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ホロコースト裁判被告『週刊金曜日』代表・本多勝一の学歴詐称
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投稿者 木村愛二 日時 2005 年 7 月 06 日 11:21:46: CjMHiEP28ibKM
 

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『亜空間通信』1046号(2005/07/06)
【ホロコースト裁判被告『週刊金曜日』代表・学歴詐称に始まる元・朝日記者・本多勝一の正体暴露】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
 
 私は、『週刊金曜日』代表・を被告とする裁判の原告である。『週刊金曜日』は、拙著、『アウシュヴィッツの争点』に対して、猛攻撃を加えてきた。
 
 その際、本多勝一そのものの怪しさに関しても、多くの驚くべき情報を得たが、これも、その内の一つである。『Will』(2005年5月号)で、学生時代からの旧友、元・文藝春秋常務の堤堯が、かねてからの約束を果たし、「私と本多勝一」の関係について、ついに語り始めたのである。
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季刊『真相の深層』05秋7号掲載予定。
憎まれ愚痴・木村愛二の「言いたい放題」
「虚名・言論詐欺師・偽の友」滅多斬り(連載第2回)
学歴詐称に始まる元・朝日新聞記者・本多勝一の呆れた正体暴露!

編集発行人・木村愛二の序・・・本連載の第1回の見出しは、次のようであった。

 本多勝一が実質敗訴「リクルート豪華接待事件」の背後に隠れた朝日新聞社批判

 この事件は、講談社発行の大型雑誌、『Views』(ヴューズ)の大型特集連載記事「正義を売る商店・株式会社朝日新聞の正体」に起因する名誉毀損損害賠償事件で、被害者のフリーライター、岩瀬達哉の提訴以来、本多勝一側の全員が旧知の3人の「人権派」弁護士の奮闘による引き延ばしの結果、何と、7年後に、やっと判決に漕ぎ着け、本多勝一側の「実質敗訴」となった。

 季刊『真相の深層』創刊号発行の当初は、この連載を続け、かねてからの計画、『朝日新聞似非紳士録・本多勝一「噂の真相」体験記』の完成を目指す予定であった。「噂の真相」という用語の使用に関しては、岩瀬達哉への罵詈讒謗に呆れて、本多勝一の頁廃止、追放の刑に処した編集長、岡留安則から直接、許可を得ている。
 
 ところが、諸事にかまけて、連載の継続が遅れている間に、『Will』(2005年5月号)で、学生時代からの旧友、堤堯が、かねてからの約束を果たし、「私と本多勝一」の関係について、ついに語り始めたのである。
 
堤堯の経歴に関しては、以下の著書の「著者略歴」を借用する。
『昭和の三傑』―憲法九条は「救国のトリック」だった
著者略歴(「BOOK著者紹介情報」より)
堤堯
1961年、東京大学法学部卒。同年、文芸春秋入社。「諸君!」、「文芸春秋」編集長、「週刊文春」編集局長、三誌を束ねる第一編集局長、ついで出版総局長を歴任。常務、常任顧問を経て退社。以後、新聞、雑誌に執筆活動を展開中
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『Will』(2005年5月号)記事。
朝日を裁く!第2弾
人、われを「朝日の天敵」と呼ぶ
堤堯

誤報・虚報なんでもあり、本多勝一記者にはなんと人違いで訴えられた。元「文藝春秋」編集長が遭遇した信じ難い「朝日体験」の数々・・・・・・。
[中略]
 数ある朝日新聞記者の中で、箸にも棒にもかからぬ筆頭は本多勝一なる記者である。この本多記者に訴えられたことがある。それも人違いで(!)。笑うべき次第は以下の如くである。
 『諸君!』八一年五月号が本多記者の著書『ベトナムはどうなっているのか?』を批判する記事を掲載した。筆者は殿岡昭郎氏。
 ベトナムの寺院で尼僧を含む十数人の集団焼身自殺があった。アメリカが撤退した後の、ベトナム政府の弾圧に抗議した覚悟の自殺だった。これを本多記者は、政府系仏教団の談話をそのまま引いて「セックス・スキャンダル」がらみの無理心中と伝えた。
 死を賭した抗議を、乱交の果ての清算とされては浮かばれない。焼身に先だっておこなわれた祈りと説教が録音テープに遺されていて、粛然と死に赴く覚悟を伝えている。死者に思いを馳せて殿岡氏が糾弾した。対して本多記者は、殿岡氏の引用の仕方がケシカランと難癖をつけてきた。
 訴状を見て驚いた。当方が掲載責任者として名を連ねている。五月号の編集責任者は先輩の村田耕二氏であり、翌六月号から代わって当方の責任編集になる。つまりは人違いである。
 実は殿岡氏の糾弾を見て、本多記者が抗議のハガキを送ってきた。罵詈雑言(ばりぞうごん)の羅列で、反論にもなっていない。掲載するに値しないとしてボツにした。これを掲載しろ、イヤしないで押し問答があった。
 「反論に値するもの」なら検討の上、掲載するに吝(やぶさ)かではない旨を答えた。なんと二年後、「反論に類するもの」が送られてきた。見れば殿岡氏が所属する東京学芸大学教授会宛ての内容で、
 「このような者を助教授にしておいていいのか。納税者として黙っていられない」
 と例によっての罵詈雑言である。
 二年後といい、教授会宛てといい、共に雑誌の掲載になじまない。その旨を答えるや、提訴に及んで来たのである。雑誌の奥付をみれば掲載責任者の名が書いてある。二年もの間、責任者を当方と思い込んでいたのはお笑いというしかない。
 被告人尋問に立った当方は陳述した。
 「第一、私は掲載責任者ではありません」
 述べたとたん、本多記者はもとより十人からなる弁護団や廷内を埋め尽くした本多シンパの表情は、狐に鼻をつままれたごとくにキョトン!さらに当方は続けていった。
 「ことほど左様に本多記者の事実認定はお粗末、杜撰(ずさん)きわまりないものであります。この裁判は、笑うべき人違いから出たもので、国費のムダ使い以外の何ものでもない。すべからく裁判所はこれを却下されたい」
 懲りずに本多側は反論権を主張したが、すでに産経新聞と共産党が争った「反論権裁判」で最高裁の判例が出ている。反論の採否は編集権に属すとの判例である。もし反論権を認めれば、さしずめ朝日新聞などは反論の山が殺到し、ページがいくらあっても間に合うまい。

本多勝一との十五年戦争

 裁判は十五年続き、一審から三審まで全て本多記者の敗訴となった。よほど口惜しかったのだろう、以来、本多記者はことあるたびに当方をゴロツキ編集長と呼んだ。
 原告尋問のおり、当方の弁護士と本多記者の間にこんなやり取りがあった。
 「本多さん、貴方のこのご本の奥付けに記してある著者略歴を見ますと、京都大学教養学部入学とありますね。これはそのとおりですか?」
「そのとおりです」
「卒業なさったんですか?」
「厳密にいえば、卒業してません」
「卒業してない?」
「在籍していたということで……」
「貴方が卒業なさった大学はどちらです?」
「千葉大学です」
「学部は?」
「薬学部です」
「ならば貴方の最終学歴は千葉大学薬学部、ということになりますね?」
「そういうことになります」
「ならば何故そう書かないんです?」
 学歴詐称じゃないかとまでは、弁護士は突っ込まずに質問を変えたが、廷内に驚きの気配が漂った。それまで誰しも、本多記者は京大出身、それもかの京大山岳会出身とばかり思っていたのだから。
 ちなみに本多記者の出世作『極限の民族』初版本(昭和四十二年刊)の著者略歴には、「京都大学農林生物学科を経て朝日新聞に入社」と明記されている。面妖である。
 本多記者は「カナダ・エスキモー報道」で菊池寛賞を得た(昭和三十九年)。のちに『諸君!』が本多批判を展開するや、賞の返還を申し出て、批判を許さぬ夜郎自大ぶりが失笑をかった。朝日が育てたスター記者の、肥大化したエゴの象徴である。
 日支事変の発端となった盧溝橋、別名マルコ・ポーロ橋の近くに抗日記念館がある。ここを訪れた友人から聞いた。
「日本の暴虐を示す“証拠”がこれでもか、これでもかと陳列されているんだけど、ガラス・ケースの中に本多勝一の『中国の旅』が置かれている。向こうにしてみれば、これも“証拠”の一つなんですね。しばし考えさせられましたよ」
 朝日新聞一千万部に連載された『中国の旅』は、いわゆる「百人斬り」論争を招き、山本七平氏は本多記者の所説を完膚なきまでに論破して痛烈をきわめた。とはいえこの書がいまに続く南京(虐殺)・教科書・靖国……日中間の歴史認識問題に果たした役割は大きい。これが撒き散らした自虐・謝罪の毒素は、サリン・ガスにも似ていまだに日本人の心を蝕(むしば)んでいる。朝日新聞社員の中にすら、
 「本多は国賊だッ、あんな者は死刑にしろッ」
 などと息巻く声を聴く。朝日にはまともな人士もいるのである。“国賊記者”にゴロツキ編集長呼ばわりされるのは、むしろ名誉なことである。
 十五年続いた裁判は、毎回、本多記者を二十人からなる「親衛隊」が取り囲む。こちらを睨む眼差しに刺すような殺気があり、身の危険を感じることしばしばだった。
 ある日のこと、地裁の門を出たところで後頭部を激しく殴られた。この野郎、来たかッと振り返って身構えたとき、
 「カァー、カァー」
 一羽の鴉(からす)が嘲笑を残して飛び去った。のちに聞けば、近辺では有名な悪戯(いたずら)カラスだという。どこまで腹の立つ裁判だった。
 [後略]
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 この回顧談が「かねてからの約束」というのは、他でもない。これも、「虚名・言論詐欺師・偽の友」滅多斬り(連載第1回)で記したことだが、私は、本多勝一を被告とする以下の裁判の原告だった。
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 http://www.jca.apc.org/~altmedka/sojou.html
平成9年(ワ)7639号 名誉毀損・損害賠償請求事件
訴状
180 東京都武蔵野市西久保1−49−16むさしの荘3号室
 原 告  歴史見直し研究会こと木村 愛二
101 東京都千代田区三崎町3−1−5
 株式会社 金曜日
 被 告  右代表者 代表取締役 
 [後略]
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 この裁判の提訴に踏み切る前に、『週刊金曜日』などの記事を読むと、本多勝一が、上記の「人違い」裁判の原告で、堤堯が、人違いの被告であることが分かった。
 
 そこで私は、堤に電話して、事情を聞いた。その際、堤は、「人違いで訴えられた」、「経歴詐称を調べろ」などと助言してくれたのである。「退職したら『私と本多勝一』と言う題の本を書く」とか、「本多勝一は実に下らん奴だ」、などとも言ったのである。
 
 「人違いで訴えられた」ことも、「経歴詐称」も、「実に下らん奴」も、間違いはなかった。
 
 この件は、継続して電網(インターネット)に発表するし、季刊『真相の深層』の連載も続け、単行本も発行する。
 
 以上。
 
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