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政権握ったら大変『日本共産党に強制収容所』で決意新た
http://www.asyura2.com/0505/senkyo13/msg/839.html
投稿者 木村愛二 日時 2005 年 9 月 09 日 13:53:01: CjMHiEP28ibKM
 

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『亜空間通信』1094号(2005/09/09)
【政権握ったら大変『日本共産党に強制収容所』で『カール・マルクスの大罪』完成への決意新た】

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 転送、転載、引用、訳出、大歓迎!
 
昨日(2005/09/08)、読者から、定価は1,400円のところ、鉛筆で記した古本屋のメモでは400円、いわゆる新古書、日新報道刊、安東幹著『日本共産党に強制収容所』を頂いた。奥付を見ると、昨年、2004年7月30日の発行である。1年以上前に出ていたのだが、まったく知らなかった。

 表紙の宣伝文句には、「僕が体験した共産主義という狂気の支配」とある。「狂信」の恐ろしさの典型例である。
 
 総選挙を2日後に控えているが、日本共産党が政権を握ったら大変である。ごく少数の野党でも、かなりの被害はある。

以下が、この本と著者に関する電網(インターネット)検索結果である。
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安東幹 "日本共産党に強制収容所" の検索結果 約 38 件中 1 - 22 件目 (0.11 秒)

これらのキーワードがハイライトされています:安東幹、日本共産党に強制収容所
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http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4817405767.html
 ※検索結果は、紀伊國屋書店の店頭及び出版社に在庫がないものも含まれております。
 (店頭在庫情報は、前日の営業終了時の在庫です)

(ニホンキョウサントウニキョウセイシュウヨウジョボクガタイケンシタキョウサンシュギトイウキョウキノシハイ )
日本共産党に強制収容所―僕が体験した共産主義という狂気の支配
ISBN:4817405767
245p 19cm(B6)
日新報道 (2004-07-31出版)

・安東 幹【著】
[B6 判] NDC分類:315.1 販売価:\1,470(税込) (本体価:\1,400)

在庫が僅少です。品切れの場合お取り寄せとなります。
かつて旧ソ連にもあった「強制収容所」は日本にもあった。
僕は党のあり方に疑問をもつ日本共産党員だった。
ある日突如、精神病院で診療と治療を強要された。
それは監視と圧迫という屈辱的な苦しい体験だった。
本書はその体験に根ざした共産主義の研究書である。
第1章 日本共産党に強制収容所
第2章 共産党系医療団体・民医連の実態
第3章 精神医療を乱用した人権弾圧とは?
第4章 共産主義と精神医学―その特異な病気観
第5章 日本共産党のKGBと呼ばれる秘密組織の実態
第6章 自殺事件や不倫事件をでっち上げ
第7章 日本共産党の私への前代未聞の人権弾圧の暴挙集
第8章 私は闘い続ける
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安東幹[アンドウカン]
1963年(昭和38年)京都に生まれる。小学校二年次よりそのほとんどを東京で過ごす。中央大学で哲学、倫理学を専攻。1986年、日本共産党入党。1988年、日本共産党中野地区委員会の職員になる。共産党を批判したところ、翌年1月、共産党中央委員会の指示により代々木病院精神科に連れて行かれる。数年後、日本共産党の精神医療を悪用した人権弾圧を告発する活動を開始。再度、共産党系の病院の精神科に連れて行こうとする共産党の人権弾圧とたたかっている。その後、広く共産主義の人権弾圧について考え、インターネット中国人権日本センター、インターネット北朝鮮人権センターを設立。日本に真の人権運動を確立しようと努力している。
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 こうなると、ますます、今から4年も前の2001年の元旦を期して、構想を発表したカール・マルクス徹底批判の決定版、『カール・マルクスの大罪』の完成への決意を新たにせざるを得ない。
 
 その際、以下のごとく、マルクスの『資本論』が「科学的」だから狂信者が大量発生した矛盾、と題する項目の小見出しを設けた。
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 http://www.jca.apc.org/~altmedka/marx-hihan-01.html
 年紀に寄す カール・マルクスとその亜流の暴力革命思想への徹底批判(その1)

随時追加「編集長日記風」木村愛二の生活と意見抜粋2001年1月1日分

1.1(月)
今年が21世紀の耶蘇教暦に妥協し画期的な発想転換を図るマルクス批判の序説

 昨年末には目前の21世紀を意識する議論が盛んだった。私自身が、すでに、かなり前から、単なる21世紀論というよりも、もっと大規模で、千年紀をも超えた人類史論を構想中だったから、それらの最近の論議にも一応は目を通した。私自身の人類史論の構想の一端については、すでに別途、「元日本共産党『二重秘密党員』の遺言」シリーズ(その22)「鬼よ笑え、20世紀をソ連と「結社の自由」興亡史として理論化の構想」(2000.12.24.入力)にも記した。以下、その一部を引用する。
 [前略]その基本は、すでに6年以上も前の発表の拙著、『電波メディアの神話』の「はしがき」に記した「壮大な知的冒険への旅立ち」の続編となる。6年以上前に私は、「言論の自由の過去・現在・未来の全体をさぐる」ことを意図した。[中略]結社の自由の要求は本来、個人の自由を踏まえるものでもあったのだが、歴史的な事実は、それを裏切り、左翼権力による個人の言論の自由の抑圧が、20世紀の幾多の悲劇の原因をなした。「真理も極端に至れば誤りとなる」とも言うが、その「真理」そのものが、いわゆる教条であり、不十分だったのであろう。[後略]
 上記の「左翼権力」の典型でもあり中心をなしていたのはソ連であるが、いわゆる20世紀論のすべてには、必ず、ソ連の評価が含まれている。しかし、私を満足させるだけの重みのある立論は見当たらない。すべて軽すぎるのである。

「大きな思想」が失敗したら「小さくて現実的な思想」か?


 最後の最後の日付は当然、大晦日になるが、『日本経済新聞』(2000.12.31)の1面左肩の連載記事「21世紀を読む」最終回、6.の見出しは、「普遍主義の妄想/天然資源巡り紛争も」であった。論者のジョン・グレイの紹介は、ロンドン大政治経済学院教授、主著は『グローバリズムという妄想』となっていた。「米国型市場経済を普遍的とする考え方に真っ向から反論し、欧米で大きな反響を呼んだ」のだそうである。
「米国型市場経済」に疑問を呈するグレイは、しかし、米国と対立していた社会主義、または共産主義の政治経済の支持者ではない。「共産主義やナチズムといった20世紀の『大きな思想による悲惨な歴史』を振り返るまでもなく、私は『大きな思想』に懐疑的だ」とし、「小さくて現実的な思想」への「希望」を語っている。
 グレイは1948年生まれの52歳。日本では全共闘世代、または団塊の世代などと呼ばれる戦後の大量発生のベビーブーマー世代である。私よりも11歳若い。日本でも、この世代の論者は、似たような「軽い」発想をしている。この種の「軽い発想の転換」ならば、マスメディアも取り上げ易いから、これまた大量発生している。
 私は、「グローバリズム」や「普遍主義」を「妄想」呼ばわりすること自体には反対しない。しかし、それらは、あくまでも「イズム」であり「主義」に過ぎないのである。それらの主義主張、または思想の土台には、「グローバル」な地球規模の経済が横たわっているのであり、その土台は巨大化の一途を辿っているのである。その不可避な現実から目を逸らして、いきなり、目先の「現実的」手段を求めるのは、いわゆる実用主義であって、少なくとも、私の理論的な好みには合わない。
 事態はますます「グローバル」なのである。その現実に対して、これまでの既成の「イズム」や「主義」が間に合っていなかったことが、問題の焦点なのである。だから、目先の手段を考える前に、「グローバル」な現実の過去・現在・未来を、精密に調べ上げ、理論化し、それに対する過去の思想と実践の欠陥を、すべて点検し直す必要があるのである。
 理論的に考えるためには、過去の経験の分析が不可避である。私は、自由主義とも称する資本主義の欠陥については、すでに明らかだと考えるし、現在必要な過去の点検の中心的な課題は、いわゆる共産主義にあると考えている。その徹底的な分析、点検、反省こそが、21世紀の最初の仕事なのである。
世紀と千年紀を区切る楽譜の頂点の交響楽

 年度の区切りに何の意味があるかとの考え方もあろうが、区切らなければ共通の議論は成り立たない。人類史が世界全体に展開された以上、一緒に議論し、三人寄れば文殊の知恵を発揮し合うためには、共通の区切りが必要となる。共通化するためには、どこかで妥協せざるを得ないのである。もちろん、脳味噌は個人所有というのが私の強い主張でもあるから、当然、皆の意見を聞いた上で、最後の結論は、私個人の責任で発表する。
 これは元旦の憎まれ愚痴として、さらに念を押すと、私は、図らずも、ユーラシア大陸の東の海の中の辺境の野蛮人の子孫として生まれたのであるが、残念ながら、ユダヤ人のキリストを救いの御子として崇めつつも、ユダヤ人を差別し続けてきたヨーロッパの辺境の野蛮人の矛盾に満ちたキリスト暦を使うことなしには、人類の歴史を論ずることができない。このことからも、またもや、現在のユダヤ人問題の根底に澱む「ガス室の嘘」の行く末に想いを致さざるを得ない。因果な話である。
 もちろん、日本にも、未だに紀元2千有余年とかをわめき続ける連中がいるのは重々承知の上だが、その種の半気違いに付き合う気は毛頭ない。世界制覇競争では、ヨーロッパの野蛮人に先を越されてしまったのだから、今や、独自の暦に固執するのは、ごまめ(私は今年、日本式の正月料理を揃えなかったが)の歯ぎしりでしかない。時間旅行がSFの空想の世界以外では不可能な以上、負けを認める他に手段はないのである。本家の中国で廃止の骨董品、元号の強要などは、もっての他の論外の、みすぼらしい野蛮行為である。
 区切りといえば、私が未だに読めない楽譜も、実は、集団で演奏するための区切りとして発明されたのである。私も、若い頃には一応、楽譜を学ぶべきか否かと気に病んだこともあるが、受験の必修科目ではなかったり、映画『日曜は駄目よ』で楽譜が読めない弾き手の物語を見たり、ビートルズも楽譜は読めなかったと聞いて安心したりして、ついに死ぬまで読めずに通すことになりそうである。
 楽譜が区切りだということを教えてくれたのは、フジテレビ相手に争議を闘っていた当時の日フィル労組の委員長、松本伸二だった。カラオケ全盛の当時のことである。争議団の付き合いに歌は欠かせなかった。日フィルの連中は楽器の演奏が専門で、歌は下手だった。歌なら任せろの私が、これは音楽家の分業による片端の現象ではないか、などとからかって、『日曜は駄目よ』の話をしたら、いつもゆっくりとしゃべる松本が、ニッコリ笑って、おもむろに、その学識を披露してくれたのだった。
 誰かに指揮棒を振ってもらおうとは思わないが、今、インターネット空間が開けている。この空間を自由に飛び回り、21世紀の始まりを交響楽の楽譜の区切りとして、十分に満足できるような壮大な人類史の議論がしたいものである。

マルクスの『資本論』が「科学的」だから狂信者が大量発生した矛盾

 年頭に、わが構想の概略を述べると、これまた「大変に重い発想の転換」なのである。
 まず私は、マルクスの業績を区分し、関連する事項を区別し、いわゆる共産主義の歴史を、立体的に分析し、評価し直すべきだと考えている。その出発点が、マルクス自身と、その業績の分析と評価である。
 個人的な評価は後回しとするが、マルクスの業績として評価すべきなのは、『資本論』を中心とする経済学である。確かに、『資本論』によって、資本主義の理論的または科学的な分析が実現した。盟友エンゲルスは、この分析に確信を得て、『空想から科学への社会主義の発展』を著す。
 しかし、まずは、資本主義の分析が科学的であることへの「信頼」が、マルクスの仕事のすべてを科学的とする「妄想」に発展するとなると、これは「狂信」でしかなくなる。この狂信に取り付かれた人は実に多い。私自身も、一時はそうだった。
 しかも、『資本論』自体の中にも、「労働者」を、全面的に未来の担い手として、手放しで礼讃する誤りが含まれているのである。「労働者」も、資本家と同様の裸の猿なのであって、同じ遺伝子を持っている。条件さえ変われば、直ちに独裁者に成り上がり兼ねないのである。
 さらには、「科学的」であること自体が、人類社会の約束、規範に照らして、即、善なのかと言えば、そうではない場合が多いのである。自然科学の場合は、すでに周知の事実である。核兵器は非常に科学的な製品なのである。社会科学の理論の場合であっても、それが科学的で正しいと認められるから、多くの人々の賛同を得ることができて、狂信にまで発展し、一定の集団の理論的な武器となり得るのである。ところが、その集団なり、その集団の指導者が、権力を握ると独裁化するようであれば、科学的な社会学の理論でさえも、核兵器と同様の悪となり得るのである。
 その上に、その科学的な理論そのものの周辺に、誤った幻想が漂っている場合には、悪と化す程度が高まるのである。自然科学の製品と対比してみれば、不純物を含んでいたり、危険な副作用の可能性を秘めていたりもするのである。
 私は、すでに、わがホームページのどこかに記した記憶があるのだが、1998年1月にパリで、拙訳『偽イスラエル政治神話』の著者、ガロディの裁判取材の折に、書店で、「見直し論の父」ことポール・ラッシニエの著書、『第二次世界大戦の責任者たち』を発見して買い求めた。その序文を読んだだけで、実に重大なことに気付いた。ラッシニエは、戦前に共産党から社会党に移り、戦時中にはレジスタンス運動でナチに逮捕された経歴の持ち主なのだが、収容所の経験について「人間(ドイツ人)への怨恨の念を抱かずに戻ってきた」と断言し、暴力に反対し、「階級闘争の概念によってマルクスは社会主義に暴力を導入した」と記していたのである。これはまさに、ウヌッであった。私の長年の疑問が一挙に解けた感があったのである。
 マルクスの革命思想の対極には、ガンジーの非暴力抵抗の思想があった。私は、パリへ行くよりも4年前、1993年のカンプチアPKO出兵反対運動を経た後、1994.7.8.の日付けで、ガンジーの主義と同主旨の「熟年・非武装・無抵抗・平和行動隊」の提唱をしていたのであった。以下の頁である。


熟年・非武装・無抵抗・平和行動隊の提言

 本年は、この問題について、日記風以外にも連載記事の欄を設け、自問自答しつつ、さらに深めていく予定である。
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 狂信の恐ろしさは、何とか主義とか名乗っても、古代からの宗教の場合と、全く同じである。「科学的」と称していようと、「真理」と称していようと、以下のごとき「お題目」と、何ら変わるところはない。
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 お題目にある「南無」とは、身命を投げ出して教えに従って生きるという決意を表します。ですから「南無妙法蓮華経」というお題目を唱えるということは「妙法蓮華経」に帰依するということで、お題目を心から信じ、唱え、その教えを実践することによって、この世に存在するすべての人が、お釈迦様の功徳を自然と譲り受け「即身成仏」することができるのです。
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 南無阿弥陀仏という法(ダールマ)、我々を超えて喚びかけてくるもの、それを体解し説き明かされた初めが釈尊であります。
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 この「釈尊」に代わるのが、「カール・マルクス」である。彼の舎弟、フリードリッヒ・エンゲルスが、『空想から科学への社会主義の発展』なる胡麻擂りによって、自らも、マルクスを継ぐ「権威」に成り上がり、インターナショナルからコミンテルンに至る国際的な現代版の「お題目」組織を築いたのである。この場合の「お題目」の中心は、「科学的社会主義」と「階級闘争」である。
 
 自らが「正しい」と狂信する組織の指導者は、狂信的な独裁者となる。スターリンから金正日に至る独裁者の系譜は、日本国内でも、同様の経過を辿った。その一例が、本通信の発端の安東幹著『日本共産党に強制収容所』である。
 
 以下は、わが「強制収容所」経験の一端である。日本共産党員が運営している「さざ波通信」の一般投稿欄で、質問に答えた投稿の一部である。
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 http://www.jca.apc.org/~altmedka/saza-030206.html
 http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/readers2/0302/r0302m.html
 [中略]
  私自身は、1967年に千代田区労協の事務局長の1期目の途中で、いきなり議論もなしに「上級の決定」として、兼任していた日本テレビ労組の執行委員も含めて、大衆組織の役職から離れろ、と一方的に言い渡されました。重要な職場だからという理由で、秘匿の単線にすると言うのでした。事実は番組宣伝のための広報部勤務で、そんなに中心の秘匿にしなければならない部署ではないのでした。私は当時、日本テレビ総細胞の総細胞長でしたが、それも辞めて「潜れ」と言い渡され、不服ながら従い、その後は、その状況下での解雇反対闘争で苦労しました。
 解決後も多忙ですが、折りに触れて思い出す度に不愉快で仕方なく、放置すると彼らが害毒を流し続けることにもなるので、事実関係を洗っています。

 その間、争議団時代には、闘争上不便なので、何度も訴願委員会に掛け合い、ついには中央委員会の早川組織部長が会うと言ってきました。しかし、「苦労を掛けた」という主旨の一言のみで、理由や経過は一切言わず、でした。

 形だけは支部にもどしたものの、会議への出席は、選挙の時の上級参加の方針伝達の場のみ、でした。いわゆる座敷牢の生き地獄でした。

 唯一考えられる理由は、私が上記の兼任の労組役員だった時、民放労連の大会代議員として、労働戦線強化のために総評に加盟すべきだと主張し、その時に来賓の立場の運輸一般委員長、引間博愛(争議団当時の我々は日本共産党の旗振りの彼を「引き回し」と呼んだ)が、総評加盟単産の立場で、「加盟しない方が良い」と言ったことです。

 当時の日本共産党中央の労対部長、現・国民運動部長の荒堀は、もともとミヤケン胡麻擂り派だけで出世しており、その後、全労連結成に強引な引き回しをした「戦犯」です。私の意見は、当時の日本共産党の乱暴極まりない労組引き回しと正面衝突するものでした。

 それ以前から面識のあった中央委員会の組織部長で、比較的に温厚な早川のその時の態度は、ミヤケン側近の暴力団並の荒堀の存在を考えると、よく理解できます。

 この経過は、川上徹さんらの民青の指導部への査問、除名を考えると、ミヤケンの「経営主義」の「邪魔者は殺せ!」(アイルランド独立派の悲劇の映画、odd man outの訳題)だろうかと思い、断片を集めています。
 [後略]
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 以上の経験は、現在、季刊『真相の深層』への連載を開始し、単行本発行の準備中の『カール・マルクスの大罪』に収める予定である。『日本共産党に強制収容所』を読んで、『カール・マルクスの大罪』完成への決意を新たにした。
 
 以上。

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