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毛野氏族概観  【古代及び中世氏族の系譜関係】
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 7 月 30 日 00:51:59: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 坂東は「出雲国」だった?   【坂東千年王国論 】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 7 月 30 日 00:42:00)

毛野氏族概観

http://shushen.hp.infoseek.co.jp/keihu/sizokugairan/kenu1g.htm


○ 毛野氏族は、記紀に崇神天皇の皇子とされる豊城入彦命から出たと称している。豊城入彦命、八綱田命、彦狭島命の初期三代は未だ東国に到らず、次代の御諸別命が景行朝に至って初めて東国に赴き治めていることが、景行五十六年紀の記事などで知られる。この御諸別命が実際の毛野氏族の祖と考えられるが、その活躍年代が前述の標準世代でみて垂仁・景行世代(崇神世代の次の世代)にあたることから考えても、御諸別命が崇神天皇の皇子に置かれる豊城入彦命の曽孫とすることには極めて無理がある。

○ 御諸別命の系譜については、本来、非皇族の者であったが、@毛野国の原住人で、景行天皇の時代に大和朝廷に服属したか、ないしはA畿内の人で景行天皇朝に毛野地方(上野下野)を統属させたか、という選択肢がとりあえず考えられる。以上の選択肢のなかでは、A説が妥当と考えられる。私の結論を簡単に記述すると、次のようなものである。

 毛野氏族の祖たる御諸別命の名や毛野氏族の姓氏・分布などから見て、大和の御諸山(三輪山)や三輪氏族との関連性がかなり顕著であり、両毛地方の主要神社の祭神としての大己貴命の広範な存在もあって、毛野氏族の実際の系譜は、三輪氏族を含む海神族の東国分岐とみられる。それ故に、毛野氏族は畿内及びその周辺に支族をかなり有しており、針間鴨国造も出ている。ただ、大王族とも無関係ではなく、磯城県主の一族から出て初期天皇家(大王家)と密接な姻族として一時的に王位を預かった孝安天皇の流れを汲んで準王族の扱いであったものと推される。

○ 毛野氏族はその分布からみて、大阪湾岸の茅渟地方にその起源をもち、血沼之別の流れとみられる。御諸別命より以前の系譜は難解であるが、三輪君一族との同質性がかなり濃く見られる。

 毛野前代の系譜については、世代などから推定して、磯城県主の支流で彦坐王と同祖とみられる多芸志比古命に出て、その孫が豊城入彦命(能登国造の祖・大入杵命にあたる)、その子に八綱田命(吉備氏族の祖・彦狭島命と同人)であり、これが御諸別命の父ではないかとみられる。また、八綱田命の兄弟が能美津彦命、その子が能登国造となった彦忍島命(大矢命)か。なお、彦狭島命とは吉備下道系の祖たる稚武吉備津彦命と同人であり、毛野は吉備の分流であることが分かってきて驚いている。

○ 毛野氏族の分布は、起源地の茅渟地方を出て摂津・河内に入り、近江から北陸道(特に能登)、信濃を経て毛野地方(上野、下野の両国)に到る経路をとって、畿内から東国へと続いていたとみられる。

 東国では、両毛に限らず、隣接する常陸西部や信濃における一族の分布も濃く、さらに下総にも分布が及んでいた。毛野では鈴鏡・鈴杏葉など鈴をつけた祭祀具が用いられ、古墳の埋葬品や埴輪にみられるが、この鈴文化圏は両毛を中心として、常陸西部・武蔵北部にも及んでいたことがしられる。

○ 毛野氏族は東国第一の大族であり、上毛野君をその宗族とする。朝廷の命をうけ東北の蝦夷を討伐し経営に当たったものであり、大和朝廷から独立した東国の存在とすることは無理である。その部曲を吉弥侯部(公子部、君子部)としており、その関係氏族には本来の毛野氏族と血縁のない蝦夷の人々も組み入れられか付合されている可能性が強い。

 また、朝鮮半島にも出兵していることから、渡来系の色彩のある毛野一族(田辺史に代表される)も多く、その中には実際には血縁のない帰化人系統が上毛野君姓等を冒姓している可能性もないではない。これら蝦夷系・渡来系で本来は他姓であった氏族も、その判別が極めて困難であるので、ここであわせてとりあげざるを得ない。

○ この氏族からは、天武〜文武朝には、「帝紀」編纂にも参加した大錦下上毛野君三千や、律令撰定に関与して参議・式部卿・大将軍となった下毛野朝臣子麻呂、奈良朝初期にも参議大野朝臣東人などの有力官人も出したが、いずれもまもなく衰え、奈良朝後期からは旧姓田辺史であった上毛野氏が外記局の官人として見える。

 平安前期頃からは上毛野氏や下毛野氏の者が世襲的に近衛府の下級官人・舎人として見えてきて、近世まで続く家もあった。これらは東国在地土豪層の系譜を引くようにみられるものの、具体的な出自は不明である。

○ 東国では、十世紀中葉の天慶の乱の頃から、毛野一族の活動は殆ど見えなくなるか不明になってくる。この乱の鎮圧に大きな功績をたて、平安中期以降に関東に大きな勢力となった藤原北家魚名後裔を称する下野出身の藤原秀郷の流れの諸氏、及び藤原道兼後裔と称する下野・常陸の守護宇都宮・八田一族は、実際には毛野族裔ではないかとみられる。なお、秀郷は下野国河内郡の下毛野川内朝臣の後裔で、その父祖くらいに藤原を冒姓したか。その後裔諸氏については、藤原氏秀郷流の項を参照のこと。

○ 毛野氏族から出た地方の国造としては、上毛野国造、下毛野国造、針間鴨国造、浮田国造(及び能登国造)があげられる。この氏族奉斎の神社としては、下野国河内郡宇都宮の二荒山神社(宇都宮大明神)及び豊城入彦命を祭る示現太郎宮があげられる。また、駒形神(駒弓神、子眉嶺神、子檀嶺神)や豊受比売神(保食神)を奉斎したが、これは陸奥で顕著に見られる。

○ 毛野氏族の姓氏及びそれから発生した苗字をあげると次の通り。

(1) 関東の両毛・常陸及び信濃地方……毛野氏族は当初から二流あって、上野東部から下野に展開した御諸別命の系統と、その弟の夏花命の系統であり、夏花命後裔は上野西部に展開して物部君・朝倉君等の諸氏となったとみられる。

 上毛野君、上毛野朝臣(録・右京。野呂−伊勢国に住)、上毛野宿祢(上野宿祢)、下毛野君(東宮−下野国芳賀郡亀岡八幡宮祠官)、下毛野朝臣(録・左京。調子−世々近衛舎人也、山城国乙訓郡調子庄に住。富−調子支流、称豊原姓)、吉美侯、下毛野川内朝臣、桧前部君(桧前公。猪熊−上州人)、上毛野佐位朝臣、上毛野朝臣(桧前公末流。佐井、花形、小此木、生形〔小保方〕−上州佐位郡人。秀郷流と称する那波氏も同族か。また、上州の宇夫方氏や、その一族で阿曽沼氏に属し陸奥閉伊郡に遷住して起った綾織・西風館氏も族裔か)、壬生君(録・河内未定雑姓の壬生部君と同じ。壬生−下野国都賀郡の大族、上野国甘楽郡に分る。大門−下野人で壬生一族)、壬生朝臣(熊倉−上州甘楽郡人、のち都賀郡野木大明神神主。佐野−上州群馬郡佐野邑より起る。高尾、江口、木口、吉田−熊倉の同族)。

 物部、物部公(尾崎−上野国甘楽郡一宮の神主家。神宮−同上族。栗原−武蔵国入間郡北野村の物部天神社司。宮寺−武蔵国入間郡人。瀬下−上野国甘楽郡人。物射〔桃井〕−同群馬郡人。同郡の漆原氏も藤原姓を称するが、瀬下と同紋であり同族か、阿波国板東郡に分る)、磯部、磯部君(磯部−常陸国新治郡の鴨大神御子神主玉神社祠官。おそらく上野国山田郡人の桐生氏もこの裔か。綿貫−越後国頸城郡水嶋礒部神社祠官、称磯部臣は訛伝か)、石上部公(岡本、多胡、織本、白井、熊井田−上州人。小幡−上州甘楽郡小幡住人。羊大夫後裔の系譜をもつ粟生、蔭山、片山、疋田などの諸氏も一族か。神保・花田は、多胡と同じく惟宗朝臣姓を名乗るが、実際にはこの姓氏か。粟生−能登に起り、三河国額田郡に住。鹿島−三河の粟生一族。石上朝臣姓を称する群馬郡熊野社別当の並榎氏も一族か。在原朝臣業平の後と称する群馬郡箕輪の長野一族も、実際にはこの流れで岡本同族か。その一族とみられるものに同郡人の和田・綿貫があり、綿貫は安芸にも分れる。長野の一門与党とされる前橋、南、小熊、浜川、羽田、八木原、須賀谷、和田は皆、檜扇紋を用いたことから、本来同族か)、上毛野坂本君(坂本−上州人)、上毛野坂本朝臣(録・左京)、丈部、丈部公(梶山、長岡、曲沢−上州人)、朝倉君。

 池田君、池田朝臣(録・左京。池田−上州、常陸に住。大鳥−和泉国大鳥郡人)、大野君、大野朝臣(録・右京。大野−下野国人)、大網公(録・左京)、佐味君(狭身君)、佐味朝臣(録・右京)、他田部君、矢田部君、額田部君、井上君。
 若麻績部、若麻績部君(栗田−信濃国水内郡戸隠別当。布施田、宮川−信濃国人)、大麻績部、中麻績、中麻績公、麻績部、伊気(河内未定雑姓。信濃国更級郡に起るか。同郡頤気神社祠官で大彦命後裔といい藤原姓を称した五明氏はその裔か、もと布勢という)。

(2) 畿内系統……大阪湾沿岸の和泉・摂津に多く居住しており、主殿寮の官人として続いた車持氏もあった。

 車持公(録・左京、摂津)、車持朝臣(倉持−常陸国真壁郡人。国府、国分、小池−摂州人)、車持連、車持宿祢、韓矢田部造(録・摂津)、辛矢田部君(寺井−摂津人、後に称菅原姓)、辛矢田部宿祢(尾崎−下総国葛飾郡に起り、相模国津久井郡に遷住。また、津久井郡の守屋氏は、藤原姓と称したが、下総国相馬郡守屋に起る同族か)。

 珍努県主(録・和泉。中−和泉人)、珍宿祢、軽部(録・和泉。軽部−和泉人、下野にもあり)、軽部君、軽部造、丹比部(録・和泉)、多治比部公(蝮部公)、飛鳥部造、飛鳥部宿祢(浅井−常陸人)、藤原部、藤原部造、藤原部連、葛原部(久須波良部。録・和泉。藤原−武蔵国人。藤本、藤岡−播州明石郡人)、葛原連(久須波良部連)、葛原宿祢、葛原朝臣、佐代公(録・和泉。高瀬、奥、中、口、降井、門野−和泉国日根郡人。熊取、根来−同族で同郡人、称藤原姓)、茨木造(録・和泉。摂津国島下郡の茨木氏や、京官人で滝口の茨木、番長家の橋本などは族裔かあるいは三上氏族か。南部盛岡藩士の島川氏は茨木氏の後)。

 下養公(録・大和)、佐自努公(録・右京、河内未定雑姓)、広来津公(尋来津君。録・大和、河内)、我孫(阿比古。録・摂津未定雑姓)、我孫公、秋原朝臣、阿比古宿祢、針間鴨国造(姓氏不明も上毛野賀茂君か。播磨国加東郡の垣田神社祠官垣田・藤井氏や依藤氏は族裔か)、鴨部(河内未定雑姓)。

 また、『姓氏録』和泉皇別に掲げて倭建尊後裔と記す和気公・県主・聟木(一に聟本)や近江の犬上君・建部君も、毛野・能登氏族の出自か。

●毛野の畿内系統に密接に関連しつつ東国に居住したものがあり、下野の大族宇都宮一族や常陸の八田(小田)一族があげられよう。これら一族は常陸国真壁郡八田村に起り、藤原北家道兼流とも道綱流とも称し、本姓中原ともいったが、二荒山神社を奉斎して河内郡の宇都宮社務職を世襲しており、実際には辛矢田部君の流れではないかとみられる(太田亮博士も毛野後裔説)。また、同じく真壁郡伊佐庄に起って陸奥国伊達・信夫郡で大いに発展した伊達一族は、藤原北家山蔭流と称し室町期には源姓も称したが、実際には車持公(あるいは辛矢田部君か)の流れではないかと推される。あるいは、宇都宮もそのどちらかの姓氏であったことも考えられる。

 宇都宮一族には、宇都宮が豊前や伊予などにも分れたほか、下野東部とその近辺の常陸等に繁衍した。下野では、横田、石井、落合、上条、上三川、中三川、蒲生、多功、刑部、今泉、中里、岡本、平出、竹林、戸祭、桑嶋−河内郡人。武茂、松野、大山田、狩野、大久保−那須郡人。氏家、塩谷〔塩屋〕、鷲宿、幸賀〔合賀〕−塩谷郡人。氏家一族に高須、一ノ瀬。西方、兒山〔小山〕−都賀郡人。高根沢、千本−芳賀郡人。このほか、相場〔大庭〕、中里、玉生、平石、小池。常陸では新治郡などに笠間、鳥子、戸蔵〔戸倉〕、本殿、北条など。武蔵の中山。

 豊前の宇都宮では、仲津郡を中心に同国全般に繁衍して、一族多く、嫡宗の城井のほか、野仲、内尾、犬丸、山田、成恒、中間、高野、深水、加来、西郷、如法寺、小山田、友枝、横川、荒尾、赤熊、広津、佐田、伝法寺、上条、楊梅、野依、川底、下崎、崎田、江良、江里口、彦、山鹿、小山、長山、水戸、大野などの諸氏。このうち、宇佐郡の佐田も有力であった。

 伊予国喜多郡の大洲城主として戦国期まで勢力をもった宇都宮氏は、系譜・所伝に混乱があるものの、下野の庶流で鎌倉期の伊予守護の流れ(一族の武茂氏から嗣が入る)としてよさそうである。ただ、同郡宇津に縁の伊予古族(伊予凡直かその同族)の末裔が何らかの関係をもった可能性もあろう。その一族と称する苗字には曽根、沖永、井上、栗田、多田や紀伊の宮井などあるが、系譜には疑問を留保。

 また、小田一族では常陸国筑波郡の小田氏を本宗とし、筑波・新治郡中心に常陸等に分布して、主なものには次の通り。

 小田−常陸国筑波郡に起り、肥前国神崎郡等に分る。八田−常陸国真壁郡人。谷田部、足高、大嶋、高岡、三村−筑波郡人。小幡〔小畑〕、栗原、志筑、戸崎、大畑、弓弦、手野、片野、安食−新治郡人。柴崎、岡見、寺田、矢代−河内郡人。高野、高久、菅又−那珂郡人。山尾〔山野宇、山野尾〕−茨城郡に起り、豊前に分る。真家、小鶴、友部、柿岡、月岡、岩間、田野−茨城郡人。伊志良〔伊自良〕−美濃国山県郡に住、常陸国新治郡・越前国足羽郡にも住。宮山、石島、矢口、泉沢、今泉、神郡、造谷−常州伊志良一族。大塚−常陸国多賀郡人。茂木、小高−同行方郡人。宍戸−同茨城郡人で、安芸国高田郡に分れ毛利重臣で明治に華族。中所、三田谷、高水、深瀬、末兼、粟屋−安芸国高田郡人。庄原−芸州三上郡人、以上は安芸の宍戸一族。田中−常陸国筑波郡人、京官人で院雑色もあり。このほか、小神野、飯岡、宮本、高田、浅波、阿那名、倉内、田宮、成井、吉原、福田、青木、柴山、柳田、岡野、岡崎、袖山、坂入、山口、大徳、松田、飯田、植木、高柳、平沢、大沢、永山、北条などや、筑波社の社務家筑波や中禅寺別当もあった。高階氏の者が宇都宮氏の養子となったとも伝える筑前国遠賀郡の麻生氏もあり、その一族には黒崎、山鹿。

 伊達一族では、伊達が出雲、但馬、備中、伊勢、駿河などにも分れたほか、中村、伊佐、伊佐岡−以上は常陸国真壁郡人。伊佐は陸奥黒川郡にも分れて、称菅原姓。粟野、塚目、石田、徳江〔得江〕、伊達崎、田出〔田手〕、舟生、飯田〔半田〕、桑折、大松沢、八幡、大条〔大枝〕、小梁川、梁川、杉目、大立目、内谷、新田、岡村、中野、牧野、滑沢−以上は陸奥の伊達郡に住。飯坂、瀬上−陸奥国信夫郡人。立谷−同宇多郡人。小原−同刈田郡人。沼辺−同柴田郡人。殖野−下野人、越後若狭にも住。野山、杉−備中国上房郡人。立石−但馬国出石郡人。矢部−常陸国真壁郡人、なお岩代岩瀬郡の源姓矢部氏は伊達一族か。寺本〔寺木が正しいか〕−但馬。菅野−伊達郡の梁川八幡宮神主で、伊達氏に随って仙台に遷し関口という、菅原姓を称するも伊達の早い分岐か。

(3) 以下の姓氏は、畿内系統でも渡来系的色彩ないし外交関連がみられ、田辺史が代表的なものである。

 田辺史(録・右京)、上毛野公、上毛野朝臣(田辺史の改姓。録・左京)、池原公、池原朝臣(録・左京)、住吉朝臣(録・左京)、川合公(河合公。録・左京)、川合宿祢(伊賀国阿閉郡河合郷の川合、磯矢、岩島、木津の一族は族裔か)、登美首(録・和泉)、止美連(録・河内)、村挙首(録・河内)、商長首(録・左京)、商長宿祢(花前、祓井、常岩−越後国居多社祠官一族)。田辺公も田辺史の同族か。川合公の賜姓前の姓は朝妻金作であり、この同族は同時に池上君を賜姓した。池上宿祢はその後か。太田亮博士は、おそらく池上椋人(録・未定雑姓左京)と密接な関係があって、坂上氏の一族ではないかという。

 垂水史(録・左京)、垂水公(録・右京)、大津造、大津連、大津宿祢。
 桑原公(録・左京。桑原−大和人)、都宿祢(桑原公の改姓も、実は諸蕃出自で万得使主後裔か)、都朝臣(池内−大和国添下郡人)。

(4) 東北地方……陸奥国宇多郡の浮田国造の一族が、駒形神を奉じてさらに北方に展開したのが主な流れとみられる。ただ、毛野に属した蝦夷が混入したものも一部あろう。

 吉弥侯部(君子部。録・左京)、上毛野陸奥公(浮田国造の姓氏とみられる。中村、黒木−陸奥宇多郡仲村郷に起る)、吉彦宿祢(斑目、荒川−出羽仙北郡人。山口−下野人、越中にも分る。西沢−濃州石津郡人)、名取公(名取−陸奥国名取郡人、後甲州に遷)、名取朝臣(名取郡の菅井は族裔と伝える)、上毛野名取朝臣、上毛野遠田公(遠田−陸奥国遠田郡人)、上毛野中村公(中村−甲斐国山梨郡人)、上毛野胆沢公、上毛野賀美公、上毛野鍬山公(尾張の桑山氏はこの族裔かとみる太田亮説があるが、おそらく疑問か。ただ、藤姓結城支流と称するのも疑問)、置井出公、上毛野緑野直(同上の改姓。出羽の田夷とされる)、上毛野賀茂君。また、出羽国秋田郡の金成(嘉成)氏は陸奥栗原郡に起っており、栗原郡の吉弥侯部の族裔(上毛野栗原公という姓氏があったか)とみられる。陸奥宇多郡黒木の諏訪神社祠官桃井は、同郡の物部末流か。

 下毛野俯見公(陸奥玉作郡の吉弥侯部の改姓)、下毛野静戸公(陸奥信夫郡の同)、下毛野陸奥公(陸奥柴田郡の丈部の改姓)。

●出羽山北の武家華族戸沢氏や陸奥胆沢郡の柏山氏の動向・分布を検討したところでは、平姓を称したこれら一族の実際の出自は、上毛野胆沢公の末とみるのが妥当とされよう。

 出羽の戸沢氏は、光孝平氏の出自で平兼盛の後裔とも桓武平氏正度の後裔とも称するが、実際は奥羽の古族末裔ではないかとみて検討したところ、駒形神(保食神、大宮神)奉斎に関係が深く、こうした結論となった。初め岩手郡滴石に拠った戸沢一族とその後裔には、淀川、小館、門屋、大関、西館、大久保、高松、川井、樋口、角館−出羽仙北人。滴石、城取、田代、長山、土川、小保内(生内)、高橋(高階)、石井−陸奥の岩手・胆沢・江刺郡に住。寺内−陸奥行方郡に起り、周防長門に遷。駒井、守屋−戸沢一族。柏山(樫山)−陸奥和賀郡柏山に起る胆沢郡の大族、葛西氏老臣。三田、小山、折居、岩淵、名須川、机地−胆沢郡の柏山一族。

 柏山氏は平清盛一門の後(平資盛の子の資元の後と称)とも千葉頼胤の子の百岡次郎胤広の後とも称した。これに関連して、胆沢郡百岡(柏山氏の本拠大林城の地)より起る百岡氏は、千葉頼胤の後といい、この関連の長坂・江刺・本吉・浜田・一関など千葉一族は、陸奥磐井郡を中心に胆沢・気仙郡などに多い。しかし、千葉常胤の七男(あるいは千葉五郎兵衛晴胤の嫡男)とも常胤同人ともいう頼胤の存在は疑問であり、あるいは皆、柏山の同族の可能性もあろう。胆沢郡の日高未妙見宮の別当千葉氏も同族。江刺郡主江刺氏は葛西氏一族の出ともいい、葛西から入嗣もあったろうが、本来別族で古族の裔か。承和年間に江刺郡擬大領として上毛野胆沢公が見える。江刺郡の人首氏は江刺の族で、人首の裔に三田も出た。このほか、奥羽の古族末裔で、後にその系を葛西氏に架けたものもあったとみられる。

 また、江刺氏や葛西氏に仕え、江刺・磐井・気仙郡等に繁衍した称源姓の高屋・伊手・及川〔笈川〕・男沢・太田代〔大田代〕・小田代・下川原〔下河原〕の一族も、根源は江刺郡の模様であり、江刺同族か。

                              (以上)
(05.5.7掲上)

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