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連合赤軍は段々と観念論(形而上学)に陥っていったと考えます。
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/411.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 7 月 09 日 22:54:38: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: 新規に立てますその1 Re: 連合赤軍事件が起こった原因は「純粋なる革命戦士」 この意味の説明を 投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 7 月 04 日 07:12:40)

縄文ビトさん、まずは私は連合赤軍より後の世代の人間です。
あの事件の後に革命が必要だと思った人間であり、革命実現の為にはあの事件の総括は避けて通れない問題なので30年ぐらい考え続けてきたのです。
彼らは当初は純粋な気持ちから日本の社会主義革命を考えていた人々でしょう。
しかし、何年もの闘争の過程で「革命戦士はかくあるべし」という観念論を作り上げてしまったのだと考えます。
あの苦しい闘争を続ける為にはそのようなヒロイズムによる自己鼓舞が必要だったのだと思います。
従って彼らの中にはスパイもいたかも知れませんが、スパイでは無く、必然的にあのような事件に追い込まれた人々も多かったのでは?と考えます。

>新規に立てますその1 Re: 連合赤軍事件が起こった原因は「純粋なる革命戦士」 こ>の意味の説明を
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/402.html
>投稿者 縄文ビト 日時 2005 年 7 月 04 日 07:12:40: egUyw5BLxswRI

>ワヤクチャさん返信が遅れてすみませんでした。  

いいえ、そのようなお詫びは無しにして下さいな。
私もどれだけ早目にご返事できるか分かりません。

W>> 縄文ビトさん、ご質問ありがとうございます。
W>> まず、形而上学の定義を確定しないといけませんね。
W>> 私は形而上学を「五感によって与えられる事の無い対象についての学」と理解>しております。

広義の意味では「人間の意識内容を対象にした学」と言えるかも知れません。
人間の意識は存在そのものでは無く、存在の反映であるに過ぎません。
従って、人間の意識というフィルターを通した表象は全て現実に存在するかどうかの証明が不可能であり、存在証明不可能な対象についての学は形而上学であると。

>J 問題はワヤクチャさん自身が五感以外で物事を認識できるかということになりま>すが、

例えば、私は縄文ビトさんが入力した文字を見て縄文ビトさんの人となりを想像いたします。私の目に捉えられた物は文字であるに過ぎず、そこから縄文ビトさんの人となりを推測する事は五感を超えた脳の働きによるものです。
これを「五感によっては直接与えられてはいない対象についての認識」と捉えております。
この想像はこれまでの私が生きてきた経験や思考活動によって得られたものです。
体験と思考の合体の産物です。

>またリンチ殺人事件の当事者が五感以外で感じていたのかということになります。

「理想的革命戦士」なる者は実際には存在しません。
その実際に存在しない者を想定するのは五感以外の思考の働きです。
これを私は形而上学的思考と呼び、彼らがそのような思考に陥り、現実の同士を断罪して殺したと考えているのです。
「革命戦士にあるまじき行為」という怒りが彼等を狂気の行動に誘導したのです。

>では彼らが陥った感覚とはどのような感覚かということですが。彼らに代わって理解>できるのでしたら説明をしてくださるといいのですが。

以上の説明で不充分でしょうか?
彼等と対話できるものなら対話したいです。

W>> この定義自体が妥当であるかどうかは議論があるでしょう。

>J 認識論ですから、五感とは少し違うような気がします、なぜなら知識は五感に入>らない、認識はその知識の上をいくものだと感じますが。

知識の中に五感から直接得られるものから思考作用によって初めて与えられるものまで多種多様なものがあると思います。
例えば「民主主義」というものを我々は五感で捉える事はできないワケです。
それは純粋に思考の中でだけで捉えられるものです。
私は最近、あらゆる形而上学的概念を再検討しなければならないと思うようになりました。

>私が答えてどうするのか、ワヤクチャさんに聞いているのに。

いいでは無いですか、参考になります。
貴方が聞いて私が答えるという事で無くても。

W>> 例えば、「死とは何か?」というのは自然学的対象であると同時に形而上学的>。対象でもあるという事です。
>真理や神と言った五感では直接与えられない対象について考える事は形而上学だと思っております。

J むしろ五感というよりも先に来るのは知識であり、またその知識とは違うレベルのことだといえます。

W 知識が生まれるのは五感によって与えられた情報が基礎になっているからでは?

J 知識とは親から教わったこと、学校から教科書を通して教わったこと、そして社会から教わったこと、本等から・新聞等から得た知識、それらの教わったり、自分が読んだりして得た知識を土台として、その人の生きている時間の中でその人自身の五感を通して得た経験を利用し、 新たに自分のものとして認識していく事柄があり、形而上はその上をいくものであるといえます。

W 上と言ってもいいのかも知れませんが、
  上というのは日本語的にはいいイメージがあり、
  形而上学の危険性を感じている私にとっては「人間の妄想」に限りなく近いもので  す。

J 例えば「死とは何か」それは本で読んだり、人から聞いたものであり、また身近な人の死であったり、しかしそれは自分の死ではないはずです、では自分の死とは何なのか、そこに時間と空間を織り交ぜたとき形而上の部類に入ったといえますが。      
W 他者の死の場合でも、死んでもまだ魂が残っているとかいう証明不可能な形而上学が存在します。
 
J 時間と空間を認識するというのも形而上の事柄ですから。           

W 空間や時間は動いているものを見る事によって得られた認識でしょう。

J  では自己の死とは何なのか?

W 私は統合された1個の人間としては動かず意識も持たない有機体ないしは無機物として変化する事としか思えません。
それ以上の意味を付与する事は過てる観念論への逸脱だと思います。

W>> 連合赤軍事件が起こった原因は「純粋なる革命戦士」という形而上学に彼等が陥った為であると私は考えております。

J>> ワヤクチャさんこの意味を説明してください。なぜ形而上学なのですか?

W> で、この意味ですが。
W> 「純粋なる革命戦士」なる概念は、実際に存在する革命家の平均像から遊離して、

J 平均像とは具体的にどのようなものだったのですか。

平均像という言葉は不適切であったかも知れません。
「実際に存在する人間から遊離して」の方が適切であったかと思います。

W> 「革命戦士はかくあらねばならない。」という理想像を追求した概念であろうという事から、「五感で捉える事ができる革命戦士という現実的表象から遊離したイデアとしての形而上学的表象」に陥っていると判断したのです。

J 単なる観念論の説明をしているようにしか思えませんが。

W 観念論も形而上学も私が述べようとする意味においてはほとんど同じに思えます。
  しかし、観念論の中にはヘーゲルのような「弁証法的観念論」というようなものもあり、私としては弁証法的では無い、形而上学的観念論(イデア的観念論)という意味合いで使いたいという事です。

J                 私はそのときのことが少しは頭に残っておりますが、彼らは最初グループを結成した当時はワヤクチャさんが表現する純粋なる革命戦士はこうあるべきだということでリンチ殺人事件を冒すような考え方は無かった、

W もちろん、そうだと思います。
  長年の闘争生活の中で形而上学を純化していったのだと考えます。

J そのようなものが最初から彼らが考えていたとしたら、人民を解放する、しかし解放された人民は現実に生きているときよりもより強制を受ける支配が彼らによって行はれるということになりますが。

W これまでの革命はロシア革命も中国革命も形而上学的要素が多くあった思います。
  その結果、現に様々な粛清が行われました。スターリンによる「反革命」粛清。
  中国の文化大革命の際の「走資派」に対する粛清などです。
  反革命とか走資派とかいうレッテルは形而上学の典型です。
  連合赤軍の誤りは日本人民にとっては明らかであったので彼等は支持を失いました。あの時点での武装革命路線など誤りだという事は多くの日本人民にとっては自明の事だったのです。不可能であった事を元に仮定をしても意味がありませんが、もし、日本人民の多くが連合赤軍の呼び掛けに応え、武装蜂起して革命が成立していたとしたら日本版恐怖政治が現出していた可能性大です。
最高権力者が形而上学に陥ったらむごたらし事が山の様に発生するのは必死です。
毛沢東も形而上学に陥り、多くの人々を殺しました。
金正日がそうである事は言うまでも無いでしょう。

W> 「純粋なる革命戦士」はセックスなどという世俗的な欲望を求めてはいけないという事です。

J 権力闘争によって人民を解放する、しかし解放された人民は彼らが仮に支配した社会では上記文章にある世俗的な欲望を拒否されてしまうことになりますが。


W 人民のセックスはいくらなんでも彼等も許したでしょう。
  そうしなければ日本人の子孫がいなくなるからです。
  問題は「革命戦士にはセックスや子供を作る権利が無い。」という考え方なのです。

J もし彼らが本当に考えていたならばですが、ワヤクチャさんがペンを走らせすぎたのだったら別ですが、でなかったら宗教が主体となった以上の社会を作ろうと彼らが考えていたことになりますから。最初からそのようなものであったら社会が受け入れるわけが無いということになります。

W いえ、実際に彼等が人民から孤立したのは、形而上学に陥ったからだと私は考えます。孤立化と虐殺事件は形而上学の必然なのです。

W>> つまり、現実に存在する人間で何かを行うのでは無く、
現実には存在しないイデアとしての「純粋なる革命戦士」という基準から判断して
現実の人間を裁定するという誤りを犯したと考えているのです。

J ワヤクチャさんが代弁するとおかしくなりますが。私たちが考えていたのは彼らは追い込まれてしまった結果、異常な妄想の世界を作り出してしまった。

W 追い込まれた原因も形而上学であり、事件も形而上学の結果だと考えております。

J            この当時のことは私たちは新聞・テレビでの知識しかありませんから正確には判断できませんが。

W 私も自分の意見を述べているだけであり、これが正確な判断であるかどうかは分かりません。

W> 実際に存在するのは生身の人間であり、イデアとしての「純粋なる革命戦士」などというものはどこにも存在しないという事が分からないという誤謬であったという事です。

J 彼らが彼らの世界で考えるだけでしたら、我々には何の危害も無いのですが、革命戦士という以上、我々大衆を解放するという使命があったというわけです、彼らが考えていた人間社会はこうあるべきだということは即われわれに降りかかるわけですから、最初から「純粋なる革命戦士」などというイデアはなかったと考えたいです。

J 最初からは無かったのかも知れませんが、あの事件を起こした時点では明確に存在した概念とあると思います。それでなければ「総括」という名の下に殺人を犯すとは思えません。

W> イデアから判断して「この人間は価値が無い。」「革命戦士では無い、裏切り者だから殺してしまえ。」となったと思います。

J 革命戦士はこうあるべきだというイデアが最初からあり、最終的には殺人を犯し、また殺人を正当化するイデア 、このようなイデアを彼らが最初から持っていたとは考えたくないし、ワヤクチャさんが書いた文章を加害者であり被害者である親御さんが呼んだとしたら怒り心頭に発するのではないですか。

W 最初からあったとは私も思いません。
  長年の闘争生活の過程でできていったイデアでしょう。
  加害者や被害者の親御さんには申し訳ありませんが、あのような事件は私にとっては抜き差しならない問題を提起している事件であり、何が彼等にあのような行動を取らせたのかにつきましては考えざるを得ません。その事は申し訳ありませんが是非ご勘弁いただきたいと思います。

W> 革命家は現実を知らねばならず、自分の頭の中だけにあるイデアから現実を見るという思考法では必ず失敗するという事を私は連合赤軍事件から教訓化しました。

J 言葉では言っていますが、ワヤクチャさんは現実を知っていない、

W そうですか?
  例えばどのような現実を私は知らないのでしょうか?

J 自分の頭の中にあるイデアで物事を判断している。

W そんな事はありません。
  そのようにおっしゃる理由を示して下さい。

J 少なくともワヤクチャさんが革命家であったとしたら連合赤軍事件をまだ教訓化していないと感じますが。

W 貴方は彼等の問題はイデアに囚われた事だとおっしゃるのでしょうか?
  それこそ私が貴方に言いたかった事であるし、私が彼等から教訓化した事なのですが。貴方がまだ私が教訓化していないとおっしゃる根拠をお示し下さい。

W> 「革命家が武装蜂起をすれば大衆がそれに感動して武装蜂起するだろう。」というような革命論では失敗するという事です。

J その当時一般民衆は彼らを革命家としてみていたのかという問題にもなります、

W 恐らく多くの人々にとっては何をやっているのか理解できなかったでしょう。
  ですから、まして、革命家などとは思ってもいなかったという事ですよ。
  彼等は自らを革命家だと思っていただけです。主観的にはそうだったのです。

J 少なくとも革命家としては見ていません。

W でしょうね。

J だから小さな部分で蜂起をしたとしても、感動して付いていくなどということは現状を理解していなかった彼らの観念論でしかなかった。

W その通りです。

J ここに彼らの大きな問題がありただ単に権力闘争では民衆は立ち上がりませんとしかいいようがありません。

W 彼等のような合意なき勝手な闘争に人民はついていきはしないという事です。

J ワヤクチャさんも権力闘争云々だとしたら民衆から乖離してしまいます。

W 私は合意形成をしながらの対抗的権力形成を主張しているのです。
  貴方には権力形成は勝手な一方的な命令主体の形成としか思えないらしいですが、私はそのような必ず失敗する権力を作ろうとは思いません。

J 私も民衆の一人として無理だと判断するわけですから。

W 貴方には私が主張する権力の内容をもっとご理解いただきたいです。
  現在の資本主義権力に対抗する為の民衆による合意的権力のイメージを貴方が持つ事は無理なのでしょうか?

W> 念の為に私は暴力革命論は否定しております。
対抗的権力の樹立として革命を遂行したいと思っております。
弾圧を受けにくい形態での革命です。

J どのような革命ですか、

W そのイメージについては別途述べていきたいと思います。

J 私自身も縄文ビトとしてのやり方、上野のホームレスの方たち五十人ほどに日当を払い『労働の売り買いのない社会を創ろう』『他社の労働の私有化を禁止させよう』『人が人を使って利潤を得ても良いという権利、人はそれを誰に貰ったのか?』等のプラカードを持ってデモをさせようと考えているわけですから。

W 金の力でデモをさせるのですか?
  それこそ、「デモという労働を金で買った。」という事になりませんか?
  貴方はホームレスの方達が自分には理解できない内容のプラカードを金の力で持たされてデモをさせられる屈辱が分かりませんか?
貴方がホームレスをバカにしている事は確実ですね。
そんな人に世の中を変える力などあるハズがありません。
頼みますから、ホームレスの方達にそのようなバカにしたような依頼をするのはやめて下さい。
怒って殴られるのがオチですよ。
それが現実です。

> この間上野公園に行って宗教家による炊き出しの集会を写真にとって来ました、

貴方、そんな写真を取るよりその炊き出しの活動に参加した方がよっぽどホームレスの方達から喜ばれますよ。
その写真はどうするおつもりで?

>毎週土曜日開くそうです、三百人以上の人が集まっていました。

でしょうな。
炊き出しの会にカンパしようと私なら思いますが、貴方は金で屈辱的デモをさせるのですか?悪い事は言いません。やめた方がいいですよ。って言ったらよけい意地になるのですかね?貴方は。私は貴方の身が危険だと思って親切心で申し上げているのですが。
こんな親切心も余計な事なら、どうぞホームレスの人にボコボコに殴られて下さい。
それでやっと貴方はホームレスの人の気持ちが分かるかも知れません。

W> あの時期にあった暴力革命論はスパイによる挑発的扇動であったと総括しております。
一網打尽にする為の扇動です。
大菩薩峠での逮捕などがそれにあたります。

J その当時ワヤクチャさんはどのような役割をしていたのか知りたいです。

W 冒頭申し上げましたように、私はあの後の世代です。
  後から総括しているのです。
  せざるを得ないからです。

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