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薄れていく大日本帝国時代の記憶と歴史認識 過去よりも遠く国連の常任理事国になれない現代の日本
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投稿者 TORA 日時 2005 年 11 月 21 日 16:22:09: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
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薄れていく大日本帝国時代の記憶と歴史認識
過去よりも遠く国連の常任理事国になれない現代の日本

2005年11月21日

◆薄れて行く記憶と歴史認識大日本帝国滅亡60年の意味 立花隆
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051117_60year/index.html

(前略)
◆日本の近現代史を明治を通して考えてみる

この話はこのあたりで止め、話をずっと前のところに戻す。

高級官僚たちとの集まりで、日本の近現代史について話をしたというエピソード(第52回)のつづきである。

今年は、明治138年目にあたり、それは日本が近代国家になって、138年ということを意味するが、そのうちの55年間は、日本が「大日本帝国」を名乗っていた時代だというあたりまで、この前述べた。

日本が大日本帝国だった時代と、そうでなかった時代(より古い方向にもより新しい方向にもそういう時代がある)は、全く異質の時代である。

いまの日本に、大日本帝国の臣民だった人々がどれだけいるかというと、もはや、社会の少数者になってしまっている。

今年は戦後60年だが、それは大日本帝国が滅亡して60年ということを意味する。つまり帝国滅亡時ゼロ歳だった人がすでに60歳になっているわけだから、大日本帝国臣民だった人は絶対的少数者になってしまっている。

◆薄れていく大日本帝国時代の記憶と歴史認識

私は終戦時5歳だから、幼児の5年間だけ大日本帝国の臣民だった経験を有する少数者の側に入る。

しかも、そのほとんどを私は北京ですごしたので、まさに帝国の臣民そのものであった経験を持つことになった。──いまの若い人には、おそらくこの文章が何を意味するのかよくわからないだろうが、帝国というのは、異民族国家を従属国家として、あるいは植民地、半植民地として丸ごと支配してしまう巨大国家、超国家を意味するのである。

私より年上のオールドジェネレーションの人々はみな帝国の臣民であった時代を体験しているわけだが、その人が帝国時代も本国にとどまっていた体験しかなければ(日本人の大半がそうだった)、日本が帝国であった時代を本当に知っていたことにはならない。

海外の日本の植民地、あるいは半植民地状態の地域に一定期間生活して、異民族を支配する特権階級の側に立つ経験がないと、帝国以前(あるいは以後)の時代との差異がわからないということである。

私は、子供ながらにではあるが、そういう身分にあることの意味を実感的に知っている。

そういう体験がある人とない人とでは、中国や韓国の人々がよく口にする「歴史認識」の問題の受け取り方がまるでちがってくる。外国で絶対的支配者の側に立つことを経験したことがない人々には、おそらく、支配される側に立たされた人々の気持ちがまるでわからないだろうと思う。

歴史認識の問題とは、基本的に、日本が大日本帝国時代に従服者、絶対支配者としてなしてきた数々の行為について問われるものだが、大日本帝国時代の記憶を残す人々が、すでに絶対少数者となり、これからもっともっと少数者となっていこうとしているだけに、それを問う側と問われる側の認識と理解の齟齬はこれからひどくなる一方だろう。

◆我々の日本は「『ポスト大日本帝国』としての日本」

先に紹介した12月はじめに文藝春秋から出る「天皇と東大」は、大日本帝国が生まれてから滅亡するまでを描いた本なので、副題を「大日本帝国の生と死」にした。

すでに戦後60年を経過したために、いまや大日本帝国が存続していた時間よりも大日本帝国が滅亡したあとの時間のほうが長いことになってしまった。

若い人は、いまさら大日本帝国時代の日本を語ることに現代的価値は何もないと思うかもしれないが、私は今こそそれを語るべき時代だと思っている。

我々の日本は「『ポスト大日本帝国』としての日本」であり、あらゆる意味で大日本帝国の遺産(正の遺産、負の遺産とも)を引きずっており、それから逃れるすべはないからである。

大日本帝国を滅亡させたことで、我々がどれほどのものを失ったか、おそらく若い人には想像もつかないだろう。試みに、日本史地図帳を見て、戦争がはじまる直前、日本がどれだけ多くの国土を持っていたかを確認してみるとよい。台湾も、韓国も、北朝鮮も、樺太も、広大な南洋諸島も日本の領土(ないし国際連盟の信託委任統治領)だったのである。そして、本州の3倍以上もある満州が、日本の植民地同様の国としてあったのである。

◆現実の歴史展開は為政者の政治選択でどうにでも変わる

もし、日本があの愚かな戦争をせずにすませていたら、日本は今日全くちがった国であったろう。

第2次世界大戦において、ヨーロッパ諸国とアメリカだけがあの恐るべき消耗戦を戦い、日本が局外中立の第三国という立場を貫くことができたら、あるいは、日本が独伊と組む枢軸国の側に立たず、むしろ米英と組む連合国の側に立っていて、第2次世界大戦を勝者の立場で終えていたら、日本は戦後世界において、世界有数の超大国の一つになっていただろう。

──もちろん、そうなったら、歴史の全面的書き換えということになるから、その後の現実と同列には論じられないし、そもそも現実の歴史展開として、どちらがよかったかという価値評価とは全く別の話になる。しかし、あの頃日本の政治指導者たちが別の選択をしていたら、別の歴史展開が明白にあったのだということは、やはり認識しておくべきだろう。

現実に起きた歴史だけを絶対視する立場に立ってしまうと、このようなことは考えてみることすら愚かと思うかもしれない。しかし現実の歴史展開というものは、どの時点においても、運命論的に決定されたものではなく、そのときどきの為政者の政治選択によって、どのようにでも変わりうるものである。

いくつかの歴史の曲がり角において、ときの政治権力を握っていた愚かな政治指導者たちの愚かな政治選択によって(同時にそのような政治権力者に権力を握らせたままにしておいた国民の愚かな選択によって)、我々の歴史はあのような展開をたどってしまったのである。それは決して動かせない宿命などでは全くなかった。

◆60年という年月が一国の体制にもたらす変化の大きさとは

国家百年の計を考えるときには、当然のことながら、その前提として、百年のタイムスケールで過去の歴史を見すえることが必要になってくる。

今年は明治138年などと妙なことから話を始めたのは、歴史を正しく見るためには、そのような時間尺の変更を自由自在に行いながら、歴史を別の角度から見ることが必要だということがわかってほしいと思ったからだ。

ということで、もう少し似たようなことをやってみる。

今年、戦後60年ということは、大日本帝国が滅亡して、国家の体制が全く変革されてから60年ということだが、同じように国家の体制が根本的に変革された明治維新から60年目の年(つまり明治60年にあたる年)というと、どのあたりかというと、1927年で、昭和2年ということになる。

その前後の状況をながめてみると、60年という年月が、一国の体制にもたらす変化の大きさの意味のようなものが見えてくる。(中略)

◆過去よりも遠く国連の常任理事国になれない現代の日本

第一次世界大戦に日本は参戦したが、日本は英米側に立ち、熱い戦争を行ったのは、中国大陸におけるドイツの拠点(膠州湾、山東半島、青島)に対してであって、あとは、参戦国に対する物資補給に力を注いだから、日本は大戦中、未曾有の経済的成功をおさめた。

それまで入超基調であった貿易収支はたちまち大幅な出超に転じ、世界的に船舶が払底するなかで、日本の海運業は驚くほどの盛況を示し、貿易黒字を上まわるほどの利益をあげた。ために、戦争前15億円余の債務国だった日本は、一挙に約3億円の黒字国となった。日本の正貨保有高は、3億円台から、20億円台になるという、驚くほどの上昇ぶりだった。

経済大国になった日本の国際的地位も上がり、第一次世界大戦後の国際関係の基本を決めたヴェルサイユ条約の締結にあたっては、日本は主役のひとりとなり、その延長上に作られた国際連盟(1920年)においては、日本が文句なしの常任理事国となった。

いまだに国連の常任理事国になれない現代の日本より、この当時の日本のほうが、国際社会において、はるかに高いポジションを獲得していたのである。

このころ日本は、世界三大強国にかぞえられていたから、ワシントン会議(1921、2年)も、ロンドン軍縮会議(1930年)も、日本を三極のひとつに遇しながら開かれた。

このあたり、ヴェルサイユ条約(1919年)から1928年のパリ不戦条約にいたるまでの10年間は世界が最も平和を楽しむことができた10年間で、日本の国際社会における地位が絶頂に達した時期でもあった。(後略)

(私のコメント)
60年と言う年月の長さは現代史の中で見れば非常に長い期間であり、立花氏が言うように明治維新から昭和2年までが60年ですが、現代の日本は国際社会の中では昭和2年当時ほどまではまだ回復しているとはいえない。戦後は盛んに経済大国という言葉がテレビなどで言われていますがごまかしだ。

本来ならば憲法を改正して経済大国から軍事大国へと行くべきところが、いまだに経済大国のままで、今ではその経済力にすら陰りが見られるようになってしまった。特に国連の常任理事国入りについては見通しすら立たない状態であり、もしかしたら日本の頂点は昭和二年であったのかもしれない。

60年経っても国力が昭和二年当時よりも回復できていないと言うことは、それだけ大東亜戦争の敗戦で失ったものが大きかったからですが、精神的なダメージもそれ以上に大きなものを負ったのだ。私が小学生の頃は先生から日本は東洋のスイスのように非武装中立であれと教育された。日本はスイスのような小国であることを精神として叩き込まれてしまった。

何も分からない小学生に日教組の先生はそのように教え込んだのですが、全くのでたらめであり、スイスは国民皆兵の軍事強国であり非武装中立ではなかった。そして四、五年前までは憲法改正を言うだけで右翼呼ばわりされて、戦前の日本を評価するだけでも大臣の首が飛んだ。また首相は中国や韓国の顔色を見ながら靖国参拝をしなければならないほど馬鹿にされている。

朝鮮半島や満州や台湾などは、どっちみち独立していたでしょう。しかし北方領土や南洋諸島などを失ったことが海洋国家日本のダメージにつながっている。海洋には膨大な海底資源があるのですがそれらの多くを失ってしまった。さらにはアメリカの植民地化がすすんで自衛隊すらアメリカ軍の下に置かれて、とても独立国とはいえなくなってしまった。

私のような民族主義的保守主義者の立場から言えば、60年も経っても日本は世界の大国として『復帰』出来ないのは、日本人の精神が戦前レベルにまで回復していないからであり、大国としての誇りがもてないのは情けない。戦後の間もない頃はまだ骨のある政治家は押し付け憲法の改正を訴えていましたが、池田内閣以降は平和憲法を守れと自民党議員ですら言っていた。

もし日本が戦争に負けただけなら30年も経てばダメージは回復できただろう。しかしアメリカは憲法を変え、教育を変えて日本人を永久的に支配するために洗脳している。日本にある米軍の軍事施設は64施設もあり沖縄と神奈川と東京に集中している。航空管制区域はいまだに半分が米軍が管轄して日本の飛行機は飛ぶこともままならない。

このような事実は表向きはともかくも、アメリカは日本の核武装までの再軍備は認めてはいない。認めれば米軍は必要なくなり、日本から撤退しなければならない。

もし大東亜戦争に負けていなければ日本はアメリカやロシア以上の大帝国になっていたかもしれない。食料やエネルギーに弱点はあるが金さえあれば買える物であり、売らないと言ったら核ミサイルで脅せば売らざるを得ないだろう。そうなることを防ぐためにキッシンジャーは中国の首脳に「日本を押さえ込むために米軍基地はある」と言っている。

立花氏が言うように、もはや大日本帝国時代の記憶を持っている人はほとんどいなくなってしまった。そしてアメリカに占領されていることが当たり前に思うような人がほとんどになってしまった。竹中平蔵のようなアメリカの代理人が大臣になって、内閣の情報はみんなアメリカに筒抜けだ。これではアメリカからも日本は馬鹿にされる一方だ。

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