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われわれ個人はインターネットという情報発信手段を手にした。メディア企業は情報発信手段を独占できなくなった。
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投稿者 TORA 日時 2005 年 10 月 20 日 11:04:04: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu105.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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われわれ個人はインターネットという情報発信手段を手に
した。メディア企業は情報発信手段を独占できなくなった。

2005年10月20日

◆移り変わるジャーナリズムの定義 10月12日 ネットは新聞を殺すのかblog
http://kusanone.exblog.jp/

新しいジャーナリズムの形について議論する前に、もう1つやっておきたいことがある。過去のジャーナリズムの定義の再確認だ。
 ジャーナリズムは、いつ始まったんだろう。「マスメディアの周縁、ジャーナリズムの核心」(林香里著、新曜社)によると、ジャーナリズムの起源について近代に始まった公衆の言論活動が出発点だという見解が有力だという。ただ時期は同じものの、出発点の形が異なる学説が2つあるようだ。1つは17世紀の半ばのビューリタン革命の中での政治運動を目的としたパンフレットなどの媒体上の言論活動がジャーナリズムの原型であるとする説。もう1つは「ジャーナル(日誌)」が語源であることから、市民が日々記していた日常の記録が出発点であるという説だ。
 どちらにせよ、現在のジャーナリズムの定義とは大きく異なるような気がする。現在のジャーナリズムの定義はどのようなものなのだろう。
 全国紙の記者が運営しているとみられるブログ「J考現学」では「力でねじ伏せようとする権力に対して、公明公正な議論で対抗すること」という定義を使っていた。同じく全国紙記者のブログ「ブログ時評」は、「今言うべきことを言うこと」という定義を使っていた。どちらもなかなかすばらしい定義だが、より一般的な定義とは少し異なるかもしれない。
 国語辞典は次のように定義している。「新聞・雑誌・テレビ・ラジオなど時事的な問題の報道・解説を行う組織や人の総体。また、それを通じて行われる活動」。
 この定義だと、ジャーナリズムを実践できるのは報道機関に所属している記者だけのような印象を受ける。報道機関の記者と同等の仕事をするフリーの立場の人間の仕事も例外としてこの定義に含めてもいいのかもしれない。
 恐らくこの辺りが、一般の人々が抱くジャーナリズムの定義なのではなかろうか。
 わたしのブログ「ネットは新聞を殺すのかblog」上では定義がさらに異なっている。わたしのブログ上では、市民参加型ジャーナリズムの可能性を議論しているので、読者との議論の中でもジャーナリズムの定義は当然もう少し拡大されて、アマチュアまでも含んだものとして認識されていると思う。すなわち、報道機関に所属するジャーナリストやフリーのジャーナリストと同等の仕事をするアマチュアもジャーナリストであるし、そうしたアマチュアジャーナリストが実践するものもジャーナリズムの1つである、という定義をみんなで共有して議論している。
 それでも次のようなコメントが寄せられることがある。「足で情報を取ってこなければジャーナリズムではない」「新聞記事を論評する程度のことはジャーナリズムではない」などなどなどだ。別の言い方に変えれば、ジャーナリストは人の取ってきた情報についてああだこうだ言うのではなく、自分の足で人に直接会って情報をとってくるべきだ、ということになると思う。
 つまり、職業的にはフリーだけでなくアマチュアまで含めてもいいが、自分で取材しなければジャーナリズムではないという考え方だ。
 ただそう考える人は少数派で、多くの人は「プロのジャーナリストの中にもあまり取材せずに評論を活動の中心にしている人もいるので、評論だけのブログもジャーナリズムと認めてもいいのではないか」と認識しているように思う。
 つまりわたしのブログ周辺での議論の中の定義は、一般的なジャーナリズムの定義より少しは拡大された辺りをうろうろしているのだと思う。
 考えてみれば、これはかなり画期的なことではなかろか。ジャーナリズムの定義が今また変わろうとしているのだ。
 20世紀は、メディア企業が情報発信手段を独占し、その結果ジャーナリズムさえも独占した。ところが21世紀になり、われわれ個人はインターネットという情報発信手段を手にした。メディア企業は情報発信手段を独占できなくなったのだ。
 国内には約2万人の新聞記者がいるといわれる。その100倍ほどの人間がブログで情報を発信し始めた。その1000倍以上の人間がカメラのついた携帯電話を持って日本中を歩き回っている。
 人々はたまたま遭遇した事件、事故の現場で写真を取り、それをネット上に掲載し始めた。またブログを使ってその事件、事故について論評し始めた。
 21世紀に入ってまだ数年。まだまだ既存メディア企業が果たす役割は大きい。しかしネットというツールを獲得した一般市民は、プロのジャーナリズムの領域を徐々に浸食していくことだろう。それに併せてメディア企業も自分たちのジャーナリズムのあり方を少しずつ変えていくことになると思う。
 今のところは、プロのジャーナリストの領域は残るような気がする。しかしそれとて確信ではない。今から100年後のジャーナリズムの形を正確に言い当てることなど不可能ではないだろうか。
 形を予想できないのなら、定義付けすること自体、無意味である。ただ議論を進めるための便宜上の定義は必要だろう。便宜上の定義は、今のような狭い定義では役に立たない。より広い定義でなければならない。そこで次のように定義しておいて話を前に進めたい。「21世紀のジャーナリズムとは社会をよくしよう、真実をつかもうとする言論活動のことである」と。21世紀のジャーナリズムの定義は、17世紀のそれに戻ろうとしているのかもしれない。

◆ネットが報道に影響を与える日は近い 7月7日 藤代 裕之@ガ島通信 
http://weblogs.nikkeibp.jp/gato/2005/07/last.html

(前略)
これまでは、このような「なんとなく書いた記事」でも、取材や原稿の稚拙さがバレることはありませんでした。しかしながら、最近官公庁や企業では、報道陣に発表した資料についてホームページで公表する動きが広がっています。報道で意図を間違って伝えられた場合、「本意」をホームページに掲載して、顧客に説明する企業もあります。

今回の騒動も、総務省のホームページに掲載された報告書を見たブロガーが、記事の問題点を指摘したり、ブログのトラックバック機能を使って報告書を読むように呼びかけたりして、リテラシーを発揮しました。

発表ジャーナリズムに浸りきり、あいまいな原稿を書いている記者は、丸裸にされようとしています。そして、そのぬるま湯構造を温存させている原因のひとつに、記者クラブ制度があります。

記者クラブは、既存マスメディアの構造問題の代表的な存在として、批判され続けています。「ガ島通信」にも下記のようなコメントがありました。

『地方の町づくりに関わる者です。私たちの活動を紹介してほしいと思い、記者クラブを何度か訪ねたことがあります。それはクラブに棲む人たちの独特な空気を味わった体験でした。総じて、行政にも被取材者に対しても、横柄な態度が目につきました、あれは一体何ですかね? クラブで昼寝三昧、「それで? 何がしたいの? それでニュースバリューがあると思うの?」とか…。ヤクザというか、バンカラというか…。自分たちは一般人とはちがう特殊な階級だというのかな? 市民の視点などとても期待できないし、予定調和で「こうあるべき」的なもっともらしい記事書けば、高給待遇の極楽トンボですよ、あれは。汗も涙も流して、地方で町づくりや福祉ボランティアに励んでいる人たちこそが市民メディアの担い手として、価値ある情報を発信できる時代になってほしい!』

一度でも記者クラブに足を踏み入れた人であれば、指摘のような独特の空気を感じることができるかもしれませんが、多くの人は、記者クラブがどこにあるかも知らないのではないでしょうか。記者クラブは主な官庁、行政機関にはほとんど設けられています。地方都市であれば、県庁や市役所にあり、各社ごとに仕切られたブースに机と椅子、それにソファーが設置されているのが平均的です。担当の事務員が配置されているケースもあります。

私の記者クラブ所属経験は、司法・警察担当の3年間です。支局や地方部時代は、必要がある場合のみ、市役所や県庁の会見などに同席するというかかわり方でしたが、コメント欄での指摘の通り、ソファーで昼寝していましたし、職員にコーヒーを入れてもらっていました。市民団体から情報提供を受けても、クラブ員同士で相談して「なにやら面倒そうだし、ニュースバリューがないので、なかったことにする」ということもありました。今思えば、大変恥ずかしいことです。

光熱水費、人件費などが、わずかに支払うクラブ費でまかなえるわけがありません。私は途中から、記者クラブのコピー用紙の購入などでできる範囲の提案をしていましたが、「我々マスコミは市民の知る権利を代行している。だから税金でサービスを受けるのは当然だ」と平気で言ってのける記者もいて、なかなか話し合いは進みませんでした。全国紙の記者のなかには、「負担が増えるのは困る」とはっきり言う人もいました。全国の記者クラブで受けているサービスをマスコミ側が負担すると、経費が莫大に増えるからです。

逆に、支局へ行けば、田舎の役場にクラブなどあるわけがありません。役場でもこまめに各課をまわったり、議会の委員会などを傍聴したり、議員や市民団体など関係者から話を聞いたりして、丹念な取材を行わなければ記事は書けません。記者クラブでいれば、発表文の投げ込みが、次々と行われ、中には広報文章をそのまま記事として転記できるような「レベルの高い」(記者にとって都合がいいという意味)ものもあります。横書きを縦書きに直すだけで、記事ができる環境にいると、だんだんと腰が重くなってきます。それは、取材がおろそかになっているということなのだと気付かされました。

空港拡張に伴う漁業補償交渉を取材したときのことです。漁協に張り付き、「つまみ出され」ながらではありましたが、不透明といわれる漁業補償の一端を伝えました(今から振り返れば、不十分な取材でしたが…)。新聞に交渉過程が載り始めると、交渉を担当している県の部局に、テレビ局と全国紙の記者が「おかしい」、「なぜ我々に教えないのか」と文句を言ってきました。また、大きな事件が起きたときに、所轄の警察署に到着するや否や「記者クラブはないのか? ないなら作ってくれ」と注文したテレビ局の記者も見ました。

情報は「とってくる」ものであり、与えられるものではありません。しかし、今の既存メディアの記者たちの多くが、記者クラブ制度に甘え、自分たちで汗を流して情報を取ってくることを忘れてしまっています(警察などの裏金問題や不祥事報道でコツコツと取材を積み上げている記者は別です)。記者クラブ制度は、マスコミ内部の問題なのです。

(後略)


(私のコメント)
最近のマスコミの質の低下は何度も指摘してきましたが、新聞記事の質の低下も記者クラブ制度が新聞記者たちを堕落させているのだろう。テレビの報道番組なども同じであり、第四の権力として世論形成に独裁的な権力と影響力を保持してきた。ところが最近は必ずしもそうではなくなり始めたようだ。ネットが登場してきて独善的なマスコミ報道に対して批判を始めるようになったからだ。

だから世論を知るためには新聞社の社説を読むよりも、ホームページやブログなどを見て世論を判断することが主流になってきているのだろう。なぜならば新聞社の社説よりも個人のホームページやブログのほうが主義主張がはっきりしているし、報道機関に求められる公平性などを配慮する必要が無いからだ。

特に新聞社などの記事は多くが通信社任せの記事が大半を占めていて、独自の記事が少なく、記者クラブで配信されたものは同じような記事にならざるを得ない。テレビ局の報道もそれらの新聞記事に元にしたものが多いから見るに値しない。事件ものなどはテレビの取材班が取材したものがありますが、戦争や外交などは命がけの取材は出来なくなって通信社の配信する映像ばかりで独自性は無い。

そうなるとプロの新聞記者たちの分析力と、素人のブロガーたちの分析力の勝負になりますが、平均的にはプロの新聞記者のほうが分析力は上回っているのですが、個別的にはプロの新聞記者を上回るブロガーも多くなってきた。この原因としてはブロガーたちは自由に記事が書けるのに対して、プロの記者たちは編集局のチェックが入って思い切った記事は自粛されて発表されないことが多い。

だから読者たちは大きな問題や事件が起きたときなど、テレビや新聞などよりも定評のあるブログにアクセスが殺到するようになって来た。私の株式日記なども個人的なメモ代わりに始めたサイトですが、9・11の頃から性格も変わってきて時事ネタの解説記事が主体になってきた。それまではアクセスも100件から200件ほどでアクセスが増えると自由に書けなくなると思っていたのが、9・11以降はどのようにしたらメジャーになれるかを考えるようになってきた。

しかし個人でブログで毎日のように記事を発信するためには、それなりの才能も必要だしセンスの必要だし、時間的や経済的な余裕も必要で誰もが出来ることではない。ましてや政治、経済、外交などの分野は難しいし情報源も素人は限られるから、公開された情報から分析するしか方法は無い。それに対してプロの新聞やテレビは独自の情報源を持ち世界に特派員などを駐在させているから勝負にならないはずですが、分野を限ればブロガーのほうに軍配が上がることも増えてきた。

私の場合なども公開された記事を並べて分析する手法をとっていますが、単独の記事ではわからないことも、記事を並べてみると問題点が浮かびあがってくる。今日の記事にしても「ネットは新聞を殺すのか」のブログと「ガ島通信」の記事を並べて考えてみると、ジャーナリズムの問題と記者クラブの問題を通じて、プロの記者たちが以下に駄目になって素人のブログが台頭してきた理由もわかってくる。

現在においてはブログはほとんどの人が素人であり、プロの記者のブログは少ない。将来、ブログが経済的に成り立ってジャーナリズムの主流になることがあって、プロの記者がブログを始めるようになって記事を書き始めたら、素人のブロガーの主導権は奪われるだろう。素人のブログは半年か一年ぐらいで消えてゆくものが多くて、私も将来楽しみにしていたブログが消えていった。

やはりレベルの高い記事を毎日書いて行くには才能も必要だしセンスも必要だ。プロの記者の中には私のような記事の書き方に反発をする人も多いだろう。素人だから許される面もありますが、今はブログも試行錯誤の段階でありプロの記者には出来ない掟破りの方法も素人だから許されるのだろう。しかしこのような方法がブログの主流になることもありえるし、公開された記事を並べて独自の分析力を発揮していけば、このような方法も認められるだろう。

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