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空海の茶店「阿修羅窟」と渤海経由の中国密航説、およびライシャワーの研究「入唐求法巡礼行記」<藤原肇 vs 池口恵観>
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投稿者 αメタボル 日時 2005 年 8 月 09 日 04:07:43: unHFO/3sXGcQQ
 

(回答先: 「空海の密教ライン」と「中央構造線」古代巨石文明の伝統<藤原肇 vs 池口恵観> 投稿者 αメタボル 日時 2005 年 8 月 09 日 03:54:58)

引用:若き日の修験者・空海のコスモロジーと錬金術(中)


空海の山岳修行と錬金術の結びつき

藤原 一般の日本人が表日本と裏日本に分ける時は、日本列島を地形的に分断する脊梁山脈を使って考えるが、地質学的には「中央構造線」がより重要であり、分布している岩の種類が大きく違っています。この「中央構造線」の南側は西南日本外帯と呼ばれて、そこには変成岩と古い堆積岩が分布しており、銅や水銀に富む鉱床が発達しているのです。
池口 その境目が紀ノ川と吉野川の谷間だと分かったが、高野山は水銀鉱床が発達しているから外帯に属すのだし、私がいる鹿児島も外帯になるわけですね。

藤原 そうです。「中央構造線」に沿って周辺に断層が発達して、火山や温泉が豊かでその代表が阿蘇火山です。有名な静岡から糸魚川にかけてのフォッサ・マグナは、この「中央構造線」が作った断岸絶壁であり、その内側に南アルプスと北アルプスが聳え、この西南円本内帯を作る主な岩は花崗岩だが、その他に変成岩とか堆積岩や火山岩が発達します。岩のことはこれくらいで沢山でしょうが、問題は「中央構造線」に沿った鉱床であり、多くが空海の修行した場所と関係します。それに着目して密教の立場から研究したのが、「空海と錬金術」や「空海ミステリー」の著者の佐藤任さんでして、彼は広島大学を中退して高野山大学に移り、密教学を勉強した興味深い経歴の持ち主です。しかも、佐藤さんは河内長野に住む地の利を生かし、空海と鉱物資源の関係を丹念に調べており、空海が錬金術を習得したことを実証しています。

池口 あの佐藤任さんをご存知ですか。彼は智積院の宮坂宥勝先生の弟子であり、私もよく知っている古い友人の一人でして、随分と精力的に本を書いているようだし、共産党になったり知事選拳に出たりして、非常に個性的な生き方をしている人です。

藤原 その佐藤さんが「空海の密教ライン」と呼んでいる、「中央構造線」に沿った金属鉱床の富鉱地帯が、若き日の空海の足跡と重なるのです。関西に行った時に河内長野の佐藤さんを訪ねて、空海と錬金術について議論したのですが、奇妙な一致に驚いたことが色々ありました。しかも、彼は勧心寺の前で「阿修羅窟」という茶店を営むが、この寺は楠正成の菩提所であるだけでなく、修験道の開祖である役小角を祭っていて、昔からサンカの砦みたいな所らしいのです。

池口 空海よりも百年も前に山岳宗教を開いた役の行者は、葛城山から熊野にかけての山を舞台にして、雑密という密教をやったと言われています。また、謀反の容疑で捕まり伊豆に流されているが、夜になると空を飛んで各地の山を訪れたし、鬼神を使う呪術の達人だったと伝えられていて、山やまを舞台にして活躍したようです。修験道では山岳地帯を曼茶羅と考えていますし、私の家も昔からの修験道の家系だから、山が好きな藤原さんと同じで小角の末流に連なります。役の行者は「孔雀明王」の呪法を究め、この呪術を習得すると空が飛べると言うから、もの凄い行動力の持ち主だったようです。

藤原 そのようですね。私は山が好きで若い頃に岩登りをやったが、役小角はアルピニストの大先輩になるパイオニアで、彼が開いた山を空海が後で寺を開山した感じです。また、役の行者は反権力に徹し自由に生きた人間で、英国のクリストファー・マーロウが「フォウスタス博士」で描いたし、中世末のドイツで魔術師として伝説になり、ゲーテが生涯を託した「ファウスト博士」の日本版です。脱線したので話を元に戻すと、役の小角が活躍した頃に「和同開珎」の銅銭が作られたし、彼の死から空海が誕生するまでの時期に、奈良の東大寺の大仏建設とその開眼があって、大量の鉄と銅が生産されているだけでなく、金メッキのために金と水銀が使われています。

池口 あれだけ大きな大仏様を作るためには、大量の金属が使われたはずだから、鉱石の生産や精錬に多くの人が従事していたのでしょうね。

藤原 だから、空海が大学を辞めて山岳地帯で修行した時に、役の小角の流れを汲む山で生きる民に出会ったことで、自然にまつわる色んなノウハウを教わって、採鉱や冶金についての知識や技術を身につけ、それが彼の錬金術に繋がったのだと思います。

池口 金峰山から熊野にかけての山岳地帯は、修験道における中心的な場所であるし、高野山の中心が金剛峰寺であることから、金属との関係が極めて深かったわけでしょうか。


空海の留学体験と入唐にまつわる秘密

藤原 吉野から熊野にかけて広がる山岳地帯は、銅や水銀の鉱脈が発達していることで知られ、それが修験道の聖地の意味を秘めています。だから、大陸や半島から渡って来た人たちが集まり、採鉱や冶金に関係する仕事に従事したので、その知識や技術に親しんだことによって、空海は新しい世界に開眼したのかも知れません。

池口 それもあったでしょう。空海はその流れの中で修行したのであり、それが理由で唐に渡って密教を極めようと考えて、遣唐使のメンバーに加わったのだろうし、漢語に精通して流暢に喋ったと言われています。

藤原 それが問題であり、一体どこで空海は会話力を身につけたかです。というのは、文章の読み書きは訓練で上達しますが、会話はそう簡単に身につかないのであり、現地体験がなくてペラペラ喋ったというのは、幾ら彼が語学の天才でも無理だと思います。

池口 たちどころに流暢な会話をやってのけ、皆を大いに驚かせたと言われているから、山の中で渡来人から学んだ可能性もあります。

藤原 でも、そんな程度でペラペラになるでしょうか。恥ずかしいが私の留学体験を披露すると、中学時代からフランス語を勉強していたし、日仏学院でフランス人の神父の授業を受けて、何年も議論をして会話には自信があったのに、フランスに行ったら会話が余り通じないのです。授業に出ても知っていることは分かるが、未知のテーマになると全く見当がつかなくて、私は大きなショックを味わって悩んだものです。ところが、空海の伝記を読むとそんな気配は全くなく、流暢に言葉を喋ったり書いたりした話ばかりです。だから、あれは初めての渡航ではないと閃きました。

池口 空海の再渡航説を言う人はいましたが、それを裏付ける証拠は何もありませんから、今のところは説得力がないので立ち消え状態です。

藤原 そうでしょうね。そこで、佐藤任さんに私の体験と共に仮説を喋ったら、彼も空海の再渡航説に賛成してくれて、私の知らないエピソードまで教えてくれました。

池口 ほう、それは興味深いですね。宮坂先生は優れた弟子を育てる達人だし、佐藤さんは独創的な考え方をする人だから、きっと画期的な見解だろうと予想しますが、それは一体どんな内容のエピソードですか。


渤海を経由した密航ルートの可能性

藤原 佐藤さんは五台山を訪問した経験を持ち、五台山で暗殺された霊仙にまつわる史跡を見た時に、渤海ルートの可能性について思い巡らし、それについて調べてみたのだそうです。そうしたら、何度も渡航した僧侶が何人もいたし、渤海を経由して霊仙の所に日本から砂金が送られていて、それが届いている事実も分かったのです。また、駐日アメリカ大使だったライシャワーが書いた、円仁の「入唐求法巡礼行記」という日記の研究とか、永忠や貞素などについての往来記録もあります。

池口 あれだけ行動力で優れた空海のことだから、渤海ルートか使えると分かったならば、どんな無理をしてでも渡航したでしょう。「三教指帰」を書いてから遣唐使になるまで、あの有名な空白の七年間は記録が全くなく、空海の伝記の大きな穴になっているが、密航したのではあればこの期間でしょう。また、青龍寺の恵果和尚が訪れた空海に会った時に、「われ先より汝が来ることを知って、相待つこと久し」といって、即座に密教の奥義を伝えたというのは、数千人の弟子を持つ阿闇梨の立場からして、余りにも不思議だと私はかねて思っていましたが……。

藤原 私もそう思います。だから、渤海ルートで密航して長安を訪れた空海が、ある期間だが恵果に師事して密教を学んで、日本で布教するフランチャイズを貰った。そして、正式に僧侶として訪問し直すことを約束して、必要な資金はそのときに用意すると誓ったから、和尚は「待ちかねた」と言ったと考えるのです。

池口 あってもおかしくない話だが、密航説はちょっとドラマチック過ぎる感じですね。

藤原 そうかも知れません。ただ、渤海国については遺跡や記録が少なくて、極東の歴史における大きな穴になっており、余りに不明なことが多すぎるのです。でも、この時期に日本と渤海の間には交流があって、使節の交換以外にも私的な交渉が続いたし、日本と大陸の間には航路も存在していました。だから、このルートで空海が渡航していれば、長安に行くのはそれほど難しくないし、私度僧として戸籍のないヒッピーなら、こっそり密航することの方が自然だと思います。

池口 記録に残るのは正式なものに限られるし、密航ならば記録がなくても当然ですね。

藤原 不利だから空海は沈黙を守ったのでしょう。漢語をペラペラ喋ったことは明らかだし、恵果和尚が「来るのを待っていた」と発言したように、長らく待ちかねていたことは明白です。渤海経由の航路で砂金を「宅急便」で送り、それが届くまで空海は待っていたが故に、長安に着いても直ぐに恵果和尚を訪ねないで、半年以上も「別送便」の到着を待っていたのです。その間に妖教〔イランの拝火教〕やマニ教にも親しみ、密教に対しての実力と自信を強く持った上で、恵果和尚に胸を張って再会したと思います。

池口 話としては実に面白い内容だと思います。この出会いの状況を「御請来日録」の記述では、「和尚たちまちに見て笑みを含み、喜歓して告げていわく、われ先より汝が来ることを知って、あい待つこと久し。今日あい見ること大いに好し、大いに好し」と言って、さっそく灌頂の檀に入るように促したのです。

藤原 初対面にしては余りにも親しすぎるから、かねてから訪問を待ちかねていたようで、灌頂に必要な資金である「別送品」に対して、持ってきたかという気分が強くするのです。

池口 だが、余りにも通俗的な感じがします。空想たくましく「宅急便」とか「別送品」と言うけれど、当時の交通事情を考えれば今と違って、遣唐使とは別のルートを使って品物を送ることは、そう簡単に行くとは考えられません。一番安全だと思われたルートを選んで、遣唐使は派遺されていたのであるし、それでも嵐のために遭難しているわけで、空海が乗った船は二ケ月も漂流してから、九死に一生で福州にたどり着いています。

藤原 そうでしたね。大陸に到着した段階で言葉を上手に喋り、シナの役人が驚くような名文を書いたのだから、空海は相当の訓練を積んでいたようです。果たしてそれが山での修行か大陸での体験か不明だが、記録にない七年間の空白期の存在は、空海の足跡を復元する謎解きの中心になります。


伝記における空白の時期と歴史の虚偽

池口 空白の七年間に空海が何をしたかに関して、全く記録がないというのは不思議すぎるから、それが皆さんの想像力を刺激するのです。

藤原 空海の場合は七年間という時間ですが、キリストは20年以上も空白期があり、重要人物には謎の時期が付きものらしく、その時期に大成への秘密が潜んでいるのです。秘密を明らかにしないことも大切であり、下手に公開すると誤解のタネになるし、虚飾すると嘘が混じってしまうために、正直を貫くために記録を伏せたのでしょう。

池口 そこまで考えて記録を消したとしたら、幾ら調べても何も分からないのは当然です。

藤原 歴史にイフを持ち込むのは禁物だと言うが、謎の空白があるという事実の背後には、表に出せない秘密が潜んでいるものだし、それを解明するのが歴史に挑む面白さです。なぜ「高松宮日記」は肝心な時期が欠けているかは、尽きない興味を掻き立てる昭和史の謎です。日本の現代史にとって最も重要だった、昭和5年と6年が欠けたままだのに、誰が何の目的で抹殺したかに関して、疑問さえ提示しないのが日本人です。また、日本人は朝鮮半島からの文化的影響にアレルギーで、半島の資料を黙殺する深層心理が強く、古代史はその呪いで必要以上に歪んでいて、本当の歴史を明らかにしようとしません。藤原不比等が歴史を捏造して書き換えたのに、それと同じことが現在も相変わらず続き、国民は歴史よりもフィクションを好んでいます。だが、表の記録を読んで騙されないためには、書かれたことより書いてない点に着目して、欠けた内容を復元する想像力が必要です。

池口 確かに、そういう歴史の読み方は重要だと思う。でも、そういう形で歴史を自由に解釈し過ぎることによって、何を信じて良いか分からなくなります。また、朝鮮半島からの文化の伝来に関しては、飛鳥時代や奈良時代に大きな影響を受け、仏教伝来に関して絶大な恩恵をこうむった点は、子供でも歴史で習って知っていますから……。

藤原 古墳時代も弥生文化や縄文文化の時代も、日本列島と朝鮮半島は緊密に結びつき、特に金属に関係した分野では絶大であり、砂鉄を使ったタタラ製鉄の技術では、宇佐神宮のある国東半島や出雲大社のある島根は、ほとんどが朝鮮系の人の支配地でした。

池口 そうかも知れません。朝鮮とか日本とかいって区別をするのは、おそらく律令国家が成立してから後のことであり、それ以前は隣の村も隣の国も同じ隣でした。

藤原 そういうことです。最近では古代史が大幅に書き改められて、岩に刻まれた記録や新発掘の遺跡によって、地球規模で古代史が見直されています。例えば隣国として重要な古代の朝鮮半島では、新羅王の墳墓が考古学的な調査によって、ローマ時代の遺物まで大量に発見されています。トンボ玉を含むガラス器や黄金の遺物の出土で、古墳時代の新羅はローマ帝国と結びつき、独特な文化を発達させていたことが、油井常雄の「ローマ文化帝国・新羅」〔新潮社〕に書いてあります。

池口 朝鮮半島にローマ文化があったとしたら、それは実に面白いことになりますね。

藤原 私はこの本を読みながら鱗が落ちました。そうなると出雲や熊襲の遺跡からトンボ玉が出るとか、近畿地方に多い前方後円型の古墳の発掘で、何が飛び出すか全く予想がつかなくなり、古代史の謎解きは一段と面白くなります。書いたものより人間の活動の痕跡の方が、真の歴史をよりストレートに物語るので、今後の古墳発掘の成果が大いに楽しみだし、その中心に金属の問題が位置しています。

池口 でも、関西地方には興味深い遺跡がたくさんあるが、天皇家の墓所だということを理由にして、宮内庁は発掘を認めようとしないでしょう。

藤原 そんな情緒的な考えに支配されている限り、歴史と物語の区別ができない状態が続いて、日本は世界の流れから取り残されるだけです。しかも、島国的な発想で縄文文化に陶酔しているが、同じ時期にシュメール人やフェニキア人が渡来しており、日本列島に巨石文明のノウハウを伝えています。そして、井戸を掘るとか鉱物を精錬していたことで、途中に朝鮮半島経由のものの介在があり、空海がその延長上にいても悪くありません。

池口 空海がユダヤ系ではないかという俗説は、昔から幾らも取り沙汰されて来ましたが、どこまで本当なのかは誰にも分からないし、シュメール人まで渡来したということになれば、歴史は更に大きく変わって行くでしょう。正倉院の遺物の中にギリシアやペルシアの物があり、古墳の遺物に朝鮮や漢の物があるから、フェニキアやシュメールの物が出ても驚くに値しません。


密教の本質と拝火教の影響

藤原 これは最近知って成程と思ったのですが、古代日本とシュメール文明を結びつけたのは、戦前の国家主義思想の影響のようです。具体的には、イシュタルの門に並んでついている十六菊花紋が、皇室が使っている菊の紋章の原点だとか、天皇を指すスメラミコトがシュメールと関係すると言って、反ユダヤのための宣伝に使ったらしい。ところが「瓢箪から駒」とでも言ったらいいか、最近の考古学や言語学の成果によると、シュメール人がインドに殖民してインダス文明を作り、航海術に優れたシュメール人は更に拡散して、インドシナのパンチェン文化や黄河流域に殷文化を築き、ペトログラフ〔岩刻〕に残っている記録によると、アメリカ大陸にも進出したらしいのです。

池口 そういう地球規模の視点で考えるならば、空海が大陸に渡ったのは当たり前に見えます。そして、アジア大陸における朝鮮や渤海の問題は、地球儀の上では実に狭い地域での問題になり、船を使うことで疑問が解決する感じですね。

藤原 船は木だから遺物として余り残っていないし、フェニキア人のように記録を持たない海洋民とか、文字を使わなかったインカ人の場合は、習俗や言葉の発音などのソフトなものの中に、歴史の痕跡を読み取る必要があるのです。あるいは、ソフトの領域に歴史のより重要なものが潜んでいて、それが歴史学における密教部分になるのです。

池口 そういう形で密教を捉えるのは面白い見方ですね。

藤原 そこで炎の行者の池口さんに質問ですが、火を使って勤行をする修験道の源流に、ゾロアスター教〔拝火教〕があると思うのです。火は日に繋がって闇の反対概念であるが、その辺をどう考えるかについて教えてください。

池口 仏教は西方浄土の天竺に起源を持つが、護摩を焚くのはバラモン教の儀式に由来し、天にお供え物を送る思想が源流にあって、それを仏教が取り込んだと言われています。だが、炎を前にして加持祈祷をするという点では、源流の一つに拝火教があって当然であるし、古代のインドとペルシアは意外に近いのです。また、護摩を焚き火の神である火天を始めとして、般若菩薩、不動明王、諸尊諸天の仏様を呼び出し、大宇宙の生命体のパワーや叡智を頂くのが、修験における加持祈祷の根本精神です。だから、それが古代に始まる叡智と結びつくような形で、加持祈祷に拝火教のやり方が伝わるのなら、変だとか不都合だということにはならないのです。

藤原 そうですか。佐藤さんの茶店の「阿修羅窟」という名前も、これはシュメールの神話の中の女神に由来しています。イシュタルはメソポタミアの火山神バール〔牛頭〕の妻だが、バールとの間に作った子供のミトラの妻として、エディプス神話の原型になるものであり、イシュタルは永遠の生命を伝えているのです。

池口 その通りです。しかもミトラは古代ペルシアやインドでは、天の光として全知全能の存在であり、それが仏教では阿弥陀如来になります。また、密教では宇宙の実相を仏格化した根本仏であって、永遠不滅で完全無欠を象徴して自光に輝く、大日如来の中の慈悲性を体現しているのです。それを考えると密教思想の実践において、古代の密議と結んで無限に拡大して行く大日如来は、余すところなく遍満する光だと分かります。また、火を焚いて毎日のお勤めをしている時に、弘法大師もこうして光に包まれたと感じ、最後には光と自分が一体化して火になってしまい、宇宙生命に成り切ったと感じるのです。

藤原 それは炉の中で精化する金属と同じであり、そこに至高の愉悦を感じ取った体験を通じて、錬金術の精髄である白光と共振するのです。池口さんは時間と空間を乗り越えることで、自分が宇宙で光だと体感することにより、弘法大師と一体化することに留まらないで、宇宙生命そのものになり切るのでしょうね。

池口 私が宇宙で私の中にも宇宙があるから、こんな嬉しいことは夢のようでもあるし、そんな夢が現実のものとしてあるのは、生命体としてこの上ない幸せを感じるのです。

藤原 おそらく、弘法大師もそう感じたことでしょう。その基盤には若い時代の山岳修行があって、山林の中で自然と接して学び取った、生命が秘める不思議な力に魅惑されて、その感動がエネルギーを生むのです。もし、空海が中退しないで大学を卒業していたら、密教を大成した弘法大師は存在しないで、役人としての人生で終わったかも知れない。でも、空海の若さと行動力を以ってすれば、取り囲む枠を乗り越える人生を通じて、自分と宇宙が共振する境地に到達することで、大宇宙そのものと一体化するのでしょう。

池口 それが般若波羅密多の意味するものです。生命の根源が持つ知慧を般若と呼びますし、理想を完成して悟りの彼岸に至ることが、波羅密多という言葉が示す内容だから、大陸に行く前に空海が体験したように、自分が生命エネルギーになるのです。そうすれば、生命を体現する自分が光になるのだし、光と自分が渾然一体となることにより、宇宙そのものが自分だと感じ取るようになるのです。

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