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フランスで国歌変更
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投稿者 Sun Shine 日時 2005 年 7 月 06 日 21:58:08: edtzBi/ieTlqA
 

今日のフランス国営放送で、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」から新しい国歌に変更するか否かを国民議会で投票した結果、変更しないということになったというニュースが流されていました。

若者やその他3,4人のインタビューもありましたが、それぞれ「血なまぐさい」「今の時代にそぐわない。格好悪い」「軍国主義的、愛国主義的でアナクロニズム」などといって、決して評判はよくありませんでしたが、接戦の末、変更しないことになったそうです。シラク大統領は「まあ、今まで歌われてきたものだし、自由・平等・博愛の精神は歌われているから、これでいいと思う」というようなことを言っていました。

どなたかフランス語が分かる方は、フランス国営放送のHPを検索して、下さればと思います。

なおこの「ラ・マルセイエーズ」の歌詞を下記に貼り付けます。

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http://meta-metaphysica.net/lit/lamars.html
ラ・マルセイエーズ −フランス共和国国歌


La Marseillaise Les paroles et la musique de Claude-Joseph Rouget de Lisle
1er couplet

Allons enfants de la Patrie,
Le jour de gloire est arrivé !
Contre nous, de la tyrannie,
L'étendard sanglant est levé ! (bis)
Entendez-vous, dans les campagnes,
Mugir ces féroces soldats ?
Ils viennent jusque dans nos bras
Egorger nos fils et nos compagnes !

[ Refrain ]

Aux armes, citoyens !
Formez vos bataillons !
Marchons ! marchons !
Qu'un sang impur abreuve nos sillons !


2

Que veut cette horde d'esclaves,
De traîtres, de rois conjurés ?
Pour qui ces ignobles entraves,
Ces fers dès longtemps préparés ? (bis)
Français, pour nous, ah ! quel outrage !
Quels transports il doit exciter !
C'est nous qu'on ose méditer
De rendre à l'antique esclavage !
(Refrain)


3

Quoi ! ces cohortes étrangères
Feraient la loi dans nos foyers !
Quoi ! ces phalanges mercenaires
Terrasseraient nos fiers guerriers ! (bis)
Grand Dieu ! par des mains enchaînées
Nos fronts sous le joug se ploieraient !
De vils despotes deviendraient
Les maîtres des destinées !
(Refrain)


4

Tremblez, tyrans et vous perfides,
L'opprobre de tous les partis,
Tremblez ! vos projets parricides
Vont enfin recevoir leurs prix ! (bis)
Tout est soldat pour vous combattre,
S'ils tombent, nos jeunes héros,
La terre en produit de nouveaux,
Contre vous tout prêts à se battre !
(Refrain)


5

Français, en guerriers magnanimes,
Portez ou retenez vos coups !
Epargnez ces tristes victimes,
A regret s'armant contre nous. (bis)
Mais ces despotes sanguinaires,
Mais ces complices de Bouillé,
Tous ces tigres qui, sans pitié,
Déchirent le sein de leur mère !
(Refrain)


6

Amour sacré de la Patrie,
Conduis, soutiens nos bras vengeurs !
Liberté, Liberté chérie
Combats avec tes défenseurs ! (bis)
Sous nos drapeaux, que la victoire
Accoure à tes mâles accents
Que tes ennemis expirants
Voient ton triomphe et notre gloire !
(Refrain)


7

Nous entrerons dans la carrière
Quand nos aînés n'y seront plus;
Nous y trouverons leur poussière
Et la trace de leurs vertus. (bis)
Bien moins jaloux de leur survivre
Que de partager leur cercueil,
Nous aurons le sublime orgueil
De les venger ou de les suivre !
(Refrain)

第1節

いざ祖国の子らよ、
栄光の日は来た!
我らに向かって、暴君の、
血塗られた軍旗は掲げられた!(2度繰り返し)
聞こえるか、戦場で、
あの獰猛な兵士どもが唸るのを?
奴らは我々の腕の中まで
我らの息子や仲間を殺しにやって来る!


[ ルフラン ]

武器を取れ、市民諸君!
隊伍を整えよ!
進もう!進もう!
不浄な血が我々の畝溝に吸われんことを!

2

何を欲しているのか、
奴隷と裏切り者と陰謀を企てた王どものこの軍団は?
この卑劣な足枷は誰のため、
久しく用意されたこの鉄枷は?(2度繰り返し)
フランス人よ、我らのためだ、ああ!何という侮辱!
どれほどの激情をそれはかきたてることか!
奴らが厚かましくも古の奴隷に戻そうと目論んでいるのは
我らをなのだ!
(ルフラン)

3

何と!あの外国の軍勢が
我らの故郷で我が物顔に振る舞うだと!
何と!あの金目当ての軍隊が
我らの名うての戦士たちを打ちのめすだと!(2度繰り返し)
ああ!鎖で手を繋がれ
くびきを繋がれた我らの首が屈するだと!
卑しい暴君どもが
運命の支配者になるだと!
(ルフラン)

4

震えよ、暴君ども、そして汝ら裏切り者よ、
あらゆる党の名折れよ、
震えよ!汝の親殺しの企みは、
ついにはその報いを受けるだろう!(2度繰り返し)
全ての者が汝らと戦う兵士、
我らの若き英雄たちが倒れれば、
大地が再び彼らを産み出す、
汝らに対して皆戦いの用意はできている!
(ルフラン)


5

フランス人よ、寛容な戦士として、
打撃を与えるか控えるかせよ!
あの痛ましい犠牲者たちは容赦せよ、
心ならずも我らに武器をとる犠牲者たちは。(2度繰り返し)
しかしあの血みどろの暴君どもは、
しかしあのブイエ将軍の共謀者どもは、
全てこの虎どもは、情け容赦なく、
その母の胸を引き裂くのだ!
(ルフラン)


6

神聖な祖国愛よ、
我らの懲罰の手を導き、支えたまえ!
自由よ、愛しき自由よ、
君の擁護者とともに闘いたまえ!(2度繰り返し)
我々の旗の下、勝利の女神が
君の雄雄しい歌声のところに駆けつけんことを、
君の瀕死の敵どもが
君の勝利と我らの栄光を見んことを!
(ルフラン)


7

僕たちは道に足を踏み出すだろう
僕たちの先人がもはやいなくなった時には。
僕たちは見つけるだろう、彼らの亡骸と
彼らの徳の跡を。(2度繰り返し)
彼らより長生きすることよりも
彼らの棺を共にすることに執着し、
僕たちは気高い誇りを持つだろう、
彼らの仇を討つか後を追うという誇りを!
(ルフラン)

『ラ・マルセイエーズ』の歴史
フランス共和国の国歌、「ラ・マルセイエーズ」はフランス革命の際の戦争をきっかけに生まれた。

1789年7月14日、パリのバスティーユ監獄を市民が襲撃したことによりフランス革命が勃発。1791年、国王夫妻が逃亡を企てるが失敗、逮捕される(ヴァレンヌ事件)。国王の逮捕に驚いた周辺各国はフランス革命に危機感を抱き、8月にはプロイセンとオーストリアが共同で武力による介入を示唆した警告を発する(ピルニッツ宣言)。ピルニッツ宣言に怒ったフランス議会は亡命貴族の資産没収を決定、オーストラリアに宣言の取り消しを求めるが、受け入れられない。1792年4月20日、王ルイ16世は、戦争でフランスを敗戦に導き再び専制政治を再開しようとの目論見で、オーストリアへの宣戦布告を議会に提案し、開戦が可決された。

アルザス地方の国境の街ストラスブールに宣戦布告の知らせが届いたのは4月24日。翌日には各広場で、立憲君主派の貴族であった市長、ディードリッヒが宣戦布告を読み上げ、ライン川をはさんで敵国に隣接するこの街は熱狂に包まれた。そしてその晩、市長の家で宴会が開かれた。この会は前線へ出発するライン軍の司令官の歓送会も兼ねていたので、ライン軍総司令官リュックネール元帥のほか、たくさんの将校が出席。その中には、ストラスブールに一年前から駐屯し、市長とも懇意だった工兵大尉クロード=ジョセフ・ルジェ・ド・リールがいた。この会で、民衆の間で流行している革命歌が話題にのぼった。下劣な内容の歌が流布し、軍隊で演奏されるのは遺憾だ、ということで、詩と音楽の才で知られていたルジェ・ド・リールに市長が新しい革命歌の作詞・作曲を依頼。周囲に押し切られてルジェ・ド・リールは承諾した。なおも続く宴会をこっそり抜け出した彼は、ヴァイオリンを使って一夜の内に今日『ラ・マルセイエーズ』と呼ばれる歌を作詞・作曲する。

翌朝ルジェ・ド・リールに譜面を見せられた市長は感激し、その晩、歌を披露する会を催す。翌27日には市長は印刷工に楽譜の印刷を命令、その楽譜には『ライン軍のための軍歌、リュックネール元帥に捧ぐ』とあった。市長の姪のルイーズは他の楽器用に編曲して楽譜を書き写し、軍隊や兄弟に配布。新聞も歌詞を掲載した。 29日には、国民軍の音楽隊が練兵場で、義勇兵の登録を記念するパレードに際して演奏、一般に初めて披露される。

こうして見ると分かるように、『ラ・マルセイエーズ』・・・『マルセイユの歌』は、南フランスの街マルセイユとは反対の場所、ストラスブールで生まれた。では、なぜ、『ラ・マルセイエーズ』と呼ばれるようになったのか。

『ライン軍のための軍歌』は市長夫人やルジェ・ド・リールが郵便で送ったり、行商人や出張販売員などによって他の土地へ広まっていく。6月17日には南フランスの街モンペリエで楽団が演奏、モンペリエ大学の学生ミルールがこれを聞いて覚えた。彼はジャコバン派の拠点「憲法友の会」のモンペリエ支部のメンバーだった。モンペリエ支部は先に創設されていたマルセイユ支部と定期的に連絡を取り合う関係にあった。

ところでそのころのフランスは、ルイ16世の目論見どおり、オーストリアに対する戦争に重ねて敗戦、内にはクーデターの動きもあった。議会は首都防衛のため、全国からの義勇兵を集めた軍団をパリ郊外に創設することを決定。これは南フランスで熱狂的に迎えられ、まずモンペリエで義勇兵の登録が定員に達した。マルセイユでも登録がなされることになり、モンペリエとマルセイユの部隊が一緒にパリへ行軍することになった。この行軍についての打ち合わせに行く代表の一人に、部隊の指導者になっていたミルールが選ばれ、マルセイユへ向かった。マルセイユで歓待を受けたミルールは、歓迎の宴で『ライン軍のための軍歌』を披露。同席していた新聞記者が彼に歌詞を教わり、新聞に掲載した。これ以後、「憲法友の会」は集会の始まりと終わりにこの歌を歌うことに決め、歌詞を印刷して街中に配布。マルセイユの国民軍の楽隊も繰り返し演奏した。マルセイユの義勇兵がパリへ行軍する間、この歌が歌われることになり、義勇兵は全員歌詞を暗記し、7月2日、パリまで800キロの道のりへと出発。出会う人々には歌詞を書き写したものを配り、歓待を受けた村村で村人に歌って聞かせた。そしてミルール率いるモンペリエ義勇軍と合流して行軍を続け、次第に彼らの歌は『マルセイユ人の歌』(Chant des Marseillais)と呼ばれるようになった。一般の人々にとっては、地中海訛りの人は皆マルセイユ人に思われたらしい。7月14日にはヴィエンヌでバスティーユ監獄を記念する祭りを過ごす。この時、ルジェ・ド・リールが6番まで書かなかった歌詞にペソノー神父なる人物が7番の歌詞を付け加えたという説がある。そして7月29日についにパリの入り口、シャトラン門に到着、到着を待っていた議員やパリ市民の前で『マルセイユ人の歌』が歌われると、場は熱狂に包まれたらしい。

翌日市内に入ったマルセイユ義勇軍は、早速カフェで王党派と大乱闘事件を起こし、その名前をパリ市民に刻み込む。マルセイユ義勇軍は事あるごとに『マルセイユ人の歌』または『マルセイユ人の軍歌』と呼ばれるようになった歌を歌った。8月10日には国王の廃位問題に端を発したテュイルリー宮襲撃で、歌を歌いながら突撃して王宮奪取に成功。王権は停止された。ここに、『マルセイユの歌』、『ラ・マルセイエーズ』は革命の象徴になったのである。しかし、作者ルジェ・ド・リールは君主制を望んでいたらしく、そのため、革命の象徴たる歌の作者にも関わらず、歴史に翻弄され、不遇のまま暮らした。

ジロンド派の政治、ジャコバン派の恐怖政治を経て、テルミドール派の反動政治が始まるが、至る所で革命に反動的な民衆や王党派の蜂起・テロが発生。反動の行き過ぎを懸念した議会は1795年7月14日、『ラ・マルセイエーズ』を国歌として制定した。

以後200年以上、法的には『ラ・マルセイエーズ』が国歌としてありつづけることになる。しかし、王政復古など政治情勢の変化によってその地位はあやふやなもので、革命歌としての性格を恐れた政府によってしばしば禁止された。国歌が禁止されるというのは妙な話だが、廃止してしまっては反動が来ると恐れたのであろう。第二次世界大戦を経て、第四共和政体制となったフランスは、1946年10月27日に発布された憲法の第二条三項で「国歌は『ラ・マルセイエーズ』である」と規定、初めて憲法に国歌を明記した。現在の第五共和制の憲法でも、この規定に変更は加えられていない。

日本では教育現場での『君が代』の扱いについて論議が絶えないまま、法制化が強行され、演奏・斉唱が強制されているが(いくら法律上義務・罰則規定がなくても、文部省・教育委員会により実質的には強制されている)、フランスではどうだろうか。

フランスでは1882年の学制改革において、小学校教育に国歌が組み込まれた。カトリックの学校では、革命でカトリック教会が打撃を被ったことから、革命の象徴である『ラ・マルセイエーズ』は長らく悪意を込めて説明された。一般に学校では、1880年代はドイツに対する国威発揚の手段として、1930年代にはナチスの全体主義の脅威に対抗する人間性の象徴として教えられるなど、その扱いは時代に応じて変化している。現在は学校で国歌を教える義務はないが、歴史や公民の授業で多少触れるのが普通だという。フランスの学校には入学式も卒業式といった儀式もないので、歌う・歌わないは問題にならない。1985年に文部大臣が公報で義務化の意向を示したが、実際には効果がなかった。『ラ・マルセイエーズ』の歴史を見れば、敵と戦うため、自由を守るため、人々が歌いたいから歌ったのがこの国歌なのであって、フランス人からすれば国歌を強制しようとする日本の姿は妙に見えるかもしれない。ただ、歌詞については人殺しをあおる歌で現状に合わないということで、変えるべきだという論議がなされている。

参考文献:吉田進『ラ・マルセイエーズ物語 国歌の成立と変容』中公新書 1994年

関連リンク
ラ・マルセイエーズ : La Marseillaise
La Marseillaise(フランス語。曲を聴ける。)
LA PAGE DES CHANSONS POPULAIRES FRANÇAISES(『ラ・マルセイエーズ』以外に、様々な民謡・歌い継がれてきた歌の歌詞やMIDIファイルがある。著作権フリー。フランス語。)
世界の国歌(曲を聴ける。『ラ・マルセイエーズ』の歌詞には間違いが散見される。)
National Anthems of the World曲と旗だけだが数は多い。

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