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[太田龍の時事寸評]長島銀蔵著「皇統正史」に関する寸評2つ
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/675.html
投稿者 あっしら 日時 2005 年 10 月 27 日 03:45:35: Mo7ApAlflbQ6s
 


長島銀蔵著「皇統正史」(昭和四十一年、自費出版)を発見する。


更新 平成17年10月25日23時45分

平成十七年(二〇〇五年)十月二十四日(月)
(第一千四百七十二回)

○鹿島f著「日本侵略興亡史」(絶版)の参考文献の中に、
 長島銀蔵著「皇統正史」、

○と言う著作が挙げられて居る。

○このほど、この本を見る機会を得た。

○これは、昭和四十一年十二月発行、非売品、とあり、

○静岡県清水市在住の著者、長島銀蔵の自費出版である。

○従って、市販はされて居らず、

○ごく小部数印刷され、著者の関係者に配布、贈呈されたもののようである。

○長島銀蔵。
 このひとは、敗戦後、日本国憲法を可決した当時の貴族院議員、とある。

○更に、敗戦後、日本遺族連合会の初代会長(長男が大東亜戦争時、戦死)、
 と言う。

○このひとが、南北朝問題の研究の道に入るように成った経過は分らない。

○この本の要点は、次の通り。

 (1) 南朝の皇統は、現在の熊澤正照王(寛道王)まで続いて居り、
 (2) 北朝は滅亡して居る。
 (3) 従って、そのあとの北朝天皇は偽朝であり、足利系天皇である。
 (4) 熊澤大然尊憲王は、明治四十一年、十一月二日、第一回の上奉文を
     明治天皇に上奉した。
 (5) 明治天皇は、明治十年に「大政紀要」を出版されて、南朝正統、とした。
 (6) 更に、明治十年元老院発行纂輯の御系図では、貞成親王の父は不詳、
     と明記してある。
 (7) 熊澤大然尊憲王の上奉文が各界に伝わると、大きな波紋を引き起こし、
 (8) 遂に国会に於る大問題と成り、
 (9) 明治天皇の裁決によって、南朝正統、と決定され、
 (10)時の桂内閣は瓦解した、
 (11)しかし、明治天皇が間もなく崩御されて、そのために、南朝熊澤天皇
     問題は事実上封印されてしまった、と。

○ここでの問題は、北朝が断絶して、そのあとは、足利系天皇である、
 と言うところであろう。

○明治天皇が、公式発表の如く、北朝孝明天皇の皇太子、と言うことであれば、

○当然、南朝正統論で行けば、明治天皇は、偽天皇である、

○と成るであろう。

○にも拘わらず
 明治天皇が、南朝正統論を裁決された、とは何を意味するのか。

○長島銀蔵著は、
 孝明天皇父子弑逆問題も、

○長州大室天皇家大室寅之祐スリ変え明治天皇問題も、

○全く視野の外に置いてある。

○しかし、ここには、
 鹿島著にも引用されて居らず、

○各種の南朝史論にも述べられて居ない、基本的文献と事実が集大成されて居り、

○これは、改めて注目すべきものと判断する。

 (了)


「皇統正史」の著者、長島銀蔵とはどんな人物だったのか。


更新 平成17年10月25日23時46分

平成十七年(二〇〇五年)十月二十五日(火)
(第一千四百七十三回)

○当「時事寸評」前号(17.10.24)に、
 長島銀蔵著「皇統正史」を取り上げた。

○この「長島銀蔵」と言う人物について調べると、このひとは、
 明治三十四年(一九〇一年)〜昭和五十九年(一九八四年)

○静岡県富士宮市に生まれ、横浜瓦斯科学工業社長など、多額納税者として、
 昭和二十一年五月から、二十二年五月まで一年間、貴族院議員。
 昭和二十五年、参議院全国区から当選、とある。

○昭和二十四年の長者番付では、
 「第二位、長島銀蔵、静岡、ペニシリン製造」と言う。

○長男が戦死。
 昭和二十二年十一月、日本遺族会理事長。

○このひとが、どのようにして、南北朝問題を研究して、「皇統正史」を著述
 するように成ったのか。

○それは、このひとが、静岡県富士宮市の出身、と言うことに関係があるだろう。

○富士山麓には、「隠れ南朝」の史跡があり、加茂喜三と言うひとの、それに
 ついての著作がある。

○一応、この線で、理解して置こう。

○長島銀蔵氏は、もっぱら、熊澤天皇家についての研究であって、愛知県豊川市、
 三浦天皇家とは接触が無いようである。

○南朝の一皇統が、今の福島県に移られたこと、

○そしてある時点で、足利幕府の南朝系を根絶やしにしようとする迫害政策のため
 に、熊澤姓を名乗るに至った経緯が、前出「皇統正史」には詳述されて居る。

○前出、長島著によれば、
 足利義満は、自己の息子を天皇にすると同時に、持明院統(北朝)の血統を全部
 殺害した、

○と成って居る。

○従って、この説によれば、足利義満とそのあとの時代に、
 北朝の血統は絶え、足利義満の血統が北朝と成った、と言うことに成る。

○応仁の乱の頃まで、南朝は健在であり、それから足利将軍六代義教が、南朝の
 血統を根絶せよ、との方針を打ち出した、と言う。

○しかし、南朝系の一部は、熊澤家、としてずっと続いた、と。

○これに対し、
 南朝三浦天皇家の方は、熊澤天皇家に比べると、細々とした感じである。

○長州の大室天皇家については、その系図は現在に伝わって居ないのみならず、

○幕末、大室弥兵衛の代で血統は断絶し、その二人の息子(虎吉、庄吉)は、
 実は、地家作蔵の息子である、との説があり、

○この説を取るとすれば、大室天皇家は、絶えて居る。

○大室寅之祐=明治天皇。

○この人物は、実は、地家作蔵の息子。

○して見ると「熊澤天皇家」の方が、まだしも、実在の天皇の血筋である、との
 見方も成り立つであろう。

 (了)


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