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ブッシュ・ファミリー、ベネズエラでの「いかがわしい商売」の経歴(レベリオン誌)
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 5 月 07 日 06:51:13: SO0fHq1bYvRzo
 

ブッシュ・ファミリー、ベネズエラでの「いかがわしい商売」の経歴(レベリオン誌)


日付は少々古いのですが(2004年6月23日)、レベリオン誌からです。この中南米とスペインで広く読まれているネット雑誌の記事に書かれてあることは、おそらく大部分の日本人にとっては初耳のことがほとんどでしょう。

現在アメリカは、ベネズエラとキューバの再支配を狙い、新しい形態のラテンアメリカ支配を目論んでいるのですが、これからお目にかける文章は、ラテンアメリカの権力構造とその中でのブッシュ・ファミリーの利権あさりの実態に触れる、Edgar González Ruizによる秀逸な論文です。長文ですが、全文を翻訳してご紹介します。(なお、本文中の『 』は、著者が他の記事や論文から直接に引用した部分を表しています。)


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http://www.rebelion.org/noticia.php?id=925
2004年6月23日 レベリオン

腐食構造、テロリズム、として石油利権

『ベネズエラにおけるブッシュ・ファミリーのいかがわしい商売』

Edgar González Ruiz


ブッシュ息子による政府はイラクでの血みどろの侵略を推し進め、そしてあらゆる手段を動員して、軍の反乱から「民主主義」への道に至るまで、ベネズエラのウゴ・チャベス政権を突き動かした。この二つの国は共通して大量の石油資源を持っているのだ。

ブッシュ大統領の弟でフロリダ州知事であるジェフ・ブッシュは、チャベス政権転覆を最も熱心に推し進めた者の一人である。彼はチャベスに対して「気違いの一種」と呼ぶに至り、その政府を「国際社会から孤立させることが重要である」というほどになった。この問題の多い知事によると「チャベスがフィデル・カストロから受ける援助とカストロがチャベスから受ける援助は互いに力づけ合っている。彼らを孤立させることは、この地域にとってまたラテンアメリカにとって、重要な意味を持つだろう。」

しかし、ベネズエラの転覆を正当化する「民主主語の擁護」という信じがたいレトリックから離れてみると、ブッシュ一味はずっと以前から、ジェブも含めて、独占的利益を上げる巨大資本とベネズエラに渡った亡命キューバ人たちが絡む、この国の利権構造に関連を持っているのである。

2000年11月19日にマイアミで発表されたジェラルド・レイエス(Gerardo Reyes)記者の記事に次のように書かれている。ジェブは1977年、父親がCIA長官に任命された年に、ベネズエラにCommerce Bankの代表として就任した。このテキサスの銀行はジェイムズ・ベーカーが率いており、ベーカーはブッシュ父の友人、そして後に米国の国務長官となる人物である。それ以来ジェブは、彼の妻でメキシコ人のコルンバ・ガルニカ(Columba Garnica)と関係を持ったおかげでスペイン語を流暢に話し、それによって『彼の家族はベネズエラの石油富豪たちに急速に受け入れられていった。』1980年、父親が副大統領に選ばれると、彼は『この国で最も国際的な都市』マイアミに居を構えた。その後の年月でジェブは大富豪になっていくのだが、キューバ人の都市デザイナーで在米キューバ国家基金の反カストロ主義指導者であるアルマンド・コディーナと親交を結ぶ。そして大きな影響力を持つコディーナに保証された投資家を周りにつけることによって、5万ドルにのぼる巨額の手数料を稼ぐことになる。また彼は同時に、ミゲル・レカレイとも関係を持つが、この男はキューバ系米国人の企業家で、マイアミにある自分の総合病院に対する多額の国庫補助を着服した罪で刑を受けた。レカレイはそのカネをマイアミの公衆保健機関に迂回させ、自分の署名で国際医療センター(the International Medical Centers =IMC)を組織させた。それはニカラグアのコントラにいる傭兵たちのための医療サービスであった。ジェブもまた同様にこの企業から7千5百万ドルを受け取った。尽きることの無い新たな仕事の場をそれに得させるためである。

この種の商売で、41歳になる1994年には、ジェブは200万ドルを超える財産を持っていた。その3年後、レカレイは、ジェブ・ブッシュと80年代の有力政治家たちの「影響力を買っていた」と語った。そして、ジェブ・ブッシュと、また元大統領ロナルド・レーガンや副大統領になるジョージ・ブッシュの周辺の人間と、連邦調査員たちが彼の事業を営業停止にすることを防ぐために、相当の金額を払った、とも語った。国庫補助金から約3億ドルを引き出した後で、レカレイは後でスペインへ飛ぶために、実際にはベネズエラに逃げた。これらの悪事を知ってジェブは完全否定した。レカレイから受け取った小切手は正当な資産を売ったことによる手数料の結果である、と言ってである。

フロリダを治めるようになってから後、ジェブ・ブッシュが過激な亡命キューバ人の友人や支持者たちを援助してきたことはよく知られている。その連中がベネズエラであらゆるタイプの作戦に参加しているのだ。2001年にジェブ・ブッシュと、リンカーン・ディアス・バラート(Lincoln Diaz-Balart)やイレアナ・ロス・レシーネン(Ileana Ros-Lethinen)、そしてヘリティジ基金と極右共和党員の上院議員ジェシー・ヘルムズ(Jesse Helms)は、黒い過去を持つ極右主義者で亡命キューバ人のオットー・レイヒ(Otto Reich)【注1】を支援して、国家西半球局(State Department-Western Hemisphere)の副事務局長に指名させた。レイヒはロナルド・レーガンの政府で国務省の公的外交室(Office of Public Diplomacy)の長であり、1986年から89年の間ベネズエラの米国大使を務めた。同時に、失敗した2002年のチャベス政権転覆を手助けしたと非難されている。その首謀者は、企業主でベネズエラ経済連合フェデカマラス会長であり石油部門の利権を握るペドロ・カルモナであった。わずか48時間しか続かなかった彼の政府で、つかの間の独裁政権を宣言して最初にとった手立ては、ベネズエラで生産する石油の量を2倍にすることとキューバへの輸出を禁止することであった。これは明らかに、チャベスに対するクーデターの第一推進者であったブッシュ政権によって言い渡された政策だったのだ。
【注1:オットー・レイヒに関しては次の資料を参照のこと:英語】
http://www.ratical.org/ratville/CAH/FoT.html

同様に2002年には、民主党上院議員のクリストファー・オッド(Christopher Dodd)が、レイヒが大使であったときに彼は亡命キューバ人でありテロリストとして非難されるオルランド・ボッシュ(Orlando Bosch)【注2】を米国に逃がす手伝いをした、と語った。ボッシュは、1976年にバルバドスで起こったキューバ航空の飛行機爆破事件に関連して、ベネズエラの刑務所にいたのである。1978年の1月、オルランド・ボッシュはベネズエラの刑務所を抜け出して、レイヒが発行したビザのおかげで、そこから米国に向けて違法出国した。そして米国で、条件付の釈放が考慮されずにすぐに逮捕されてしまった。それに対して、在米キューバ国家基金(la Fundación Nacional Cubano Americana)とイレアナ・ロス・レシーネン、およびいずれ彼女と共に仕事をすることになるジェブ・ブッシュが、彼の釈放のために激しい運動を組織した。
【注2:オルランド・ボッシュに関しては次の資料を参照のこと:英語】
http://www.independence.net/orlandobosch/

ボッシュに加えて、反カストロ主義者ルイス・ポサダ・カリーレス(Luis Posada Carriles)もまたそのテロに加わった。ジャーナリストであるエルナンド・カルボ・オスピノ(Hernando Calvo Ospino)の注釈によると、カリーレスは1967年以来ベネズエラでCIAのために「左翼組織抑圧のために雇われた部隊の顧問」として働いていた。カルボ・オスピノは、この爆破事件の容疑者に対する裁判は「弁護側の妨害の連続で多難なものであった」、と強調する。予審を軍事法廷に回さねばならず、この事件を担当した裁判所の判事は殺害の脅迫を受けてこれを投げ出してしまった。マルシアル裁判所の長官であるエリオ・ガルシア(Elio García)は、やめようとしなかったため息子を殺された。「このような経過では、CIAの関与がどこかにあると感じないとすれば余程天真爛漫であるにちがいなかった。米国政府がポサダとボッシュの裁判に対して一言の情報も入れないことを決めた時に、大きな疑問が沸き起こった。」

しかし他のブッシュ・ファミリーのメンバーたちもベネズエラには重要な関係を持っている。チャベス政権に対するクーデターの失敗の後、その推進者の一人としてグスタボ・シスネロス(Gustavo Cisneros)の名が取りざたされた。テレビ業界の重鎮で元大統領ジョージ・ブッシュ父の友人でもある。シスネロスは表向きにはクーデターへの関与を否定している。しかし週刊誌ニューズ・ウィークは、ペドロ・カルモナが臨時政府大統領として政府公舎に向かう前に「シスネロスの事務所から出て行くのを目撃された」と指摘した。ニューズ・ウィークによると、ベネズエラの国会議員ペドロ・パブロ・アルカンタラ(Pedro Pablo Alcántara)は同誌に、カルモナの短い独裁政権はシスネロスの事務所で組織され、彼こそがこの謀略の「最高責任者」である、と語ったのである。この雑誌は同時に、この無謀な企ての最中にオットー・レイヒがシスネロスに「2回か3回」話をした、と告げた。それらの電話での会話の一つはシスネロスの方から13日の土曜日に行われたもので、その日には激怒した無数のチャベス支持者たちが彼のテレビ局であるベネビジョン(Venevisión)の建物を取り囲んでいたのだ。

ベネズエラの情報源の一致するところによると、チャベス支持者と反チャベス派が衝突し25名ほどの死者(その多くが親チャベス派だった)を出した2002年4月11日木曜日に、ペドロ・カルモナはそのデモの中におらず、シスネロスに招かれて、カトリック教会会議議長のバルタサル・ポラスや新聞社社長ラファエル・ポレオなどと一緒に、居心地良く作られたベネビジョンの重役室の中にいたのだ。

したがって、シスネロスがブッシュの宣伝係として将来の大統領選挙にチャベスに対抗する人物と目されるようなことは不思議ではない。それは、米国に支援された大統領罷免の国民党票で反対派が勝つのなら実現へ向けて前進するのかもしれない。【訳注:実際には、2004年8月に行われた国民党票は、圧倒的にチャベス派の勝利だった。】

57才のグスタボ・シスネロス・レンディレスは約50億ドルもの資産を持ち、ラテンアメリカではメキシコのカルロス・スリム(Carlos Slim)に次ぐ大富豪の一人である。シスネロスは雑誌フォーブスによれば世界の大富豪500名中64番目に位置する。

キューバ人の子孫であるシスネロスは米国最大のスペイン語放送局ユニビジョンの筆頭株主であり、ベネズエラのベネビジョン、チリビジョン、コロンビアのカラコル・テレビジョン、カリビアン・コミュニケーションズ・ネットワークなど、いくつかの国のチャンネルと、同時に飲料メーカーであるパナムコを所有し、現メキシコ大統領ビセンテ・フォックスが雇われていた国際企業コカコーラの株主でもある。彼の同僚パトリシア・フェルプス(Patricia Phelps)と一緒に、彼はホワイトハウスの重要招待者リストの中に、ロナルドとナンシー・レーガンと共に挙げられている。【訳注:この記事が出たときにはロナルド・レーガンはまだ生きていた。】ブッシュ父とシスネロスの親愛に満ちた関係の中で、テキサスでの交渉リストに対して、彼らはまず第一にベネズエラの国有企業ペトロレオス・デ・ベネスエラに参入する企業の計画を重視していると言われている。(noticias. Com:2004年6月6日)

グスタボ・シスネロスはフロリダでと同様にベネズエラでも彼の友人であるジョージ・ブッシュと魚釣りの旅行を楽しんでいる。そして、資本には良心も思想も無い、と語り、そしてまた深い親交を結んだビル・クリントン政権の国務長官サイラス・バンス(Cyrus Vance)は彼の相談相手であった。

シスネロスは、「終わりのない利益」追究の組織であるアメリカ大陸諸国国際投資協会(The Americas Society)に力を及ぼしている。この組織にはまたダヴィッド・ロックフェラーとチリのメディア企業社主アグスティン・エドワーズ(Agustín Edwards)が加わる。このエドワーズは、CIAの支援を受けてサルバドール・アジェンデの合法的な政権を倒した陰謀の鍵となる人物の一人でもあった。

1985年1月にベネズエラで米国人リンドン・ラルーシュのシンパが数多く逮捕され、「麻薬密輸会社」(Dope Inc)という題名の本のコピーが200冊押収された。その本にはシスネロス家が資金洗浄に携わる人物や組織と関係を持っていることが書かれていた。何年も後になってその本の編集者たちは、1985年1月14日に、シスネロス家のある企業に雇われたペプシコーラ株式会社所有の飛行機が、フロリダのホリィウッドで麻薬取締官の捜査を受け、その中で50グラムのコカインが入った袋が見つかった、ということを証明する文書を公表した。シスネロスはその飛行機での事件を認めたが、取締官たちがそれを犯罪とはしなかったと主張した。

グスタボの弟でファミリー帝国経営のナンバー2であるリカルド・シスネロス(Ricardo Cisneros)はベネズエラの歴史上で最も衝撃的なスキャンダルを引き起こすこととなった。1994年のバンコ・ラティノ銀行の大損害はこの男が原因だったのだが、ベネズエラのある判事が、この銀行の重役の地位を利用した不正行為であるとして、リカルドを逮捕する命令を出した。告発によるとこの銀行の重役たちは、そのいくつかは自分たちが経営している企業群に、安全な貸し出しの限度額を超えた融資をして、この銀行の資金は底をついてしまった。リカルドは逮捕の命令から逃れて国外へ脱出し、外国暮らしを続けた。

一方で、大統領ブッシュ息子のベネズエラにおける協力者はルイス・ギウスティ(Luis Giusti)である。彼はエネルギー関連のブッシュの代理人として仕事をしている。ルイス・ギウスティは、1994年から1999年までペトロレオス・デ・ベネスエラ(PDVSA)の社長だったのだが、この国営企業の民営化を図った。石油エコノミストのラファエル・クイロス(Rafael Quiroz)によると、ギウスティは常に愛国主義、国民主義、国家の主権に対して疑問を発し、これらの言葉を『現代世界の現実に合わせなければならなかった』と強調していた。それはPDVSAを放棄しなければならなかった、という意味に理解できる。ギウスティはこのように声をあげた。『この場で主権だの愛国心だのという概念が振りかざされる。もうたくさんだ。』(El Nacional紙、1998年7月7日、E/2ページ)その後、同年(1998年)8月に、第54回通常国会の期間に彼は強調した。『私は、この企業はその投資を市場の中に出していかねばならない、と思っている』PDVSAの仕事から去るときにギウスティは米国に移住しようとしていた。【訳注:以下の部分はラファエル・クイロスの文章からの抜粋】『シェル石油会社に再就職するために、である。今までも彼はほぼ間違いなくシェルのために仕事をし続けていたはずだ。今ではそこで優秀な「シェル・マン」として彼の元の雇い主のために働き、そして今日「ブッシュ・マン」、つまり米国大統領ジョージ・W.ブッシュの代理人に変身して、西半球のためのエネルギー計画の中で働いている。』

【翻訳、終り】

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