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なかなか、ご理解して頂くまでには至っていないようですね。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/173.html
投稿者 風のように 日時 2005 年 4 月 23 日 21:02:10: .n/MggpimB.j.
 

(回答先: 自分の主張が自己矛盾していませんか? 投稿者 考察者K 日時 2005 年 4 月 23 日 17:48:08)

考察者Kさん、引き続きどうもです。


▼考察者Kさん
【基本的に「掲示板」というのは「誰かに自分の考え方」を見て貰う場所です。
自分に対する戒めとか、悟りの境地を自分で納得する為の場所ではないでしょう。】


私は掲示板そのものの利用の仕方について、とやかく言ってはおりません。それは人それぞれの考え方であり、利用の仕方も様々であり、私がとやかく定義する問題でもありません。
私は「“犠牲者意識を持たない”掲示板の利用の仕方とは何か」ということについて、それを提示したのみです。もう一度、ご確認ください。


▼考察者Kさん
【【読む人に誤解を与えてしまうことがあったとしても、私としては何の罪悪感も持ち合わせてはおりません。】と【私が掲示板に書き込んでいるのは、「自分の為に」です。】と言うのでしたら、掲示板に書き込みをすることは間違いでしょう。
ましてや、その主張への反論に解説などする必要は無いと判断します。
この辺は自己矛盾なのですが、議論の本筋とは無関係ですのでここまでにします。】


私が自分の為にどのように利用しようとも、それが自分の為になっているかどうかの判断は自分にしかできません。他人にとやかく言われる筋合いもないし、他人には計り知れないことです。
また読んだ人に解りやすくとは心掛けてはおりますが、結果として誤解を招いてしまうとか理解ができないとしても、それに対して、なぜ罪悪感を抱かなくてはならないのでしょう。それは読んだ人の側の理解力の問題です。私は私が到底理解できないような専門的な言説が書かれていたとしても、それに対して理解できるように書き直せとか、恥を知れとかを言うつもりも思ったこともありません。また誤解して読まれていることに、腹を立てるつもりもありません。その時は、ただ指摘し訂正しその原因を探り学ぶだけです。
私は自分の為に投稿しているのです。他人に期待したり他人の為に書いてはおりません。


▼考察者Kさん
【Kの憑き物落としへの反論もあるようですが、「風のようにさんへは大きなお世話」という主張なのか「憑き物落とし」そのものを「誰に対しても行うべきではない」という主張なのかは分かりませんが、Kは「Kが憑き物に憑かれている」可能性を否定はしません。】


「憑き物落とし」を、考察者Kさんに止めてもらいたいと押し付けているわけではありません。ただ私は「憑き物落としをするということは、こういうことである」と思うと述べているだけです。
それを考察者Kさんが参考にし、「憑き物落とし」をしなくなるかどうかは、私には関係のないことです。


▼考察者Kさん
【途中で「個人主義」というキーワードが提示されます。Kが誤読しているとすると「このキーワード」は重要なはずです。しかし、Kには「個人主義に陥るな」という意味か「被害者意識は個人主義という視点からの考え方」という意味かが、良く理解できませんでした。これは、前後の文章の流れから考えても「おそらくは後者」だろうと思うだけで、読解力の無さから確信は持っていません。】


「被害者意識は個人主義という視点からの考え方」とは申してはおりませんし、「個人主義に陥るな」とも言ってはおりません。全く逆です。
個人主義という立場においては、「被害者意識」は生まれないはずと言っております。
もう一度ご確認下さい。


▼考察者Kさん
【本題はKが誤読しているか?意味を取り違えているか?です。
Kは風のようにさんの主張を三種類の観点から受けとめています。
一つは「自己責任論に基づく企業理論の弁護」=A
もう一つは「被害妄想者へのケア(憑き物落とし)的視点からの主張」=B
最後に「自己改革論の展開」=Cです。
Aは論外ですし、今までの書き込みで「その様に思い込んでいる訳」では無い事は分かるはずと思っています。
Kは途中でも触れていますが、ケアという意味合いならば認めています。ただし、かなり限定的な条件下のケアにおいてです。
今の阿修羅で活動が訪問者認められる人でケアが必要な「被害妄想者」が認められるとすれば「考察者K」という馬鹿くらいでしょう。もし、BであるならばKへの当てつけの可能性があります。Kは反論するしかありません
で、Cです。実はCもAを逆説的に捉えた考え方で、結果的には企業を利する論理とKは思っています。「自己責任論を前向きに受け入れるか?」「受動的に受け入れるか?」は愚痴を言うか言わないかの差が出るくらいで、結果は同じです。】


Cがここで提示された意味で言われたのでしたら、どれも違います。
社員に罪悪感を与えるという材料としての自己責任論は、企業が社員を洗脳しようとする手段です。私は、それのことを言っているのではありません。
ただしその手段を許してしまっているのは、個人責任だと言っているのです。ご理解頂けるでしょうか。


▼考察者Kさん
【【自分がその問題に犠牲者意識を感じることが無くなった時に、初めて自分のもっている力をその対象となる外側から自分に戻す事ができ、解決の糸口を自らが見出し、出口を見つけることができるのだと、私は思っております。】と風のようにさんは主張します。
意味的には
「環境を変えるのは為には自分で最初の一歩を踏み出そう」=あ
「環境を感じるのは個人の感情ですから、悪いと感じなければどんな環境にも不満は感じない」=い
という二つの取り方が考えられます。
Kはどちらであっても、何故、被害者の方が一方的にリスクを背負わなければならないのですか?と主張しています。】


被害者と感じるのは、それを主観的に「悪い」と感じた結果です。会社は会社の繁栄という理念に基づいて最良と思える対策をした結果が、社員(個人)の意に反していただけです。
例えばこの掲示板にひとつの理念がありますが、貴方がそれに反対しているからと言って、どちらに問題の責任がありますか?
貴方の為に管理人さんが、理念を捨て、貴方に合わせなければなりませんか?
2チャンネルは誹謗中傷のオンパレードですが、貴方は2チャンネルに対して「改善しないのはお前のせいだから、お前がリスクを取れ」と言えますか?
勿論、改善してほしいという要望は出せるでしょう。しかし廻りの多くの投稿者がそれを許している状況下にあっては、貴方がリスクを取って別の場所へ立ち去るのが懸命ではないですか?また貴方も参加して2チャンネルを盛り上げてはおりませんか?(これはひとつの例え話です)


▼考察者Kさん
【「い」の場合は感情論です。意識を切り替える事ができれば、どんな悪条件も受け入れて、尚かつ楽しいという一種のマゾ状態になり、本人は幸福かもしれません。しかし、そんな解決法では企業を利するだけでしょう。本当の意味では「決して労働条件が悪くない」と思われる職場においてならば、被害妄想を取り除く解決法でも良いでしょうが、それ以外では「愚痴言うな論」にしかなりません。(愚痴は聞きたくないでしょうが、封殺するのには賛成できません)】


本人が悪条件と思えるのを幸福だと思っているなら、マゾ状態だろうが第三者には関係のないことです。それはおせっかいのエゴではないですか?
自分に関係があるのは、自分自身ではないですか?
貴方に関係があるのは、貴方自身ではないですか?


▼考察者Kさん
【話の流れから判断すると風のようにさんの主張は「Cのあ」だとKは思う事になります。
主張を見ると、絆とか連帯意識への否定(疑問でも良いです)があります。労働者(生活者)分断政策は「支配者の常套手段」です。】


私は、絆とか連帯意識への否定も疑問もしておりません。絆とか連帯意識を用いて罪悪感を植え付ける洗脳に利用されることはあるとは言ってはおります。
そして絆とか連帯意識に執着するとそこに拘束され、「支配―被支配」関係を強化することもあると言ってはおります。それは絆とか連帯意識を持たないようにしようと言っているのではありません。
また『労働者(生活者)分断政策は「支配者の常套手段」』とも言ってはおりません。
どこに書いてありますか?


▼考察者Kさん
【生き方の疑問的な考察もあるようですが、自由な選択権と悪いカードからの選択では全く違うと前に解説しました。
最終的には「自己努力による改善」しか方法はない。もしくは「気は持ちようなので諦めよう」に収束していく訳ですが、いずれにしてもリスクは個人還元です。】


悪いカードからの選択しかないと、自分の視野を狭めてしまっているのは、「支配―被支配」関係構造の洗脳の中に埋没しているからだと思っております。

また「気は持ちようなので諦めよう」とは言ってはおりません。


▼考察者Kさん
【Kは法制度を変えなければ、根本的には変わらないと主張しています。
方法論は人様々ですが、理想の前に現実があり、現実の壁に個人は立ち往生します。それを「個人責任論に還元するあらゆる思考」は間違いだろうとKは思います。
個々の事例においては解決策はあるかもしれませんし、考えるより産むが安しだってありえます。働いて食べなければならない労働者サイドには最初の時点で多大なリスクがあるのです。】


法制度をどのように変えるというのですか?また細分化してより規制の厳しいデジタル社会へとまっしぐらですか?
今の労働基準法は、8時間を超えての強制的な仕事を認めておりましたか?
例えば労働基準法に違反すれば、業務停止10年にでもしましょうか?それで勇気を振り絞って会社と戦って労働基準監督署に告発できる人が増えるのでしょうか?

現在の社会は、多くの人が自分の好きではない仕事をしながら生きている社会です。
しかし、それを苦痛であり改善しようとする人は多いです。寧ろ、殆どの勤務している会社員はそう思っていることでしょう。
では何故今まで変えることができないのでしょう。
会社に文句を言い、社会に文句を言い、政治に文句を言い、経済に文句を言い、神にも文句を言い続けました。
貴方だけではない。過去から延々と、同じ事を多くの人が言い続けております。
なぜ社会は変わらないのでしょうか?
なぜ法律を作っても、罰則を作っても、労働条件は良くはならないのでしょうか?
私は、それらの原因を「悪いのは自分の内側ではなく外側の何かだからと思っている」という犠牲者意識と、「何かに縋り付きたい」という執着意識が問題の原因を作り出していると思っております。
今の社会は、いつまでも救世主を待ちわびているだけで、自分は誰かに守ってもらいながら、世の中が勝手に変わっていくのを指をくわえながら待っている状態が、延々と続いているだけだと思っております。
「なぜ変わろうとしないのか?」と言っても、洗脳されてしまうとこれは難しい事です。
洗脳された宗教団体にいる人間に「なぜ洗脳だとわからないんだ」というようなものです。
また、それは押し付けになるとエゴになって行きます。
私は、世間に変わる事を問う前に、まずは自分が変われと思うタイプです。


▼考察者Kさん
【日本の多くの人が持つ、欲求不満の想念の抑圧された蓄積は増殖に増殖を重ねて、どこかで噴出します。
それが、前人未踏の凶悪犯罪であるならば「それでも、まだ、マシ」なのでしょう。
進化した欲望・本能は知恵を味方に付け、付けられた鎖を断ち切り「大手を振って暴れ回りたいと考える」はずです。
抑圧された想念は「憲法をも変える程の物」でしょう。
結果として、日本は破滅への道筋を整える事になるはずです。
回避するには「デジタル思考の馬鹿」のここまで社会環境を悪化させた責任を追及し、キチンと責任を取らせた後に追放し、ガス抜きの許される環境への振り戻しが急務でしょう。
市民の厳しい目から死角になる場所に潜み、日本を非人間的な(生物としての人間が生きにくい)社会を作り出そうとしている「官僚・中間管理機構」を引きずり出して責任を追及する体制こそ重要だとKは主張します。】


このまま誰も気付かずに行けば、当然欲求不満が噴出し破滅を迎える事になるのでしょう。
では、法律や憲法をどう変えれば、社会が良くなるのですか?サービス残業を強いた会社の役員は死刑に処するでしょうか?それでなくなりますか?喜びながらサービス残業をしている人の欲求不満はどこに爆発させればいいですか?それでも何が善で何か悪かを多数決で決めて、法整備を強化し罰則を強めていこうということですか?
それはまさに人をある方向へ一元化しようとする「デジタル思考」社会を強化するものでははないでしょうか。
どのように考え、どのように行動して、何を信じて、どんな格好をするかということまで細かく規制する社会を我々は作り出しているに他ならないのではないでしょうか。

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