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歴史認識を覆す佐藤振壽氏の証言【戦友連】
http://www.asyura2.com/0505/war73/msg/709.html
投稿者 木田貴常 日時 2005 年 8 月 24 日 11:26:17: RlhpPT16qKgB2
 

(回答先: 「事実なき報道、許すのか」 「百人斬り」訴訟棄却 【産経】 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 8 月 24 日 09:07:23)

歴史認識を覆す佐藤振壽氏の証言
http://www.senyu-ren.jp/100/005.HTM
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平成16年7月12日 60期 國安 輝久
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佐藤氏は91歳、昭和12年南京攻略戦に元東京日日新聞のカメラマンとして従軍し、南京大虐殺記念館に展示されている向井、野田両少尉の写真を撮ったまさに「百人斬り」の真実を知る唯一の生き証人である。

裁判長は被告本多と毎日新聞の反対を退け、原告申請の佐藤証人の尋問を認め今回の証言が実現したものである。

車椅子に乗り、看護婦等の付き添いのもと出廷した佐藤証人は堂々たる態度で法定を圧倒した。

途中休憩を挟んだものの約2時間に及ぶ緊張した法廷で、途中、血圧計が二百を越し、看護婦が原告代理人に証人尋問の中止を提案したほどであったが佐藤証人は最後まで尋問を続行することを望まれ、南京戦の真実を知る者の責務を見事果たされたのである。その姿は法廷にいるすべての者に感動と勇気を与えた。

裁判長も佐藤氏の健康を気遣い色々と細かな配慮を示し、本多の代理人が南京城内の捕虜処断に質問を拡大しようとし、原告代理人が異議を述べたことについて、本多の代理人の質問を制限するなど見事な訴訟指揮により、佐藤氏の主尋問、反対尋問を時間内に収めた。

佐藤証言の主なるものは次の通りであった。紙面の都合で細部を省略し、重要事項だけをご報告する。
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1. 無錫で両少尉に会っていない、常州で浅海記者に両少尉の写真を撮るように頼まれ、太陽光線を考えて常州城門の側で写真撮影した。(註・これが現在も残っている有名な両少尉の写真である)
2.両少尉はこれから(つまり常州から)百人斬り競走を始めると話していた。
3.両少尉が当番兵を取替えっこして斬った中国兵の数を数えると聞いたが、信じなかった。(本多の代理人の執拗な反対尋問に対し)新潮で私が納得したように書かれているが、断じて納得していない。そのように書いたのは新潮の記者であって私は納得していない
4.翌年の昭和13年上海で「百人斬り」の記事を見たが「嘘っぱちを上手く書いたな」と思った。
5.当時日本軍は苦戦していたので大隊副官と歩兵砲小隊長が第一線で刀を振り回してチャンバラをするような戦況ではなかった。そもそも南京戦は近代の銃撃戦でチャンバラではない。
6.殺人ゲームとか上官からの命令という話は二人からも聞いていない。
7.戦後浅海氏が東京裁判に呼ばれた時に「嘘だ」と一言言えば良かったのだ。自分も呼ばれるかもしれないと浅海氏から聞いたが呼ばれなかった。
8.陸軍の検閲があったが戦意高揚の記事ということで、法螺話を通してしまったことにも責任がある。
9・南京軍事法廷に自分が撮った両少尉の写真が提出され、これが証拠となって二人は銃殺されたが遺族に対して本当に申し訳ないと思っている。
10.現在南京大虐殺記念館に私の撮った二人の写真が虐殺の証拠として展示されていることに腹が立って中共政府と喧嘩をしたいくらいだ。
11.この問題について私に何の取材もせずに「百人斬り」を書いた本多勝一と朝日新聞はジャーナリズムとして失格である。
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概要以上の通り明快にしっかりと証言された。証言前に今まで保存していた同氏の南京戦従軍当時の日記を証拠として裁判所に提出した。

佐藤証人の証言は首尾一貫しており、相手側代理人の質問に対しても少しも臆することなく、きっぱりと、法螺話であると断言されたのが印象的であった。

なお、本年4月号に「浅海記者は北京勤務した」と記載したが佐藤氏から「浅海氏が北京に行ったのは毎日退職後である」とのご指摘がありましたので、遅くなりましたがお詫びして訂正します。

佐藤氏の速やかな健康回復とご長命を祈念致し、佐藤さんの勇気ある証言により、「百人斬り」訴訟前半最大の山場を成功裡に終了出来た事を深く感謝致します。

  次回第7回は9月6日午後1時半


原告支援サイトより
http://homepage3.nifty.com/kyoho-enzai/boad/contents/E0700_33.html
第6回公判に関する記事

 週間新潮7月22号は、特集として南京大虐殺「100人斬り訴訟」が暴いた大新聞の「歴史的ウソ」という記事を掲載しました。下記はその特集より引用したものです。

 7月12日、東京地裁第103号法廷で開かれた民事訴訟に、車椅子に座った老人が原告側証人として出廷した。佐藤振壽氏。大正2年生まれであるから、今年91歳になる。

 佐藤氏は、日中戦争が中国全土に拡大していく最中、昭和12年9月から12月まで、東京日々新聞(現在の毎日新聞)のカメラマンとして上海、南京戦線に従軍した。南京陥落が12月13日。いまや当時を知る数少ない貴重な証言者と言えるだろう。佐藤氏は巷間伝わる「百人斬り競争などなかったことを証言するために、この日の法廷に立った。
(中略)

 問題の東京日々新聞に掲載された向井、野田両少尉の写真は、そもそも佐藤氏が撮影したものだった。記事を執筆したのは、浅見一男記者(戦後、毎日新聞労組委員長、退職後、中国問題評論家。故人)。佐藤氏と浅見記者は、南京攻略の途上、常州に一番乗りした第16師団の片桐部隊と合流する。そこで向井、野田両少尉と出会い百人斬りの話を聞く。

 しかし、佐藤氏は2人の話を信用しなかったという。
「野田さんは大隊副官で、向井さんは歩兵砲の小隊長出した。2人とも兵を指揮する役職ですから、刀を振り回して白兵戦に参加することはありえない。私は最初からホラ話だと思って、たいして気にもとめていなかったのです。その後、2人には会っていませんが、2人が所属していた冨山大隊には何度も行きました。そこの兵隊から100人斬りの話は聞いたことがありませんでした。

 佐藤氏が両少尉に会った時点では、まだ競争は始まっていない。しかし第1報ではすでに何十人も斬ったことになっているのである。

 佐藤氏は、まさかホラ話が記事になるとは思っていなかったという。そうしてこう懺悔する。「南京大虐殺記念館では私の写真を勝手に使っている。南京軍事裁判でも、人定尋問で私の写真が使われた。記事はウソでも写真は本人に間違いないですからね。その写真がもとで銃殺されてしまって遺族の方には申し訳ないと思います。私が今回証人として出ることにしたのは、遺族への謝罪の気持ちと、真実をはっきりさせなければならないと思ったからです。陸軍省は、ホラ話でも、戦意高揚のために都合のいい話だから検閲を通してしまったんですよ」

 浅見記者は、100人斬りの現場を目撃して記事を書いたわけではない。確かに、その場で百人斬りの話題にはなったのだろう。少尉も大言壮語したと思われる。とはいえ、事実かどうかも確認せずに送稿したのだから、明らかに創作である。(中略)

 被告側は非を認めていない。毎日新聞は裁判の中で、「適正に取材し、かつ正確に記録したもので記事は真実である。他者が誤って引用したとしても、それは毎日の責任ではない」と主張している。だが、当の毎日新聞自身が、平成元年に発行した「昭和史全記録」の中の南京関連の項目で、「100人斬りは事実無根だった」とはっきり記述しているのだから、その矛盾をどう説明するのか。

 また朝日新聞も後に単行本となった本多勝一氏の連載に付いて、「60数年も前の新聞記事の記載を歴史上のものとして紹介したものであり、また、当該行為を当時の戦場でありがちだったものとして評論したものである。したがって、同記述によって両少尉の子や兄弟が社会的に非難されることになるとは、通常考えられない」と主張するのである。

 報道被害を訴える大新聞が、自社の「歴史的ウソ」に頬被りするつもりか。

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