★阿修羅♪ > 不安と不健康10 > 158.html
 ★阿修羅♪
野口英世、偉業の真相、生まれる時代は選べない
http://www.asyura2.com/0505/health10/msg/158.html
投稿者 kokopon 日時 2005 年 6 月 02 日 10:50:45: uXlXC.2gGTbTg
 

(回答先: 癌・エイズ等難病を治すワクチンは存在していた!- 誘導消失療法(IRT) 投稿者 World Watcher 日時 2005 年 6 月 01 日 16:39:38)

事の真相 (項目7 野口英世偉業の真相)
http://homepage3.nifty.com/konacs6p/page007.html

野口英世偉業の真相
ヒデヨ・ノグチの業績というと「黄熱病の研究」である。「何々の研究」止まりでは、
よくてノーベル賞である。偉人伝に連なるには少し足りない。

成人前の野口については有名なので、24歳からの渡米後を簡単にたどると、ロックフェラー
財団の医学研究所で25年ほど花形研究員として活躍後、彼の発見した黄熱病の病原体の追
試のためアフリカに渡り、そこで黄熱病のため殉じたとされる。研究所では梅毒の血清診断法
などの研究を行い、人柄の魅力もあって米国でもいまだに人気がある。

しかし決定的な業績をあげることができなかった。野口は顕微鏡技術にたけ、それに頼むと
ころがあり、来る日も来る日も顕微鏡をのぞいた。学者というより、顕微鏡技師、顕微鏡職人と
いったほうが近い。

実は理科室にあるような光学顕微鏡の時代は終盤に来ていて、見つかるものはほとんど発
見し尽くした後に野口が出ていったのである。このあとは電子顕微鏡の登場を待たなくてはな
らなかったのだ。

野口はあせった。顕微鏡から離れなかった。細菌を発見したかった。たびたび帰国したが、
帝大を頂点とする医学界は世界的名声を遠ざけた。失意のうちにアメリカに戻り、ふたたび顕
微鏡に向かった。発見を願ってやまない細菌は、眼前のプレパラートにうようよいたのである
が光学顕微鏡では捉えられない大きさであった。

南米の医師が黄熱病病原体のスピロヘータを見つけたと思い、それをもとに野口は黄熱病
スピロヘータ説を発表した。スピロヘータは光学顕微鏡で捉えることのできる最小の生物であ
る。ところがこのころになると、ウイルスの存在が予測されていたので、続々と反論があがっ
た。野口は最後のかけにアフリカに渡り、500匹以上のサルと巨額の研究費を投入したが敗
れた。

ロックフェラー財団は東洋人を表に立てることで博愛を演出した。野口は梅毒、黄熱病など
米国の意にかなうようなテーマを自然選び続けた。もう少し早く生まれるか遅く生まれるかで、
山のような発見をしたはずである。

野口の苦難と苦悩を想うと、澱のような野心や功名心を差し引いてもやはり偉人である。最
後は絶望の末の自殺(ハラキリ)だったという。


 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > 不安と不健康10掲示板



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。