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赤ん坊の依存からだんだんと脱却するだけのようにも思えますが。
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/115.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 5 月 13 日 00:05:04: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: Re: 依存 投稿者 どうして? 日時 2005 年 5 月 12 日 17:06:17)

どうして?さん、レスありがとうございます。

オギャーと生まれた時はもちろん我々は母親や父親に全面的に依存していたでしょう。
泣く事によって自分を助けてもらおうとしたでしょう。
そこからだんだんと脱却していく過程のような気もするのですが。

依存からの脱却に何が必要なのか?
自分で解決するという能力を身につけるという事ですが、その能力を身に付ける為にはとにかく質問をしまくって知恵を付ける事だと思いますね。

分からない事は何でも聞くという習慣を身に付けさせる事がます必要でしょう。

その内、聞かなくても以前聞いた事で解決していけるようになり、「聞く」という依存から脱却できると思うのです。

大人は子供が自分の力で考え始めるのを我慢強く待ち、じれったくなって答えをすぐに教えてしまうという事を避けた方がいいでしょう。

とにかく対話が必要です。
大人は子供に対してとにかく熱心に語りかけるべきだと思います。

私もこの阿修羅掲示板では質問を色々としてきて自分を変えてきたと思います。
いい年をして質問なんか恥ずかしいと思ってはいけないと思います。

>Re: 依存
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/114.html
>投稿者 どうして? 日時 2005 年 5 月 12 日 17:06:17: 5huHSJ2zKWnK6

>(回答先: 依存 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 5 月 08 日 15:58:46)

>ワヤクチャさんはじめまして。ほとんどROMのどうして?と申します。

はじめまして。

>ワヤクチャさんの旺盛な好奇心と探究心に触れるたびに、自分に甘い己を
>省みる材料にしています。

ありがとうございます。
いえ、あなたは決して自分に甘くは無いでしょう。
こうやって投稿されるぐらいですから。
投稿というのはある意味冒険ですものね。
私は清水の舞台から飛び降りるような気持ちで投稿しております。
不完全な自分をさらけ出しているのです。
迷惑だと思う方もいらっしゃるでしょうが。

>自分は語れるほどの材料を持ち合わせていない人間ですが、高みからでは
>なく、自分の生活圏の半径500メートル以内で感じた視線でひと言感想を
>述べさせてください。

「生活圏の半径500メートル」とは面白い表現ですね。
徒歩でほとんど用事が済むという生活をされていらっしゃるのでしょうか?

>ワヤクチャさんは依存からの脱却を提案されていますが、それでは
>いつごろから依存が見られるでしょうか?赤ん坊の時は致し方ありませんね。
>幼稚園では自立と自律に重点を置いているように感じます。

そうですね。
赤ん坊は世の中に恐いものがある事を知りませんのでどんどんとあちこちへ行きますね。
幼稚園児もそうですが、あちこち行ってその中で自立していくと思いますね。
私も2kmぐらいはあろうかというぐらいの遠くの幼稚園に通い皆勤しました。
坂道が結構あり1時間ぐらいかけて歩いて行っていたのではないかと思います。
あの時に我慢強さを身に付けた気もしますね。
帰りにはドングリを拾ったり道草をしていたと思います。
母親は心配じゃなかったのか?と不思議に思います。

>自立へのレールを
>歩み出したかのように見える小学校の低学年の授業参観を見ると、「はい、はい」と
>手をあげる姿も見受けます。ところが、中学年、高学年とあがるにつれ、校内の
>各種委員会の会合で子ども達は雑談では花が咲いても、積極的に意見を述べて、
>参画する態度は減っているように感じます。

雑談は楽しいが、授業はつまらないって感じではありませんか?
拒否するという事も1つの自立への道だと思うのですが。
私も授業中、他の事をぼおっと考え事をしていたように思います。
SFが好きだったので読んだSFの事をよく考えていたように思います。
H,G.ウエルズの「タイムマシーン」とか「塀についたドア」とか
「モロー博士の島」とかですね。

>親の立場で授業参観に参加すると
>『寄らば大樹の陰』という行動様式は、すでに10歳前後で出来上がっている
>ようにと感じます。

事なかれ主義を身に付ける過程があると思いますね。
なるべくみんなと合わすようにするという。
批判的である事はイジメに合う危険を冒す事ですからね。

>以降この姿勢が、対町内会活動、対近所つきあい、対PTA
>や私的な育児サークル活動といった日常に根づいたものから、対社内改革、
>対社会変革といった大きな志を伴うものに至るまで、老いるまで続くわけです。

合わすのですね。
批判をするという事は孤立をする恐れがありますね。
私は中学・高校の6年間は結構批判的な態度なので随分露骨なイジメを受けました。
制服の背中を黒板消しでバンバンはたかれた事もありました。
私は反抗せずに耐えました。
相手に何も言わずに無視をしました。
それがまた腹が立ったようですが。

>ならば、8〜9歳の子ども達までの段階で、自分の意見をみつけ、考える喜び、
>他者に向かってそれを発言してみる喜び、異なる意見でも尊重する姿勢等々を
>教えてやる必要性があると思うのです。

とにかくしゃべらせる事ですよ。

>わたしは解決法のひとつに日記を書く
>という事を提案します。

日記は確かにいいのですが、日記を書く以前に対話ですね。
私は高校時代に思いついた事を全てノートに書き出すという実験をしました。
また、書いた事を読み返してさらに書いていくのです。
そうする事で思考力が身についたと思っております。

>書く以前に観察力を磨かねばならないように感じるから
>です。

観察っていうのも何か受身のような気がしますね。
やはり対話が基本でしょう。
何でもどんどんしゃめり掛けていく習慣が必要だと思います。

>小学校の新年度最初の授業参観で教室のかべや廊下に理科や図工の時間の
>観察レポートや絵が展示されていますが、「こまかく観察しているな」と
>感じるものは少ないように思います。

小学校5年の時に建設中の校舎を写生しました。
建設中ですので足場があり鉄骨とか色々な形の物が複雑にあります。
より複雑なものを描きたいという気持ちの表れだったと思います。
細かく書いたので図画の先生が褒めてくれました。
現実をリアルに表現したいという意欲は必要かも知れませんね。
サルバドール・ダリの「パン」なんかは素晴らしい作品ですね。

>観察なくしては、自分の意見は構成できません。

そうでしょうね。

>さらに言えば、観察しようとする好奇心がなくては、「見ろ」と言われても
>眼に飛び込んでくる量が異なります。

はい。
私は小川のせせらぎをじっと見ていて飽きないという事が小学生時代にありました。
そういう外界に対する興味というものが必要でしょうね。

>低学年でもすでに問題はありますが、
>それでも、高学年の過度に依存して自分から冒険をしようとしない、できるだけ
>失敗をさけようとする、他人の視線を気にする姿勢にくらべたら、まだまだ無邪気に
>己を表明します。

確かにそうですね。
模範解答を出そうとするのですね。

>ワヤクチャさんが目指す過度の依存からの脱却のキーは、小学時代にあると思うの
>ですが、いかがでしょうか?

そう言われてみればそんな気がしてきました。
最初と変わりました。
これも対話の成果です。

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