★阿修羅♪ > 議論22 > 170.html
 ★阿修羅♪
Re: 不健康版での終末医療に関するご意見への私見
http://www.asyura2.com/0510/dispute22/msg/170.html
投稿者 一鍼多助 日時 2005 年 10 月 16 日 01:14:43: Ini9COu.4I8AU
 

(回答先: 不健康版での終末医療に関するご意見への私見 投稿者 町医者 日時 2005 年 10 月 15 日 11:34:06)

真摯な回答を有り難うございます。

私が疑問に思ったのは
町医者さんの

「在宅終末医療が一般化されるとどうなるか考えてみました」
http://www.asyura2.com/0505/health10/msg/566.html

の投稿に於いて、指摘されている内容が、
現代医療の流れと労力負担の比較に終止してしまったことなのです。

死にゆく人の視点が全く入っていない。
これが不思議でした。

だいたい、終末期医療なるものが存在するのか、私には疑問です。
老人医療ならば、老人独特の病があるでしょうから納得はできます。
これは、治療する意味が含まれています。

翻って終末期医療の意味は何でしょう。
助からないものとしての前提があるからこのような名前を付けたわけで、
これを医療というのか。
自然に枯れていく人間の命に対して医療が無力だと言ったのはこの意味です。

点滴の有効性は確かにあるのでしょう。
しかし、有効性の連鎖を追えば、
最後は、気管挿管まで行きませんか?
医師として、有効性の連鎖を途中で止めることが出来ますか?

私は病院で喀痰吸飲の際、患者の全身が大きく揺れるのを見たことがあります。
この患者が回復する可能性があるなら手段について何も言いません。
しかし、医師自身が既に助からないと断定している人間に
何をしようとするのか?
残りのQOLを達成すると言いますが、
病院にいてQOLの達成度が如何ほどの物か
これも問題です。

日本人は余りにも死を遠ざけてしまいました。
ニュースで死にまつわる話題があふれているにもかかわらず
死の実感が湧かないのです。身近に死を見る機会が余りないからです。
これは、人間生命の軽視にもつながる様な気もします。

また、逆に医師は人の死を見すぎる傾向にありませんか。
これが死を単なる事実の一つにすぎないものにして
しまっていないでしょうか。

家族の身近に死があるからこそ、他人の死に対する思いやりが生まれる
そんな気がします。
「死を病院から取り戻す」とはその様な気持ちからです。
死はやはり本人と家族のものです。

生命の尊厳の輝きは誕生と臨終が最たるものでしょう。
医療がその輝きを醜いものに変えてしまうことはないのか。
私達はその輝きをもう一度取り戻すことが必要なのではないでしょうか
その為には医師自身も家族自身も生命に対する考え方、死に対する考え方
そのものを変えていく必要がある気がします。
それが医療も、医療制度も変えていく
力になるのではないでしょうか。

医療は誰のために? 患者のためです。
同感です。
しかし、私も患者という言葉を使ってしまいましたが、
死にゆく人を患者と呼べるのかどうか?
医師自身がどうしようもない人をです。

それならば、早めに家族に返し、家族から涙ながらに送って
もらうのが一番よいのではないでしょうか。

現実問題として出来るのか分かりませんが、
方向性はこの流れが良い感じがします。

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > 議論22掲示板



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。