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歴史問題での極右勢力の暗躍を告発し将来の右傾化を予言した『噂の真相』97年2月号
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投稿者 匿名取締役 日時 2005 年 8 月 11 日 16:22:09: Sq.WGPPrkYiuo
 

http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal7/react437.html
『噂の真相』97年2月号より

「従軍慰安婦」記述を巡る教科書批判の文化人旗揚げ部隊裏の陰謀を暴く!

藤岡信勝、小林よしのりコンビによるリベラル文化人まで巻き込んだ新国家主義運動首謀者たちの陰謀とは…。(本誌特別取材班)



◆林真理子や中野翠までが教科書批判を

従軍慰安婦の記述をめぐり、歴史教科書に対する批判の声がやたらと高まっている。
「慰安婦は商行為で、強制連行はなかった」「慰安所を経営していたのは民間の業者で日本軍には責任はない」、そして「従軍慰安婦強制連行説を記述している教科書は反日・自虐史観にもとづくものだ」と。
しかも、こうした主張は従来のように右翼・民族派団体や生粋の国粋主義者が展開しているわけでほない。昨年12月2日、中学教科書からの従軍慰安婦記述の削除や反日・自虐史観にもとづく教科書の見直しなどを要求する「新しい歴史教科書をつくる会」なる団体が結成され、赤坂東急ホテルで200人近い報道陣を集め、大々的な記者会見が行なわれた。ところが、この右翼とみまごうばかりのスローガンを掲げる団体のよびかけ人には、西尾幹二、藤岡信勝、高橋史朗、坂本多加堆、山本夏彦に加えて、なんと小林よしのり、阿川佐和子、深田祐介、さらには林真理子といった文化人までが名前を列ねていたのてある。
 また、同会の声明文には彼らの他に、言論界・財界から78名が賛同者として掲載されているのだが、その中にも北方謙三、佐藤愛子、藤本義一、大月隆寛、竹内義和といった到底右翼思想とは無縁に思えるような人物の名前が何人も含まれていた。
 いや、こうした会の参加者だけではない。ここにきて様々なメディアで様々な文化人が同様の教科書批判を開始している。櫻井よしこ、呉智英、井沢元彦といった連中はもとより、猪瀬直樹までが『週刊文春』て「強制連行はなかった」という主張を展開。さらに中野翠にいたっては『サンデー毎日』で「従軍忠安婦記述は削除させるべき」としたうえ、自分が「新しい歴史教科書をつくる会」に署名しなかったのは「甘ったれた態度」だったかもしれないと、反省の弁まで述べている。
 いったいこの種の動きがなぜ、ここまで広がりを見せているのか−。やはり何といっても大きいのは、「新しい歴史教科書をつくる会」よびかけ人でもある藤岡信勝、小林よしのりというコンビの存在だろう。
 とりわけ東京大学教育学部教授の肩書きを持つ藤岡は、この間の教科書批判の流れを作り出した張本人といってもいい。96年6月、来年度用中学教科書の検定に「従軍慰安婦」の記述があることが発覚してからというもの、この教育学者は『産経新聞』『文藝春秋』『諸君!』『新潮45』、さらには「朝まで生テレビ」「異議あり!」と、とにかくありとあらゆるメディアに露出しまくり、その削除・訂正要求の急先鋒として論陣を張ってきた。しかも、藤岡は「大東亜戦争肯定史観」にも「東京裁判史観」「コミンテルン史観」にも与しない「自由主義史観」「実証的な歴史研究」という立場を標榜。これまで教科書批判を行なってきたゴリゴリの復古派とはまったく別の新たな装いをもって登場したため、その意見が広く受け入れられる形となったのである。
 そして、こうした藤岡の動きに呼応するように、売れっこ漫画家・小林よしのりが 8月から『SAPIO!』の「新・ゴーマニズム宣言」て毎号毎号、従軍慰安婦問題を取り上げはじめ、流れは決定的になる。「慰安婦はプロの売春婦」「名乗り出た元慰安婦たちは金目当て」「純粋まっすぐ正義くんのナルシズムで国を滅ぼされてたまるか」といった単純化されたイメージの扇動によって、ムードに流されやすいメディア・文化人が雪崩を打って、教科書批判に傾き始めたのだ。
 「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者に名前を列ねたある学者の一人はこう話す。「私が賛同したのは、藤岡さんや小林さんの主張が特定のイデオロギーや政治意図とはまったく無関係だからです。あくまで、歴史を事実に忠実にかつ多面的に検証する立場で、教科書の記述はおかしいということです」

◆スリカエとテマだらけの教科書批判

 だが、藤岡・小林らはほんとうに「実証的」「事実に忠実」で、「イデオロギーと無関係」なのだろうか。その主張のひとつひとつを検証すると、到底そうは思えないのだ。
 そもそも、彼らの運動の骨格をなしている「教科書が慰安帰強制連行を記述するのはおかしい」という主張自体、大きなデタラメを含んている。というのも、彼らが問題にしている来年度の検定教科書には、どれを見ても「強制連行」という表現などまったく載っていないからだ。「慰安婦として従軍させ」(日本書籍)、「戦地の慰安施設で働かされた者もあった」(清水書院)、「戦場の軍に随行させられた」(日本文教出版)−−これらのどこをどう読めば、強制連行を記述していることになるのか。ようするに、慰安婦の存在自体を杏定できない彼らが、問題をわざと強制連行の有焦にすり替えていっているとしか考えられないのだ。
 しかも、その「強制連行はなかった」という主張自体にも、明らかな詐術が使われている。彼らはあらかじめ自分たちで「強制」の定義を「日本兵が軍の指揮のもと女性を暴力で連行したケース」と勝手に限定し、そのうえで証拠がないことを理由に否定して見せているだけなのである。
 しかし現在、問題になっているのはそんなことではない。慰安婦の多くが暴力よりも騙されて連行されたケースが多いことは、謝罪の必要性を唱える研究者たちの間でもとっくに常識になっており、そのうえで日本軍が慰安婦たちに就業の拒否や帰国の自由を一切与えず、有無をいわさず体を売ることを「強制」していたことの責任が問われているのだ。
 また、彼らは強制連行の証拠がないというが、日本軍がジャワ島でオランダ人女性を将校用慰安婦として暴力で連行したスマラン事件など、過去の記録から証明されているものもいくつかある。藤岡・小林らはそうした論議や事実を意図的に無視し、元兵士たちの聞き取り調査だけをもって「慰安婦ほプロの売春婦」などと決め付けているのである。
 「責任は民間の業者にあり、軍は関係ない」というのもまやかしだ。それこそ、懸安所設立に軍が関与していたことを証明する文書は山ほどあり、運営が民間に委託されていたとしても責任は免れるものてはない。藤岡などは「文部省庁舎内の業者経営食堂が問題を起こしたからといって、文部省の貴任が問われるわけではない」などと奇妙な論理を展開しているが、そもそも食堂と慰安所を同列に並ぺること自体が間違っている。藤岡流の奇妙な例えでいうなら、お国のために働く文部官僚の性欲処理用施設として文部省庁舎内にソープランドが設けられ、文部省から委託を受けた暴力団 がそこにタイ人女性を騙して連れてきていたらどうか、と考えるぺきだろう。藤岡はそれでも、文部省は経営していないから責任はないといいはるのだろうか。
 さらに小林よしのりにいたっては、「兵士が住民を強姦するのを防ぐため」慰安所を設けたなどという説教強盗のような論理を垂れ流しているが、実はこれ、つい最近まで小林が攻撃していた厚生省の「血友病息者の治療がとどこおらないよう非加熱製剤を認可し続けた」という論理と瓜二つなのである。
 いや、こうした論理のスリカエだけではない。彼らはこの間、事実関係を無視し、明らかなデマも平気で振り撤いている。例えば、藤岡は「朝まで生テレビ」に出演した際、インドネシアで2万2千人もの慰安婦が名乗り出たのほ日本の弁護士が扇動したせいだと、同席していた高木健一弁護士を名指しで攻撃。活字でも、この例を出して従軍慰安婦問題は「反日運動家の謀略」と決め付けている。しかし、事実はまったく逆だ。当の高木がこう反論する。「2万2千人という数字は、私がインドネシアに謂査に行くのと無関係にインドネシアの兵補協会が独自で調査したものなんです。私は逆にその調査があまりにズサンであると指摘し、正確な調査方法をアドバイスしたほどてす。その事実を藤岡さんは歪曲し、政治的な攻撃に利用している。私としては、藤岡さんを名誉毀損で告訴することも検討しています」
 教科書が自虐史観にもとづいているという根拠となると、もう無茶苦茶である。藤岡はもちろん、「新しい歴史教科書をつくる会」のよびかけ人である西尾幹二なども好んて持ち出す例に、大阪書籍の教科書に掲載された抗日義兵の写真というのがある。彼らはこれが、韓国の国定教科書から転載されたものだとして、「他国が政治宣伝として教科書に載せている写真を自国教科書に転載する国がどこにあるのか」と噛み付いて見せるのだ。
 だが、この抗日義兵の写真はアメリカ人カメラマンが撮影したもので、1907年にアメリカの出版物に掲載され、日本でも「図説−韓国の歴史」はじめ、様々な出版物に収録されているものなのだ。そもそも韓国がこの写真を教科書に採用したのは90年からであり、大阪書籍の教科書にはそれよりも10年前から掲載されているのだから、「転載」のはずがない。藤岡・西尾らはこんな基本的なことすら調ぺないで発言しているのである。他にも、全国に1180箇所もある教科書採択用展示場を「各県に1箇所しかない」と断定したり、「教科書会社が出版労連の指示て談合している」といってみたり、藤岡らのデマはそれこそ枚挙にいとまがない。

◆藤岡信勝がひた隠しにする「過去」

 もうおわがりだろう。ようするに彼らは最初から「日本は悪くない」「大東亜戦争はやむをえなかった」「従軍慰安婦など存在しない」といいたいだけなのである。そして、それを強弁するために事実を恣意的にツギハギし、問題をすり替え、デマを垂れ流す−−。いったい、このやり方のどこが「実証的」なのか。「イデオロギーと無関係」どころか、悪質な政治宣伝そのものではないか。しかし、それも当然だ。そもそも教科書批判を一貫してリードしている藤岡信勝自身が、ゴリゴリの「イデオロギー」の持ち主なのである。
 論壇的にはまったく無名だったこの藤岡がはじめて注目を集めたのは95年のこと。この年の7月、藤岡は「自由主義史観研究会」なる団体を旗揚げし、歴史教育の見直しを訴え始める。そして翌年1月から、産経新聞で「自由主義史観研究会」メンバーによる連載「教科書が教えない歴史」が始まり、その単行本がベストセラーとなるのだ。
 藤岡は同研究会旗揚げの際、この「自由主義史観」について前述のごとく「あらゆるイデオロギーから自由しなどと語っているが、そのスタンスは当時から、けっしてそんな中立的なものではなかった。
 同研究会の機関誌的役割を果たす『近現代史の授業改革』は「自国の歴史を誇りうるような教育を」というスローガンを掲げ、明治の時代を「ロマンと共感を持って描きだす」ことが必要だと説いているのだ。しかも、藤岡は明治維新を「偉大なナショナリズム革命」と位置付け、日清・日露戦争を全面肯定し、治安維持法すらも「ソ連の破壊活動から自国を防衛する手段であった」と容認しているのである。これはまさに戦前的な「浪漫主義」「国家主義」丸出しの思想ではないか。さらに戦後の歴史教育批判となると、藤岡の言動は「狂信的」でさえある。「歴史教科書の基調は日本国家に対する一貫した悪意に清ちた暗黒=自虐史観に貫かれている」「学校は、実際は国民全体を反日思想に染め上げ、マインド・コントロールをかける場になっている」「こんな教科書を子どもに与えていれば、やがて日本は腐食し挫減し溶解し解体する」といった具合に、である。
 そして、従軍慰安婦問題については、「国内外の反日勢力から持ち出され、国際的な勢力と結びついた壮大な日本破滅の陰謀」だと、まるてオウム真理教のフリーメーソン攻撃のような陰謀史観まで披露して見せるのだ。
 いったい、この教育学者がこんな思想を持つにいたった背景は何なのか。藤岡自身は湾岸戦争を契機にそれまで抱いていた「一国平和主義」の幻想が消えた、と格好よく説明しているが、彼が信奉していたのは「一国平和主義」などという生易しいものではない。
 実をいうと、藤岡ほ学生時代、民青の活勤家であり、90年頃までれっきとした日本共産党員だったのである。古くから彼を知る友人もこう証言する。
「藤岡さんはゴリゴリのマルクス主義者で、学者になってからも労働価値説に基づいた教育方法論の論文なんかも書いていたほど。代々木系の日教組の講師団もつとめていたらしいし、実は彼が北大助教授から東大助教授に移れたのも、そういった日共人脈のコネがあったからじゃないかと囁かれていました。」
「コミンテルン史観」などと無根拠な教科書批判をしていると思ったら、何のことはない自分自身がかつて「コミンテルン史観」に支配されていたわけだ。しかも、藤岡はそうした過去を何ら総括することなく一切頬かむりしたまま、今度はシャアシャアと「皇国史観」「国家主義史観」を説いているのである。前出の友人もこう苦笑する。
「なんでもベルリンの壁が崩壌したのをきっかけに、共産党を辞めたらしいてすね。ただ思想は180度変わっても、テレビを見てると体質はまったく変わってませんよ。昔から自分の持っている結論を強固に信じていて、他人の意見にはまったく耳を貸そうとしないスターリン主義者でしたから(笑)」
 ようするに、藤岡という人物は常に「信仰」がないと、自分が保てない人間なのてはないか。今回の「転向」は自分が強固に信じていた教義が崩壊したことに存在の危機を覚え、安易に正反対の信仰に飛びついたのだ。そしてまたぞろ、自分の新しい信仰を狂ったように他人に押しつけ始めた−−。そういう意味では、現在の藤岡の姿はまさに、彼が憎悪する「反日」とやらの陰画にすぎないのだ。

◆バックは「生長の家」と自民党説

 実際、藤岡は転向後、確実にある狂信的な「勢力」と結びついている。それは藤岡が旗揚げし、代表をつとめる前述の「自由主義史観研究会」のメンバーを見れば明らかだ。
 藤岡の勤務先。東大本郷キャンパスにほど近いマンションの一室に同研究会の事務所がある。ここには上原卓、入川智紀という二人の男性が事務局担当者として常駐しているのだが、このうち入川という人物は「日本教育研究所」なる団体の中心メンバーなのである。そしてこの日本教育研究所というのは、狂信的な天皇主義を教義に据える新興宗教「生長の家」が母体となっている組織なのだ。
 学園闘争の嵐が吹き荒れていた70年、生長の家は新左翼運動に対抗するため、天皇中心の新体制国家と大日本帝国憲法への原点回帰を目指す右翼組織・日本青年協議会を結成する。そして、その日本青年協議会が教育界への拠点として作った下部組織が、日本教育研究所なのてある。
  こんな右翼組織の中心メンバーが事務局担当者とは驚きだが、実は自由主義史観研究会には、彼以外にも多数の日本教育研究所もしくは生長の家関係者がかなり早い段階から入り込んでいる。同会発足時のよびかけ人てある占部賢志、「教科書が教えない歴史」の執筆メンバーでもある山崎文靖、多久善郎、占部暢子、入川ひとみ、江崎道朗…。とくに江崎にいたっては、生長の家系右翼団体・日本青年協議会の機関誌『祖国と青年』の編集長という要職にある。
 さらにはこの間、一貫して藤岡と行勤を共にしている高橋史朗・明星大教授の存在も気にかかる。高橋は教育学者の肩音きはもっているが、早大時代に日本教育研究所結成に関わり、その後も中央事務局長・副所長を歴任しているゴリゴリの信者なのだ。またその一方で、この高橋は、統一教会・勝共連合との関係も取沙汰されている。
「高橋は一貫して教育勅語の復活を主張し、『天皇は神様』という教育をぜよと指導してきた人物です。臨教審のメンバーにも入っていたことがありますが、これも当時、首相だった中首根が強引に押し込んだものです。そういう意味では高橋の思想は自虫主義史観なんかよりもっと右よりのはずで、その彼が会発足時からメンバーに入っていることのほうがおかしい。もしかすると、自由主義史観研究会は最初から生長の家などが組織的にバックアップしていて、高橋は両者をつなぐパイプ役だったのかもしれない」(教育関係者)
 そういえば、自由主義史観研究会はその会員数を発足わずか1年ちょっとでなんと4 00人に増やし、96年の8月には山形県・蔵王温泉で華々しく第1回全国大会を開催している。都内の一等地に事務所を借りていることといい、どう見ても、一介の教師が個人て作れるような組織ではないのだ。
 だが、藤岡や自由主義史観研究会の背後にちらついているのは新興宗教だけではない。「従軍慰安婦は商行為」と発言して物議をかもした奥野誠亮や枝垣正ら、自民党タカ派グルーブともかなり深く結びついている。
 自民党ではすでに93年、当時の首相・細川護煕の「侵略戦争」発言に危機感を抱いた靖国関係三協議会などのタカ派グループが「歴史・検討委員会」を設置。講師を招いて勉強会を行なってきたのだが、実はこの講師として招かれた19名のうち、6名が後に自由主義史観研究会の活動に参加しているのである。
 そして96年6月、奥野を会長とする「『明るい日本』国会議員連盟」が設立されると、両者の関係はもっと緊密になる。
 そもそも同議連の設立趣意書は藤岡用語のオンパレード。逆に同議連が「謝罪外交に同調できない」と打ち出すと、藤岡が自分の文章にそれまで使わなかった「謝罪外交史観」なる言葉を使いだすという連動ぶりなのだ。
「藤岡は攻治家とのかかわりは避けているなどと発言していますが、かなり前から奥野・板垣らとは連絡を取り合っているはずです。実際、この9月には自民党参院の政策研究会に招かれて講演もしている」(政界関係者)
 実は93年10月に開かれた前述の自艮党歴史・検討委員会では、教科書の戦争記述を是正するための新たな戦いの方向が論議されているのだが、その際、「自民党が表に立ってやると変な誤解を生む」から、これからは学者を表に立て「資金その他でバックアップしてやる」ことが確認されている。そしてこの歴史・検討委員会が解散したわずか半年後、自由主義史観研究会が旗揚げするのだ。これははたして偶然の一致なのだろうか。
 いずれにしても、藤岡と自由主義史観研究会が、狂信的タカ派勢力の別働隊的役割を担っているのは、間違いない。当初の「大束亜戦争には侵略的側面もあった」などというソフィスティケートされた物言いは、教科書批判が幅広い支持を獲得するための日共流オルグの方便にすぎなかったのである。
 実際、運動が成果をあげるにつれて、藤岡らは徐々にその本質を剥出しにし、今やその言説も民族派の「大東亜戦争肯定史観」と何ら見分けのつかないものとなっている。

◆会に?強倒通行?された林と阿川
 
 そしてもちろん言頭に紹介した、小林よしのりや阿川佐和子や林真理子が名を列ねる「新しい歴史教科客をつくる会」も、こうした路線の延長線上にある。というより、その実態は自由主義史観研究会そのものなのだ。藤岡らほまったく別組織といいはっているが、「自由主義−」と「新しい歴史−」は事務所も同じなら、事務局担当もまったく同じ。いったいこれのどこが「別組織」というのか。同会の関係者もこう証言する。
「『つくる会』は、藤岡がこの間、教科書問題で同一歩調をとっていた西尾幹二と相談して発足させたものです。西尾は自由主義史観研究会の大会の講師をつとめるなど、名誉会員みたいなものですからね。もちろん母体ほ自由主義史観研究会で、国艮全体にアピールするため、より社会的影響力のある人々を引っ張りこもうということです」
 しかもこの「新しい歴史教科書をつくる会」、製本された数百ページもある資料を大量にばらまいたり、一流ホテルを借り切った記者会見を開いたりと、やけに景気がいい。いったいその資金はどこから出ているのか。
 西尾は「現在は我々の個人的なお金てやっている」などと弁明していたが、西尾といえばカネにがめついことで有名。つい最近も、民族派「一水会」から講演を依頼された際、「私は50万円以下の講演はやらない」などと信じられない発言をしていたことを鈴木邦男に『SPA!』で暴露されたほどで、そんな人物が身銭を切るとは到底、思えない。会見を取材していた記者の一人はこう推察する。
「絶対にどこからかカネが出ているはずてす。実はこの会見の2週間ほど前、奥野誠亮が自由主義史観研究会と一緒に『教科書問題に関する協議会』を設置するとブチ上げているんです。今回の『つくる会」はその先発隊的意味合いがあり、自民党スジからカネが出ているんじゃないかといわれてますね」
 実際、12月2日の同会発足記者会見は、文化人の主宰する会とは思えないようなシロモノだった。追加質問や議論は一切認めず、自分たちの勝手な言い分を垂れ流すだけ。しがも都合の悪い質間は司会者やサクラと思われる参加者が℃うか恫喝して遮ってしまうのである。
 いったい、この会のよびかけ人や賛同者に名前を列ねた文化人連中は、ほんとうに彼らの正体がわかっていたのだろうか。ある出版関係者が苦笑してこう話す。
「ほとんどは知らないでしょう。中にほ、教科書問題の実態すらわかっていないまま、頼まれて名前を賃しただけの人もいるようです。大月陸寛や竹内義和なんかも、最初は署名なんてするつもりなかったのが、小林よしのりに頼まれて断りきれなかったようですしね。よびかけ人の林さんや阿川さんは西尾と仲のいい深固祐介から頼まれて名前を賃しただけらしい。それを証拠に彼女たちは会見にも出席していませんからね」
 実際、阿川はマスコミからの取材に「名前を貸しただけなので勘弁して」と逃げ回っているというし、林にいたっては周囲に「騙された」と漏らしているという。
 「騙された」とはどういうこと。林真理子に近い関係者はその裏事情をこう明かす。
「最初は深田さんから電話がかかってきて、同時に資料が送り付けられてぎたらしいんですが、林さんはしばらく返事を保留していたんてす。ところが、ある夜、西尾幹二さんから『返事がないのはどういうことか1』と物凄い剣幕で電話が入り、その勢いに押されて思わずハイと返事をしてしまったんです。ええ、西尾さんの電話はほとんどドーカツに近いものだったようてすよ」
 また、この関係者によれば、林は翌日になって思い直し、西尾に断りを入れたのだが、「もう名前を印刷に回したから」と一蹴されてしまったのだという。しかも、依頼では賛同者にということだったのが、フタを開けてみたら、よびかけ人とされていたのである。これでは林其理子は、「新しい歴史教科書をつくる会」よびかけ人に「強制連行」されたようなものではないか。もっとも慰安婦制度は悪くないとうそぶく西尾たちのこと、女流作家のひとりやふたり騙して「拉致」したって、何の痛痒も感じないだろうが…。

◆詐欺的手法を煽る小林よしのり

 いずれにしても、これが一連の教科書批判の正体なのである。狂信的なイデオロギーと党派性をひた隠しにし、詐欺的手法と恫喝で有名人をかき集め、大衆を扇勤する …。
 いったいこうした実態をもうひとりの中心メンバー・小林よしのりはどう考えているのか。小林はこの間、「HIV訴訟を支える会」の党派性や運動参加への強制を躍起になって攻撃しているが、現在、自分が関わっている教科書批判勢力のやり口こそ比ぺものにならないほど、ひどいシロモノではないのか。だが、小林は今度はそんな内部批判をするつもりはサラサラないようだ。ご都合主義の極みだ。小林と親しいある評論家もこう苦笑する。
「今の小林は藤岡・西尾と完全に一体化してますから、そんなこどするわけがない。頻繁に連絡を取り合っているし、『ゴー宜』て書いていることなんてほとんど、藤岡の受けうり。そもそも『新しい歴史教科書をつくる会』だって最近は小林が中心なんてすから。名前だけでもいいから有名人を揃えろというのも小林よしのりの戦略ですよ」
 たしかに、最近の「ゴー宣」は「反日」だの「自虐」だのと、藤両用語のオンパレード。騙されただけの林真理子についても「意外な女性著名人の参加も決定」などと、得意げに事前告知する始末なのである。
 もちろんこうした彼らの策略にも拘らず、来年度教科書に関しては、従軍懸安婦記述が削除されることはなさそうだ。だが、藤岡・小林らの動きは今後もとどまることはないだろう。そしてこんな狂信的国家主義者や詐欺師漫画家の扇動に簡単に乗せられてしまうのが、今のメディア状況なのである。
 実際、この間の中野、呉、櫻井、猪瀬といった文化人の従軍慰安婦や教科書に関するエラソーな発言は連中が自分自身で検証したわけではなく、すべて藤岡・小林の受け売りにすぎないのだ。もしかすると、この国はこれから、とんでもないところに連れていかれようとしているのかもしれない。〈敬称略〉



以上、『噂の真相』97年2月号より転載

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