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Re: 連合赤軍事件が起こった原因は「純粋なる革命戦士」 この意味の説明を
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投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 24 日 16:34:04: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: 連合赤軍事件が起こった原因は「純粋なる革命戦士」 この意味の説明を 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 6 月 23 日 17:41:15)

縄文ビトさん、ご質問ありがとうございます。

まず、形而上学の定義を確定しないといけませんね。

私は形而上学を「五感によって与えられる事の無い対象についての学」と理解しております。
この定義自体が妥当であるかどうかは議論があるでしょう。

下記の抜粋の中でアリストテレスが「自然についての書の後に続く書」というものを研究分野として分類したという事ですが、これは人間の外にある(実在する)と考えられている五感によって感知し得る現象について以外に考える学問という理解でいいのでは無いかと思っているのです。
あるいは、「自然についての書」を対象化した思弁についても、直接的に与えられた人間外的存在(自然)を対象化したメタレベルの思弁として形而上学の中に入れるという発想も成り立つかと考えます。

例えば、「死とは何か?」というのは自然学的対象であると同時に形而上学的対象でもあるという事です。
真理や神と言った五感では直接与えられない対象について考える事は形而上学だと思っております。

【一部抜粋】
アリストテレスの著作はちょうど『自然学』の後にもう一つの著作群が配置されるような仕方でまとめられた。この著作が哲学的探求の基礎的、根本的領域に関わるのだが、その時点では名を持たなかった。初期アリストテレス学派は、この著作を『τὰ μετὰ τὰ φυσικά , "ta meta ta physika"』 (自然(についての)書の後(に続く書))と呼んだ。これが「形而上学」 (metaphysics) の語源(ギリシャ語では μεταφυσικά)である。

【全部抜粋】
形而上学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
形而上学(けいじじょうがく)は哲学の一部門であり、物理学や心理学や脳の生物学といった自然諸科学に、あるいはまた神秘主義や宗教や精神的主題 (spiritual subjects) に関係付けられる。非哲学者への紹介のために形而上学を定義することは非常に困難(notoriously)であるが、存在、実在、普遍、属性、関係、因果性、空間、時間、出来事その他のような他の諸概念がそれに基づくところの現実性の基礎的本性 (the basic nature of reality) についての最も根本的な概念や信念の研究として同定されうる。

形而上学を定義することの困難の一部は、何世紀も前にアリストテレスの編者によって最初にその名を受け取って以来、変化してきた非常に多くの領野の内にある。根源的に形而上学的と考えられなかった問題が形而上学に加えられてきた。何世紀にわたって形而上学的と考えられていた他の問題は、概して現在、宗教哲学、心の哲学、知覚の哲学、言語哲学、科学哲学といったその独特の分離した副次的主題(subheadings)へと追いやられている。形而上学の部分と、ある時代または別の時代に、考えれられてきた全ての問題を述べるのには非常に長い時間が要求されるだろう。

核心的な形而上学的問題と呼ばれうるものは、常に形而上学的と考えられてきた、そして、形而上学的でないと考えられたことがない問題であろう。そのような問題がたいてい持つことは、一般に存在論の問題、「存在 としての (qua) 存在の学」である。

別の哲学的伝統は、西洋の哲学的伝統におけるそれよりも形而上学的問題の非常に困難な概念を持っている。例えば、道教、そして実際多くの東洋哲学はアリストテレス形而上学の最も基礎的な教義のいくつかを完全に拒んでいる。今では西洋哲学においてはもうほとんど完全に内面化し疑いの対象になることはほとんどない。しかしヘーゲルの論理学 (Science of Logic) のようにアリストテレス形而上学の多くの反対者は西洋にも現れた。

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形而上学の語源
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、あわせて『φυσικά(physika)』(自然学、英physics)と呼ばれる多数の著作をあらわした。初期の版では、アリストテレスの著作はちょうど『自然学』の後にもう一つの著作群が配置されるような仕方でまとめられた。この著作が哲学的探求の基礎的、根本的領域に関わるのだが、その時点では名を持たなかった。初期アリストテレス学派は、この著作を『τὰ μετὰ τὰ φυσικά , "ta meta ta physika"』 (自然(についての)書の後(に続く書))と呼んだ。これが「形而上学」 (metaphysics) の語源(ギリシャ語では μεταφυσικά)である。

それ故、語源学的には、形而上学はアリストテレスによるこの(『形而上学(自然学後書)』Metaphysics と、集団的に、呼ばれた)著作の主題ということになる。技術的には、自然学についての著作の後に続くためにそう名づけられたのだが、この著作における実際上の主題的問題は、おそらく偶然一致して、自然的なものの基礎となる―自然的なものを超えた―ものの問題におけるものであり、従って二つの仕方でその語にぴったりである。

日本語の「形而上学」は 西洋諸語からの(metaphysics, Metaphysik などの)訳語で、『易経』繋辞上伝の“形而上者謂之道、形而下者謂之器”(形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う)から取られている。

(著作としての)『形而上学』は、(1) 存在論 (2) 神学 (3) 普遍学と呼ばれ西洋形而上学の伝統的部門と現在みなされている三つの部分に分けられた。また、いくつかのより小さな部分、おそらくは伝統的な問題、すなわち哲学的語彙集、哲学一般を定義する試みがあり、そして『自然学』からのいくつかの抜粋がそのまま繰り返されている。

存在論は存在についての研究である。それは伝統的に「存在としての (qua) 存在の学」と定義される。
神学はここでは神あるいは神々そして神的なものについての問いの研究を意味する。
普遍学は、全ての他の探求の基礎となるいわゆるアリストテレスの第一原理の研究と考えられる。そのような原理の一つの例は矛盾律「あるものが、同時にそして同じ点で、存在しかつ存在しないことはありえない」である。特殊なリンゴは同時に存在しかつ存在しないことはありえない。普遍学あるいは第一哲学は、「存在としての (qua) 存在」を扱う―それは、誰かが何かある学問の個別的な詳細を付け加える前に全ての学問への基礎となるものである。これは、因果性、実体、種、元素といった問題を含む。
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形而上学的問題の諸例
形而上学に問題が存在しさえすることを理解することが時々困難である。形而上学の問題への案内の手引きになるであろうようなかなり単純な例をもってはじめることが助けとなろう。

いま、我々が部屋にいることを想像せよ。部屋の真ん中には机があり、机の真ん中には大きくて新鮮で汁気の多い赤いリンゴがある。我々はこのリンゴについて多くの形而上学的問いを問うことができる。これはうまくいけば形而上学とは何かをよりうまく理解する助けとなる。

リンゴは自然的対象の優れた例である。すなわち、ある人はこれを取り上る、辺りに投げる、食う、等々とすることができる。それは空間と時間とを占め、種々の属性をもつ。次のように問うことを想定せよ。何が自然的対象であるのか?これは人が答えをあたえることができない種の問いに見えるかもしれない。自然的対象とは何かを説明するために何を人は可能的に使用しうるのか?しかし哲学者は、それがそうであることのいくつかの一般的な種の考量を実際に与えようとする。彼らは問う。自然的事物はその諸属性の束であろうか?あるいは、これらの諸属性を 持つ実体であろうか?これは実体 (substance) あるいは客体性 (objecthood) の問題と呼ばれる。

ここに別の種類の問いがある。赤い、大きい、汁気が多いの様に、リンゴが属性を持つと我々は言った。属性はどのように対象と異なるのか?リンゴのようなものは赤さのような属性を持つと我々がいうことに注意せよ。しかし、リンゴも赤さも、ものあるいは存在物の異なった種の項目である。ある人はリンゴを取ったり触ったりできるが、赤さを取ったり触ったりはできない。赤い ものをあなたが取ったり触ったりできるという意味でいうのを除いては。それで、属性とは何であるかについて我々はいかににして最もよく考察しうるか?これは普遍の問題と呼ばれる。

ここに何が自然的対象かについてのもう一つの問いがある。自然的対象が存在するようになると我々はいつ一般に言いうるのか?あるいは、それらはいつ存在することをやめるのか?確かに、リンゴは存在することをやめることなしに多くの仕方で 変化しうる。リンゴは茶色くなったり腐ったりしうるが、依然あのリンゴであるだろう。しかし、もし誰かがリンゴを食べるなら、それは全く変化しなかったのであり、もはや存在しないだろう。それで、同一性あるいは同じものが時間を越えて存在すること、変化の諸観念 (notions) について答えられるべきいくつかの形而上学的問いが存在する。

このリンゴは空間の内に存在し(それは部屋の中の机の上にある)、時間の内に存在する(それは一週間前は机の上にはなかったし、今から一週間後には机の上にないだろう)。しかし、空間と時間についてのこの話は何の意味があるのか?例えば、空間はリンゴがそこに位置するような不可視の三次元の格子のようなものであると我々は言いうるだろうか?リンゴや宇宙におけるすべての他の自然的対象が存在から全く取り除かれることを想定せよ。すると、不可視の格子である空間は依然存在するだろうか?いくらかの人々は言わない―彼らは次のように言う。自然的対象を除いて空間は存在しないであろう、なぜなら空間は対象同士がいかように関係しているかを我々がそこにおいて理解するような枠組みだから。そこには空間と時間について問う多くの他の形而上学的問いが存在する。

形而上学における非常に異なった種の問題がほかにも存在する。リンゴはあるの種のものであり、いま、もし花子が部屋にいて、花子は精神を持つと我々が言うならば、我々は確かに花子の精神はリンゴとは異なった種のものであると言っている(もしそれが少しでもある種のものであるなら)。私の精神は非物質的であるが、リンゴは物質的対象である、と私は言うかもしれない。さらに、花子の精神は何か 個別的な場所に位置していると言うことは少しおかしく聞こえる。ことによると我々は彼女の精神はどこか部屋の中にあるとは言うことができるが、リンゴは明らかに個別的な場所、すなわち机の真ん中に位置している。精神は根本的に自然的物体 (physical body) とは異なるということは明らかにみえる。しかし、もしそうであるなら、食べることを決定することのような精神的ものはいかにしてリンゴにおける噛み砕きのような自然的出来事の原因となりうるのか?精神と物体 (mind and body) は、もし二者が全体的に異なった種のものであるならば、いかにして因果的に相互に連絡しているのか?これは心身問題と呼ばれており、概して現在心の哲学と呼ばれる哲学的な学問分野の下位区分に託されている。しかしながら、心身問題は依然ときどき形而上学の部分で考察される。

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関連項目
アリストテレス
実体(ウーシア)
形相(エイドス)- 現実態(エネルゲイア)- エンテレケイア
質料(ヒュレー)- 可能態(デュナミス)
四原因説 - 形相因 - 質料因 - 作用因 - 目的因
基体(ヒュポケイメノン)
本性 - 本質
類 - 種
カテゴリ
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カテゴリ: アリストテレス | 哲学 | 心

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最終更新 2005年5月20日 (金) 03:18。 Content is available under GNU Free Documentation License. Wikipediaについて 利用規約

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【形而上学】
http://www.google.co.jp/search?biw=762&hl=ja&q=%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E5%AD%A6&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

>連合赤軍事件が起こった原因は「純粋なる革命戦士」 この意味の説明を
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/384.html
>投稿者 日時 2005 年 6 月 23 日 17:41:15: egUyw5BLxswRI

http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/342.html 
>連合赤軍事件は権力形成の必然的帰結なのではありません。


>連合赤軍事件が起こった原因は「純粋なる革命戦士」という形而上学に彼等が陥った>為であると私は考えております。

>J ワヤクチャさんこの意味を説明してください。なぜ形而上学なのですか?

で、この意味ですが。

「純粋なる革命戦士」なる概念は、実際に存在する革命家の平均像から遊離して、

「革命戦士はかくあらねばならない。」という理想像を追求した概念であろうという事から、「五感で捉える事ができる革命戦士という現実的表象から遊離したイデアとしての形而上学的表象」に陥っていると判断したのです。

「純粋なる革命戦士」はセックスなどという世俗的な欲望を求めてはいけないという事です。

つまり、現実に存在する人間で何かを行うのでは無く、
現実には存在しないイデアとしての「純粋なる革命戦士」という基準から判断して
現実の人間を裁定するという誤りを犯したと考えているのです。

実際に存在するのは生身の人間であり、イデアとしての「純粋なる革命戦士」などというものはどこにも存在しないという事が分からないという誤謬であったという事です。

イデアから判断して「この人間は価値が無い。」「革命戦士では無い、裏切り者だから殺してしまえ。」となったと思います。

革命家は現実を知らねばならず、自分の頭の中だけにあるイデアから現実を見るという思考法では必ず失敗するという事を私は連合赤軍事件から教訓化しました。

「革命家が武装蜂起をすれば大衆がそれに感動して武装蜂起するだろう。」というような革命論では失敗するという事です。

念の為に私は暴力革命論は否定しております。
対抗的権力の樹立として革命を遂行したいと思っております。
弾圧を受けにくい形態での革命です。

あの時期にあった暴力革命論はスパイによる挑発的扇動であったと総括しております。
一網打尽にする為の扇動です。
大菩薩峠での逮捕などがそれにあたります。

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