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龍川列車爆発事故はテロだったのか【North Korea Today】日本統治時代の工業拠点:興南で六フッ化ウラン製造か
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投稿者 エイドリアン 日時 2005 年 6 月 11 日 17:00:04: SoCnfA7pPD5s2
 

(回答先: exciteの翻訳で韓国語はかなり読めます。 投稿者 へなちょこ 日時 2005 年 6 月 11 日 13:28:35)

By 安部桂司 (草思 2004年7月号)

 去る四月二十二日、平壌と新義州をつなぐ平義線の平安北道龍川駅構内で硝酸アンモニウム(硝安)の爆発事故が発生した。新義州に近い龍川駅での爆発事故の第一報は、韓国から入った。韓国の連合ニュースは二十二日の昼、「LPガスと石油を積んだ貨物列車同士が衝突し、大規模な爆発を起こした」(『毎日新聞』四月二士二日付)と報じた。この爆発事故は金正日国防委員長の中国訪問からの帰途、列車が龍川駅通過直後に発生したため、その原因について爆発テロ説を含めて様々な憶測が飛び交った。

  それらの浮説を打ち消すためであろうか、二十五日の北朝鮮の新聞は、龍川郡災害対策委員会の張松根委員長が事故原因について、中国から支援された硝酸アンモニウム肥料と、石油を積んだ列車が衝突し、そのさいに駅構内の電柱が倒れて、電線のショートによる火花が引火して両方の列車を爆破させたと語った(『朝日新聞』四月二十五日付)と、報じた。

  この北朝鮮側の発表を子細に検討すると、貨車に積載して爆発した物資は硝酸アンモニウム肥料であるとして、「肥料」だったことを強調している。工業原料の硝酸アンモニウムではなく、用途を明らかにして「硝酸アンモニウム肥料」ですよ、とことわっているのである。この硝酸アンモニウム肥料にはより安全性を考慮した配合物が加味されている。

  その硝酸アンモニウムは少量で燃やしても火がつかない、雷管で起爆しても爆発しない物質である。しかし、大量に存在し、周囲に可燃物のある閉鎖空間に置かれて火災に遭遇すれば爆発する。油を硝酸アンモニウムに混合してアンホ爆薬というものが作られたのは、アメリカで起きた同種の爆破事故がヒントになっているが、北朝鮮側の発表はその故事を想起させ、より真相を疑わせる結果となった。はたしてこれは単純な事故だったのだろうか。

▼ 一大工業地帯だった多獅島鉄道沿線

その後の報道内容は被害状況に関心が移り、新聞には龍川駅周辺のカラー写真、被害前後の状況を示す衛星画像などが紹介された。その中で注目を浴びたのは爆発跡の穴の深さであった。さらに破壊された小学校のカラー写真は、被害者の多くが小学生であったこととからんで注目された。その龍川小学校の写真であるが、建物の様式と駅からの距離のとり方が日本統治下の新義州小学校に似ていた。

  日本統治下における平安北道居住の日本人の数は、統計のしっかりしている昭和十八(一九四三年で三万〇六〇八人、そのうちの三分の一は新義州に居住していた。次が、五〇〇九人の江界、三番目が二五〇二人の義州、そして四番目が二三九四人の龍川であった。義州も龍川も新義州に隣接した地域だから、平安北道の日本人は過半数が新義州周辺に居住していたことになる。この新義州には中学校、女学校が平安北道全域の日本人子弟を受け入れるべく整備されていた。
  このあたりを旅した小牟田哲彦氏の『鉄馬は走りたい』(小社刊)に、平壌から新義州駅に向かっての駅名が日本統治下と対比して記載されている。それにより今の平義線の龍川駅は日本統治時代の「楊市駅」と分かる。その楊市駅はかつて多獅島鉄道の駅でもあった。すなわち龍川駅は平義線と多獅島鉄道の分岐駅である。

  多獅島鉄道は新義州を起点とし、鴨緑江の河口区域埋立地に建設された多獅島港へ至る全線三十九・三キロの鉄道であった。そして沿線の楊市、龍岩浦周辺には平安北道の林産、鉱産資源と水豊ダムの電力に依拠した新工場団地が造成された。その代表的工場が、楊市駅周辺の三井軽金属、龍岩浦駅周辺の三成鉱業である。ちなみに、多獅島港は奉天(洛陽)から最短距離にある不凍港であった。

  さて、この列車爆発事故の真相を探っていくうえでは、龍川駅の位置、そしてまた新義州周辺が日本統治時代に、いかなる役割を担っていたのかを見ていく必要があるだろう。

  統治時代、多獅島鉄道沿線に工場が配置されていたが、太平洋戦争下で建設されたこともあって軍事工業関連が主であった。それらを新義州に立地する工場と合わせて列挙すると、安田鉱業所の新義州黒鉛選鉱場、三成鉱業龍岩浦製錬所、朝鮮神鋼金属新義州工場、三井軽金属楊市工場、東洋商工新義州工場、王子製紙新義州工場、鐘淵工業新義州葦人絹パルプ工場、日本農産化工義州工場、クームヒン新義州工場、郡是工業新義州製糸工場、朝鮮富士瓦斯紡績新義州工場、東棉繊維工業新義州工場、朝鮮無水酒精新義州工場、朝鮮燐寸新義州工場などである。

  これらは全てが戦時下で軍需に関わる工場であったとも言える。中でも大規模なのがアルミニウムとマグネシウムに代表される軽金属工業で、これらは飛行機の製造に欠かせない典型的な軍需工場であったが、他に朝鮮無水酒精新義州工場などは航空燃料の生産に関わった工場である。

  東洋軽金属(株)は、昭和十八年十月までに楊市(龍川)に第一、第二工場を建設し、その一部で操業が開始された。後に東洋軽金属は三井軽金属と改称しているが、終戦時の三井軽金属楊市工場の従業員数は千人を超え、生産能力は二万トンであった。また、楽元の朝鮮神鋼金属(株)は金属マグネシウムの生産工場であったが、ここも従業員数が千人を超える工場であった。

  北朝鮮では巽南、鎮南浦と、この新義州の三地区に立地していた軽金属工業の工場は敗戦時に侵入してきた旧ソ連軍の最重要な収奪目標であった。旧ソ連が自国の飛行機製造に欠かせないと、狙っていたのである。

  多獅島鉄道沿線における昭和十年代後半の軍需工場の配置は、戦時下での「軍秘」との関わりで調査が行き届いておらず、この沿線に兵器の修理工場もあったと伝えられているが、確認していない。だが、多獅島港は満州中央部と最短距離でつながる不凍港であり、多獅島鉄道は楊市(龍川)駅経由で新義州につながり、日本からの軍需物資を最短距離で満州中央部へ運ぶことができた。したがって、このあたりは日本帝国陸軍が対ソ戦を考える上で最重要鉄道沿線であったと言える。

▼ 統治時代の化学工業が遅れを来す

次に、硝酸アンモニウム(硝安)について考えてみたい。硝安が植民地史研究で出てくるのは、朝鮮窒素肥料(株)の資料からである。『日本窒素肥料事業大観』は、同社の創立三十周年を記念して刊行されたが、その中に、硝安は硝酸液中にアンモニアガスを吹き込んで得られるとある。では、その硝酸はどのように生産されるのだ.ろうか?

  硝酸はアンモニアの接触酸化(アンモニア酸化法)で工業的に多量につくられる。この製造法は発明者にちなんでオストワルト法とも呼ばれている。つまり、アンモニアの製造ができれば硝酸は生産され、その硝酸液中にアンモニアガスを吹き込めば硝安が作られるわけだから、硝安を製造するにはアンモニアの製造が出発点となることが分かる。

  アンモニアは常温で刺激臭を有する無色の気体で、その製法は一般に「空中窒素固定法」として知られている。この空中窒素固定法とは、空気中の窒素を分離し、原料として種々の窒素化合物を合成することである。代表的な空中窒素固定法にハーバーボッシュ法があり、この方法によるアンモニア合成の成功がドイツ帝国をして戦争を決意させたと語られている。すなわちドイツ帝国の皇帝が植民地をめぐって英・仏などとの一戦を交える準備をしていたが、火薬製造のために必要な硝酸はチリ産硝石(硝酸ナトリウム)に依存しており、南米のチリからの輸入ルートを英海軍に押さえられては勝利を確信できなかった。ハーバーボッシュ法の確立はチリ硝石に依拠しない硝酸製造を可能にし、空気中の窒素から火薬が製造できることから皇帝は戦争を決意したと言われているのだ。

  日本統治時代にこの空中窒素固定法の技術を導入して一大産業を興した実業家に野口遵がいる。巽南に朝鮮窒素肥料(株)の工場群を建設した大実業家である。その本宮工場では、電気分解のさいに発生する塩素と水素を反応させ、塩酸を製造した。化学工業は酸・アルカリを作用させることを出発点にしているが、本宮工場での食塩の電気分解による酸・アルカリの生産と興南の空中窒素固定法によるアンモニアの生産によって朝鮮の地に化学工業の成立をみたということになり、昭和二十(一九四五)年八月以降の北朝鮮の化学工業は、ここに基盤を置いた。

  時間は飛ぶが、平成三(一九九一)年四月に操業を開始した国際化学合弁(株)が興南に工場を設立した理由にも、酸・アルカリ工業の存在があげられている。国際化学合弁(株)の事業は在日朝鮮人の商工人と科学者の協力で立ち上げられたのだが、事業の発展に合わせて塩酸、硝酸、苛性ソーダ、アンモニアなどの関連工業の技術向上をはかるとの目標を掲げていた。この目標からして、野口遵の築いた酸・アルカリ工業が建設時から半世紀を経過し、技術的に遅れを来していること.、そのため在日朝鮮人の商工人と科学者が、日本からの技術移転で刷新をはかろうとしていたことが推察できた。

  このように、こんにちなお興南の酸・アルカリ工業および、硝酸アンモニアが注目されるのは、「北朝鮮六フッ化ウラン売却?」(『朝日新聞』国際版、二〇〇四年五月二十四日付)と題した記事の内容に示されている。六フッ化ウランとは濃縮ウランの原料となる化合物で、日本はこの形でウランを輸入し、その中の核分裂性ウラン235を約三パーセントに濃縮することで原子力発電所の燃料に加工している。北朝鮮はその六フッ化ウランを二〇〇一年にリビアへ一・七トンも売却したというのである。見出しには「?」記号が付いていたが、この六フッ化ウラン製造工程では硝酸とアンモニアが欠かせないのである。

▼ なぜ硝安が龍川駅に留まっていたのか

硝酸とアンモニアを混合すれば硝安が製造できるが、その硝安の用途は、肥料、火薬原料、硝酸塩製造、爆薬、花火、殺虫剤、ペニシリンの培養、オフセット印刷、二酸化窒素の製造などである。この用途のなかで、現在北朝鮮がとっている「先軍政治」に直接的に関わるのは、火薬原料、硝酸塩製造、爆薬であろう。火薬と爆薬は容易に推察できる軍事資材であるが、硝酸塩はどこが先軍政治と関わっているか問われれば、これはロケット推進薬の中でも信頼度の高い固体推進薬の原料なのである。固体推進薬にはダブルベース火薬、混合推進薬などがあるが、その混合推進薬の酸化剤成分に硝酸塩が使われるのだ。

  統治時代の朝鮮窒素肥料鰍ナは、朝鮮窒素火薬興南工場内に合成硝酸工場を建設し、ダイナマイト製造のために自家用として用いた。このダイナマイト製造にも硝安を必要とした。原安三郎は黄海道に朝鮮火薬製造滑C州工場を昭和十二(一九三七)年に建設した。これは朝鮮に建設された総合火薬工場であったが、ここでも主力製品はダイナマイトであった。この海州工場ではダイナマイト製造に欠かせない硝安、硝酸、硫酸類を、朝鮮窒素火薬巽南工場から供給を受けていた。

  現在、北朝鮮でダイナマイトの製造に関わっている企業は、統治時代から引き継いだ朝鮮窒素火薬興南工場、朝鮮火薬製造海州工場の二つであるとみられている。北朝鮮が肥料ではなくダイナマイトの原料として中国からの硝安を列車で運んでいたのならば、朝鮮火薬製造海州工場まで陸路を運ぶだろうか?

  常識的には船舶を使うはずだが、目前に韓国海軍が展開している状況では運びづらいのかもしれない。国際化学合弁鰍フ工場を建設した前例からも、朝鮮窒素火薬興南工場が硝安の運び先だとも推測できる。中国から新義州経由の列車で資材を運んでいたというわけである。

  ただし、これは北朝鮮のダイナマイト製造は、日本統治下の二工場がそのまま継続して稼働しているという前提での話である。一般には日本統治時代の工場がいまだに稼働しているといわれるが、新たにダイナマイト、あるいは硝安を原料としたアンホ爆薬などの製造工場が建設されている可能性だってある。そこで浮かび上がってくるのが多獅島鉄道沿線のかつての軍需工場である。

  朝鮮戦争で北朝鮮は多獅島鉄道沿線一帯への米軍侵入を阻止している。そのとき海州工場からこの一帯へ設備と従業員を避難させたことも考えられる。それならば、平義線と多獅島鉄道の分岐点である龍川駅で硝安を積んだ列車が留まっていた理由も理解できる。
▼ 不満分子が爆発物を仕掛けた?

先にも述べたが、日本統治下のアンモニア工場が老朽化し、その生産量を低減させつつある状態にあると私が気づいたのは、北朝鮮が中国から肥料支援を受けるとの報道に接してからである。その後ラヂオプレスが催した講演会で、講師として招かれた韓国・聖学院大学の康仁徳教授(元韓国政府高官)が、北朝鮮からの申し入れに沿った肥料を支援したところ、火薬の製造にまわされたので、以後は肥料支援に注意するようになった、と述べたのを耳にして、私はこのことを確信した。さらに今年になって北朝鮮は韓国に対して、興南の肥料工場(アンモニア製造工場)再建への支援を要請したとも伝えられている。

  最初にも書いたが、今回、事故後の北朝鮮当局の発表は「硝酸アンモニウム肥料」という表現で、ことさら硝安が火薬原料とはほど遠いことを匂わせている。確かに、硝安は肥料として、日本でも使われている。だが、この形態の窒素は水に溶けやすく、作物も吸収するので速効性に優れている。だから、畑作物の追肥に使われるが水田に使用すると土壌に吸着せず流亡する。

  北朝鮮農業の現状を見るときに、春先に追肥である硝酸アンモニウム肥料を必要とする作物が思い当たらない。となると、北朝鮮が中国から入れた硝安は、火薬'爆薬の原料であった可能性が大である。康仁徳教授によれば、肥料支援では火薬・爆薬の原料になる物資しか要請されなかったそうである。硝安が含まれていたということであろう。

  それにしても、硝安は他の物質と混合されて爆薬になるのであって、肥料にも使われるように、密閉器中で強熱するか他の爆発物によって誘発されない限りそれ自身は安定した化合物である。その硝安がなぜ爆発したのだろうか。日本の記録を調べた範囲では、硝安輸送時の爆発事故はないのである。

  ここで金正日の説く「先軍政治」とは何かを考えてみたい。それは軍事が国事の第一であり、軍事工業が富強な国家建設の生命線であり、軍事工業を離れては経済強国も建設できない、という政策である。したがって、発電所の整備と建設も軍事関連工場が存在する地域に突出して進められる。野口遵が建設を主導した世界的な水豊ダムに依拠する水豊発電所の整備が急務だと、二〇〇三年にはじまる「新科学技術発展五カ年計画」の筆頭に挙げている。

  ちなみに、太平洋戦争中、多獅島鉄道沿線の軍需工場はその水豊発電所に電力の供給を仰いでおり、その後この水豊ダムは朝鮮戦争時に、米空軍の重点爆撃目標でもあった。また、この地域の軍需工場の全てが旧ソ連軍によって収奪されたのではなく、中国の国共内戦では、後方基地として中国共産党・紅軍を支えたことはよく知られている。そして、朝鮮戦争ではB29の絨毯爆撃下、金日成が立てこもった地域でもあった。

  先に述べた農業事情を考えあわせても、こうした地域で爆発した硝安が、肥料であるなどとはやはり考えられないのである。

  この場合の硝安は軍需物資だと理解するのが、先軍的理解でもある。「軍事優先の旗を高く掲げて国防工業をさらに発展させて」(『労働新聞』二〇〇三年十一月十二日付)いる現状では、硝安は肥料用でなくダイナマイト、爆薬、ロケット燃料の原料だと考えるのが常識的であろう。

  爆発したのは硝酸アンモニウム肥料だという北朝鮮当局の発表と、その後もたらされた、事故現場にシリア人技術者がいたとの情報から、硝安に無機質の塩類を加えて製造するロケット燃料が爆発したのではないかという疑いが発生している。ロケット燃料ならば、先に推測したように、中国から入れた硝安を原料として、多獅島鉄道沿線の軍需工場で生産している可能性が高くなる。

  となれば、列車爆発は単純な事故などではなく、金正日の「先軍政治」に不満を抱く分子が硝安輸送列車に爆発物を仕掛けたと見るのが自然であろう。北朝鮮は、肥料支援にことよせて韓国にまで軍事優先の支援内容を要請しているのである。それが本当に肥料ならば食糧生産に結びつくが、ダイナマイト、爆薬やロケット燃料の原料では直接に食べることに結びつかない。軍事優先政治は食糧生産を圧迫し、北朝鮮に飢餓状況を招く原因を成している。このことに不満を抱く分子が仕掛けたと考えられるのである。

 事実、この龍川駅爆発事故からひと月後に、ロシアの「イタル・タス通信」は、平壌の地下鉄で五月二十二日に火災が発生し、三〜五人が死亡した(『朝鮮日報』五月二十五日付)と報じている。同じ二十二日という日に、北朝鮮を象徴する交通機関で事故が発生し、犠牲者を出したことから、国際的には北朝鮮国内の不満分子によるテロ説がいっそう強まったのである。

  三・一、六・二五、八・一五と記念日にこだわるのが朝鮮民族の特徴であり、北朝鮮からの情報には多くの記念日が出てきて、それに関する知識がないとわからないそのことから、いま北朝鮮ウォッチャーのあいだでは、二十二日が何を意味するのか、問われだしている。

  いずれにせよ、テロを怖れて飛行機に乗らない金正日総書記は、鉄道にもテロの危険性があるとなれば、今後は平義線にも乗れないだろう。こうして、金正日が国内に封じ込められてしまったのは間違いない。


あべ・けいじ 一九三九年福岡生まれ。工学院大学卒業。通産省東京工業試験所、同・化学技術研究所、物質工学工業技術研究所を経て、財団法人・科学技術戦略推進機構つくば管理事務所長を務める。現在、東亜経済研究所特別研究員。著作に『藤澤勘兵衛と筑波研究学園都市の概成』、共著に『北朝鮮の軍需工業化』(知泉書館)などがある。

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