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日経は農協批判はいい加減にやめて、トヨタなどの独占・寡占ぶりを責めてはどうか?
http://www.asyura2.com/0510/hihyo2/msg/642.html
投稿者 heart 日時 2006 年 2 月 01 日 20:48:03: QS3iy8SiOaheU
 

(回答先: 同じ日の社説の読み比べ、やはり東京新聞が頭ひとつ抜け出ています。朝日はやはり結局ゴマすり。 投稿者 クエスチョン 日時 2006 年 2 月 01 日 08:20:01)

そもそも、日経や規制改革会議やコイズミが主張する、「民にまかせればよい、自由競争を!」という主張は、完全競争が成り立っている時のみに正当化されるもの。
独占、寡占等の不完全競争市場下では、経済学的にも、政府等による市場への介入はむしろ必要であると言える。

以下、農協に関する、内橋克人氏(経済評論家)、神野直彦氏(東京大学大学院経済学研究科教授)、梶井 功氏(東京農工大学名誉教授)の対談より

◆未来へつながる協同組合の存在

 内橋 アルゼンチンでは預金封鎖になりましたね。銀行の鉄扉をハンマーでたたいて金を返せと叫んでいる人びとの姿が映像でも流れました。昨日までマイホームを持っていた人の多くがホームレスになって、ブエノスアイレスなどの街に出て捨てられた段ボールなどを拾ってはお金に換えて生活せざるを得ない。アルゼンチンは「失われた10年」を2度、3度と経験していますね。
 しかし、ようやく新しい動きが始まり、人びとは協同組合に拠り処を求め始めたということです。私は「共生経済が始まる」ということを言ってきましたが、ポスト新自由主義は、現在の競争原理一辺倒の市場原理至上主義という単調なモデルではなく、個々の人間を丸ごとに捉えた人間主体の経済に向けて、危機のなかで社会は動き始めた。
 ですから、日本でがんばって協同組合運動をやっておられる方々も、いろいろな弊害はあるとしても、失望したり絶望したりするのではなく、未来に向けてきちんと行動すれば希望につながっていくということを知ってほしいと思います。

 梶井 農協がやろうとしていること、関係者のやっていることは、本当は未来につながることなんだと関係者は自信をもってもらわなければいけないということですね。

 神野 スウェーデンでは、フォレイニング(※)といっていますが、これは他助的な組織を含んだ自発的組織、協同組合やその連合組織のようなものですが、スウェーデン政府は、国民一人ひとりが少なくとも1つのフォレイニングに入って欲しいと言っています。
 それは選挙のときにだけ権利を行使していたのでは民主主義は発展しないので、環境やジェンダー、青少年の教育問題など社会を構成する人びとの共同の問題にいつも関心をもって参加していく、そのためにどれかひとつのフォレイニングに入ってほしいということです。統計をとるとスウェーデン国民は平均3つに入っている。いかに協同組合型社会なのかということだと思います。
 より人間的な生活を確保しようと工夫しているわけですが、結果としてそれが競争力を高めている。一方、日本は勝つためにはどうしたらいいかということを一生懸命考えて、それには人間的なものを犠牲にしなくてはいけないんじゃないかとなって、結果として失敗している。


◆真の競争力は協同組合の運動がつくりだす

 梶井 その協同組合ですが、このところ盛んにJAグループで言われているのは経営効率を高めろ、経済効率を高めろということで大規模農協へと合併を進めてきましたが、そこにあるのは経営、経営です。
 協同組合には本来的に矛盾したところがあります。事業をやっている以上、経営効率・収益性を度外視してはいけない、しかし、同時に加入脱退の自由があり 1人1票の原則があるから組織としては民主的な運営にならざるを得ない。事業、経営から要求される効率性の側面と組織体から要求される民主制の側面との間には本来的な矛盾があるわけですね。
 そういう矛盾を持っている組織を統一体として運営できるのは組合員が協同の営みに高い参加意識をもっていてこそです。組合の事業にどういう意味で参加しているのかについての教育が協同組合原則として重視されてきた所以です。経営効率に走るあまりみんなで一緒にやるということはどういうことか、それを考えてもらうことが弱くなっている。今のJAに一番問題なのはそこじゃないか。
 内橋先生は全農の経営管理委員に就任されたわけですが、今のJAグループの課題をどうお考えでしょうか。

 内橋 これまでこの種の依頼は全部お断りしてきましたが、今回、お引き受けしたのはまさに危機感からです。
 今のお話で農協組織に本来的な矛盾があるというのは、ひとつは事業性、要するに採算性ですね。もうひとつは運動性ということでしょう。事業性と運動性がきちんと両立していくことが、協同組合が持続する社会を担うということに通じるのだと思います。
 今は競争が激しいものですから、とかく事業性、採算性という目先のことだけになるわけですね。しかし、協同組合の真の競争力はどこから出てくるかといえば、それは運動性だと思います。協同組合が絶えず新たな運動をまきおこす。現在でいえば農業というものをどう守りどう日本的な自給圏を形成していくかの運動を展開していくことだと思います。この自給圏とは権利としての自給権ということでもあります。
 私はこれをFEC自給圏と呼んでいます。Fは食料でEはエネルギー、そしてCはケア、人間関係ですね。このFとEとCの自給圏を権利としてどう作り上げるかという運動であり、その運動に貢献できるという協同組合に特有の力を発揮することによっておのずから事業性も成り立つ。ですから、どちらかが欠落しますと協同組合が非常に大きな混乱に直面してしまうということです。
 現在の状況をみますと、やはり新自由主義的な改革のあり方に対して対抗できる考え方を作り上げ、力をつけていく運動に取り組まなければいけない。
 そこをJA全農にしてもきちんと考えないとやはり解体的改革などと攻撃を受けることになるのだと思います。
 大事な視点としては、市場が、市場が、と市場が主語になっている今、人間が主語にならなければいけないということです。こういう観点からすれば協同組合の本当の存在理由を時代に即して深く掘り下げていかなければならないと思います。(以下、次回)

【フォレイニング】スウェーデンで共通の目的を持って自発的に組織された市民組織のこと。スウェーデン語で、英語でいえばアソシエーションのこと。生活協同組合や農協などの生産者協同組合、労働組合、さらに環境問題やジェンダー問題に取り組むために結成された市民組織一般。

(2005.10.21)


◆協同組合が担わなければ日本の農業は成りたたない

 梶井 協同組合としての効率性というのはいったい何かということを考えるべきなんですね。

 神野 先ほどから話題になっているように今は政府を小さくしようということですね。そして農業でももっと市場化を進めようということです。
 しかし、振り返ればもともともっと市場化をという考え方だったのが、市場が失敗したから戦後は大きな政府へということになったわけですね。だから、その大きな政府・国家が失敗したからもう一度市場へ、という論理にはならないはずで、今度はもっと社会へという視点が出てこなければならないということだと思います。モア・マーケットではなくモア・ソサアティですね。そのモア・ソサアティ政策として出てきたのが協同組合です。
 そして北欧ではこの協同組合が機能を拡大していくわけです。それまで政府がやっていた領域に出てくる。たとえば1990年代にスウェーデンで起きたことは、それまでモノとしての生産物しか扱わなかった協同組合がサービスを扱うようになった。保育や養老サービスです。政府がやっていたことを協同組合に任せようということですが、今、日本で強調されているのはそれらはマーケットに任せようということですよね。
 しかし、北欧では農協のような生産者協同組合もメンバー間のことだけを考えていたのが、メンバーシップ以外の人にサービスを提供する他助組織として拡大してきているわけです。
 日本でも農政、あるいはマーケットが担っていたことを農協や生協という協同組合が担っていくように拡大していかなければ農業は成り立たないという発想が必要で、その意味では農業協同組合の使命を見つめ直すということが重要です。

◆土づくりから農業を考える 自給権主張し自給圏をめざす

 梶井 協同組合が農政が担っていた領域を、というご指摘ですが、しかし、日本の農政ではお上の選んだ人材に政策を集中するという選別主義になり、協同の体制をこわしにかかっている。非常に大きな問題です。

 内橋 このところ一般紙に掲載される農業、農協についての改革論に私たちは納得できません。農業のことを本当に知っているのかと思います。
 私は産直が多いのですが、北海道からは長期契約でしぼり立てそのままの牛乳を取り寄せています。昔、朝になるとがちゃがちゃと音を立てて一軒一軒瓶入りの牛乳が配達されていましたが、それと同じ味がするんですよ。ヨーグルトも産直で購入していますがこれもまたすばらしいヨーグルトです。どうしてかと思って聞いてみると、土づくりから始めていらっしゃる。乳牛のエサのために草を育てていますが、そのために土づくりからはじめた。ものすごい時間がかかったそうです。
 米も産直ですが生産者の方から通信が送られてくるものですから、この方と話をすることができました。昨年は米の作柄が悪かったわけですが、彼のところは凶作になってないんですね。どうしてですかと聞くと、実はモグラ、野ネズミがどんな巣を作るかがいつも私の指標になっているという。それで今年はどうもおかしいということで畦を高くしたから大丈夫でしたということでした。
 やはり土づくりから始めるという生産者の方は凶作にもめげない競争力を培っている。
 今、農政改革をいろいろ論じている方に言いたいのは、こういう土づくりをやったことがありますか、ということです。
 地方に行きますと限界集落(※)がものすごく増えています。65歳以上の高齢者が半数以上を占めている。村落共同体が崩壊し廃村が目にみえているところもある。そういうところに対しても、農業の競争力とか担い手の選別ということをいいますが、それを言う前に社会がどうなっているのか、またどうしてこうなってしまったのか、知っていますか、と言いたいですね。

 梶井 限界集落のようなところにはもう農業者に農業をやる力はないから株式会社にやらせればいいというのが財界の主張ですが、今の農政はその考えを受け入れている。

 内橋 なぜ限界集落になったのかを問わない。今、そんなところにお金を投資してもしょうがないじゃないか、という考え方だけでいきますから、それではますます限界集落が増えて、もう地方に住むなということになりますよね。こういうことでいいのか。
 農政改革の方向について、農業ビッグバンが必要だという論文がある新聞で発表されていますが、筆者の某氏は、そもそも農業への参入と退出、そして競争の自由が確保されていれば政策で担い手など指定する必要はない、市場競争で生き残ったものがすなわち担い手である、と主張しています。こういうことになりますと市場競争で勝てないものは農業を担ってはいけないということになる。
 土づくりから取り組んでご夫婦で生産をしてその成果として牛乳があったりヨーグルトがあったりする。これは本当に得難い宝物なんですよ。
 某氏の論にはこういう話は一言もでてこない。やはりこれも「権論」なんですね。「権論」が支配して「民論」が育たない。ですから、現場の人びとは、たとえ論理的に体系立っていなくともなんとか声を上げるということをしないといけないと思います。

http://www.jacom.or.jp/tokusyu/toku174/toku174s05102001.htmlによると、内橋氏は、「時の権力の側に立つ言説を権論、草の根からの声を民論といっている」とのことです。(heart注)】

◆地域に果たす総合農協の役割 事業分割論の狙いはどこか?

 梶井 神野先生が先ほどいわれた協同組合の領域の拡大ですが、日本のJAでも地域の組織体として事業、運動に本気で取り組んでいるところは、地域の要望にこたえていろいろなところに手を広げざるを得なくなるわけです。介護だとか農村女性や子どもの教育の場の提供とかですね。そういう活動のつながりのなかから共済や信用事業の利用につながっていく。地域の人びとを対象にしているわけですね。
 そこが総合農協としての役割でもある。しかし、それは本来の経済組織としての農協からすればおかしいとしてその総合性をやめろと言われています。政府の規制改革・民間開放推進会議は信用、共済事業を分離するべきだという議論をしています。

 内橋 この議論が出てきたときに思い出したのは1997年の新聞再販制度の撤廃問題でした。私は公正取引委員会の政府規制研のメンバーになりました。当時、政府は新聞再販制度の即時撤廃という中間報告をすでに出していたのですが、これは大変だということで出版分野からは江藤淳さんもメンバーになった。それで机をたたきあって議論して、ようやく年末になって一定期間は維持するという結論をとりつけ、即時撤廃論を押しとどめたんです。
 即時撤廃論者の主張はこうです。大都市で新聞を宅配するときのコストは安くつくはずだ、だからたとえば一部140円でいい、一方、過疎地への配達コストは一部1000円かかるはずだ、なのに同じ価格ということは、大都市で上げた利益を過疎地のコストをカバーするために振り向ける、つまり、利益シフトしていることになる、これはけしからん、です。私はどうしてそれがいけないのか最初は理解できませんでした。
 新聞にもいろいろ問題はありますが、基本的には全国で同じ価格を維持することは民主主義を育てていくためのコストなんですね。だから住む地域によって価格が違っていいのですか、ということを主張した。そして当時、規制改革のモデルだとしきりにもてはやされていたニュージーランドで実際には弊害が出ているという事例、さらに世界の現実などをいくつかあげてなんとか押しとどめたのです。
 同じ理くつで今のJAから信用、共済事業を分離しろという主張になっていると思いますね。信用、共済事業の利益を販売事業などへとシフトする、それはけしからん、と。利益シフトを認めることは市場競争原理に反するという主張です。これにどう立ち向かうか。


◆小規模農家も農業の担い手 みんなが幸福を感じられる社会に

 内橋 ご指摘のように地域社会というものを考えていけば、そこに住む人々のニーズがある。そして一人の人間の持つニーズは非常に多様ですから、そのすべてに応えるということを志してなぜいけないのかということだと思います。
 もちろんJAグループにも正さなければならないことはたくさんあると思いますが、今日話題にした今の日本の潮流のなかでどう日本農業を守っていくのか。とくに家族経営の農業、小規模零細な農家にもやはり生き残ってもらうと。そういう考え方を表明するということが使命だと思いますね。
 私は「使命共同体」という言葉を使っています。利益共同体ではなくて使命を同じくする人びとが使命共同体を形成し、それが基本になって共生セクターをつくっていく。参加、連帯、共生を原理とするセクターの足腰が強くなってもらわないと、結局は、非農業の人たちも含めてみんなが不幸になると思うんですよ。

 梶井 どうもありがとうございました。(了)


【限界集落】社会学の大野晋教授が提唱した概念。一人暮らしの老人世帯がほとんどになったような社会単位としての存在と言えなくなりつつある集落のこと。


鼎談を終えて

 “新自由主義路線”とは“強きを助け弱きを挫く路線だ”と喝破したのは今は亡き三輪昌男教授だが、とすればそれに対峙する路線は当然ながら“弱きを助け強きを挫く路線”になるが、協同組合をコンセプトにするヨーロッパ社会経済モデルはその路線の現実的展開だと神野教授は説く。そしてその路線を選択した“北欧諸国全部が国際競争力が非常に強いと評価され”るようになっていると指摘する。
 北欧諸国ばかりでなく、“「失われた10年」を2度、3度と経験したアルゼンチンでも、協同組合づくりに見られる”ように“共生経済が始まる”新しいうごきが起きていることを内橋氏は指摘され、“日本でがんばって協同組合運動をやっておられる方々も、いろいろ弊害はあるとしても…きちんと行動すれば希望につながっていくということ”に自信をもてといわれる。両先生のこの発言、協同組合運動に携わっている者への大きな励ましとなろう。(梶井)

(2005.10.24)

http://www.jacom.or.jp/tokusyu/toku174/toku174s05102101.html
http://www.jacom.or.jp/tokusyu/toku174/toku174s05102406.html
以上、農業協同組合新聞の、
特集 生産者と消費者の架け橋を築くために
特集2 農協批判の本質を考え改革のあり方を探る
鼎談・協同組合の使命を自覚し新たな社会の設計図を描く(中)
食と農の自給圏を築く運動にJAグループの力の発揮を
鼎談・協同組合の使命を自覚し新たな社会の設計図を描く(下)
現場の人々が声を上げれば流れは変わる
より、一部抜粋。


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