★阿修羅♪ > 議論21 > 152.html
 ★阿修羅♪
では、家と家族は同じか 国家と国民は同じか
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/152.html
投稿者 ジャン 日時 2005 年 5 月 21 日 15:52:57: tV9DFzLB7Zpg6
 

(回答先: 国家と政府は混同しないように注意を喚起しておきます。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 5 月 21 日 12:15:30)

 
 国を論じているのか憲法を論じているのかをはっきりさせる必要があるかもしれません。
 近代憲法は、絶対王政に対する民主主義の勝利という形で出発していますから、人権と国家権力との対立的意味を内包した議論になるのは当然のことです。
 そして、階級国家論をとなえるマルクス主義においても、国家は暴力的に非和解的な階級間の問題を決着させ、統治する手段という考え方でしょうから、両者の議論は一致しないまでも、国家を国民とは別のものとしてとらえることとなります。
 一方、国民国家という考え方にたてば、そのような対立は消えてしまいます。国家への自由が極端に進んだプロレタリア独裁のような国や民族主義一色の国においては、国民と国家は一心同体のようなもの、国家と個人の対立という考えそのものが問題にもならないでしょう。(東アジアにはそういう国が多いのかもしれませんが)
 
 で、憲法に、そうした国民国家の立場からの規定を盛り込もうというのが、最近の議論ではないかと思います。アフガニスタンやイラクでさえ、コーランの一節のようなものをいれても許されるのであれば、日本において神道を憲法にうたって悪いはずもないではありませんか。いえ、神道とは直接いわずに、とりあえず、美しい日本の心とでも言い換えたほうがいいかもしれません。
 
 かつて、ワイマール憲法の時代には、憲法学者のほとんどが、言論の自由のもとにワイマール憲法を否定しており、短命な憲法に終わったといいますが、近年の日本の憲法学者にも似たようなものが多く出ているようです。ドイツでワイマール憲法がそのように短命だった原因は、戦勝国への超多額の賠償などで、ニヒリスティックな状態にあったという点もあるようですが、現在の日本の状況は、それとは少し違うようです。
 
 いずれにせよ、国民国家としてみれば、他国との共生か他国との戦争かは外交の一側面に過ぎませんから、平和も戦争も表裏一体、絶対平和主義はありえません。
 だから、日本の平和主義者は、国民国家という考え方を否定したがるということでしょう。

 しかし、問題は、国民国家の考え方でいくと、平和主義といっしょに人権も葬りかねない、これについては、要注意といったところであり、したがって、この議論が憲法の議論であるのなら
国家権力と人権というスタンスの議論になるのは仕方がないと思うのです。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > 議論21掲示板



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。