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諦観を捨ててコミットすること その場所としてのインターネット
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投稿者 FakeTerrorWatcher 日時 2005 年 9 月 13 日 03:42:20: ctKRGOvG/DIEQ
 

(回答先: 日本語の本格的なネット情報誌がほとんど無い現状 投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 9 月 10 日 18:12:31)

 ご無沙汰しております。

 貴殿の日本におけるインターネット上のジャーナリズムの貧困さに関するご指摘、小生も全面的に同感です。以下、まとまりがありませんが常日頃感じている雑感を記してみます。

 一時、ライブドアとフジテレビとの騒動との際、堀江氏がオーマイニュースやブロッガーのホワイトハウス記者会見進出の話をひいて「インターネット上のジャーナリズムの可能性」について話を始めたことがありました。それを聞いて思わず、おおっと身を乗り出したのですが、人気がすべてを淘汰するという、経済の「神の見えざる手」式の新自由主義的発想を持ち出したあたりで、どてっとしてしまったのを覚えています。情報の価値は、視聴者が決めるという考えです。

 これはちょっとした議論になりました。

 そのあたりに関しては、堀江氏へのインタビューも含めて、識者のトークも見ることが出来るビデオニュースが参考になるかと思います。

以下の207回、208回、211回
http://www.videonews.com/marugeki/marugekirecent1.html

 上のどこかで、ビデオニュースを立ち上げた神保氏は、堀江氏のジャーナリズム感には多分に幼稚さがあって、めちゃくちゃだが、インターネットにおけるジャーナリズムの可能性というものは確かにある、というようなことを述べていたと思いますが小生もそれには同感です。

 堀江氏の発言は多分、誰かの受け売りでそこに浅薄な知識と考察が合わさり、商売気のスパイスがふりかけられて出来たものなのでしょう。しかし、その時、対抗として登場したオールドファッションなジャーナリズムに乗っている論陣の反応にも違和感を覚えたものでした。わかっちゃおらん、そんなのは違う、それはそうなのですがしかし「選民意識」たっぷりです。あたかも記者クラブを廃止するという話で抵抗したメディアの姿を思い出させてくれたものだったのです。

 小生は毎日毎日、それこそ腐るほどBLOGというものを見ているのですが、日本のBLOGの発達の仕方も独特だと思っています。昼飯をどこで食べた、何のCDを買った。そんなしょうもないことばかり書いているBLOGばかり。少しずつ状況は変わりつつあるようですが、諸外国に比べるとまだまだだと思います。それは日本人の政治意識の反映かもしれませんが、インターネットというものをまだまだ使いこなせていないということでもあると思っています。

 本来、掲示板は権力に対するカウンターとして機能しうる非常に威力のある言論表現の場所だと思うのですが、それもまだ理解されているとも思えません。

 庶民サイド、草の根の声としてのインターネットの効力はまだ十分活用されていないのですね。

 政府の裏部隊が2chに書き込みをしているとの話が今はなき『噂の真相』に書かれたことがありますが、それはまんざら嘘ではないとも思います。人々がその威力を知る前に、それを脅威ととった側が、いち早くコントロールの手段にしようとすることは十分やりかねないと考えています。

 こうした本来機能を発揮するどころか発達の遅れを起こしている点に関しては、小生は、権力やそれに依存している、それこそメディアなどの抵抗勢力の存在だけではなく、歴史的、文化的な背景もあるのではないかと考えています。

 歴史的に、日本は民主主義を権力と抗争することで勝ち得てはいません。権力に対する、甘い考えがあるように思います。維新と言っても、庶民の勝利ではありません。戦後の民主主義も同様です。

 日本の民主主義は小学生レベル。そんなことをマッカーサーか誰かが言ったと思いますが、その時代からだいぶ時代が過ぎても、大して状況が変わっていないのが日本かもしれません。

 日本人は、驚くほど幼稚で、大勢にしたがう。

 アメリカの「日本ハンドローラー」の秀逸な分析です。日本人には大勢にしたがうという性質もあります。

 そもそも日本語は「私は思う」から始まる言語ではありません。同一民族で生きるだけに、生きるために、あらゆる点で異なる人間とコミュニケーションする必要はありません。言葉に論理性が欠けていても、まるで問題なく、あいまいにぼかすことですまされる社会でもあります。私はどう思うと主張を訴えることは、野暮なこととされる伝統がありました。諦観しか生まない、諸行無常を詠い、くそにもならない春がどうのというようなその表現方法で雅を競い合うという、独特の伝統に生きてきました。

 近代文学にも言えることかもしれませんが、オルタネイティブメディアとしてのインターネットの貧困は、そうしたことが関係するのかもしれません。ノーベル賞を拒絶したサルトルはコミットを訴えましたが、皮肉なことにサルトルの文学賞のおこぼれをあずかったのは川端康成でした。

 仮に日本人が突然英語が得意になったとしたら、日本人は、今の日本のいわゆるメインストリームメディアの貧困さと、伝えられていない情報の多さにきっと驚くに違いありません。

 もしかしたら、そうでいてもらうことが、「植民地」としての、あるいは「宗主国」の政策だったのかもしれませんが・・・

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