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読書の秋ですね「菊池良生 講談社現代新書1587」紹介【モナ丼より】
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投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 9 月 21 日 06:29:30: Ll6.QZOjNOr.w
 

http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/books201.htm
201 菊池良生 講談社現代新書1587
傭兵の二千年史


 古代ギリシャから現代に至るまで、権力の移行の裏には傭兵勢力の消長があって、戦法・軍事組織・資金との絡み合いの結果が歴史ではないかと思わせてしまう。モノグラフとして読むのは勿体ないほどの面白い視点の本である。以下、ケノ的な超圧縮版で紹介する。

 古代ギリシャでは、市民皆兵制であり市民の誇りであった。これでペルシャと戦ったこともある。しかしペロポネソス戦争(内戦)と疫病により市民兵が激減したため傭兵制を導入した。正規軍を解体したことで都市国家の没落を早めた。当時は、重装歩兵による密集方陣戦術(ファランクス)であった。これをアレクサンダーが改良し帝国を築き上げた。この戦術はエトルリア経由で百年後に古代ローマへ伝わった。ローマは軍事組織・軍規・訓練を洗練させる。ローマ市民に兵役があり、イタリアを統一するまでとなった。

 古代ローマはカルタゴとポエニ戦争を戦ったが、カルタゴは傭兵制であった。その傭兵反乱のため国力が弱まり、ローマに滅ぼされた。ローマは植民地を広げ、大量の富が流入する。貨幣経済が浸透し、中小土地所有は経済的に没落した。これがローマ市民軍を崩壊させた。前109年のユグルタ戦役で兵が集まらないという事態に陥り、軍政改革が行われた。当時、一定の税を納める市民だけが兵となる資格があった。この兵役資格を撤廃したのである。すなわち職業としての兵士がうまれた。兵士は生計のために将軍にすがり私兵と変わらなくなる。そして将軍らの群雄割拠となった。その最終勝利者がカエサルである。ここにローマは帝政となり、帝国の常備軍が成立した。

 ローマ帝国は広大な領土防衛に各属州の援助兵を当てた。兵は25年の軍務によりローマ市民権を手に入れられるので、兵士はイタリア本土出身以外の者が占める。しかしカラカラ帝は全自由民にローマ市民権を与える政策変更を行ったため、帝国領内の兵士が激減した。これを埋めるためゲルマン人が傭兵となった。ゲルマン人は騎兵戦術が得意であり、やがて近衛連隊の要職を占めた。その中の司令官だったオドアケルにより西ローマ帝国は滅亡させられたのである。

 9世紀ともなると戦士階級が生まれて農民を支配していた。蹄鉄が普及し、騎兵を中心とする機動戦法が主流であった。各戦士は君主と封臣契約により軍役についた。これが正規軍である。しかし各戦士は別の君主の傭兵騎士としてのアルバイトもこなした。君主同士の「私闘」に借り出されたのである。いつしか彼らは傭兵団をなし各地に跳梁した。11世紀、三圃式農業により生産性が向上し、砂金や銀山が見つかって貨幣経済が拡大し始めた。ノルマンによるナポリシチリア両王国が生まれたのもこの頃である。1096年に十字軍が始まると大量の傭兵が発生した。十字軍の合間に神聖ローマ帝国のイタリア戦役もあった。帝国軍の実体は傭兵騎士団であったので、傭兵団を合法化したとも言える。

 13世紀末に十字軍が終わり、戦力は行き場を失った。1347年にペストが蔓延し農民人口が激減し、騎士階級も経済的に没落した。傭兵隊長として領地を手に入れる者もあれば盗賊になる者もいたが、領地を手に入れた傭兵隊長は、小競り合いと称して勝ちもせず負けもしない闘いを繰り返して延命を計っていた。その少し前、歩兵の優位が決定的となっていた。フランドル地方を併合しようと胸甲騎兵を繰り出したフランス軍が、歩兵密集方陣のフランドル軍に大敗を帰した。英仏百年戦争の中のクレーシーの戦いでもフランス重装騎兵軍は、イギリスの長弓隊に敗れた。更に、ハプスブルグ騎兵隊がゴットハルト峠が通じたばかりのスイスへ侵攻したが、スイス農民歩兵に壊滅的打撃を受けたのである。

 スイス歩兵は強いという評判が広まった。スイスの門閥政庁は各国の勢力と傭兵契約を結び、スイス傭兵部隊を欧州各地に送り出すに至るのである。デヴューはブルゴーニュ戦争であった。長槍密集方陣を得意とするスイス傭兵を当てたフランス王軍が、ブルゴーニュ騎兵軍を壊滅させ、シャルル大胆公を死に至らしめた。ブリュゴーニュ公国の南半分はフランス王国に併合される。しばらくスイス傭兵の時代が続いた。顧客はフランス王国と神聖ローマ帝国であった。

 スイス同様に雇用に溢れた南西ドイツ人を集めて歩兵団を作るものがいた。スイス歩兵の真似であり最初は弱かったが、ギネガテの戦いでスイス傭兵を破った。フランスがブリュゴーニュ公領の残りのネーデルランドを狙ったが、これでハプスブルグ家が領有することになる。この傭兵団をランツクネヒトと呼ぶ。傭兵隊長(連隊長)が兵を集め、兵は自治組織を持っていた。馬から下り傭兵隊長へと転身する没落騎士もあった。イタリアの覇権を巡って、ヴァロア家とハプスブルグ家がパヴィアの戦いでぶつかった。フランス胸甲騎兵・スイス傭兵の混成部隊に対し、ランツクネヒト・火縄銃隊の混成隊との戦いである。火器が戦いの主役となり、ランツククネヒトの優位が明瞭と成った。

 しかし、ランツックネヒトの時代は長くはなかった。ボヘミア傭兵という第3勢力が育ち、農民戦争の鎮圧に当てられ、主導者が倒れることで腐敗していった。そして、ランツクネヒトは略奪者という悪評が定まった。

 スペインからの独立を求めるオランダで画期的な軍隊が生まれた。給与を払い続けて、訓練を行い厳密な軍規に従うオランダ独立軍である。陣形も小型の縦型陣形で機動性が高く、火縄銃の他に大砲もあった。スペイン軍は、スイス風の密集方陣を更に分厚くしたもので、ランツクネイヒトには有効であったが、オランダ独立軍には敵わなかった。こうしてオランダはスペインからの独立を勝ち取る。更に、海上ではスペイン無敵艦隊がイギリス政府公認の海賊船団に敗れたため、スペインの時代が終ったのである。

 1618年にプファルツ選帝侯をボヘミア王へ推して、ボヘミアで反乱が起きた。これをオーストリアとスペインの両ハプスブルグ家ならびにバイエルン侯が潰しにかかる。30年戦争の始まりである。プロテスタントとカソリックの争いでもあったが、ボヘミア新教徒軍の半数はカトリックの傭兵隊長が率いる傭兵であった。敗れて傭兵契約が切れると、傭兵隊長のマンスフェルトは残存兵他を引き連れてアルザス・ロレーヌ地方で組織的に略奪を行ったのである。勝ったオーストリア皇帝の横暴が過ぎたので、新教側にデンマークが加わり戦線が広がった。これを5万の傭兵を組織したヴァレンシュタイン率いる皇帝軍がマンスフェルト諸とも撃破した。バレンシュタインには銀行家からの資金提供があり、皇帝からのお墨付きがある軍費税徴収権という合法的略奪により、戦費は戦争で元が取れたのである。しかし、戦後バレンシュタインは解任された。

 神聖ローマ帝国皇帝が強大になるのを恐れ、北ドイツのプロテスタント諸王を救うべくスウェーデンが参戦した。それまでにグスタフ・アドルフ王はオランダが始めた軍制改革を完成させていた。武器や制服も官給で行われ十分な訓練を受けさせた徴兵制常備軍10万を要していた。それは地域で兵に出ない者から軍費を徴収するシステムであった。武器の改良も進んでいた。もちろん戦力の不足は傭兵でまかなわれていた。ブライテンフェルトの戦いに負けた皇帝軍は、バレンシュタインを復帰させる。リュッツェン会戦で新教徒軍は勝ちはしたものの、グスタフ王が戦死したのである。これを功として権限を強めたバレンシュタインは、スウェーデンと密約を結ぼうとしたようで、皇帝により暗殺された。グスタフ王はカソリックのフランスから戦費を借りていたので、今度はフランスが参戦する。皇帝側は破れ、ウエストファーリア条約により神聖ローマ帝国の分断が固定化する。

 フランスは大国であり軍制の改革は徹底していた。最も異なる点は、軍の編成権を王が握っていたことである。30万の近代化された常備軍で、半数がスイス傭兵であった。しかしルイ14世が、新教の自由を保障したナントの勅令を廃止したため、1万以上のスイス傭兵が去った。この穴をアイルランド傭兵が埋めた。ちょうどスペイン・ハプスブルグ家が絶えたことを理由にスペインへ侵攻したフランス軍に、オーストリア・イギリス連合が異を唱えて参戦した。スペイン継承戦争である。スイス傭兵同士の戦いもあったが、連合軍の辛勝で終わり、ハプスブルグ・ブルボン両家の痛み分けで決着した。

 次にオーストリア・ハプスブルグ家が断絶する。ここへプロイセン王国が侵攻しシュレージエンを占有したため、オーストリアとの戦争が起こった。プロイセンは将校は臣民で固め、兵は傭兵ばかりか拉致強制連行により集めた。そして鞭の恐怖により機械のような軍隊を作った。特に軽騎兵中隊による先制攻撃部隊を育成していたのである。この戦争は7年戦争に受け継がれた…。

 本はまだ続き、現代の傭兵にも話は及ぶ。しかし、最も興味深いのは、日本史との類似性を各所で指摘しているところである。古代の律令制が崩れたときに生まれた健児(こんでい)制は傭兵制のことだ、平清盛は後白河院の私的従者としての傭兵隊長だったのでオドアケルと同じだ、等々。誰かこの筋でまとめて欲しいものである。それは兎も角、この本は、面白い視点から欧州史をみせてくれる。これを 200 番にすべきだったなぁ。

[#201: 05.09.11]

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