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秘書官が国政を支配するこの狂気
http://www.asyura2.com/0505/dispute21/msg/610.html
投稿者 安倍純一郎 日時 2005 年 8 月 12 日 11:12:18: coIcGE6iwpVjo
 

国政を選挙で選ばれたわけでもない秘書官が支配しているこの国は、タリバンや北朝鮮よりも酷い政治が支配しているというべきだ。
以下は日経ウォッチャーからの転載である。

<引用開始>

ー「小泉純一郎」演出家ー
「飯島勲 首相政務秘書官」

「オレハニテモヤイテモクエネエオトコヨ」

昨年7月8日朝、フジテレビの番組「報道2001」。
司会者の「どうぞ!」という興奮した呼びかけとともに、そのゲストは右手のこぶしで「抵抗勢力」と大書された紙を突き破って、スタジオに姿を現した。
この間、格闘技のBGMよろしく、ロックバンド「クイーン」の曲が流された。
招かれたのは、第87代日本国総理大臣、小泉純一郎その人であった。
最高権力者に上りつめたというのに、こんな悪乗りのパフォーマンスを演じることへの臆面など、小泉にはさらさらなかった。
http://www.sentaku.co.jp/sentaku/bn/culture/2001.html


このド派手な首相登場を演出したのが、小泉首相政務秘書官「飯島勲」氏である。
ダイヤをちりばめたロレックスを腕に巻き、黒光りする高級車のキャデラック・セビルを乗り回す。
脂ぎった浅黒い顔。迫力あるダミ声。身長167cm,体重約100キロのアクの強さを発散する風体で、ゴールデンバットをふかしながら、「おれは煮ても焼いても食えない男よ」と自嘲してみせる「飯島勲」氏とは、いったい何者なのか?

<飯島勲のプロフィル>

1945年10月13日、長野県辰野町生まれ。56歳。O型。
4人姉弟の長男として、病身の母姉弟を抱えた貧しい生活環境に育つ。
中学卒業後上京して、東京電機大学付属高校夜間部に入学、同大学の短大電気科へ進む。
大学卒業後数年間、都内の法律特許事務所で職員として働く。
1972年、自民党関係者の紹介で、二度目の衆院選に挑戦、初当選した小泉純一郎現首相の秘書に転進した。
以来30年間、衆院選10期連続当選の小泉純一郎議員の政策担当秘書を務め、小泉議員入閣とともに厚生大臣秘書官、郵政大臣秘書官その後再び厚生大臣秘書官となる。
自民党秘書会副会長なども務め、永年秘書衆議院議長表彰を受けた。
家族は、夫人と次男。

趣味は「小泉純一郎」と言い、「おれは小泉に体張ってる」が口癖。
また「小泉とおれは、水と油の関係」とも言い、だから、ということだろう。「小泉とおれを合わせれば、世の中の全部をカバーできるんじゃねえかって、勝手に思ってるんです」ともしゃあしゃあと言ってのける。

飯島氏は昨年3月、講談社文庫から「代議士秘書:永田町、笑っちゃうけどホントの話」という本を出した。内容的には、1995年に光文社から刊行した「永田町の掟」というタイトルの単行本を、大幅加筆、再編集して文庫化したものである。

昨年7月には、旧知の官僚約130人が、出版記念のお祝いの会を催した。「政界内外の事情に精通した人脈の広さは、議員秘書で1,2を争う」(森派幹部)と評される。
http://www.yomiuri.co.jp/hito/20010807.htm

「人脈は広い。官僚は言うに及ばず、マスコミや警察などにまで太いパイプを持っている。
この幅広い人脈を介して飯島氏のところにはいろんな情報が集まってくるので、さらにいろんな人物たちが寄ってくる」と森派のある代議士秘書は言う。
「特に飯島氏のマスコミ人脈は際立っている。それを何よりも如実に証明したのが、たかが一介の秘書が書いた永田町の内幕ものの文庫本について、挙って全国紙がPRまがいの記事を書いたことだ」とも言う。
このことだけでも、飯島氏がいかに各紙の政治部記者に影響力を持っているかがわかるが、加えて飯島氏がマスコミに強いのは、政治家のスキャンダルを売り物にしている週刊誌記者とのコネクションがあることだ。
「若い編集者やフリーライターまで彼のもとに出入りしていて、政治家や官僚にとって致命傷になりかねない醜聞をいち早く入手できるパイプを持っているのが強みだ」と、その秘書は言う。
http://www.mail-journal.com/20010509.htm

ということで、飯島氏は、永田町の「情報交差点」とも言われるそうだ。

<飯島勲の「小泉売り込み」メディア戦略>

世論調査における小泉内閣の支持率は、発足直後の昨年4月30日の日経新聞に80%と発表された後もなお、昨年11月の時点で依然78%を記録していた。就任直後とほとんど変わらず、7カ月間もこんな高原状態が持続するのは、異例なことであった。
昨年11月20日、飯島勲首相政務秘書官は東京都内の共同通信社で、全国の地方紙36社の論説委員を前に講演し、高支持率の続く小泉内閣の裏事情について、次のように語った。

「こんなところで話すのは初めてなので、・・・」と彼は話し始めた。
講演は淡々と進んだが、押すでもなく引くでもなく、しかし後でメモを読み返すと、驚くほど大胆な発言が並んでいた。
「マンガ本、スポーツ紙、婦人雑誌の取材に、最優先で応じてきた。
国民の70%は、政治面の記事をあまり読まない。そこにどう語りかけるか。
小泉が自民党総裁選に初出馬した1995年秋から、長期的に考え、新聞以外の取材に積極的に応じてきた。
茶髪の若者たちら、政治にほど遠かった国民が、今の小泉を支えている。」


飯島氏の「小泉純一郎」演出のメディア戦略は、すでに1995年秋から始まっていたらしいが、昨年4月26日小泉内閣発足とともに、飯島氏も首相政務秘書官として官邸に乗り込んできた。
そして、官邸スタッフの布陣から対メディア対応まで、一手に改造に乗り出した。

まず週刊誌、月刊誌の編集者・記者7人を官邸に招き、小泉首相との昼食懇談会をセット、つぎはスポーツ新聞3社を内閣記者会に加盟させた。閉鎖的記者クラブの象徴ともいえる「内閣記者会」に、事前通告なしに雑誌編集者・記者を招待、さらに何とスポーツ紙記者が加盟したのだから、エスタブリッシュメント記者は仰天したに違いない。
http://www.insideline.co.jp/column/co_010630.html
この結果、小泉首相は、連日スポーツ紙を賑わす初の政治家となった。


また就任以来、小泉首相は、いわゆる「ぶら下がり取材」を容認してきた。
ただ、一見「前向きな報道対応」を見せつけているが、その実、深く食い込んでくる担当記者を巧妙に避けてきている。
従って、官邸クラブを代表とする首相発言の報道内容は、言われっぱなしの薄っぺらなものにしかなり得ない。
http://www.mail-journal.com/20010822.htm


イチローから予算までコメント、どんどん出ますテレビ画面・・・というわけで、小泉さんがよくマイクを差し出されて、立ったまま官邸などでテレビインタビューに応えている姿、見たことありますよね。
あれ、「ぶら下がり」ってマスコミ業界では言いますが、小泉さんが首相になって、歴代の首相より、この「ぶら下がり」が格段に増えました。
それまでも、記者と首相のやりとりは一日に何回もやっていたけれど、小泉さんの特徴はテレビに出まくること。
毎日のように、「テレビぶら下がり」をやっています。
ワイドショーに女性誌、政治に遠い層がターゲット。これぞ小泉流メディア戦略。
新聞よりテレビの方が人の目に触れる機会が多いし、印象も強く残りますよね。
できるだけ国民の前に露出しようという狙いなのです。
テレビや一般紙だけでなく、スポーツ紙や女性誌はじめあまり政治を取り上げなかった雑誌にもどんどん出よう、というアグレッシブな姿勢も小泉さんの特徴。
首相官邸での記者会見というのは、以前はスポーツ紙は出られなかったけど、小泉さんになってからは出ることがあります。
とにかく国民の目に触れなきゃ。しかもお硬いメディアだけでなく、それまで政治とは多少遠かったワイドショーや雑誌にも出ちゃえ、というわけ。その方が、より広い支持を取りつけられる、という目論みです。
(Cafeglobe.com/news/politics/po20020111.html)


首相官邸の記者クラブ「内閣記者会」には、過当競争を防ぐ目的で、マスコミ各社が首相の単独取材をしないという不文律がある。
飯島秘書官は昨年6月下旬、この不文律の一時解除を内閣記者会に申し入れてきた。
「参院選に向け、自民党総裁として小泉が、報道各社の個別インタビューに応じたい」との理由だった。
内閣記者会は、「各社の扱いが不平等にならないように」との条件をつけて、飯島秘書官の申し出を了承した。
ところが「公平に」というクラブ側の要望は、まもなく事実上反故になる。
小泉首相はテレビへの個別出演には大いに時間を割いたが、新聞社や通信社など活字メディアに対しては、通りいっぺんの共同インタビューしか応じなかった。
飯島秘書官の狙いが、「小泉を自由にテレビ出演させること」にあったのは、明らかだ。


参院選公示の前日、昨年7月11日に日本テレビが放送した「コイズミVS.百人の女性」は、まさに政界アイドルとしての小泉首相を、一般女性との対話でフレームアップ(虚像をつくる意)する意図に満ちていた。
小泉首相の着ている背広やネクタイのブランド名を紹介したり、「自民党幹部と女性はどちらが付き合いやすいか」という質問が飛び出したりと、実態は芸能人とのトークショーだった。

共産党を除く野党3党は、「選挙の公正を害する」と噛み付き、公選法違反の疑いがあるとして日テレに公開質問状を出した。日テレ側は、「リーダーとしての小泉首相の政策や資質を問う上で、メディアとしての役割を果たした。特定の政党を利する余地はまったくなかった」ともっともらしい回答を寄こしたが、番組内容はとてもそのようなシロモノではなかった。
http://www.sentaku.co.jp/sentaku/bn/culture/2001.html


また、小泉首相が「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」という名文句を吐いた昨年5月27日の大相撲夏場所千秋楽で、飯島氏は、知り合いのスポーツ紙記者を国技館の応接室に招き、小泉首相が優勝杯を持ち上げる練習風景を撮影させていた。
http://www.sentaku.co.jp/sentaku/bn/culture/2001.html


ーーマスコミとの関係で、これまで一番気を遣ったのはどんなことでしたか?
飯島氏:ハンセン病訴訟のぶら下がり(政府の「控訴断念」方針を、小泉首相が記者団に語ったとき)だな。
あの時は党三役を突然官邸に呼び込んだんだけども、総理がマスコミの前に出るまで、執務室から誰も出ないように頼んだんです。メディアへの発信が分散するでしょ。総理が公表し、細かいことは官房長官、そのシナリオが狂うから。
ーーそれは、劇的な効果を狙ったんですか?
飯島氏:決断したのは総理ですからね。だから総理のメッセージのみマスコミに流れて、そこに至る経緯や細かいことは、官房長官が記者会見で説明すればいいと考えたんです。
http://macs.mainichi.co.jp/space/0109/special.html


あまり例を見ない光景だった。熱っぽく支持を訴える小泉首相を一目見ようと集まった群衆のことではない。
「南国〜土佐を後にしぃて〜」。高知市での参院選応援で、首相が車の上からご当地ソングを一節歌ったのだ。
それだけで歓声が湧き上がり、幸せそうな顔が並んだ。
「なんたってア〜イド〜ル」。就任間もない5月にも、カメラに向かって小泉今日子のヒット曲を口ずさんで見せた。テレビカメラの前で、軽いのりで歌う権力者など、これまで聞いたことがない。
http://macs.mainichi.co.jp/space/0109/special.html


飯島首相政務秘書官のメディア戦略は、「ミーハー」のレッテルを厭わず、新聞などの硬派メディアではなく、テレビ、女性誌、スポーツ紙、夕刊紙、マンガ本などの大衆メディアを積極的に利用することである。
しかし、そのように大衆を誘導して獲得された小泉内閣の高支持率ではあっても、政治の世界においてはその本質部分で有効な劇的効果を発揮することを可能とさせる。


<飯島勲と「田中真紀子」>

昨年8月5日午前、放送されたテレビ朝日の報道番組「サンデープロジェクト」には驚いた。
突然、飯島秘書官の聞きなれたかすれ声がスピーカーから流れ出し、飯島氏は、田中真紀子外相との直談判の模様まで明かしたのである。
「外務大臣は興奮していた」
「総理の意向が通じなければ、どういうふうに着地するのか、ご理解いただけますね」
飯島氏は、小泉首相の人事方針に反した場合は、「外相罷免」という強い官邸の意志を外相に伝えたことを敢えて公表した。
首相に代わって田中外相との直談判、テレビ出演。
「永田町の常識」では考えられない型破りの秘書官の振る舞いの背景には、小泉首相との強い信頼関係があったことは言うまでもない。
http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/matsuri/0808.html


「何を考えているんですか!国の外交の明日がかかっているんです。省内一致の人事案を直ぐに出しなさい!」
飯島秘書官が待つ外務省大臣室にようやく現れた真紀子外相に、秘書官の大声が飛んだ。
小泉首相の指示を受け、本来はこの日午前中には出来上がっているはずの外相の人事案は、白紙のまま。
飯島秘書官は思わず声を荒げ、席を立った。
秘書官の腕を取り、「待ってください」と必死で止める外務省幹部。
ショックで言葉を失った田中外相の表情はこわばり、外務省関係者によると、一時パニックを起こしていたという。
「後で(言った言わないで)食い違いがあってはいけないから」との飯島氏の提案で、決定した人事案を真紀子外相に自筆で書かせた。
「大声を出したのはいけないと思っている。首相の秘書官が、外務大臣を説得するなんて、異常事態。二度とあってはならない」と振り返る。
http://www.suponichi.co.jp/society/kiji/2001/08/05/01.html

田中真紀子外相が飯島秘書官に恫喝されて自筆で書いた外務省幹部人事案には、新外務事務次官として首相官邸が強く推す、外務審議官「野上義二」の名前があった。


あの外務省人事の本質は、外務省機密費の官邸への上納問題にフタをすることであったにもかかわらず、マスメディアは小泉首相と田中外相との確執ばかりに力点を置いた報道をしてきた。
実のところ、これも官邸によるマスコミ操作が働いていたといった方がわかりやすい。
http://www.mail-journal.com/20010822.htm


真紀子VS.外務官僚の衝突は、外交機密費に関する資料を見せる、見せないで昨年5月下旬に最初のピークに達した。
真紀子は、外交機密費に関する暴露が「上納問題」として首相官邸を揺るがすことに考えが及ばず、ひたすら幹部の首切りの材料にしようとした。
外務事務次官の川島裕は、飯島首相政務秘書官に近づくのが早道だと考えた。
飯島秘書官も危機感を持っていた。
昨年6月1日秘書官は、川島次官に「機密費の資料を官邸に持ってきてほしい」と要請するとともに、小泉首相の日程を変更し、首相執務室で首相、外相、福田官房長官、川島次官の四者会談を急遽セットした。
小泉首相は、川島次官の持ち込んだ分厚い資料を形だけ数枚目を通し、「これで終わり。打ち止めだ」と宣言した。
真紀子に混乱を収拾させるための手打ちの儀式だった。
http://www.sentaku.co.jp/sentaku/bn/culture/2001.html


この外務省幹部人事問題に先立ち、小泉首相が異常に拘泥した終戦記念日の「靖国参拝」問題があった。
一国の首相が、国内においてすら反対意見がある終戦記念日の「靖国参拝」を、近隣諸国の右傾化懸念を押しのけてまで
「私的」にではあっても強行しようとすることに対し、中国側の意見でもあり一閣僚としての首相への個人的意見でもあった参拝中止への思いを小泉首相に伝えた田中外相の発言が、いたく気に障ったという小泉首相の心の問題があった。
なぜなら、この「靖国参拝」は、一国の総理大臣としての「資質」の問題にすら関わっていたからである。

田中外相は、外務省幹部人事問題収拾後の記者会見で、「靖国参拝」問題についても、「これ以上、首相には申し上げない」と矛を収めた。
こうして「外務省機密費」問題が本質である外務省幹部人事問題も、小泉首相の総理大臣としての「資質」問題が本質である「靖国参拝」問題も、マスメディアにおいてはすべて、単なる{真紀子VS.外務省」あるいは「真紀子VS.首相官邸」という単純化された図式で取り上げられるのみであった。
この背景には、内閣の高支持率を追い風に、厳然とマスコミ操作を行なう飯島勲首相政務秘書官のメディア戦略があった。

<出る「飯島勲」打たれる>

その活動ぶりに、「立ち居振る舞いが、秘書官の領分を越えている」などとする飯島氏への風当たりが、政府内でも徐々に強まってはいた。
しかし、この実力派の「黒衣(くろこ)」首相政務秘書官飯島勲氏に、鉄槌を下したのはやはり、自らの更迭という大きな犠牲を払った田中真紀子前外相であった。

2月12日の衆院予算委員会理事会で、民主党は、小泉首相の飯島勲首席秘書官について、「田中真紀子前外相の更迭に関しての公の場での発言が、小泉首相の国会答弁と違う」として参考人招致を求めた。
(2月13日日経新聞朝刊2面)

自民党の大島理森国会対策委員長は2月12日、小泉首相の飯島勲首席秘書官が雑誌上で、田中真紀子前外相が更迭された背景などを明らかにしたことについて、「秘書官が(マスコミなどを通じて)表に出る際のあり方がある」と述べたうえで、近く飯島氏に口頭注意する考えを表明した。
(2月13日日経新聞朝刊2面)

衆院予算委員会は2月20日午前、田中前外相を参考人として呼び、集中審議を行なった。
民主党野田佳彦氏の「野上前外務次官と外相就任当時の秘書官だった上村司・現南東アジアニ課長の二件の人事案件をどう感じていたか」との質問に対し、田中前外相は次のように答えた。
「(次期次官は)加藤(良三駐米大使)氏の線でずっと行ったが、昨年8月2日に官邸から突然呼ばれた。
官邸と外務次官は密接不可分にあるようで、飯島勲首相秘書官が局長が6,7人いる勉強会に入ってきて人事の話になった。
その日の夜に官房長官から呼ばれ、人事について恐ろしい経験をした。
外相は官邸にいるのかと思ったくらいだ。官邸が人事を覆すことを急いだ。」


長年首相側近として仕え、マスコミ対策を得意とする飯島秘書官も、今回ばかりは田中氏の激しい「口」撃に劣勢。
週刊誌などのインタビューで更迭の経緯を明らかにしたことが国会で批判されて謝罪を余儀なくされ、表向きは「謹慎中の身」(飯島氏)という。
http://www.kyodo.co.jp/kyodonews/2002/kotetsu


このあたりで、「小泉純一郎」演出家 飯島勲氏のメディア戦略について、どのような意見があるのか取り上げてみよう。

「改革なくして景気回復なし」という小泉首相の断定的口調に乗せられてしまった人たちが支持していて、しかも小泉首相が意図的にそのような人たちに訴えかけた、ということだと怖い気がします。

「小泉首相を支持しているのは、きっと狂信的な人たちなんだろうなあ」とは思っていましたが、なんと優先的にそういった人たちを作っていたとは知りませんでした。
まあ、政治に関心を向けるという意味では決して悪くはなかったんでしょうが、しかし「政治に興味のない人たち」を主とした高支持率を拠り所としているだけの政権を生んでしまったという点では、確かに怖い気がします。
気がついた時はもう遅い、ということになりませんからね。

あえて新聞論調(活字)にこだわらず、一般大衆の目線に重点をおいた政権取り戦略が功を奏し、高支持率につながっているわけだが、ポピュリズムの悪弊を指摘する声も弱まらないだろう。

昨年11月2日、”離縁”された小泉首相の前妻・佳代子さん(45)が、一人だけ手元に残された三男を伴って、小泉首相の母・芳江さんの葬儀に姿を現した。
佳代子さんにとっては”元”義母、三男の佳長くん(18)に至っては血のつながった祖母の葬儀である。
1982年、三男佳長くんを身篭ったまま離縁させられた佳代子さんは、その後、長男、次男との接触を一切禁じられていた。
実の子にすら会えない佳代子さんにとっては19年振りの対面、佳長くんにとっては、父親との初の対面となるはずだった。

しかし葬儀にきた二人を飯島秘書官が”迎撃”、なぜか参列者の流れに逆らうように、プラザヨコスカの事務所へと誘導されていった。
3人の兄弟の中でもっとも父親似と言われるのが、父親と一度も会ったことがないと言われる佳長くんだが、この日も親子対面の席は作られなかった。
「変人」はやはりヘンクツの人であり、冷血の人でもあった。
http://kodansha.cplaza.ne.jp/hot/politics/2001_04_25/article1.html


ひょっとして小泉首相の目は、「新聞の政治面を読む国民」「政治に関心のある国民」「政治を少しでも良くしていきたいと考えている国民」の方には、決して向いていないのではなかろうか?
小泉首相のメディア戦略が、なぜ「政治に関心のない7割の国民」をターゲットにしているかに関して、彼らは小泉首相がただ「改革」とだけお題目を唱えていれば、それで満足している。一方「政治に関心がある国民」には、直ぐにも小泉首相の「改革」には中味がないことに気づかれてしまうから、メディア戦略のターゲットにしてこなかったと考えるのは、「政治に関心があり過ぎて」ターゲットに入れていただけない私の僻みの為せる穿ち過ぎであろうか?
お題目のように「改革」という言葉を弄び、危ういメディア戦略に基づく高支持率のみを拠り所にした小泉首相には、どうしても「アジテーター」「ポピュリズム」「ファシズム」といった懸念を払拭しきれない国民は、私だけではあるまい。
自国の首相が、「冷血の人」でだけはあってほしくないと考える国民も、私だけではないことは確実だ。


首相政策秘書官「飯島勲」氏は、「小泉純一郎」演出の総合プロデューサーであると言われる。
私に言わせれば、飯島氏は、「小泉純一郎」売り込みの芸能プロデューサーではなかろうかと思う。
当然のことながら、「小泉純一郎」その人は、内閣総理大臣の資質というよりは、芸能人のそれに近いのではなかろうか?
(2002/03/03)


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