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ただの庶民だが私にも言わせてほしい   どうして皇室は民営化しないのか  【SENKI】
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 9 月 06 日 19:44:21: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 堀江貴文社長:『天皇は日本の象徴』に違和感、大統領制に(毎日新聞)  投稿者 らくだ 日時 2005 年 9 月 06 日 19:11:19)

ただの庶民だが私にも言わせてほしい

どうして皇室は民営化しないのか


http://www.bund.org/opinion/20050915-1.htm
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首相は公務員法を守ってほしい

中倉清明

 日本の小泉首相は、就任以来毎年のように靖国神社への参拝を繰り返している。「公式参拝」という形や8月15日という日は避けながらも、首相としての参拝の回数は歴代首相中群を抜いている。当初「改革派」として政権に着いたという経緯もあり、これも一つの信念の現れかとも思えるときもあったが、ここまで来るとそうとも言えない。  

 今年の8月は解散総選挙の影響で見送ったようだが、選挙後にもし政局が安定すれば、秋の例大祭やあるいは年明け早々など、期を見てまた参拝を行うかも知れない。毎年繰り返されるこの問題に、やはりだれもがそれなりの問題意識と見解を持つべきである。

靖国問題は国内問題だ

 6月28日付の朝日新聞の第一面に、同紙が行った世論調査の結果が掲載されている。それによると、小泉首相の靖国参拝に関して、「続けた方がよい」が36%なのに対し、「やめた方がよい」が52%と反対の方が上回っていた。しかし、「やめた方がよい」理由の72%が周辺国への配慮で、「続けた方がよい」という理由も、一位は「外国に言われてやめるのはおかしい」が39%であった。  

 つまり全体の意見としては、首相の参拝には反対する人が多いが、理由となると「賛成」にしろ「反対」にしろ外国、すなわち中国や韓国との関係で考えている人が圧倒的に多いと言うことだ。  

 日本が過去に中国や韓国・朝鮮に行った侵略行為に対し、未だ充分な補償も行わないまま、自衛隊の海外派兵などを繰り返す日本政府の姿勢に、アジア諸国の人々が怒りを憶えるのは当然であろう。しかし、では諸外国が何も言わなければ反対しないのか。日本の民衆としてこの問題をどう捉えるのか。もっと考察が必要だと思える。  

 1985年8月15日、当時の中曽根首相は戦後の首相として初めて公式参拝を行った。このときは、中国・韓国だけでなく国内でも激しい反対運動が行われ、逮捕者まで出している。結局これ以降、中曽根首相も公式参拝を断念している。しかしそれ以前にも、「私的」と断りながらも、歴代首相による靖国参拝はあった。だが、国際問題にはならなかった。あくまで日本国内の問題だったのである。  

 それがそうではなくなったのが、1978年の靖国神社へのA級戦犯合祀問題である。東京裁判でA級戦犯とされたもののうち14名が、この年靖国神社に合祀された。東京裁判は、確かに勝者の側からする一方的な裁きであり、アメリカの原爆投下や日本の731部隊の問題などが不問に付され、様々な問題を含んでいる。だが、それを受け入れるところから戦後の日本が始まった。  

 中国政府などは、侵略を行ったのは「一部の軍国主義者」で、一般の日本国民は同じく被害者であるという立場をとってきた。しかし、その「一部の軍国主義者」が祀られている靖国に、一国の首相として公式参拝するとなると話は違う。「それでは約束が違う」というわけだ。  

 2004年の元旦、小泉首相は突然靖国神社に参拝した。前年にはイラク戦争が行われ、この年の早々には自衛隊のイラク派兵が取りざたされているときであった。一部の週刊誌などは、「正月、首相のイラク電撃訪問」?などを予想する記事を掲載していた。首相は靖国神社に参拝し「初詣は日本の伝統的な風習だ」と記者の質問に答えていた。  

 確かに、信教の自由は憲法に補償された国民の権利である。しかし、そもそも首相に「初詣の自由」があるであろうか?もともと公務員は、国家公務員法・地方公務員法において憲法を尊重し擁護する義務を負っている。また、国民・住民から疑惑を招かないよう、たとえ勤務時間外の休暇の日であっても、節度ある行動が求められている。ましてや首相という責任ある地位にある人は、正月の休暇中だからといって、国際的にも問題となるような事を行って許されるわけがない。「初詣は日本の風習」では済まされないのである。  

 そもそも、一国の総理大臣が理由もなく創価学会の本山にお参りしたらおかしいのと同様、靖国神社に参拝してもおかしいのである。このことは、数々の「靖国訴訟」での判決でも大筋明らかになっている。日本は憲法第20条において、国が特定の宗教と結びついたり、宗教活動を行うことを明確に禁止しているのだ。  

 靖国神社は戦前まで「靖国は宗教にあらず」と言う名目で、特権的な地位にあり、結果的にキリスト教や仏教まで圧迫し恭順させてきた。その反省に立ち、現在では一宗教法人としてのみ存在している。その靖国神社に公然と参拝すると言うことは、「公人」と言おうが「私人」と言おうが許されることではなく、そもそも慎まなければならないのである。このあたりまえのことが、どうしてわからないのか?  

 靖国神社はそもそも国家の直接の命令で戦死した人等を祀る施設であり、遊就館の戦争展示を見ても分かるとおり、戦争を称揚し次の戦死者を作り出すための装置である。「戦没者の慰霊」だとか「平和」を願う場所としては、およそふさわしくない施設なのだ。  

 首相の靖国参拝などは、外国に言われるまでもなくやめるべきであり、日本人としてもっと主体的に考えていく必要がある。       

(地方公務員)


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「宮中祭祀」は明治天皇制が作った

皇室は宗教法人になるといい

黒木慶子

 「きゅうちゅうさんでん=Aみなさん変換できますか」  「そうだなあ。宮中≠ヘ変換できるけど、さんでん≠チて何?」  

 4月23日、紀伊国屋ホールで開かれた「戦後60年〜いま天皇・皇室を考える」セミナー(岩波書店『天皇・皇室辞典』の刊行を期に、天皇制の歴史と〈いま〉を小熊英二・島田雅彦・原武史の3氏が語り合う試み)でのこと。そこで辞典の編集に携わった原氏が「宮中祭祀」や「宮中三殿」について説明したのを受け、小熊氏が会場に向かって上記のように呼びかけたのだ。横で原氏は苦々しく笑っていたが……。  

 それはともかく、小熊氏がいうとおり「宮中祭祀」だろうが「宮中三殿」だろうが、庶民にとってそれはとてつもなく「遠〜い話」だ。「宮中祭祀」と聞いてせいぜい浮かぶのは、新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)ぐらいなもの。  

 ところが原氏によると、それ以外の「宮中祭祀」が年間でなんと30〜50近くも行われている。隠密行事なので実態は明らかにされていないが、とにかく天皇家は「宮中祭祀」をこなすだけでクタクタらしい。とりわけ「今の天皇、皇后はほとんど休まず祭祀に出席しており、明治から3代の天皇に比べて最も熱心」とのこと。  

 なるほど、そんなのにつきあわされるとなると誰だって大変だ。ましてやアメリカに留学し、西欧近代教育の洗礼をあびた「キャリア女性」にとってはさぞかし苦痛だろうに。雅子妃がどこまで参加しているのかわからないが、どっちにしろ「適応障害」に陥るのも当然だ。  

 そもそも何のために天皇は必死で「宮中祭祀」を行っているのか。何百年も続く皇室代々の伝統だから? いやそうじゃない。実はここでいう「宮中祭祀」なんてたかだか明治天皇が皇室祭祀令によってはじめた、わずか数世代に渡るものでしかない。  

 「自分で決めたものだから明治天皇はいい加減だった。プライベートを大事にする大正天皇はもっといい加減」(原氏)。ところがその大正天皇の皇后(昭和天皇の母・貞明皇后)が「大正天皇の頭がおかしくなったのは、宮中祭祀を真面目に行わなかったバチだ」と妄想したことから、わが息子(昭和天皇)への「宮中祭祀」の強制がはじまったという。その教えが平成天皇にもしっかり引き継がれている。  

 ここで以前、新聞で読んだ記事を思いだした。  「初詣は、ひょっとしたら古代から続く、日本の伝統文化と思っているかもしれない。ところが初詣は、実はここ百年、二十世紀になってはじまった近代の正月行事なのだ。江戸時代の正月は、基本的には、家のなかで静かに迎えるものであった」(『朝日新聞』文化欄より 高木博志・京大助教授)。  

 明治維新後、小学校と官庁で宮中の四方拝に連動した元旦の行事がはじまり、明治20年代の日清戦争・日露戦争あたりから、東京や京都、大阪などの都市で元旦に人々が出歩くようになった。それらは交通とメディアの発達によって可能になったのだと。  

 そういえば先の小熊氏も「日本の伝統文化、あるいはネイションの文化と呼ばれるものは、近代技術の応用やヨーロッパの影響を大きく受けている。その典型が、天皇を全国津々浦々に知らしめるという『天皇の地方巡行』である」「伝統文化とは、近代化の中でつくられてくるもので、客観的には新しいが主観的には古く見える現象である。現在、社会学では『創られた伝統』という言葉がよく知られていて、英語では『Inventionoftradition』(伝統の発明)』という言い方をしている」(フォーラムでの発言より)と指摘している。  

 今日われわれが「伝統文化」として認識している「初詣」「七五三」、さらに「宮中祭祀」も、明治以降における国民国家の形成過程に新出・復興されたものだということだ。「近代天皇制」がそれらを作ったということになる。  

 これはなにも日本に限っての話ではない。『創られた伝統』の著者E・ホブズボームらが著作の中で明らかにしているのは、たとえば次のような内容だ。  

 スコットランドの民族性を象徴するタータンのキルト(スカート)は、18世紀にイングランドの産業家がデザインしたもので、これが普及したのはスコットランド高地連帯と、1822年の国王行幸にあやかった一商会の上手な商売の結果だった。イギリスらしさを代表するバッキンガム宮殿の儀礼は、実は19世紀のビクトリア朝以降につくられたものであり、その他オーストラリアらしさ、ロシアらしさというものも、それぞれ19世紀後半の国家の中でつくられてきた、等々。  

 「英国という君主国家が儀式的、かつ公けに示すページェントほど古色豊かで、はるか遠い昔にその起源を遡るものは他にないだろうと考えられている。しかしながら、その形態の近代性という点から見れば、それは十九世紀後半ないし、二十世紀に創り出されたものなのである」(『創られた伝統』P9)。  

 なかでも特徴的なのは、「この時期に創り出された最も普遍的な政治的伝統は、国家(ステート)の成就であった」(同上P432)とする点だ。この点は日本も西欧もまったく変わらない。  

 今日われわれが「伝統文化」だと思っている多くは、明治政府によるナショナリズムの確立過程に創り出されている。いうなれば、「国民文化」として形成されたということであり、1889年の帝国憲法発布を契機に、日清・日露戦争を通じ他国と向きあうために必要なナショナル・アイデンティティづくりであったのだ。  

 「目的意識的に創造されてきたもの」。それならばいつでも「変更可能」だ。雅子妃の悲鳴はその予兆ではないか……。少なくとも私にとって、いや他ならぬ雅子妃にとって、国民の税金をふんだんに使って何や訳の分からぬ「宮中祭祀」に年がら年じゅうふけっている皇室の姿は、「アナクロニズム」そのものに違いない。  

 制度疲労をおこしている皇室は早く宗教法人化して、カンパでも募って密やかに「祭祀」なるものを行ったほうがいい。それが国民のためだと思う。             

(編集者)


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天皇元首化よりも国民投票による大統領制を

山河 新

 近年、憲法改正論議が国会において論議されている。世論調査でも改憲には60%の支持があり、憲法改正を決める国民投票はもはや時間の問題となってきている。主な論点は憲法9条や自衛隊の「自衛軍」化である。世間一般で云う「憲法改正論議」は十中八九はこれを指すと見てよい。  

 その他にも「環境権」や「プライバシー権」といった「新しい基本的人権」の明記、「道州制」の導入による地方自治の強化等の議論もあるが、大体は9条と自衛隊に集約されている。  

 しかし、ここで骨抜きにされている議論がある。  それは他ならぬ天皇制の動向である。いわゆる「天皇主義者」は日本国を立憲君主国と見る立場から、天皇は日本国の国家元首でなければならないという見方をしている。しかし今回の憲法改正論議においては、天皇元首化よりは現行の象徴天皇制を維持し新に「女性天皇」に関する条項を憲法1条に加えるべきだという見方のほうが大勢である。事実自民党の憲法改正案では、憲法1条、いわゆる「天皇条項」に関して、象徴天皇制を維持する方向を示した。  

 しかし、憲法改正論議において象徴天皇制という奇っ怪なシステムを維持し続け、おまけに「女性天皇」という新たなスパイスを振りかけるというのは、民主主義を根本的に否定する考えである。  

 第一、天皇という存在は、「万世一系」という世界にも例を見ない封建制度の香りを残した「世襲のエンペラー」であり、近代的な戸籍や人権さえない。日本が成熟した近代的民主国家へと脱皮出来ないのは、世界でも例を見ない「世襲のエンペラー」が、未だに君臨しているからである。  

 戦後の日本国及び日本人が無責任体質に陥ったのは、昭和天皇ヒロヒトがGHQとの取引で、自らが「人間宣言」する代わりに、戦争責任を回避したのが始まりという見方も根強い。それを考えれば、今日の日本の民主主義(日本国憲法)は「世襲のエンペラー」が、自らの戦争責任を回避し、かつての敵国に生かしてもらった結果与えられた外在的なものという以外ない。  

 このような歪んだ状況を改善するには、大統領制への移行しかないと私は思う。大統領制へ移行するにあたって、前近代的な天皇制は政治的な役目を完全に失うことになるが、天皇の処遇は神社本庁の名誉総裁や、宮内庁の後身となる新財団のオーナーとして宗教的・文化的な事業に打ち込んでもらえばよい。  

 その場合、新たな国家元首には民選された大統領がなるべきなのだ。首相公選制という手もあるが、この場合公選された首相と議会との関係は憲法改正で調整しなければならない。  

 大統領という国のリーダーを国民の1票で選んでこそ、日本人ははじめて民主主義を肌で実感出来るのだ。政治的無関心やワイドショー型政治が幅をきかせている今こそ、国民が自分達のリーダーを選ぶことの意味を考える時期に来ていると思う。   

(営業社員)


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(2005年9月15日発行 『SENKI』 1189号3面から)


http://www.bund.org/opinion/20050915-1.htm

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