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あらゆる現象に説明を与えるのが哲学の役割なのでは無いでしょうか?
http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/509.html
投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 06 日 14:51:34: YdRawkln5F9XQ
 

(回答先: 現象を追い、描くことと、哲学的考察をすることとは別問題です、区別・区分されるべきものです。 投稿者 乃依 日時 2005 年 6 月 05 日 23:13:00)

乃依さん、いつも重要な問題提起をありがとうございます。

哲学の役割とは何なのでしょうか?
哲学の役割の中には、あらゆる現象を(五感に得られた現象であれ、心の中で得られた現象であれ)それが何であるのかについて説明する事なのでは無いのでしょうか?
世の中には実に様々な事件が日々起こっております。
それらの事件について何故起こったのかを考える事が哲学的思考の出発点だと私には思えるのです。
そこで誰かによってなされた説明に対して「それでは説明になっていない。」という風に批判していく事が哲学になるのではないでしょうか?
これは現象から出発すべきであり言葉から出発すべきでは無いという姿勢だと思います。
言葉から出発すると閉じられた言語の体系の中で堂々巡りに終わる可能性があるから、その危険性を避ける意味で現象に対する評価から出発すべきという姿勢が生じたのだと考えます。
これは、例えばカルトの世界観に取り付かれた人間にはその世界観から脱出するのが難しいという現象を見るに当たって、カルトの信者には頭の中にある論理体系だけが真実であり、目に映るあらゆる現象はその真実と一致するものだけが大きな印象で感知され、一致しないものは「何だかよく分からないが、真実らしく無い。」という事で却下されるという傾向があるのではないかという事でも思いました。
私自身、共産主義カルトとでも言うべき心性を長らく持っていたと思います。
共産主義の公式に合致する現象だけを拾い集めて表現していた時期があるという事です。
これでは真理には近づけないでしょう。
例えば「ナチス=悪」→「ナチスの罪を軽減するかのような言説(ホロコースト見直し論)=悪」という公式的な発想に我々は陥るべきでは無く、その為には現象の把握が必要であるという事です。世間に流布されている公式を疑う精神こそは「哲学的精神」と呼びべきものですが、そのような精神を養うものこそ、より多くの現象を把握するという行為では無いでしょうか?既存の説に対立するような現象の把握無くして批判は生まれにくいと思います。
現象の把握とその現象による既存の説の批判こそが哲学の基礎だと思います。

>現象を追い、描くことと、哲学的考察をすることとは別問題です、区別・区分される>べきものです。

現象から離れてどのような哲学が構築可能でしょうか?
それは無味乾燥な言葉だけでの堂々巡りであるように思えます。

http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/503.html
>投稿者 乃依 日時 2005 年 6 月 05 日 23:13:00: YTmYN2QYOSlOI

>現象を追い、描くことと、哲学的考察をすることとは別問題です。

>いま、現象が急展開している以上、まず、表現が先行したということです。
>それが、「哲学」ではないということは、明記したはずです。

>哲学的考察をするのには、それなりのゆとりが必要です。

>法定や議会での議論が、「言い合い合戦」(あるいは談合)となりがちで、哲学的批>判というあり方から、
>遠ざかる傾向にあるのは、双方がともに時間に限られていること、議論の相手と
>敵対関係(あるいは、なれあいの関係)にあるということがあげられるかと思いま>す。
>むろん、このようなあり方は、好ましいものではありません。

私には全ての言論に哲学的基礎があると思えます。
その言論を発するにあたっての哲学的前提があるのです。
その前提がなければ発言はできないと考えます。
従って全ての言説の裏に存在する哲学的基礎に対する批判が必要なのです。

小泉の「靖国参拝について外国にとやかく言われる筋合いは無い。」という言い方は
「靖国参拝が外国とは無関係な個人的な問題」という判断があります。
こういう判断を批判する必要があるのです。
こういう作業はいわゆる「哲学的範疇」では無いと思われるかも知れません。
しかし、世界情勢に大きく影響を及ぼす現象に対して論議を試みる事が「言説発信者」の最も大きな仕事であり、哲学者の実際的仕事でもあると思います。
そのような仕事の積み重ねの中から世界観を形成していくべきだと考えます。
マルクスも「イギリスの労働者階級の状態」に心を痛める中から「資本論」を書くに至ったのです。
レヴィ=ストロースの「狂牛病」に関する発言も同様の意味があります。

>近いうちには、これまで示してきた、論旨に、演繹的骨子と客観性を与えたいと願っ>ています。

よろしくお願いします。

最も簡単に申し上げますと、より多くの現象の把握こそがよりリアルな世界観を形成する基礎であるという事です。
もちろん、ただただ現象を数多く集めるだけでは世界の本質を考察する事にはなりません。
現象を多く集めた後では得られた全ての現象同士で矛盾が無い形での統一的世界観に再構築する必要があります。
こういう作業を延々とやっていくしか無いと思っております。
真理に至る道には膨大な仕事が待ち受けているのです。

私のこの掲示板での投稿態度は、あえて単純化した言説を投稿し、ご批判を受けながら、共によりリアルな世界観を獲得していきたいという事です。

今後共、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

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