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表象レイヤの諸現象と、シナプスレイヤの現象との対応関係を理解すれば、表象世界というモノの理解が深まるかもしれない。
http://www.asyura2.com/0510/dispute22/msg/281.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2005 年 10 月 30 日 19:18:11: SjhUwzSd1dsNg
 

(回答先: 意識を物質から説明する事は可能か? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 10 月 30 日 17:29:44)

他の掲示板からの転載です。

意識というのは下で言う「表象レイヤ」の存在です。
物質というのは「シナプスレイヤ」を含む「広義の物理学」上の存在だと読み替えてください。

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http://www.yamcha.jp/ymc/DSC_sure.html?bbsid=1&sureid=9&l=1-9999

47 名前: たけ(tk) 投稿日: 2005-06-25 00:38:38    拍手 (1) (0) Boo!
>何故?と思います。これは、
>「鏡の中は、なぜ左右逆になっているのか?光の反射と物理学者が説明しても、
>左右逆なことは科学では説明できない」
>と言っているのと同じようなものに思えました。

そういうことでしょう。われわれは表象レイヤの住人であって、シナプスレイヤの住人ではない。
われわれは、シナプスのことなど、感覚することはできない。
われわれは表象レイヤのモノどもを感じ、そのモノどもを食べ、われわれ自身が表象レイヤの一つのモノとして生きている。
その、質感のある表象レイヤの世界を、見たこともない、感じることもできないシナプスレイヤの原理で説明されても、われわれを理解したことにはならないし、われわれが質感を以って感じる表象レイヤのモノどもを理解したことにもならない。のかもしれない。

* 表象レイヤの諸現象と、シナプスレイヤの現象との対応関係を理解すれば、多少、表象世界というモノの理解が深まる、とも、言えるかも知れない。

* シナプスレイヤというのは、表象レイヤに存在する《我》というモノの背後にあるモノである、という理解でよいのか?
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58 名前: たけ(tk) 投稿日: 2005-06-25 22:47:59    拍手 (0) (0) Boo!
>46 名前: たけ(tk) 投稿日: 2005-06-25 00:28:59
>接触面にある《我》への感覚系のニューロンからのインプットが「《我》が質感を感じる」という認識に繋がっているのかもしれない。

こんなの見つけた。

http://www.qualia-manifesto.com/nikkei.html

 ミラー・ニューロンの見い出される前頭葉は、「私」という自我の中枢が存在すると考えられているところでもある。どうやら、自我の脳メカニズムの中心には、感覚情報と運動情報が混然一体となった、言語的世界が広がっているようなのである。
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71 名前: たけ(tk) 投稿日: 2005-06-28 00:05:09    拍手 (1) (1) Boo!
>65 名前: 叙爾居 投稿日: 2005-06-26 22:04:07

>感覚を受ける場所と運動の指令を出す場所は
>それぞれかなり離れてるので、伝達器官をいくつか経由してる
>ということは確かだというくらいしかわかりません…

そこに《我》の脳科学的な実体があるのでしょうね。いずれ、脳科学は「《我》の脳科学的実体」も解明するだろうという予感がします。

感覚は《我》へのインプットであり、脳科学的なインプットが対応するでしょう。
運動や志向性は《我》からのアウトプットであり、脳科学的にもアウトプットとして解明されるようになるでしょう。
いま・ここの《我》にとっても分かりやすい対応関係において、脳科学的な《我》が解明されていくと思います。

・・・

哲学のキャッチフレーズというのは「汝自身を知れ」なんですよね。

脳科学的な《我》とか感覚、運動、クオリアといったモノは「汝自身を知れ」ということにおおいに参考になりそうだ、という予感を与える。

「汝自身を知れ」の「汝」をどのように捉えるか、
脳科学的に解明されるべきようなモノを知るべき「汝」と考えるか、
実存的ないま・ここで感じつつあるモノを知るべき「汝」と考えるか、
という問題はありますが、脳科学が発展してしまった以上は、哲学が知るべき「汝」というのは、いま・ここで感じつつある《我》ということになるでしょう。

つまり、哲学において知りたい《我》というのは、いま・ここの《我》であって、脳科学的実体・現象としてのニューロンの現象としての《我》ではない。つまり、知ろうとしている対象が異なる、ということになります。

しかしそれでも、いま・ここの《我》にとっても、脳科学の成果は気になる所です。

「いま・ここの《我》」の視点からみて「脳科学的成果としての《我》」は、次のようないくつかの捉え方がありそうです。

(1)「脳科学」という学問によって得られた《思いこみ》。すなわち、いま・ここの《我》にとっての《他者》が彼らの現象世界の中で検証して、真であると認定したコトバの体系としての「脳科学的な《我》」という捉え方。広く言えは社会的なイデオロギーとしての脳科学という捉え方。

(2)いま・ここの《我》の現象世界の中の《私の身体》の中の脳というモノの現象として捉える考え方。そういうモノのはずですが、どうあがいても、感じることができませんね。

(3)いま・ここの《我》が感じつつある現象世界を、その背後から操作し、現象世界の背後から現象を出現させつつある仕組み、という捉え方。

たけ(tk)が興味があるのは、(3)の背後者的なモノとしての「脳科学的《我》」です。これは、映画マトリックスの世界にも繋がるでしょう。

いま・ここの《我》がそのような背後者的な脳科学的《我》を、いま・ここにおいて見通すことができるようになるのではないか、なんぞと期待しています。

これは、大地の上のヒトが太陽が昇るのを見るときに、天動説的に太陽の動きを感じ、太陽が「昇る」さまに感動しつつ、かつ、同時に、地動説の座標軸で理解することもできる、ということと同じだと思うからです。

天動説と地動説とは、座標変換を行えば相互に変換可能な、対等の真理性を有していると考えています。

表象レイヤにおける、いま・ここの《我》にとっての世界と、脳現象のレイヤにおける脳科学的実体としての《我》やその世界との間の対応関係、さらには、座標変換の方法が分かれば面白いでしょう。もっとも、その座標変換の発見は脳科学の方におまかせすると思いますが・・。

いま・ここの《我》にとって重要なのは、脳科学的な諸現象(の意味)を、現象世界の背後者として見通すこと、であると考えています。
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