、他の男たちは手を休めて石の周りに集まってきた。
 ある程度に人数の人が集まると、不思議なことにその重い石を楽々と持ち上げそれをそのまま移動させていった。
 土の穏やかな斜面を上っていくと、既に積み上げられている石垣の上にその石をゆっくりと下した。その石はぴったりとそこに収まり石垣の一部となっていた。私たちは声も出せずにその作業の一部始終を見ていた。
 移動の作業を終えて戻りかけたところを見計らって声をかけた。
「僕たちも、おじさんたちのように、ああいう立派な石段を作るんだ」
 これを聞いて優しい眼をしながら一人が答えた。
「もう少し大きくなったらな」
「うん!」
 私たちはまた高原に向かって走りだした。
「大きくなったら、一緒にやろう!」
「うん!」
 お互いの目を見ながら固い約束を交わした。
 二人は高原を走りまわりながらすくすくと元気に育っていった。
 十歳を過ぎるころに石段作りの勉強のチャンスが与えられた。
 二人は高原を走りまわりながらすくすくと元気に育っていった。
 十歳を過ぎるころに石段作りの勉強のチャンスが与えられた。もちろん自分たちはその年齢に達するとすぐに申し込みをした。同年代の子供たちが何人か集まっていた。
 本人自らが希望する子供たちは全員受け入れられた。授業は石の切り出しの場のすぐそばの地面の上でおこなわれた。・・・・・

「いいか、これは心の勉強だぞ」「自分のためにという考え方は捨てなければならない」「家の名誉のために・・ という考え方もこれと同じだぞ」「それから、『期待する』という考え方もしてはならない」「それは邪魔になるだけだ」「石垣が積めるようになったらどうなるとか・・」

「石が切れるようになれば、こういうことができるとか・・」「それに、この勉強をしたから、石が切れて石垣が作れるようになるとか・・」「こんにことばかり考えていると、全く逆の効果を生むことになるぞ」「石が切れて石垣が作れるようになったからといって、特別な人間になったということではないぞ」「今この勉強をしているからといって、選ばれた人間だと思い込んで得意になってしまってはいけない」「この授業を受けていないからといって、またこの超能力を行使できないからといって、その人が劣っていると思い込んではならない」「人は皆同じである」「老若男女すべてが同じである」「それが神であろうと悪霊であろうとすべて同じである」「すべてが自分であり他人である」「そしてすべてが他人であり自分でもある」
「誰も怒ってはならないぞ」「罵ってはならないぞ」「愚痴を言ってはならないぞ」「不平や不満を言ってはならないぞ」「言ってはならないのはもちろんのこと、思ってもいけないぞ」「そして心に浮かんでくるだけでもいけないぞ」

「それは他人に対することであっても自分に対することであっても、同様にいけないことなんだぞ」「乱暴されても、攻撃されても、絶対に抵抗してはいけない」「防御さえもいけない」「されるままになれ」「他人を助ける場合も絶対に抵抗や攻撃をしてはいけない」「そのときはその人の代わりとして乱暴されるままになれ、攻撃されるままになれ」
「いいか、加害者である彼らは偏りすぎた今までのバランスを修正するための、軌道を本来の道に戻すための役割を担う適任者なのである」「その暴力・攻撃は神のわざであると思え」「それは神の愛ともいえる」「殺されても憎むな」「それを自然(神)の愛として感謝できるようにしておけ」「だからといって無闇やたらと犠牲になれというのではないぞ」「犠牲の道よりも調和の道のほうがはるかに尊い」「神もそれを望んでいるはずだ」

「この理を知った者は、これを同様に知った仲間が他人から乱暴されいたとしても助けてはいけない」「これを助けることは神の愛に反抗することになる」「本人の成長進化を妨害することになる」「それは本人に対してひじょうに失礼な行為となる」「もしそれを黙ってみていられないのならば、その人の痛み・苦しみを共に分かち合え」
「なお、この理を知った上でなお他人に乱暴・攻撃を加えた者は、たとえ後で反省をしたとしても一切許されない」「永遠に地獄の業火(ごうか)に焼かれて苦しむものと思え」 「他人に為した行為は必ず自分に戻ってくるものであるが、その戻ってくることを期待して行為してはならない」

・・・「自分に返ってくることは一切期待をするな」「思ってもいけない」
「期待をするということは、自分と他人との間に大きく線を引くということである」「自分を特別扱いするということである」「自分のことだけ考えるということである」
「そのような者には、石を扱うことはできない」「何も期待してはいけない」「石のことについても何も期待してはいけない」
「善悪についても考えてはいけない」「真の善悪とは人知を超えるものである」「善悪について考えるだけでも愚かな期待が入ってくる」「何の期待もしてはいけない」「思ってもいけない」「心に何の期待も入れてはいけないぞ」「純粋になれ」「自然(神)に対して素直になれ」
「心に身体に自然(神)を満たし、自分自身が管(くだ)となってそのエネルギーを放出しろ」「自分自身のエネルギーを放出するのではないぞ」「気をつけろ」
「自分自身を使って自然(神)のエネルギーを通すのだぞ」「ここを間違うのではないぞ」「絶対に忘れるんじゃあないぞ」
「問いかけは良いが、疑問はもってはいけない」「問いかけをするときには、真剣に内なる自分に問いかけろ」
「絶対に疑いの心をもってはいけない」「自然な状態でその解答が返ってくる」
「盲信は身も心も滅ぼすぞ」「盲信は心の調和の乱れが一つの原因だともいえる」「普段の生活の心構えがしっかりしていないところから心の不調和が生じる」
「だからといって毎日規則正しくしろ・・、というのではないぞ」「規則正しい生活を続けることによって、自分自身を狭い枠に閉じ込め、自分の神聖を眠らせてしまうことがあるぞ」「規則正しい生活に縛られると、それにより惰性と盲信を生み出し、進むべき道を踏み外すことにもなるぞ」
「心の調和とは自然(神)との調和から生まれ、自然(神)との調和は石組みを制作する上で絶対に不可欠なものである」「これらと調和するためにはいったいどのようにしたら良いのか」「それはこれから毎日の生活の中で実際に体験し、自分で学んでいかなければならない」
「くれぐれも言っておくが、石組みを作るということに絶対に心を捕われないようにしておきなさい」
 最初は今までの固定化した生活観を取り壊すことから始まった。毎日授業で、ぼうっとすることをやらされた。
最初は今までの固定化した生活観を取り壊すことから始まった。毎日授業で、ぼうっとすることをやらされた。
『こういうときにはこうしなければならない』とか『絶対にこうあるべきだ』とか『こうでなくてはならない』とかいう、常識として心にしみこまされてきたものを、すべて白紙に戻す作業であった。毎日ぼうっとしているのだが、遊びまわっていていいわけではなかった。ぼうっとしていることが勉強であった。
 何もしないということをして、何も考えないということをした。
 しないということを一生懸命するのではなく、また一切何もしないというのでもなかった。
 何もしないことをするということは、自然な状態というものを観じる上で最も必要なことであった。それは怠惰とはまったく逆方向のものであって、それをすることにより自分の心が以前よと比べてしっかりとしてきているのがよくわかった。
 家に帰ってもそれをしているため、それをしらない両親から非難の声が毎日上がった。授業の内容は外部に話してはいけないことになっていたので、そのおかげで不動心も充分に養うことができた。もちろん先生は両親の訴えを全く相手にせず、先生と目が合うと両親はそれ以上何も言えなくなった。

 自然な状態というものを観じ始めたころ、『調和』の勉強に入った。それは微妙でかすかな周波数帯に調和を合わせるようなものであった。合わせようとして合わせるものではなく、自然な状態で意識せずに何も期待せずに目的のものに合わせるという難しいものであった。
 そしてその調和の練習をしていると、そのときの一呼吸一呼吸が深くゆったりと長くなっていった。
 それから石を刻む練習に入った。
 調和を得ることにより、岩を必要な大きさ、必要な形に刻むことができるようになるとのことであった。まず準備段階として、固まった土を素手で壊す動作を何度もやらされた。無心でそれをやらなければならなかった。それは石を切るための『イメージ』を心に刻み付けておくための訓練であった。
 石を実際に刻む過程に入ると、各自その能力の差が歴然として見えてきた。友人は石を削ることができなかった。彼は私に次のように言った。・・・

「こんなこと、最初から信じていなかったんだ」「だいいち、こんなことができるわけがないじゃないか」
「もう少し我慢して勉強すれば、君にもできるようになるよ」
「何言ってるんだ」「そんなこと信じられるか」「騙されたんだ」「おまえも、ぐるだろう」
「そんなことないよ」
「嘘だ」「馬鹿にすんじゃない!」「何か仕掛けがあるに決まっている!」「みんなで俺をだましているんだ!」「これ以上騙されてなるもんか!」
「誰もそんなことするわけがないじゃないか」
「ふん!」
 彼を止めることはできなかった。彼は自らの意思でこの勉強から去っていった。
 そしてここを出るとすぐに言いたい放題の悪口をあちらこちらに言いふらし始めた。家の内外で我々に冷たい視線が投げかけられているのが感じられた。
 数日後、町の男たちが作業場の様子を見にきた。しかし、いくら調べてもどのような方法で大きな石組みが作れるのか彼らには全く理解ができなかった。
 目の前で重い石が削られ組み上げられていくのをまざまざと見た彼らの口からは、もう言葉が出なかった。彼等は神の御技を見ているような表情をしていた。そして丁重な挨拶をして町に帰って言った。友人は信用を失い、町の人たちにまともに相手をされなくなってしまった。
 石が切れるようになったころ、次の勉強に励んだ。

                          
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目の前で重い石が削られ組み上げられていくのをまざまざと見た彼ら(町の偵察隊)の口からは、もう言葉が出なかった。彼等は神の御技を見ているような表情をしていた。そして丁重な挨拶をして町に帰っていった。友人は信用を失い、町の人たちにまともに相手をされなくなってしまった。 石が切れるようになったころ、次の勉強に励んだ。

「いいか、素直になれ」「そして自分に教えてもらえ」「自分の内なる指示に従え」「それに逆らうんじゃないぞ」「素直に従え」「各自それに従って、この岩場から実際に石を切り出してみるんだ」「他人の石の大きさや形は気にしてはいけないぞ」「さあ、やってみなさい」

 それぞれの大人の作業に邪魔にならないところを選んで、石の切り出しを始めた。私は他の人たちのことを気にせずに、心に浮かんでくるままに岩を削ってみた。すると両手に収まるぐらいの直方体の石ができあがった。
 全員が完成すると、それを先生のところへ持ち寄った。集められた石の形は四角を基本とするものがほとんどで、大きさもだいたい同じようなものであった。
 先生はそれを手際よく組み立てた。見る間に石垣のミニチュアができあがった。
 組み上げられた石と石の間には隙間がなかった。

「一人ひとりがそれを分担し、できあがったものを集めることによりひとつの大きなものが生じたのはよくわかったろう」
「いいか、二人以上の集団ができると、その中にはあるエネルギーが生じてくる」
「そして、目的ができると、方向性と意思がそのエネルギーにできあがる」
「すると、それぞれの人たちにそれぞれの役割が与えられることとなる」
「企画をする者もいれば、指揮をとる者もいる」
「製作だけに当たる者もいる」
「だが、それぞれの役割に上下はない」
「すべての役割がそれぞれ必要とされているのだ」
「これが、全宇宙・全階層を貫くひとつの大きな原理だ」
「そのエネルギーの意思と方向性が人々に役立つものか」
「あるいはそれが邪魔のものでないかどうか」
「いかに、従うべきエネルギーの意思にそえるか」
「今までの勉強でそれは充分にわかるはずだ」 「もうお前たちは実際の作業に手伝いとして携わることができる」
「そのエネルギーにどんな役割を与えられようとも、それはお前たちがそのエネルギーに必要とされているということだ」
「役割に不平不満をもってはいけないぞ」
「役割によい役割、悪い役割なんていうものはないからだ」

 早速、私たちは大人の仲間に入ってお手伝いをすることになった。
早速、私たちは大人の仲間に入ってお手伝いをすることになった。
 私たちは大人の人が実際に作業をしている石切り場へと向かった。そしてそれぞれの思い思いに各自の判断で散らばっていった。その岩場を上から見下すと、一人で作業をしている男の人の姿が見えた。
 そのとき自分の心が何者かに物的に動かされたような感じを受けた。私は黙々と作業を続けているその男の人に近づいた。

「すみません、手伝わせてください」
「ああ」
 その手を休めず、そして振り向きもせずに返事をした。私は作業の邪魔にならないように静かに接近した。
「それじゃあ、ここをきれいにしておいてくれ」

 切り出している石の側面のでこぼこしているところを指差して言った。
 私は指示されたところに掌(てのひら)を近づけた。そのとき呼吸は自然にゆっくりと深く大きくなっていった。その場にあるエネルギーの『意思』に逆らわないように注意深く石の表面を優しく撫でた。
 まだ子供で背の低い私には、切りだしているその石がかなりの大さがあるように見えた。作業中、二人は一言も会話を交わさず、お互いの存在すらも感じていなかった。深くゆっくりとした自分の呼吸と、大いなるその『意思』だけを感じていた。

 毎朝集まってくる子供たちの数が、いつの間にか少しずつだが減ってきているように思われる。ある日、目の前を二人の子供たちが立ち去ろうとした。私は止めようとしたが、そのうちの一人がこちらを見て手を横に振った。その二人はその後ここには二度と戻ってこなかった。
 私はいつも指導してくれている教師に尋ねた。

「もう少し頑張ればできるようになるかもしれなったかもしれないのに・・」「すごく惜しいような気がするのですが・・」
「彼はここでの『意思』に必要とされなかったというだけのことだ」
「資格がなかったということですか?」
「資格があるとかないとかということは、あまり考えないほうがいいだろう」
「前にも言ったように人が二人以上集まるとある種のエネルギーが生じる」「そして目的ができると、その目的に応じたエネルギーに『意思』と『方向性』ができあがる」
「それはこの石積みばかりでなく、全宇宙すべてのことに通じることだ」
「彼らはこの石積みという目的から生じたエネルギーの『意思』から追い出されたと見ることもできるが・・ ただこの目的に合わなかっただけなんだ」
「このエネルギーの『意思』は目的の遂行に合わない者を排除し、合う者を目的にそえるように援助する性格を持っている」
「この種のエネルギーに排除されたからといって、その人の価値がどうのこうのということは全く関係がない」
「良い悪いということにも全く関係がない」
「目的に合うか合わないか、ただそれだけのことなんだ」
「人間は必ずどこかで何らかの役に立てるようになっているから、どこかできっと合うものに出会うはずだ」
「それから、この『意思』によって排除される場合には、それぞれ本人自らすすんで出ていくことになる」「他人に追い出されるようなことは絶対にない」
「そしてこれは、本人が劣っているという意味ではない」
「合わなかっただけだ」「ただそれだけのことだ」

 石ができあがると、男の人は手を休めて私に向かって言った。
「もういいぞ、他の人を呼んでくるから、ここで待っててくれ」
「はい」
 石は見事な仕上がりであった。他のところで作業していた大人の人たちがそれぞれの仕事を中断させて集まったきた。彼らは石の回りに立って両手を前に出した。そして石の上に手のひらを軽く触れる程度にのせた。彼らが手を静かに少しだけ持ち上げると、石は彼らの手に接した状態で浮き上がった。
 彼らはその石を忠に貸したまま横に移動させていった。そしてそれを石積みのあいているところまで持っていき、ゆっくりと手を下した。石は石積みの中に隙間なくぴったりと収まった。 何年か大人たちの作業の手伝いが続いた。ある日、石の表面を平滑(へいかつ)にする作業に夢中になっていると、自分の心に何かが直接働きかけてきた。私はその働きかけのとおりに、無心に岩を削り始めた。一緒に作業をしている人が私をて言った。

「もう一人前だ」「君は一人でもできる」「俺は別のところでやることにする」「じゃあな」

 彼はこう言うと、この場所から立ち去った。私はそのまま無心で作業を続けた。私の身体にはまだ子供時代の面影が残っていたが、大人達の間に混ざって皆と同等の仕事をこなせるようにまでなっていた。
 大勢いる作業仲間と休んでいると、遠くの地平線の方に土ぼこりが上がっているのが見えた。それはしだいにしだいに近づいてきた。黒い着物で実を包んだ者たちが動物の背中に乗っていた。
 彼らは我々仲間たちの間に入り込むと、突然持っていた棒のようなもので手近にいる人たちを殴りつけた。仲間が数人苦しそうに転げまわった。誰も何をされようとも抵抗をせず、防御さえもしなかった。私は見るに見兼ねて首相らしき者の前に立ちはだかった。相手の顔を見たときに、懐かしい想いがよみがえった。それはずっと昔に信用を失って町を出ていったあの幼友達の顔であった。 彼は私には乱暴をしなかった。彼の合図で全員がおとなしくなった。ここを立ち去ろうとしたので、私は彼に向かって言った。「町の人たちには乱暴をしないでくれ」 彼は振り返って私の顔をちらっと見るとすぐに背中を向けた。そして彼らは再び土ぼこりを上げながら、もと来た方へ戻っていった。
 我々の仲間が地面に倒れたまま呻き声を出して苦しんでいた。私たちは乱暴を受けた仲間の傷口に手を当てて、少しでも早く治るように心から祈った。そして暴力を加えた彼らにも早く本来の進むべき道に戻れるように熱心に祈った。

 私たちは自分たちの考え方が他の人たちとかなり異なってきているということをよく知っていた。私たちは起こることすべてが神(自然)意思と観じ、それをそのままの形で素直に受け入れてきた。それが私たちにとってはごく普通の自然なことであった。そしてそれが深まれば深まるほど他の人々の世界と自分たちの世界とが離れ、そり溝がかなり大きくなってくるという事実を認めざるを得なかった。我々の中の年長者の一人が話し始めた。

「我々も、あの別の世界に行こうではないか」「私たちはここでの務めを充分に果たしたはずだ」「この世界はもう我々のいるべき世界ではなくなってしまった」「我々はこの世界から旅立つ時期にきているはずだ」「この世界のことは後から出てくる連中に任せよう」「あの世界に向かって皆で旅立とう」

 誰も反対しなかった。早速、各人それぞれの頤使の確認が行われた。私も聞かれた。
「君も行くだろう?」

 私は大いなる『意思』に止められたように観じた。その別の世界というものには興味があったが、その大いなる『意思』の指示に従うことにした。
「いえ、止めておきます」

 皆それぞれ個人の意思を尊重した。私一人だけこの世界に残ることになった。
 翌日気がつくと、私一人だけになっていた。仲間達の気配は既になく、彼らは想念による意思伝達も通じない世界へと旅立ってしまった。
 一人残された寂しさで、しばらく地面に仰向けになって寝転んでいた。私は気を取り直して試しに石を削ってみることにした。今までどおりに石を完成することはできたが、重い石を一人で浮き上がらせることは全くできなかった。石垣を組むことができないのならば他の仕事をさがすしかなく、すぐに生まれ故郷の町に戻ることにした。 私が家に帰ると、意外なことに町をあげての大歓迎を受けた。  

 石垣を組むことができないのならば他の仕事をさがすしかなく、すぐに生まれ故郷の町に戻ることにした。
 私が家に帰ると、意外なことに町をあげての大歓迎を受けた。町の人たちは誰も皆貧しい暮らしをしていたが、かなり無理をしたのではないかと心配するほどの豪華な食事が用意されていた。そして町の人たちが総出で踊りを踊り、歌を歌った。
 長者が近寄ってきた。

「あなた様は神様にも等しい御方です」
「いえ、とんでもない」「私はあなた方と同じ普通の人間です」
「いえ、私ははっきりとこ目で拝見しました」「あれは普通の人間にはとても真似なぞできないことです」「まさに神業です」
「やってみれば、誰にでも・・」
「いえ、そんなことは、とてもとても・・」「で、他の方々は?」
「あの人達は既に別の世界に旅立ちました」
「それでは、もう神の世界へ戻られたのですね」

 私は別の世界のことは何も知らなかったので、返事はしなかった。

「どうかあなたさまだけでも、しばらくの間この町にとどまっていただけないでしょうか」「ご希望のものがありましたら何でも差し上げますので、どうかいろいろとご教授願いたいのですが」「私にできることでしたら・・」「それに私も若い人たちにあのような石垣が組めるような技術を取得してほしいものだと常日頃から思っています」
「ありがとうございます」「ぜひお願い致します」

 その長者は上機嫌になった。
 約束の時間に石の切り出し場近くの草原で待っていると、長者を先頭にして親たちが自分の子供を引き連れてきた。大人たちが見ていると子供たちの気が散ってしまい授業の邪魔となるので、すぐに町まで戻ってもらうことにした。
 残った子供たちは皆落ち着きがなく、私の言葉に耳を傾けることがなかなかできなかった。中には教えてもらおうとしている子供もいたが、ただ聞いたことを知識として頭に詰め込もうとしているだけであった。自分たちの子供のころと何かが違っていた。
 石組みを作り上げたいという意欲や気迫は全然見られなかった。親から指示されたからここにきたという感じであった。私の言葉を言葉としてだけは理解しても、言葉の奥にある本当の意味を魂で理解することができず、また魂で理解しようという発想自体も出てはこないようであった。
 私から教えられたことを脳の記憶に入れて覚えるだけであって、それだけで満足して安心していた。『何もしないことをする』ということができる子供はいなかった。この練習をさせても、我慢できないのか、それとも遊びと勘違いしたのかほとんどの子供が走りだし、追いかけっこを始めた。残りの子には「遊びはほどほどにして早く教えてくれ」とせがれた。
 いろいろな方法を教えて説明してみたものの、この『何もしないことをする』 ということを理解してもらうことはついにできなかった。
 私は諦めて、子のことを町の長者に報告した。長者は私の話を聞いて頷いた。

「やはり無理じゃったかのう」「普通の人間が神業の真似事をしようとは罰当たりのことだったかのう」
「いえ、私も皆さんと同じですから・・」「やる気さえあれば、できるはずです」「自分から真剣に求めさえすれば、道が開かれるはずです」
「それでは私にもできるというわけですかな?」
「ええ、もちろん」「ただし、生まれてから今までの間に構築されてきた固定観念というものを、自分の力で乗り越えなければなりません」「価値観の視点を変えるのです」「今までの価値観が邪悪なところから出てきたものでない限り、捨て去る必要はありません」「理解の幅を広げるということです」「今まで自分の考えてきた限定された世界の外に、様々な考え方があることに気がつき、それぞれの考え方を理解し、お互いに認め合うことが必要です」「今のあなたは過去のあなたの思考と行動から生まれた結果なのですが、その今までの積み重ねを無理やりに捨て去る必要はありません」 

 彼はしばらく黙って考え込んでいた。

「それではこうしましょう」「石の持ち運びを手伝っていただけるのでしたら、私が石を切り出しましょう」「ただし、石を運ぶ順番と積む順番、そしてその積み方は私の指示に従っていただきます」
「それは願ってもないことです」「ぜひお願い致します」

 私は約束どおりに石の切り出しを始めた。石の大きさは、数人の力で持ち上げることができるように、以前よりも小さめのものを作ることにした。ある程度の数の石を仕上げておいてから、力のありそうな若者たちを選び運んでもらった。
 運ぶときと積むときは、私がそれに付っきりで指示をした。このようにして、土止めのための石垣、建物の石垣、建物の石壁、石畳などを組んでいった。
 私は結婚して子供ができた。
 私がこの仕事を続けられたので、家族は不自由のない生活をすることができた。私はせめて自分の家族には、私の仕事を勉強して理解できるようになってほしかった。しかし、家族の誰もそれを勉強しようなんていう気持ちは頭から持っていなかった。
 私は年取ってその仕事を引退した。石積みのことも人々の心の中から遠ざかっていたようであった。私はその仕事をしなくなっても、石切の練習だけは欠かさなかった。
 ある日、見知らぬ連中に声をかけられた。

「お礼を渡すから、石切と石積みを実際にやってみて見せてくれ」

 私は気が向かなかった。私は自分の欲得で石の仕事をやったことがなかったし、考えたこともなかった。私はきっぱりと断った。何度も依頼を受けたが、その答えは変わらなかった。その連中が私の側にいる限り、私は地面に横になって知らんぷりをしていた。後で妻がこれを知って怒り狂って怒鳴った。

「馬鹿だねえ!」「石切なんて、しょっちゅうやっていたことじゃないか」「見せてやれば、たっぷりと礼がもらえたのに」「いつから、そんなぐうたらな亭主になったんだい!」

 私は何を言われても自分の気持ちを変える気持ちは全くなかった。どんなに説明しても理解してもらえないことはわかっていたので、何を言われてもじっと耐えていた。
 寄る年波には勝てず、私はこの世界から旅立つことになった。あの石積みの仲間と別れてからというもの、私と心が通じ合う人には全く会うことができなかった。

『何でこんな簡単なことがわからないのだろう』『なぜ、わかろうとしないのだろう』『何で自分の特になることしか考えないのだろう』『みんな逆の方を向いている・・』
 私はたいへん悲しかった。

 下の方で家族が私のまわりに集まって泣いていた。
「父さんには何もして上げられなかった・・」「父さんの言いたかったこと、もっとよく真剣に聞いておけばよかった・・」「私よりも先に行かないでおくれ」
 息子たちと妻の声が聞こえた。

 私は案内役の人の指示に従った。
「ところで、あの石積みの仲間の人たちはどこに?」
「ああ、あの人たちはこちらの世界にはいないんです」
「まだなんですね」「そのうち会えますよね」
「いえ、あの方たちはあのとき、こことは全く別の世界にご自分の意思で行かれましたが、それはこことはまるっきり違うところですので、もうこちらにいらっしゃることはないと思われます」
「もう死ぬことはないということですか」
「その世界がこことは違う世界であるということ以外、私たちにもよくわからないところなんです」
「・・・・」

 私はあのときみんなと一緒に行っていればよかったかなあと思った。
「あのとき一緒に行っていれば・・」
「でもあなたはまだ行かないはずです」
「私にはまだその資格がないのですか?」
「そういう理由ではないのですが、あなたにはまだ大事なときにすることがあるはずです」
「じゃあ、それが終われば仲間のところへ行けますかね」
「私には、そこまでわかりません」

 私はそのことを聞いてから、なぜか心が落ち着いてきた。

                     ― 完 ―

「前生のおもいで」はこれで終わりです。長いことお読みいただきましてありがとうございました。瞑想のヒント、神と共に生きるということのヒント、共同創造へのヒントが満載でした。


 ここで紹介した志摩川さんの「前生のおもいで」は全体の1/10にも満たず、他にも志摩川さんが死の前後にしばし宮沢賢治らしき人(ほぼ確実)に魂で合体した「おもいで」もあるので、いつか機会があればご紹介したいと思うのですが、何せ他人の文書なのでこれ以上の無断引用はどうも気が引けてしまいます。志摩川さんをご存知の人がおられましたら、是非とも下記までご一報いただけるとうれしいです。

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