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戦前引きずる軍人恩給 (東京新聞)
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投稿者 彗星 日時 2005 年 8 月 29 日 15:17:07: HZN1pv7x5vK0M
 

特報
2005.08.29

戦前引きずる軍人恩給

 戦後六十年。戦後という言葉には戦前、戦中との区切りが込められている。ところが、戦前、戦中を引きずったままの制度が生きている。旧軍人、遺族に支払われている軍人恩給の仕組みだ。支給額は旧陸海軍の階級に基づく。一方、軍法会議で重刑を受けた人々は対象から除かれ、アジアの旧日本兵にも払われていない。制度からは六十年前の「区切り」のあいまいさが浮かび上がる。 (田原拓治)

 「命じた者、戦死させた責任が大きい者ほど、多くお金をもらえるのは何でかのう」。都内の予備校教師は、十年前に亡くなった祖母の言葉が忘れられない。

 祖母の息子の一人は太平洋戦争中、外地で二等兵として戦死した。遺骨箱には石ころが入っていただけだった。祖母は生前、日本遺族会の会員で毎年、地元護国神社の御霊祭への寄付も欠かさなかったという。

 「祖母が手にしていた恩給は軍隊の階級別。その印象からか、あの世で息子が上官から寄付金が少ないといじめられやしないか心配だ、と話していました」

 旧軍人とその遺族に支払われる年金システムは複雑だ。単純化すると、旧軍人が恩給法に基づく総務省管轄の「軍人恩給(遺族には扶助料)」、軍の文官である軍属や国家総動員法による工場勤務者ら準軍属が遺族等援護法による「援護(遺族)年金」(厚生労働省が担当)を受けている。

■今年度予算総額9680億円

 今年度予算によると、軍人恩給の受給者は遺族を含め百十八万人で、総額九千六百八十億円。一方、援護(遺族)年金は四万人弱で総額五百二十億円と、合計で年一兆円を超える。

 総務省によると、軍人恩給受給者の72%以上が遺族で、平均年齢も八三・五歳。人数では一九六九年度の二百六十二万人、額は八三年度の一兆七千三百五十八億円が最高だった。

 軍人恩給の特異点はその算出方式だ。ベースになる仮定俸給年額は旧軍の階級に基づき、五三年の恩給復活当初は大将が年間五十六万四千円で二等兵が五万八千五百円と九・六倍、現在も五・七倍の差がある。

 受給者の死亡や底上げを図る最低保障制度(現在は受給者の九割が対象)の導入により、実際の支給はことし三月末で、最高額は元大佐の二百八十五万円、最低は五十九万三千円。平均支給額は一人当たり月額六万八千円(二〇〇四年八月現在)という。ちなみに国民年金の平均五万二千円と比較すると三割高い。

 さらに旧軍刑法による軍法会議で、懲役二年を超す人は受給対象から外されてきた。「敵前逃亡」などは最高で死刑だが、敗戦間際、南方で食料調達の最中、部隊が攻撃を受けて移動し、はぐれた兵士らがそうみなされた例もあったという。遺族関係者の一人は「経済面以上に受給対象から外されることで、世間から肩身の狭い思いを強いられた遺族たちの苦悩は計り知れない」と声を潜める。

 一九三七年の日中戦争以降は激戦地での勤務は一カ月を四カ月と計算する「加算年数制度」があった。

 このため、敗戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)は軍人恩給を「軍人生活に魅力を与える世界に類のない悪らつ極まる制度」とみなし、四六年に勅令第六八号により重度戦病者を除いて停止した。

 この措置で収入源を絶たれた遺族の生活苦は深刻化し、四七年には日本遺族厚生連盟(日本遺族会の前身)が結成され、国家補償への動きが高まった。

 この結果、五二年に「戦傷病者・戦没者遺族等援護法」が制定されるが、同法は旧軍の階級とは無関係な一律払いを採用。それと対抗する形で翌年、軍人恩給があらためて復活し、大半の受給者は同制度に移行した。

 旧厚生省資料によると、この時期、階級別受給の復活を迫る恩給局(総務省)と、階級別を廃止して社会保障の見地から解決すべきとする厚生省の間で、激論が交わされたという。

 軍人恩給復活が論議された五三年三月の参院本会議でも「その他の犠牲者は一顧さえ与えられず、大将、中将ら職業軍人とその遺族だけが感謝に堪えない措置」「大将の遺族は年間十四万円、二等兵の場合はわずか二万四千円。本当に生活に喘(あえ)いでいるのはこの二等兵の夫を亡くした妻だ」といった批判の声があった。

 だが、目立った反対運動は起きなかった。恩給局関係者は「戦前からの約束という理解があったのでは」と推測。別の遺族関係者は「戦後七、八年で、まだ平等とか民主主義とか言われても、ピンとこない時代だった」と振り返る。

 ただ、政治的にこの復活を重要視する意見もある。平和遺族会全国連絡会(千五百人)の西川重則代表は「他の補償に先駆けて実施された軍人恩給の復活は、五〇年の朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)以降、自衛隊の前身である警察予備隊の復活、反対の多かった単独講和(サンフランシスコ講和条約)の締結などとともに、戦後の“右旋回”を決定づけた出来事」と指摘する。「結局、戦後の日本社会が戦前の軍国主義と完全に決別をなしえなかった証左ではないのか」

■ドイツでは空襲被害補償

 一方で、取り残された人々も少なくなかった。一例として、五十一万人にも及ぶとされる空襲被害者ら戦災者への補償は現在に至るまで放置されている。ちなみにドイツの場合、連邦補償法に基づく空襲被害者への補償がなされている。

 帰国した中国残留孤児には、自立支度金として一人三十一万九千円が払われるだけ。さらに「戦前の約束」が階級別支給の建前でありながら、アジアの旧日本兵は対象外だ。七七年に台湾の元日本兵傷病者や遺族らが補償を求め、日本で提訴したが敗訴。政府はその後、特別立法で台湾の元日本兵、遺族らに一律二百万円を払ったが、日本人に比べれば格差は大きい。

 ことし五月、軍人恩給がにわかに注目された場面があった。中国、韓国との歴史認識問題で揺れる中、森岡正宏厚生政務次官が「(極東軍事裁判で)A級戦犯といわれた人たちの遺族には恩給が支給されている。(それゆえ)もう罪人ではない」と発言した。たしかに五二年の法務総裁通達で、戦犯について国内法上は犯罪者ではないとの解釈が打ち出された。これを基に軍人恩給、援護年金とも戦犯を支給対象者に含むよう法改正がなされていった。

 一方で、実話を素材にした七〇年の直木賞受賞作、故結城昌治氏の「軍旗はためく下に」には帰還兵のこんな独白シーンがある。

 「軍隊の階級を負けた後まで(略)金で押し付けられるのはご免だ。おれはとにかく生き残ったが、戦死した兵隊は死んでしまったから文句も言えないで、死んだあとまで遺族年金などの階級差別をされている、死んだ兵隊が可哀相(かわいそう)だ」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050829/mng_____tokuho__000.shtml

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