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Re: 信用の創造は架空価値の ・・・ <−− 心情的には賛成、現象としては違う
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投稿者 縄文ビト 日時 2006 年 2 月 25 日 09:12:00: egUyw5BLxswRI
 

(回答先: Re: 信用の創造は架空価値の ・・・ <−− 心情的には賛成、現象としては違う 投稿者 健奘 日時 2006 年 2 月 24 日 13:39:28)

>姫さん、ご意見、もっともです。架空の価値に関連して、以下、記します。
>現象的には、思い込みで表れている価格は、大きな役割をします。金額も大きく、その中でも、より金額の大きいところに参加している人々が、実際には、世界のリーダーと言われています。

縄文ビトにきていたのではありませんが、私もここに噛んでいましたので答えになるか分りませんが書いてみます。

上記文章から引用しますと>より金額の大きいところに参加している人々が、実際には、世界のリーダーと言われています。

金が有るところには金があるということでしょうか。その金をどのようにして手に入れたのかということです。決して自己本人の労働によって手に入れたものではありません。資本主義という非人間的制度的社会の中で一部の者がより多くの分配を得られる仕組みがあって、片寄った分配の、片一方の頂点として得てきたものではないでしょうか。其のより多く得られる分配金を利用してこの社会を既存権という形で法体系を作り動かしているのが健奘さんの言うリーダー達です。

>たとえば、中国の奥地から切り出す石は、100万円単位です。

確かにこのような銘石もあります、それは希少価値が生むことと、その希少性から来る掘り出す労働力に付加価値が多く付くということです。其の多くの付加価値が付いた労働力による価格の分配方法に問題があるわけです。もっと掘り下げてみますとこの希少性の銘石の出る山をどのように手に入れたのかということにもなりますが。ここではそれはさておき、100万円単位で販売したにもかかわらず、この石を掘り出し販売まで持っていった労働を提供した労働者に払う金額が付加価値にある無しにかかわらず一般的賃金しか支払わないという枠組み、山主と資本を出したものが付加価値を全て手に入れられるという仕組みが、現在の非人間的な資本主義という社会ではないでしょうか。

>ところが、有名寺院に納めるときは、億の単位です。さらに、この石(岩)に、高名な坊主が、心をこめれば(?)、価格はつかなくなります。B大統領は、それを愛で、接待に感謝します。所謂、リーダー達の世界です。

>これは、やや極端な例ですが、これを、宗教に関わる、あるいは、S道とかに関わる、取引の額を見れば、全国で、10兆円の単位となります。卑近な例では、中国で、500円で作った、掛け軸は、高名なお寺の、判を押せば、1万円になります。(この場合、参加者、全員が、幸せです。)

確かに参加者全員が幸せかもしれませんが、テレビの鑑定団に見てもらえば500円で作られた中国製と見破られるのではないですか。ただここでは高名なお寺の判にどの位の価値があるかということです。

>丸の内の価格は、田舎での価格より、10倍近く異なるでしょう。丸の内での取引だけで、A県の取引、T県の取引などを、はるかに超えるのです。かくして、所謂、精神世界に依存する取引額は、GDPの何割かを絞めるのが、実際でしょう。

同じ商品が田舎と丸の内では10倍近く異なるとは考えられませんが、もし異なるとすれば其の商品を買っているのではなく、売られている店の有名度を買っているのか、其の店独特のサービス(労働)を不可価値物として購入しているのだと考えます。自己の家で使うものであれば他人が見た時、田舎で、置いてあるものを買ったとしてみなされてしまいますから無駄な金を使ったことになるでしょう。ただ贈答品として使うのであれば田舎で買ったものよりか、丸の内で買った物の方が相手に与えるインパクトは違うかと思います。10倍のインパクトは無理でしょうが。

>価値とは、人の見方で変わるものだ、ということを言いたいのです。価格と言う人がいるかもしれませんが、丸の内では、長年にわたって、10倍の価格が定着するのであれば、結局は、10倍の価値があるのでしょう。
   −−−
>所謂、唯物論を、さらに広く、人間心理も含めて、捉えることが、必要だと思います。今は、まだ、できていませんが。

唯物論というのは物質を通した考え方であり、それは時間的空間的に其のつど変化するものではないと考えています。いわゆる普遍性があるということです。心理的なものは人による違い、時代による違い、男女間による違い、貧富の格差による違い、教育による違い、生まれ育った環境による違い数え上げたらきりの無い心理的要素による違いが表出してきます。マルクスはそれらを観念論という形で見ていたと思います。

>心理は、脳として発達してきた物が、外界とのやりとりを、その中に組み入れる事で(経験する事で)、発するもの、ぐらいに、とらえて記しています。

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