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かくて管制塔は占拠された  【鎌田 慧】
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 11 月 01 日 08:20:48: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: <成田管制塔襲撃>元活動家が賠償金約1億円を納付へ(毎日新聞) 投稿者 熊野孤道 日時 2005 年 10 月 28 日 00:13:37)

かくて管制塔は占拠された
                三里塚廃港要求宣言の会 事務局長 鎌田 慧


http://jioos.podzone.net/tower.php?itemid=22#more


この文章は季刊労働運動17号(1978年4月)に掲載されたものである。なお、HTML文書化するにあたり、横書きに直したほか、段落等を一部修正したところがある。

三・二六大戦闘

3月25日。午前9時、横堀要塞からポカッとアドバルーンがふたつあがった。三里塚にもようやく春がやってきた。やわらかな畑の上を、春の風がわたる。のどかに揺れるアドバルーン。平和なこの風景が、これから開始される戦闘への幕開けであった。
『週刊朝日』によれば、このアドバルーンをみて、千葉県警空港署長は、
「あれに“大安売り”とでも書けばもっとカッコウがつく」
ととりまいた記者団にほざいていたという。あるいは記者たちは、それに追従笑いをしていたかもしれない。アドバルーンは、挑発するように、ゆらゆら揺れている。


■機動隊は誘いに乗った

午後になって、
「建てはじめたぞ」
との声。労農合宿所を出てみると、丘のむこうにそそりたる横堀砦の上に、四角な鉄の枠が組み立てられていくのがみえた。いよいよ戦闘開始である。ヘリの爆音が騒々しくなる。機動隊があわただしく移動する。いきりたった機動隊は、こうして砦に引き寄せられる。彼らのプライドは傷つけられる。厳重な検問によって、鉄塔を組み建てるような鉄材が持ち運ばれている事はありえない。そんなはずはない。

「開港」は福田首相にとってのメンツである。政策がただメンツだけにより、その遂行が力だけにたよらざるを得ないのが福田にとっての命取りである。彼は焦っている。「国家的威信」には 「3月開港」を口走った福田個人のメンツも含まれている。とにかく開港させなければならない。追いこまれてきたのは福田政権であり、追いこんできたのは三里塚農民と労働者である。

鉄塔は次第に高くなっていく、わたしは近くの団結小屋のやぐらから双眼鏡で覗いてみた。ヘルメットの戦士たちが着実に組みあげている。「横風用滑走路」のアプローチエリアにある横堀要塞は「開港」にまったく関係ない。そこに鉄塔がたったにしても、「航空」にはなんら差しつかえない。しかし、それでも、焦立っている福田にとって、鉄塔が神経を逆なでにする。

2月6、7日の要塞防衛戦は、厳寒のさなか、警官を40時間もひきつけて戦い抜かれた。守りの砦が攻撃の武器に転化し、3月開港阻止闘争への大きな水路を開いていった。たたかいの局面は、横堀要塞戦を契機に、構成へと転じていた。

さて、警察がもう一度、この誘いに乗ってくるかどうか。これが決め手である。力強く天に伸びはじめた鉄塔を見上げながら、わたしはそばのひとにいった。
「もし、ぼくが警察庁長官なら放っておくな。明日からの1週間闘争のあとから、ゆっくり攻撃するさ」
が、一度横堀砦攻撃をしてしまった以上、政府は鉄塔をそのまま見捨てるわけにはいかない。なにしろ、彼らはメンツが最優先であり、それに機動隊も長逗留で退屈しきっている。1万4千の隊員の量を、彼らは過信していた。

深夜、0時5分。ガス弾発射。閃光を曵いて鉄塔に打ち込まれるガス弾が見える。砦からはマイクで応酬する声が聞こえる。谷をはさんだ丘の上で焚火が燃えさかる。宣伝カーが横づけされ激励のシュプレヒコールが上がる。

3月26日はこうしてはじまった。敵は攻撃を開始した以上、このまま撤去まで攻撃し続けなければならない。今日は全国から大結集するというのに、警察はおのずから泥沼に踏みこんだのである。
ヘリコプターの騒音とガス弾の音を聞きながら、2時すぎから合宿所で仮眠をとった。

■戦旗、先鋒隊の旗が確認されました!

午前6時。要塞からの第一声。合宿所ではすでに全員起床。前庭の隅に急ごしらえされた「野戦食堂」で、立ったまま朝食をかきこむ。プレハブ1棟の増築も完成したばかりで、2棟とも全国から集まってきた労働者、市民で超満員である。みんなきびきび動いている。

午前9時半。第5ゲートにほど近い、菱田小学校跡地で、「開港阻止決戦、空港包囲大行動」決起集会が開かれた。三里塚闘争に連帯する会、三里塚「廃港」要求宣言の会、三月開港阻止労働者現地行動調整委員会の共催である。赤ヘル部隊がぎっしりと校庭を埋めつくし、部落解放同盟、労働者、市民団体がそのまわりを囲む。およそ2千強。ピーンと張りつめた雰囲気がみなぎっている。

まず、戸村一作同盟委員長が、「三里塚のたたかいは、いまや闘争でなく戦闘である」と演説、2月6、7日の横堀砦の攻防戦を戦い抜いた熱田一副行動隊長、長谷川たけ、小川むつ婦人行動隊員からの決意表明のあと、各参加団体が今日の戦いにむけての熱烈な演説をした。

12時。隊列が整えられ空港に向かって進撃。一隊は第5ゲート近くの保安研修センターにむかい、一隊は横堀へ、そして最後の一隊は大きく迂回して東峰にむかった。ある雑誌社から取材を依頼されていたわたしは、最後に出発した武装部隊の最後列についた。
途中、精華学園跡の草原でトラックとドッキングして部隊は武装した。「たたかうぞ、突入するぞ」のシュプレヒコールのあとで出発。

うららかな春の陽射しを受けた北総台地の緑の中を、真っ赤なヘルメット部隊が縫うように進んだ。鉄パイプを袈裟がけに背負い、両手に火炎ビンを持った部隊が細い道を通り抜ける。赤旗がなびく。ヘルメットが陽を受けてキラリと光る。まわりの芽吹く緑に1千にものぼる赤い隊列がよく映える。整然と静かに空港を目指して進撃する。

資材輸送道路と交差する道で、警備側のバリケードを取り除き、機動隊を防ぐバリケードに組み直す。その手前に乗用車を2台据え、ガソリンを撒いて火炎ビンを投げこむ。クルマはたちまち焔に包まれ、ガクンと痙攣する。黒煙は空港にむけて低く這う。移動してきた輸送車と機動隊は退却する。どっと喚声があがる。

機動隊が釘づけになっている間に、先頭の300余りの部隊は第8ゲートにむけて進撃していたのだった。右前方の東峰十字路あたりでも黒煙があがっている。対峙していた機動隊は、横一列に拡がってジリジリ進んでくる。火炎ビンが飛び、催涙弾が打ちこまれる。煙と催涙ガスで眼をあけていられない。戦線はこう着状態になった。

「管制塔に赤旗がたったぞ!」
との声が飛ぶ。ワアッと喚声があがる。信じられない。
催涙弾が頭をかすめて飛ぶ。一進一退を繰り返していると、また伝令の報告。
「戦旗と先鋒隊の旗がカクニンされました。残念ながらインターの旗はまだ見えません」

「やった!」
インターの部隊も、戦旗も先鋒隊も一体になって喚声をあげる。飛びあがってよろこんでいるのもいる。空港に入ったものも、外で阻止線を守ったものも、ともに占拠のたたかいをたたかったのだ。 機動隊との間の原野に炎が走り、空港の方はよくみえない。風むきが変り、炎は横に走っている。

「空港に突入した部隊が引き返してくるぞ」
信じられない。遠くで機動隊ともみあい、逮捕されているのもみえる。催涙弾の円筒が足もとに落ちる。わたしはヘルメットもないので、もう退却だ。後方にしりぞき、やはり部隊について観戦にきていたAさんから目薬を借りた。

「すごい、すごい。信じられない。」
「突入した部隊が引き返すなんて、こりゃすごい」
もうみんな有頂天である。
「管制塔に入った連中はこわしているんだろうね」
「公団総裁室に入っても、なんにもしなかったのもいたからね」
「これで3・30開港は吹っ飛んだね」
などと、観戦部隊は勝手なことをいいあっている。炎が拡がり、林の中にまで燃え移ってきたので、赤ヘル部隊を呼んで手分けして消火活動にあたった。
わたしたち4人の野次馬は間道を通って労農合宿所へいった。ここでようやく情報がはいってきた。テレビのニュースによればいまなお、管制塔での占拠は継続中とのことだった。

合宿所の屋根にのぼった。管制塔の周りにはヘリが群がって飛びまわっていた。望遠レンズで覗くと、管制塔の屋上から人を吊り上げるのがみえた。窓の外で身構えているのは機動隊のようだ。それは逮捕がはじまっているかのようにみえた。

精華学園跡で武装した部隊は、資材輸送道路を結ぶ松翁交差点に阻止線を張って機動隊をひきつけ、戦闘部隊はいくつかのバリを破ってそのまま第8ゲートから「空港」内に突入した。

保安研修センターに進撃した部隊は、そこで火焔ビンを投げて機動隊をひきつけた。
横堀要塞にむかった部隊は、労農合宿所わきに要塞を守っていた機動隊の精鋭部隊をひきだした。

そしてそれと同時に、武装トラックが第9ゲートのバリを破り、パトカーを蹴散らしながら突入した。そのすきに、マンホールにひそんでいた決死隊が管制塔に駆けのぼり、この空港心臓部を占拠し「包囲、突入、占拠」作戦のとどめを刺したのである。
1万4千の機動隊は、空港内を駆けまわり右往左往した。

「午後1時20分、今度は第8−2ゲートが火をつけた火焔ビンを振りかざした赤ヘル約20人を乗せた小型トラックに突破された。『また来るぞうー』管理棟内は完全なパニック状態。公団職員は逃げまどい、警官の一部も2階から空港署に逃げ込む。
警察車両は次々に襲われ、炎と黒煙をもうもうと噴き上げる。機動隊員の後ろから、制服警官がピストルを構え威嚇する。その隊列にも火焔ビンは遠慮なく飛んだ。」(『朝日新聞』3月27日)

警官隊はピストルを乱射した。それは彼らの恐怖を充分に物語っている。銃はデモ隊にむけられた。混乱すると警官はすぐ発射する。空港は土を殺し、東山薫を虐殺して建設され、そしていままたピストルの乱射によって護られている。人民に銃口を向けながら開港しようとする「国際空港」の存在の本質が現わされている。

土に生きる農民の知恵

3・26で管制塔に赤旗がひるがえるまで、反対同盟と支援するものたちは着実にたたかい続けてきた。

昨年2月上旬から「連帯する会」を中心にして、反対同盟の新聞を75万枚全国の街頭で配布、大宣伝戦を展開し、各地の集会を盛り上げながら、4・17の2万余の大結集を成功させ、岩山大鉄塔破壊を策動する政府公団を恐慌状態に陥れた。これによって三里塚闘争の裾野は急速に拡がった。これまでも、廃港要求宣言の会は、全国の住民運動団体と結合を深めるための集会を開き、三里塚闘争の大義を全国に打ちたててきた。

5月6日の闇討ち鉄塔破壊に憤激したたたかいは5月8日の千代田農協前での火焔ビンと鉄パイプでの戦闘を開始させ、機動隊の指揮車は炎につつまれて燃えつきた。ガス銃の水平撃ちと弾頭の硬い模擬弾が乱射され、路上に倒れるものは続出した。野戦病院前にピケを張っていた東山薫が虐殺されたのは、このときのことだった。

戦いはゲリラの激発と全国宣伝の両方から昂揚期に入った。8月の全国活動者会議で全国大行進が提起され、各地のキャラバンと大阪→東京の大行進が成功を収めた。動労千葉地本の燃料貨車輸送阻止闘争も着実に準備されていた。騒音テスト、慣熟飛行にたいして同盟を先頭とした坐りこみ闘争もはじまり、ついに今年2月の横堀要塞攻防戦となったのである。これは機動隊を長時間ひきつけ、火焔ビンと放水・ガス弾による壮絶な戦闘となった。同盟も6人の幹部が砦にこもって戦った。この戦闘が多くのものに対して3・26闘争への闘志をうち固めさせたのだった。

管制塔占拠によって鳴りをひそめていた機動隊は、翌27日夕方から気をとりなおしたかのようにふたたび横堀要塞への攻撃を開始した。映画のスクリーン状の巨大な金網をクレーンに取り付けて火焔ビンと投石を防ぎ、そのクレーンの背を伝って砦の中に踏みこんだ。

谷をはさんだ丘の上に支援のものたちが集まり、声をかぎりに激励した。合宿所には続々と反対同盟員が集まり、マイクを手にして呼びかけた。
「北原さん、秋葉さん、石井さん、聞こえますか。聞こえますか。がんばってください!」

鉄塔の上空に、ヘリが吸い付いたように停止し、投光器の光を投げかける。やがて北原事務局長、石井実行役員が逮捕された。とのニュースが伝わってきた。鉄塔の上にはまだ人がしがみついて抵抗している。

9時すぎ、双眼鏡を借りてみると、白い耐熱服の機動隊員が、最上段で小旗を振るのがみえた。ついに逮捕されたのだ。機動隊は2、3メートルの至近距離からガス弾を直撃し、鉄塔戦士を人事不省に陥らせていたのだった。

砦の中に踏み込んでも、そこはすでにもぬけのカラだった。このまま逃げてくれればと、祈るような気持ちだった。警察のヘリが飛びまわって山林に間に光を投げ込んでいた。彼らの動揺が手に取るようにわかった。抜け穴をつたって、無事脱出し風呂にでも入って寝ていれば、もはや逮捕はできない。

三日月のかかった星空をヘリが必死になって飛びまわっていた。駆けつけていた支援のものたちは、同盟の指令を受けて解散しはじめていた。時間からして、もう充分に脱出しているはずだ。もし穴の中に残っていたら、酸欠で窒息する。長い時間がたった。
「『ぞくぞくとろう城組が“降伏”して出てくると思ったのに、なかなか出てこない。要塞内は暗い。どうしたのか。』

要塞にうがった穴に飛び込んでいった機動隊の数が二ケタ以上になっても、中からは、何も聞こえてこない。異様な建物の、異様な沈黙。と、屋上にいる機動隊員が『だれもいないよ』の合図。前後して、別の部隊が、ド、ド、ドッと要塞北側の方へ。ヘリコプター2機が飛び、要塞裏の林を照らし出した。

警察側にあせりの色が濃くなった。『何としても捕まえろ』指揮官の興奮した声が飛ぶ。」(『朝日新聞』3月28日)

が、駄目だった。どうしたことか地下道出口は機動隊に包囲され、脱出不可能だったのだ。もし、これが無事脱出していたなら。マンホールと抜け穴。土に生きる農民が、土の中をかいくぐる農民の知恵が近代装備の空港の鼻をあかせることができたのだった。


機動隊に守られた空港の破綻

3月28日は雨になった。
3月開港に「国家的威信」や「政治生命」などをかけ、伊勢神宮を拝んでいた福田首相は、前夜口惜しくて眠れなかった。
「どんなお気持ちで」
と福田番記者が問いかけると、彼は赤く充血した眼をしばたたかせて「残念無念」敗軍のしょうはかく語ったのである。

■くやしまぎれの“治安強化”

関係閣僚懇談会は「開港延期」を決定した。日本国家の野望と威信はこうしてけし飛んだのである。大臣たちは口惜しまぎれに声明を発表した。

「……政府はこの際極左暴力集団の徹底的検挙・取り締まりのため断固たる措置を取ることとし、開港を含めた長期警備体制の一層の強化を図るとともに、管制塔をはじめ空港を不法な暴力から完全に防護するためさらに空港施設の整備を図る等全般にわたる抜本的対策を強力に推し進める決意である。……」

彼らは、開港できなかった原因を警備ミスと防護設備の不備にもとめている。ひとを迎えいれなければならない空港が、ひとから隔離した存在にしなければならないジレンマのため、大臣たちのアタマは混乱する。

「あんな連中は機関銃で一斉掃射してしまえ」
「ピストルをもっと使え」
「破防法を適用しろ」
「特別立法を作れ」
日本共産党も「毅然とした警備をとれ」と政府に要求し、内藤功議員は国会で団結小屋への弾圧をわめき散らした。

■農民の正義の闘い、頂点に管制塔

何故農民がたたかい続けるのか。その原因に目をつぶって、抵抗する農民を取り締まれ、ということでは自民党タカ派と共産党は一致している。農地を強奪されようとしてたたかうのは正当防衛の権利である。その国家の暴力を許さないとする支援のたたかいは正義である。力ずくですべてを解決しようとするなら、それに抵抗するのは、当然の権利である。

三里塚闘争では、昨年5月8日の千代田農協前攻防戦から大衆的実力闘争として公然と機動隊を攻撃するまでに発展している。もちろんこれは67年の測量阻止闘争、成田市営球場での機動隊との激突、71年の代執行闘争、9・16機動隊との死闘として積み重ねられてきたものだったが、5・8市街戦は、実力による「廃港」の道を切り拓き、横堀要塞戦以降、局面は反対同盟側に有利に展開されてきたのである。

政府や共産党があわてふためいたのも偶然ではない。三里塚闘争が階級闘争の前面におどりで、伯仲公然と大衆的な実力によって政府を打ちのめし、それがテレビによって茶の間に入ってきたのである。政府、共産党をのぞいて、すべての人民は喝采した。
1万4千の機動隊とガス弾とピストルがあっても、全国の労働運動、住民運動、学生運動が連合すれば、敵の心臓部は一突きにできるということが明らかになったのである。歴史をつくるのは人民の力である。3月26日はそれを再確認した歴史的な勝利の日だった。
反対同盟は早速ビラをつくって全国で配布した。

「ほらみろやっぱり開港できめえよ」
これがタイトルである。
「……ついに廃港への道を切り拓くことができました。この12年、流された鮮血を思えば難としても空港にとどめをささねばなりません。横堀砦にたてこもって北原鉱治、石井武、秋葉哲ほか支援する兄弟たちの決意を受け継ぎ長期に不抜にたたかいます。」
用地内農民を中心とした反対同盟約50名は、しのつく雨にもめげず運輸省抗議に押しかけた。反対同盟の政治攻勢の開始である。「廃港」要求宣言の会と連帯する会は代表とともに
同新空港公団に押しかけた。

運輸省、公団ともついに「開港」の大義を語ることはできなかった。彼ら自身、開港しなければならない論理を喪失していた。たとえ万余の機動隊を配置しても、守るべき大義がない以上、彼らの敗退は時間の問題なのだ。

3月26日〜28日の戦闘において逮捕された168名の大半は労働者である。労働者が職を投げうち、命を懸けてたたかう闘いが日本の歴史の中ではじまってきたのである。このことは、三里塚農民のたたかいが、農民闘争としてたたかい抜かれている間に、ついに抑圧されている各階層と深く結びつき、階級闘争の前面にかくて階級闘争の前面にせり上がったことのなによりの証左である。すべての人民を奮いたたせて三里塚闘争がたたかわれ、その突出した一点が管制塔占拠のにぎりこぶしとなった。それがまた全国の人民に限りない自信を与える。

三里塚闘争と運動して、すでに新潟県柏崎の原発反対開争が果敢にたたかわれ、石川県の七尾では「海の三里塚」海戦が勝利している。そして横浜新貨物線反対闘争も果敢にたたかわれるであろう。70年初頭の反公害闘争が、三里塚闘争を突き抜けて実力闘争に到達する芽が出はじめている。これが不況化の中でのJC路線の破綻と結びついて、職場にどれだけあらたなエネルギーを吹きこむか、それがこんごの課題になろう。

勝利!廃港にあと一歩

4月2日。三里塚第一公園では決戦勝利後最初の集会が開かれた。場内は廃港へあと一歩といったような自信がみなぎってか、明るい雰囲気だった。集会終了の前、司会者から集会宣言が読みあげられた。
「治安弾圧では解決しない
全国の皆さまへ 13年のたたかいに生き
三月開港阻止に起った三里塚の百性の
この怒りの声を聞いてください」

■攻勢へ、福田へ三つの要求

 この中で、反対同盟は福田政府への三つの要求を打ち出した。
「福田政権が真に三里塚問題の解決をもとめるものであれば、以下の私どもの提案を即時受諾すべきでありましょう。

 すなわちその第一は、無法をいましめ、正当防衛の戦いに決起した北原鉱治、秋葉哲、石井武の同盟三幹部をはじめとする200余名をただちに釈放すること。

 その二は、政府は一方的に開港する愚を犯さず、開港日決定を含めいっさいの既成事実を全面的に凍結し、2期工事区域に踏みこまないこと。

 その三は、治安弾圧をただちに中止し、機動隊を現地より即時撤退させること。
以上大略3点にわたり政府の決意がみられるとき、私ども現地農民の立場と人格は十三年にして初めて認められることになるのであります。

 もし政府が、5月20日開港を強行するならば、私どもは総力を投入して再度一週間闘争を準備し、不退転の覚悟でこれを阻止する覚悟であることとここに宣言いたします。

 また、政府がこのたびの重大局面から何ものとも学ぼうとせず、ただひたすら治安強化だけを図るものならば、事態が一層深刻なものになるのは明白であり、この責任のすべては福田政府にあることをも明らかにしておかなくてはなりません。」
 勝利の確信にみちたこの凛とした主張を福田はどう聞くのだろうか。

■春は三里塚から始まった

 政府は、二期工事は中止してもいいから、とにかく5・20開港は認めてほしい、と同盟に申し入れてきている。反対闘争のある限り空港は機能できないことをようやく思い知ったのである。あと一歩の追撃で廃港はわれわれのものになる。三里張芝山空港反対同盟の13年間の決死のたたかいと、それを支援する労働者、市民、学生のたたかいは、すでにその地平を切り拓いた。

 空港は、北総台地の中の,小さな平面にすきない。もしそれを機動隊の黒いヘルメットで敷きつめても、包囲されている一点を固めているだけにすぎない。そこから線として拡がり伸びる道路、ジェット燃料輸送の鉄路、各施設は防衛しきれない。

 敵は無限に守り続けなければならない。われわれはいつでも好きな時に攻撃をかけることができる。福田は完全に追いつめられた。権力を持ったものの誤算である。

 空港と農地は決して相容れることのできない存在である。土とコンクリートとは敵対物である。土を守るためにはコンクリートをはがすのが最良の解決法である。

 危険な空港にたいする国際世論も厳しくなってきた。反対勢力がある限り、完全な飛行ができないのは理の当然である。福田は安全性を機動隊の数で証明しようとした。それが撃破されたいま、国家は反対同盟に頭を下げる以外、安全性を確保することはできない。が、同盟は廃港を要求している。とすると、治安弾圧によって、空港周辺全域を武力によって無人化するか.思いきって廃港にするしかない。その選択をつきつけられているのは、これまで法を踏みにじってきた日本国家であり、その選択をつきつけているのは、13年間、血を流して戦い縦けてきた反対同盟とその支援の兄弟たちである。

 福田は国際的に孤立し、政府部内でも威信を落とし、断末魔のあがきを続けている。もう一撃で、空港は廃港になる。その一撃を準備するため、もう一度戦線を拡大させ、全人民の力と声を三里塚に集めなければならない。三里琢闘争は、政治に亀裂を与えながら拡大している。春は三里塚からはじまったのだ。

(一九七八・四・一八)

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