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Re: 無内容ですが・・・
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投稿者 一鍼多助 日時 2005 年 10 月 24 日 23:12:32: Ini9COu.4I8AU
 

(回答先: 無駄に長くて、すいません。 投稿者 NJ 日時 2005 年 10 月 23 日 19:45:40)

まず、これだけの文章を書くことのできる気力に敬意を表します。
ただ私は頭が悪いので、NJさんが結局何を言いたいのかよく分かりませんでした。
御免なさい。

私としては、実はこの問題でこれ以上書きたくなかったのです。
結局、生きてきた道のり、立場、それを基に死と生を考えますので
いくら議論しても相手には相手の人生があり、
それを乗超える、或いはそれに同調することが非常に難しい。
NJさんの投稿を見ても、医師としての立場が一貫しておられるようなので
もちろん私と立場は違いますし、生き方はもっと違っていると思います。
お互いにできることは、このような考え方があると示すことしかできませんが、
もし運が良ければ、相手の琴線に触れます。それを信じて投稿するわけですが・・・。
ただ、今回お互いの琴線に触れたかとなると、共振しそうで
どこか周波数が違う感じがします。
以下簡単に私の考え方を示しますが、これは私の感じ方で
NJさんの考え方を否定する物ではありません。

名前も、一新やら一身やら姓名判断までして頂き
有り難うございます。(冗談ですよ)

まず、私がデラシネさんに用意していた反論の一部はこんなものでした。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

生の色褪せを感じ続ける人生は苦しい。

生そのものを色褪せたと感じたり、無意味と感じたりするのは
「青年期」特有の心性ではないでしょうか。
成熟した年齢になってもこの心性を持っているのは、詩人や芸術家などに代表される
特別に過敏な感性を持っている人か、自殺直前の人ではないか。
しかし、どちらにしてもこの感性の持ち主は、生きることが苦しい。

青年期に関しては
私の記憶に残っている言葉に(誰が言ったのか全く憶えていない)
「青年期はただそれだけで病気である」だったと思いますが、
そのようなものがあります。

青年期は誰も苦しんでいるのではないでしょうか。
それは地中に埋もれた種子が芽を出し、土の重みを押しのけて、地上の太陽を
求めている状態に似ていると思います。もがいているのです。
自分を確立するために、もがきまわっているのです。

そして、生きる価値や、生の充実感を求めたり、
それが不可能だと知ると、生の色褪せを感じたり、絶望したりします。
そして、この過程で様々な失敗を繰り返しますが
自我の確立の為には必要不可欠のものでしょう

だから青年期には人生に対していろいろな否定的なフレーズが出てきても
全く自然だと思います。
またどんな社会を用意しても青年期にとっては、満たされることはないと思います。
それは、社会と自分の内面の関わり方であるが、内面が充足されることはないからです。
しかし、自分を確立しやすい家庭や社会を作ってやる責任が大人にはあると思います。

逆に青年が人生に充実感を感じたり、生に実感を感じたりする場合は
戦争などに代表される、死と生が隣り合わせなどの極限状態に
近いのではないでしょうか。

しかし、これが人間の生にとって良いことなのかと問われれば、
私は疑問符を付けます。

>「将来の夢は」と聞かれ、たとえば、「完ぺきな化石になりたい」
>と答える中学生がいる。
>他人が絶対手を出せないよう、確実に自分を「消したい」という願望は、
>自殺サイトに集うような若者たちだけが抱いている例外的な感じ方では決してない。
>普通にただこの場に「いる」ことさえ苦しい
>─ それほど深く自分の存在を否定されつくす感覚について、
>私たちは想像できているだろうか。

私には、この感覚がありました。
できれば「壁にとけ込みたいと」思ったことが学生時代にありました。
ただ、これを言ったのが中学生だというのが悩みの深さを考えると
気の毒な感じがします
また「−それほど深く自分の存在を否定されつくす感覚について、
私たちは想像できているだろうか」
このコメントからすると、この人(横浜市立大教授、中西 新太郎氏)は
余り分かっていない。自己否定と自己肯定の連続が青年期の特性だからです。


>「夢がない」という状態を以前の私は想像出来ませんでした。
>でも、今は少しわかるようになってきました。
>未来に希望が持てない・・・故に夢もない、そういう状態なのではないでしょうか?

夢(希望もそうかも知れない)とは自分が努力すれば達成可能かもしれない対象
ととらえて良いのでしょうか。
そうすると夢は二つの成分を含んでいます。対象と努力です。
「夢がない」というのは対象そのものがないのか、
それとも自己努力を放棄しているかです。
現代の若者が「夢がない」と言った場合はどちらでしょう。
現代の若者は自分に見切りをつけているのでしょうか。
自分がさっさと見切りを付けざるを得ない社会は、
やはり夢のない社会なのでしょうね。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

的はずれかも知れませんが、この様な形で反論してみようかと思っていました。

しかし、デラシネさんの父上の最後のあり方に対しては、
私には何もコメントすることが出来ないのです。
勝手な思いこみかもしれないのですが、
その時の情景が、目に浮かんでくるのです。
この様な最後も良いと思いますし、
この様な最後に言葉は無用、そう感じました。
話題は人間の最後に関してでしたからね。

私は文才がないのでしょう。
あまり個人的なことを詳しく書くと、他の板に投稿する時に
裸を見せている感じで、何か気恥ずかしい感じがしますので
はっきり書かなかった部位があります。それが不自然に感じられたのでしょう。
この文でもはっきり書かないところもあります。
私の母は脳出血です。田舎からの第一報は「死んだ」でしたが。
何とか助かりました。色々な経緯があったのですが、
入院−>リハビリ病院−>肺炎−>再入院−>他のリハビリ病院
最後に、長期療養型施設を勧められましたが、これを断り
私が引き取り、介護を始めてから2年半経ちます。(この間に骨折が一回あります)
何故断ったかを言えば、10ヶ月間の病院通いで見た病院の現実があるからです。

NJさんは、私の母が死んで私が看取ったと読まれたのでしょう。
そうでしたら、私の書き方が悪いのです。申し訳ないことをしました。
別の板で「薬と毒」についてレスした時、母のことについて少し言及してますし、
その位置が、町医者さんのレスのすぐ上だったと思いますので、
町医者さんには、それを読まれていれば、
今回の病院の話でも看取った話ではないと分かっていると思います。
しかし、今その投稿を探すと消されてしまっているらしく、うまく見つかりません。

勘違いをしないで頂きたいのは、私が現代医療の救命技術に口を
挟んでいるのではないのですよ。

私が、言っているのは現代医療は医師の能力や技術だけで
成りたっているわけではないでしょう。
医師が患者が大事、患者が中心と言ったとしても、
病院としてのシステムが患者中心になっていないのです。
人間を人間として扱う感覚が欠如していないかということです。

例えばこんな経験はどうですか。

高齢で動けない人に、食事を出すのですが、
家族が来ていなければ看護師が食べさせます。
用意される食事は数品で別々の皿に盛られてきますが、
看護師はそれらをすべて一つの皿に入れ、
混ぜて食べさせるのをみました。
餌ではないと思うのですが。
数人の看護師がそれをするのを見ました。
NJさんは医師ですから、この様な現実も当然ご存じとは思います。
自分が食べる時はこの様なことをしますか?
これは医療と関係ないと言えばそれまでですが、病院で行われています。

またこんなのはどうでしょう。

嚥下障害のある患者とそうでない患者を一緒に集めリハビリをする。
おやつの時間に周りにはお菓子やらお茶を用意され美味しそうに食べるのに、
嚥下障害のある人には自分の前には何もなく、何も与えられなくて、
同じテーブルに着く。
この時の老人の気持ちは如何なものか。
この様な単純な配慮もなし
NJさんは医師としてこの様な老人の気持ちを察したことはありますか。

患者やその家族は、人によってでしょうが、医療に対して様々な考えをもっています。
お互い話し合えばいいと言いますが、言うは易く行うは難し、なかなか難しいのです。
私自身、医師と意見が対立した時はしばらく気まずい雰囲気が漂い、
病院に居づらい雰囲気になりました。
その様なことNJさんは経験ありますか?

書けばまだありますよ。

私が言いたいのは
http://www.asyura2.com/0510/dispute22/msg/177.html

>いろいろ見聞きしているうちに
>現代医療のあり方に疑問を持ってきました。
>生命を救う技術のすばらしさに比較して
>人の生の価値に対する視点が欠けている様な気がするのです。
>しかし、もともとこの様なことを病院に求めてはいけないのでしょう。

医師としては病院中心の立場から物事を考えるのでしょうが、
救命は仕方ないとしても、それ以外は病院中心でなくても良いと私は考えます。
人間として最後を意味する、老衰、癌にしても病院に居る意味は何かと私は考えます。
往診という言葉は既に死語なのでしょうか。

更に、病院の形態というのは、効率化の面があります。
もし、それが一人の患者の人間としての扱いと
対立したら病院はどちらを選択するか。
病室を出たら自分の部屋に戻れないという患者の家族から話を聞いたのですが、
(入院の病気は別疾患)
家族がついてくれなくては困ると言われたそうです。
いかし、常についているわけにもいかず、
結局病院を追い出されたそうです。患者が重要とは何?
これを仕方ないと思う人はそれで良いのです。

また

>家族が手をかければかけるほど、お互いの生命は輝きます。

とも書きました。これは私の2年半の介護の経験から本当にそう思います。

これは末期の方についても言えると確信しております。

世間では介護が大変だとの認識が大半だと思いますが、
しかし、自分自身に得ることが非常に大きいことも分かりました。
これは実感です。
別の板で「愛情を他者に注ぐ=自己認識の深化」と書きましたが、
これが実際起こるのです。

NHK教育番組に「福祉ネットワーク」でしたかその様な番組があります。
先日、痴呆の人たちの介護の特集がありました。荒木由美子が出ていたのですが、
彼女は義母(湯原昌幸の母)が痴呆でその介護を最後までしたようです。
その番組の投稿はすべて痴呆の親を介護して良かった、
痴呆の親に感謝するの言葉でいっぱいで
それを、読む荒木由美子は涙涙でそれを読めない様な状態でした。
本当に介護をしてみればこの涙の意味が分かります。

病院にいて本当にここまでお互いの感謝が起こるのか? これは分かりません。
これは起こるかも知れません。しかし、私としてはどうかなという気持ちなのです。


失礼ですが、たぶんNJさんは介護の経験がないと思います。
一人のために、毎日食事の世話をして、下の世話をして、ようやく
一年もすると、いままでとまた違った命や視点が見えてくるのです。

私の意見はその様な視点からの物です

もう一点気になりましたので

また日本の医療制度に関連して、インド、カンボジア等を引き合いに
出して説明していますが、
NJさんは、それらの国へ行って実際医療活動をなさったのでしょうか?
私は、若い時に3年間、いわゆる発展途上国に住んだことがあります。
私の生活範囲が狭かったのかも知れませんが、日本人が考えるように
死んでいるわけではないのですよ。死ぬにしても、医療の問題より、貧困の方が
重大な感じがしました。(この貧困の原因がまた問題)
もし、NJさんがそれらの国へ行って、実際医療活動をなさって
この意見を持っておられるのなら
私は何も言いませんが、「新生児死亡率は世界一低く、長寿だって世界一を達成した」
医療をこの価値観ではかってよいものか・・・。

以上とりとめもないことを書きました。
内容が全くないのですが、
もともと私自身に内容がないのでお許しあれ。

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