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Re: 時計仕掛けの俺んち、なんちゃって
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投稿者 暇ラヤ山脈 日時 2005 年 4 月 27 日 01:58:25: Hn3yCzz1vJiyc
 

(回答先: なんとなくだが、高見運転手は「切れてしまった」ように感じられる。 投稿者 たけ(tk) 日時 2005 年 4 月 26 日 13:06:16)

私も、たけさんと似たような感じを覚えました。

なんとなく、高見運転手は若い割りに人一倍まじめな性格だったんじゃないのかな、と。
それでムカついて切れた、というんじゃなくてストレスがぱんぱんになって引っ張り過ぎた
ゴムが切れるというような意味でぶちっと切れたというか、パンクしちゃったんじゃないか。
(他のいろんな要素が重なり合ったにせよ・・・。関連は後述しますが)。

つまり、オーバーランしてしまったのは彼の生物的限界を超えた規律による、ストレス
それ自体だったのでは、そしてそのズレ(歪み)を埋めようとするとっさの辻褄あわせ
が大事故という結果の引き金になってしまったのかも知れない・・・と。

他の亡くなったり怪我をしたり財産を破損した人だけじゃなく、私はこの若い運転手さん
や、JRの社長をはじめとした職員に対しても、酷い痛ましさと悲しさをを感じてしまう。

何か別のものに対する違和感はともかく、とても特定の対象に怒りが湧いてはこないのだ。


「オンタイム」「マジメ」ということは、一般の人々がJRのような公共的な事業を
行う会社に常に求めている価値観でしょう
(旧国鉄のような、お役所のような場にも常に求められていますよね)。

それゆえに、この事故を巡って出てくる多くのマスコミ及び一般視聴者の反応には
実はとても違和感を覚えてしまったのだ。

朝のニュース系ワイドショーを見ていたとき、メディアの司会者やゲスト(鳥越
俊太郎氏のようなジャーナリストも含む)が口々に「なぜ、正確なダイヤなどという
効率主義より人命の安全対策を重視しないのか」という厳しい?目での批判を繰り返して
いたのだが、それにに対して、何の解決にもならない責任転嫁のようなものを感じた
(その場しのぎの安心感・・・価値観の掏り合わせや辻褄合わせなら提供しているのかも
しれないが)。

会社の合理化を測るのは(このリストラ時代)、時勢の中でほとんどの会社のやって
いることである。
JRは、その一般のニーズに常識的な予算の都合がつく範囲で、一生懸命マジメに
応えようとしているだけである。JRの会社員が求めているのと同じことを一般の
社会人が求めているということでもあるし、広く見た社会機構(とそれに対する個々の
順応)そのものを維持する上での最優先事項を踏み外しているわけではない。。
(仮に「人命重視」ということで、しょっちゅうダイヤが乱れるような事態になれば、
皆は許容できるのか。「フィリピンタイム式」「シェスタタイム」のような余裕スカ
スカだけどアバウトで能天気(不マジメ)なラテン式価値観を許容し実践できるだけの
キャパのある日本人はどれ程いるというのか(厳密なタイムスケジュールで時間で仕切
られたTV業界他のメディアなんて、最もダイヤに依存している部類に入るとも思うけど)。


我々の殆どだって余裕ないじゃん、決められたマニュアルに従った日々を送ってるんじゃん。
その我々が依存して日常利用し、得にオンタイムを要求している電車。
心のどっかで、「それ(オンタイム:オンディマンド)を実現するためならあらゆる他のこ
とを犠牲にしたっていい、ま、どうせ原発事故だって電車事故だって充分な日本のテクノロ
ジーで補ってるんだから滅多に起こることじゃないし、そんな確率の低いこと気にしてたら
まともな経済活動が維持できなくなるってことなんだから後回しにしたっていいじゃん?」の
ような感覚をもちながら、何か起きた途端
「おめーらの安全対策はどうなってるんだ!人の命の重みがわかってんのか?ダイヤだの
効率だのがそんなに大切なのか!!」だのとのたまう、
「我々自身の醜い無責任さ」
こそが多数の人命を奪ってほっかむりしているのでは?という気付きこそが問題解決の糸口
だという気がするんだが。勿論、他人の代わりに自分を責めろと言っているんじゃない(他
人であれ自分であれ責めることは何も解決しないばかりか、責任転嫁だろう。単に気付く
ことが肝心だろう)。

家族をなくされた人の、その時のやるせない感情(それでも、八つ当たりのように
見えたところがある)をJR西日本の社長にぶつけるのは、社長自身が痛いほど
(恐らく、これが自分の立場だったら自分だって・・・のように)分かっている
ように暫定的には許容できる(ガス抜きという意味も含めて)にしても、そういう感情を
後押し、拡大するばかりで総括できないでいるメディアの在り方に、大きな危機感を感じた
のは事実だ。
要するに、ここで取り逃がした要点がのちのち手かえ品かえ展開していき、あげく
にこの社会そのもの(或いは経済機構、巨大な価値機構)のパンク、破綻を招くと
いう可能性を否定できないというか・・・。
(またこの事故はそれを暗示する大きな警告、或いはノックだという気がしてならない)。

ずっとTVを見たり裏番組をチェックしているわけではないので断定はできないが、
メディアのコメンテーターの中でこんな意見をすっと言った人はいるだろうか(見た
人がいたら教えて欲しい)。
「この事故は、社会に時間通り、糞マジメを要求し、それを日本人のアイデンティティ
とし手放す事が出来なくなった、融通のきかなくなっている我々善良な一般市民自らが
ひき起こした必然的な事故かも知れません。この社会全体の欲求、ニーズを総体とした
価値観がもたらした結果のひとつではあっても、運転手さんやJRの職員を責めれば解
決のつく問題ではないと思います。この歪みがこれ以上発展して取り返しのつかない事
態に行き着く前に、我々自身があらゆる結果に関与している可能性を考慮し、また他人
や政治に期待せず、一人一人が余裕のある生き方を実現することの必要と良さに気付い
て改善することが、こういったパンクを避けて生命的にも経済的にも救われる唯一の知
恵のある方法だと思うしかないのではないでしょうか」
(風のようにさんが言っていることに通じるかも知れませんね。正直言って、風のよ
うにさんがTVのコメンテーターだったらいいのに、なんて思った次第・・・)

私は、こういうのこそが「余裕のある、普通に仕事のできる人間の常識的で冷静な言葉
と言えるなんじゃないか」と思っていたのだが、今まで見たものに限ればどうも要領を
得ない、ひょっとすると筋ちがいなコメントばかりに始終しているようで、気が重く
なってしまった。日本列島ならぬ、世界一のダイヤを誇る日本列車の運命に直結しなけ
ればいいが・・・。

============

少し話題をそらして、そもそも「時間」とは何かを再考してみたいと思う。

我々は、何故主に「西洋時計」という単一の基準に縛られて、予定調和に動くようになっ
てしまったのか。

人間性を語るのは得意でない(というか言える立場にない)ので、生物性という視点に
立って検討してみる。

私には、生物と環境というものは、精巧かつ複雑な歯車式な時計に従って存在している
という実感がある(実感が共有できない場合のために、敢えて価値観という表現を使う
ことも厭わないのだが)。

恣意的なスケジュール、スキームをベースにするということは、その精密な時計(それ
を知覚して乗る能力を「本能」と定義するが)、の歯車を壊して、破壊してしまう乱暴
な行為にあたると見ている。

時間とは本来複合周期(サイクル9という波動的空間(歯車)であり、現実に知覚しうる
「時性」とはそれがかみ合った瞬間の粒子的な「節(時宜、タイミングともいう)」であ
ろうと認識している(内部的なニーズと環境的なニーズが一致するということなので、単に
「体内時計」をさしているというわけでもない)。
時空は連続しているのではなく、不即不離な一元であり、「節」とは俗に言う「シンクロ
ニシティ」として知覚できるものであると見ている。

身近な(特に客観的に目立った)幾つかの例を挙げてみる。
子供フェチなので恐縮だが、子供の関連を例に挙げる。一つは、上の子が生まれて、2年
間ずっと母乳から離れなかったのだが(育児書に「虫歯のもとになるので、なるべく1歳
前に母乳を離しましょう」と書いてあったので、やってみたけれど、無理そうだったし
「何か不自然だし違うな」と思ったのでやめて、好きなだけ飲ませることにした。結局
それでも3歳児検診の時「虫歯ゼロ」でも表彰されたのだが)、ちょうどぴったり娘の
2歳の誕生日を迎えた日、娘におっぱいを見せても全く関心を示さなくなった(むしろ、
逃げた)。そして、同時に自分で絞ってみたが、一滴も母乳は出なくなっていた。
前日までは、明らかに充分出ていたし、娘も喜んで吸い付いていたのに、である。
というわけで、双方になんの努力も無理もいらず、ぴったりと太陽サイクルに合わせた
形で離乳が完了した。もちろん、母子共に不満感や不全感は残さない結果となった。
下の子の場合は、むしろ空間性を強調したような「節」と言えるのかも知れないが、生後
11ヶ月の時、家族でとある近場のテーマパーク(遊園地)に出かけたのだが、レスト
ランのすぐ後ろで赤ちゃんをだっこしているお母さんに気がついた。そして、その赤ちゃん
(女児)は、下の娘と全く同じ服を着ていた(多分サイズも同じ・・・その女の子は、生
後七ヶ月とかで、うちのよりも小さかったのだが、思い切り袖をたくし上げた格好で着て
いた)。そして、「あれ?同じ服を着てますね。珍しい」と声をかけ、うちの子の名前は
○○○というんですが、そちらは?」と聞くと「え?同じです」と答えた。
はっきり言って、その名前は日本ではまず殆どいないだろうという名前。外国の女性では
ある程度多い名前の音だが、その音に3文字の当て字をしたような名前である(クリス
チャンネームをもっているような人や芸名なら、日本でもそこそこあるのかも知れない)。
そこで、「え?ますます珍しいですね。実は、漢字はこういう字なんですけど・・・」と
いうと、「・・・。うちも、全く同じ・・・」。さすがに、当て字も全く同じということ
になると、確率的には天文学的ということになるという気がする(一緒に撮った写真も残
っているが、少なくとも着ている服が全く同じメーカーの同じ規格同じ柄多分同じサイズ
であるということは、傍目にも明らかだ)。申し合わせた覚えはないが、申し合わせたよ
うな一致である。

それ以外にも挙げればキリがないが、「節」や「本能」は実に不可思議かつ、役にたつ
精巧な時計(とその針)である。もちろん背後の歯車(サイクル)の仕組みにも驚かさ
れる(西洋や東洋の占星術なども、参考になる。)5感を通して知覚できる範囲を個々と
呼ぶとすれば、元来我々の存在とは、その歯車のかみ合ったその瞬間、断面から生じてい
る確固とした精密な機械なのではないか。

動物の生態などをみていると、人間の予定調和では説明できない現象が当たり前のように
存在しているのが分かる。
例えば、ある種の鳥は、つがいになる相手を見出すのに、雄と雌が出会うと向き合ってまっ
たく自発的にアイデンティカルなダンスを踊るという。人のシンクロスイミングのように、
練習やリハで合わせるわけではない。もし、少しでも動きが会わなければ、それは自分に
決められた「パートナー」ではないということになるそうだ(TVで実際にその踊りを見た
ことがあるが、実に不思議で壮観であった)。そして、ぴったり合えばその相手に違いない
というわけである。複雑な動きがぶっつけでぴったり合うということは、あっち向けホイで
何百回も負けつづけるよりも途方もない確率という気もするが、とにかくそれがその鳥の
日常的な営みとして当たり前にあるそうだ。
その他にも、渡り鳥のV字飛行や、蜂の8の字ダンスなど、リハ(予定調和)なしのぶっつけ
でばっちし決まるという生態、あるいは動植物の擬態のように、空間と同化、同期する生態など、
その気になればいくらでも確認できる。時節と本能が呼応することで、意図や思考なくして
もあるべき自動的に形態に調和すべく全てを律しているということの証拠ではないだろうか。
津波の時のニュースであったように、前兆を感じて一斉に非難するような知性も、比較的
複雑な構造(即ち複雑な時計仕掛け)
(私は本来知性とはイコール本能であると思っている)。
(地上生物の生態のみならず、天体の運行や、地球から見てまったくサイズも距離も違う月
と太陽が見事に同じサイズに見える位置に配置されていることなどの偶然?の物理現象もも含
めて、まあなんと、宇宙とは見事に秩序だった・・・あらゆるご都合に適った、精巧な機械で
あることよ!)

人間は、その時計を自ら壊したり、無視したりしながらもまばたきのような時間を生きながら
えてきたという意味で、確かに突出した生物かも知れない(誉められるかどうかは別として)。

(ちなみに我家では、そういう偶発性自発性を重んじた行動様式をIBDSと呼ぶ。「行き当
たりばったり出たとこ勝負」の略である)。

実は、急にこんなことを書きたくなったのも、昨日脱線事故のニュースのあとにNHK特集で
見た、田中久重の「万年時計」の特集を見たからなんです。

いやあ、惚れましたね。

愛地球博の開催に合わせて、現代の、熟練した技術者100余人に復元を以来したという、久重
が150年前に創った「時計」なんですが、久重が当時ほぼ1人で3年かけて構想し完成させた、
そのあまりにも(コンピューターが舌を巻くほど)に精密かつ複雑な時計を、現代の老練(と
言っても組織に雇われた人々ですが)が100人以上集まって10ヶ月かけてもついぞ、完全な
ものに復元できなかったという、和時計(夏至や冬至にも対応)、洋時計、干支時計、天文時
計、月齢時計etc.などを完備した、芸術的装飾にも極めて優れたもの、一回ぜんまいを巻くと、
1年の間は正確に時を刻み続けるという。旋盤等を使っても(私は高校時代旋盤工を専攻して
いたので、どういう技術かはだいたい分かりますが)難しいほどの精密で細かく、オリジナリ
ティにあふれた1000個を超える歯車を、ほぼ全て本人のやすりを使った手作業で仕上げたと
言われている、とてつもない創作品・・・。無論、会社のノルマや資金にに合わせて作って
いるわけではないから、ここまで一切の妥協をせずに作れたのでしょうが、それにしても・・・。
(現在の技術って、決して江戸の昔から進歩しているとは言えない、という所感はさて置いて)。

私がその時計とその内部構造を見たとき感じたのは、まさにこれが、「からくり儀衛門」と
よばれたからくり人形(ロボット)の匠の作った、最高のからくり「人形」ではないか、と
いうことです。

一つではなく、複数の「周期性(とその概念)」を、見事なまでに永い寿命の装置の中に収めた、人とその
生物性そのものを表現した真の実用的芸術作品・・・。

本来一つの西洋時計にしばられた、せせこましい不自由な存在でいることが、この豊穣の
日本の地に生まれた人々の自然なあり方なのでしょうか?

私は、「そりゃ単になんか、決定的な本能を忘れてるだけなんだろう」と思う。

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