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パーフェクトゲーム
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投稿者 竹中半兵衛 日時 2005 年 8 月 03 日 09:35:51: 0iYhrg5rK5QpI
 

パーフェクトゲーム
http://kurohune.hp.infoseek.co.jp/shiken/kisuka.htm

以下、全部コピペ。

昭和18年5月29日、アリューシャン列島アッツ島守備隊が玉砕した。それと同時に連合艦隊はケ号作戦を発令し、第五艦隊に対し、残るキスカ島守備隊陸海軍合わせて5200名の将兵の収容を命じた。第五艦隊司令長官河瀬中将は当初潜水艦で15回試みたが失敗、その後水上からの撤退作戦に切り替えられた。その役目を担ったのは第五艦隊第一水雷戦隊で、司令官は木村昌福(まさとみ)少将であった。昭和32年文芸春秋からでた「太平洋海戦最大の奇跡 千早正隆著」によって初めて世に知られるようになったこの人は海軍兵学校41期、大正12年卒、118人中107番で卒業。いわゆるノーマーク(砲術、水雷などの専門の学校を出てない)で、もちろん海軍大学校へも行ってない。この条件では平時であれば少将になることはまずない。元第一航空艦隊参謀長草鹿龍之介氏は文藝春秋に発表した「奇跡を実現したヒゲの提督」という文の中で次のように述べている「木村君の兵学校時代の成績は120人中どんじりから数えて10番目ぐらいだったろう。若い時分は思慮の浅さから大した男ではあるまいと、正直いって自分もたかをくくってつきあっていた傾きがあった。その真価というか、かれという人間の本当のえらさがしみじみとわかってきたのはずっとあとになってからである。」そして、実戦に向くか向かないかという資質を見抜くには学校の成績などあてにならないというのが草鹿の持論でもあった。

 昭和35年に本が出て一番驚いたのが家族であったらしい。東京勤務は一度も無く、立派なひげをはやしているが、家では酒ばかり飲んで、現場の船乗りとして海軍の大半を過ごしたこの人が、そんなすごいことをやっていたのかと、信じられなかったそうである。家族にも一度も話してなかったのだ。千早氏が本を書きたいからと取材を申し込んだ時も、最初はそれは俺ではないといって断ってきたらしい。私心の無い人であった。このケ号作戦後、木村少将は転任となって第一線へ、それも比島をめぐる攻防戦に送られた。昭和20年2月にやっと陸上勤務となり、驚いたことに天皇陛下に拝謁をおおせつかったのである。ノーマークで天皇陛下に戦況報告をしたのは後にも先にもこの木村昌福だけらしい。

 昭和18年3月3日ひな祭りの日、ニューブリテン島とニューギニアの間にあるダンピール海峡はさながら地獄の様相を呈していた。ガダルカナル島撤退後、ニューギニアのラエに陸軍第51師団主力6912名、海軍陸戦隊約400名を送るためラバウルを出港した8隻の輸送船は、暗号を解読し待ち伏せていたマッカーサーのアメリカ陸軍第五空軍前進部隊に発見された。P38戦闘機に護衛された爆撃機によるスキップボンビングという新しい方法で8隻の輸送船だけでなく、護衛の第三水雷戦隊の駆逐艦8隻のうち4隻が撃沈されたのである。51師団で約3600名の命が失われ、火砲、車両、燃料ドラム缶2000本、武器弾薬、その他軍需品約2500トンが海没してしまった。これによってニューギニア作戦は破綻してしまったのである。そしてこの時第三水雷戦隊を指揮していたのが木村昌福少将であった。木村も海中を泳いだ後救助されたが重傷のため横須賀の病院に送られた。

 海軍としてはケ号作戦は値打ちの無いものであった。連合艦隊がミッドウェー島攻略作戦を認めさせるために、軍令部との妥協の産物として行ったアリューシャン作戦によって、守備隊を送ったはいいが、補給が続かずに昭和18年5月29日アッツ島守備隊5000名が玉砕、キスカ守備隊の命脈も風前の灯となった。そこでキスカだけでも救おうと始まったのだが、海軍自身が行ったおろかな作戦の後始末にすぎないものであった。このケ号作戦を行うにあたり海軍はこの木村昌福に目をつけた。こんな勲章にもならない仕事を好き好んでやるものは誰もいない。海軍としてはダンピ−ル海峡の責任を取らそうといういう魂胆があったのかもしれない。6月8日任命。入院中の横須賀の病院から千島列島幌筵へ向かい11日着任した。着任の挨拶に行った木村に河瀬司令長官は最後の奉公のつもりでやってくれと言ったといわれている。

 6月21日に伊7潜水艦がキスカ島南端に乗り上げた。これに打合せのためにやってきた陸軍北方軍参謀藤井一美少佐が乗艦していた。魚雷発射管からかろうじて脱出上陸し陸軍部隊との撤退に関する打合せに成功したのであるが、この藤井少佐によると、打合せにあたり木村少将は「自分が危険にならないかぎり敵とは戦わない。俺の使命は人を助けることだ」「もし全員を収容できない時は海軍部隊を残す。」ということを約束したという。一時間ほどの間に5200名を収容するのはたいへんなことである。この時キスカ島にいた陸軍北海守備隊司令官峯木十一郎少将も、一兵でも収容し損なった時は自分も残るつもりでいたという。こうして始まったキスカ撤退作戦であるが、問題はアリューシャンの天候次第であった。一方いつ来るかわからない収容部隊を待っていた守備隊も大変であった。陸軍のいた七夕(たなばた)地区から結集地まで往復7時間はかかる。来るか来ないかわからない船を待って毎日7時間ツンドラの上を歩き続けたのである。   

 7月15日第一回作戦失敗、引き返した。もともとこの作戦の成功の確率は非常に低かった。潜水艦でさえも米軍レーダーにひっかかって撃沈されるのである。いくら霧にまぎれてとは言ってもレーダーをごまかせるものではない。いずれにしても死ぬのだからやり直すこともないと考える者もいただろう。この時は燃料不足で引き返したのであるが、もしこの時無理して突入していたとしたら、周辺にいた戦艦五隻、重巡五隻、駆逐艦十数隻によって完膚なきまでにたたきのめされていたことだけは間違い無い。今更おめおめと引き返すことはできない、このまま突っ込もうといきり立つ部下に木村は言った「帰ろう、帰ればまた来られるから。」この時有近先任参謀は「帰るんですか。本当にいいんですか。」とただしたという。このまま帰ったら第五艦隊司令部に大目玉をくらうことを心配していたのである。しかし木村は引き返した。木村の脳裏には反対したにもかかわらず強行を命じられ、結果多くの人命を失ったダンピ−ル海峡の悲劇があったのかもしれない。下からの突き上げ、上からは卑怯者のように言われながら平然としていたといわれる。幌筵で第五艦隊司令部の川井参謀が木村の部屋に入ってきた時、木村は先任参謀と碁を打っていた。「何か言いたいことがあるんだろう。」と問う木村に川井は「もう安心しましたから帰ります」と言って帰ってしまった。これこそ木村昌福の真骨頂であろうが、その重圧たるや想像を絶するものがあったはずである。

そして奇跡の第二回作戦が始まるのである。これには様様な偶然が重なっていた。奇跡といわれる所以である。それは次のような米軍の錯誤の繰り返しであった。

1. カタリナ飛行艇が7月24日7隻の船をアッツ島南西200浬にレーダーで捕らえた。

(そのときの第一水雷戦隊の実際の位置はアッツ島から500浬であった。)

2. 連合軍北太平洋部隊司令部はキスカ島封鎖部隊に警戒警報をだした。

3. キスカ湾にいた哨戒艇はそれに呼応して警戒部隊に合同するため哨区を離れた。

4. 7月26日米軍キスカ島封鎖部隊は報告のあった日本艦隊を捕捉するためキスカ島南西80浬にいた。

5. 夜、レーダーで西方に目標を捕らえた。

6. 数分後全艦はこれに砲撃を開始、駆逐艦は魚雷攻撃に向かった。

7. 40分後レーダーの目標は消えたので砲撃を中止した。

8. 打ちこんだ弾数、14インチ(36cm)砲弾118発、8インチ(20cm)砲弾487発

 一体何に向かって弾を撃っていたのか知らないが(100浬以上離れたアムチトカ島の反射波を見ていたらしい)、このため砲弾不足となった封鎖部隊は補給のため補給地点まで戻らなければならなくなった。そのため一日だけ封鎖が解けたのである。5月29日アッツ島玉砕後ずっと封鎖していた艦隊がこの日一日だけいなかったのである。木村部隊が突入したのがまさにこの日であった。そして手はずどおり、55分で全員を収容し終わると速やかに立ち去ったのである。まさに木村少将の忍耐が呼びこんだ奇跡であった。誰もいないキスカ島にアメリカ軍は8月16日大規模な上陸作戦を敢行した。まさか誰もいないなどど夢にも思わない将兵は疑心暗鬼のなか、同士討ちにより死者25名、負傷者31名をだした。もぬけの殻と気がついたのは上陸後2日たってからであった。


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