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まんず、日本経済新聞小説大賞応募は、大変だんべ (4-1)
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 11 月 19 日 01:06:48: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: まんず、日本経済新聞小説大賞応募は、大変だんべ (3) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 11 月 19 日 00:49:06)

     4  

     ウィルス・イデオロギー              渡辺寛之(四七)
     
 平成十二(二〇〇〇)年十二月二十四日〜平成十三(二〇〇一)年二月六日にかけて書
く。ウイルス・イデオロギー概念とは、沈黙の兵器である。
 
  ところで精神が、戦争に関する基本的思想のあいだを遍歴して身につけたものは、か
  かる精神のうちに開顕された光明にほかならない。そしてこのことこそ理論が精神に
  寄与するところの利益なのである。理論は、諸般の課題を解決する方式を精神に指示
  することはできない。理論は、精神の行くべき道を、その両側に立て並べた原則によ
  って必然性という狭い一筋だけに制限することはできない。要するに理論の効用は、
  精神を訓練して夥しい対象とこれらの対象相互の関係を徹見させ、そのうえで再び精
  神を行動の領域に送り出すにある。しかしこの場合の行動の領域は、以前よりも一段
  と高次なのである。
  このとき精神は、こうして自然的に得たところの力の大小に応じて、かかる精神的諸
  力を糾合し、真実なものや正しいものを、一個の明白な思想として感得するのである。
  するとこの思想は、あらゆる精神的諸力の与える総体的印象から生じたものであるに
  も拘わらず、思考の産物というよりはむしろ感情の所産であるとさえ思われるほどで
  ある。

  「戦争論 第8 戦争計画」 クラウゼヴィッツ  訳/篠田 英雄  岩波文庫


 一九九一年に勃発した湾岸戦争は、やはり九十年代の中心軸であろう。その年の八月に
旧ソ連邦においてクーデター、一挙にソ連邦の解体。湾岸戦争の世界的勝利によって、自
信を回復したUSAは、経済戦争へと移行。無知な日本閣僚の言語が集約され、ジャパン
バッシングが展開されたのである。

 数字は臨界点に達すると一挙に転げ落ちる。だが牧歌的な日本語は崩壊をイメ−ジによ
って隠し、幸福な市民生活と城内平和の仮想現実によって意識をみせかけのベールでおお
いつくす。

 通貨「円」は都市をめざましく変貌させサイボーク環境を非連続的に生成させる。労働
し生活する人間の肉体的知覚は全面的であるがゆえに、この数の多元的変貌にレイプされ
無防備で受け入れるのだが、一面的な思考はこの数の闘争 に追いつけない。

 かくして潜在的知覚である肉体的知覚(目の裏・耳の裏・足の裏・ 手の裏・皮膚の裏・
頭の裏)と意識思考との不均衡は拡大し、平衡と安定をめざす人間の動物運動を利用した
メディア機関による架空とカオスのとりこになり、イメージによって操作される奴隷が誕
生するのだが、無防備な国民ほど美しいとは三島由起夫の言葉である。

 日本語による単一言語帝国の内部には、圧倒的な詩人(俳句・短歌の巨大人口)と、圧
倒的な評論家(新聞・雑誌の発行部数・電波メディアを読み見ながら、他人事に評論する
巨大人口)が存在する。

 日本語の感受性は王朝詩人から「よみひとしらず」といった民衆詩人によって、数の形
式に規定する型に圧縮することによって、あたかも自然であるごとく生成してきた。だが
これは、個人による個人のための個人への記号でもあったのである。また、誰でも歌える
この自己感受性の叫びの記号表出は、階層を寓意とするカオスとして自然=生成してきた。
ゆえに主体は隠されあいまいとなる記号へとおさまる。主体の論理構造をかくす記号とし
ての日本語は一音一表記が自立し組み合わせることによって 組織し造形する数のDNA
言語である。またイメージのモンタージュ言語である。非主体として装いながら実は強力
なウィルスがそこには自然生成している。わたしがときあかすウィルス原論の迷宮がここ
にある。

 数の型に圧縮され自然生成してきたモンタ−ジュ言語としての日本語は、数字言語によ
るデジタル回路が表記するワ−プロソフトが自己完結したといえよう。だがこれは他者を
存在認知し、前提として意識する空間の闘争そしてコミュニケ−ションの道具として生成
しないのであれば、デジタルが内包する自己完結はナルシズムの用具と化す。

 第一自然と人間の関係を変貌させることによって成立するデジタル言語は、脳の知覚と
ダイレクトに結合することにより、ある種の快適さを人間に感受させる。アニメティ空間
の機器はやさしく真綿であなたの首を……

 他者の確認あるいは自己の位置、これら空間の世界意識は闘争がなかったかのように、
「和」によって融合させられる戦略的部品としての日本語は、最終的解決としての数との
和解をめざす。これが情としてのDNAの発生。矛盾・疎外を消却した「和」の感情を国
民の琴線を鳴らす爪として自然生成させる歌の発生、語るべき物語は数の秩序意識によっ
て連結させられ、その浸透のスピ−ドはウィルスの進化として伝染する。微妙な戦略的部
品を連結させ感情を伝導させながら吸入・排出する国民的言語とは印刷機である。

 不均衡衝動のシステムに自然生成する数のDNA言語であり、戦略的部品を連結・連動
させる印刷機としての日本語は、第一自然が崩壊死をとげた90年代世界システムへの対
応能力を失い絶句する。歌の始原、歌の発生にかかわるエネルギ−と語るべき物語を語る
エネルギ−こそウィルスである。

 一三四七年九月から十五世紀初頭までに全ヨ−ロッパは、その人口の四分の一を黒死病
たるペスト・ウィルスの餌食とされた。ヨ−ロッパ言語はやせた土壌に規定される凶作・
飢餓と格闘し、ペスト・ウィルスと格闘。その動物的闘争はペスト・ウィルスに侵食され
ながら、暗黒の出口を外部・他者に向ける。その当時、世界の中心であった豊かなイスラ
ム世界を敵と設定し、十字軍遠征・レコンキスタ運動を開始する。ヨ−ロッパの誕生とは
何か。ロ−マ帝国とヨ−ロッパが継続していると思い込むのは誤りである。ロ−マ帝国の
植民地であったヨ−ロッパは蛮族とロ−マ帝国市民に蔑視されていた。蛮族こそロ−マ帝
国軍隊の雇い兵士であり、彼らは戦争の方法のみをロ−マ帝国から学習した。西ロ−マ帝
国を滅ぼすまで、ロ−マはヨ−ロッパ蛮族の敵であった。かれらは植民地独立をかかげ西
ロ−マ帝国に勝利したのである。敗北した西ロ−マ帝国市民は東ロ−マ帝国である現在の
トルコの首都へと逃亡する。ゆえに現在のイタリアとロ−マ帝国は遺伝子において継続し
ていない。世界は古代以来、市民か蛮族かに分岐する。市民主義とはギリシア文明以来、
帝国城内のステ−タスであり市民主義の核こそ帝国主義の秘密である。帝国に所属する人
々こそ市民と呼ばれる。文明とはこうして帝国と市民による興亡史を織りなす。

 ロ−マの地下洞窟で帝国の奴隷であったヨ−ロッパがなぜキリストを受け入れたのか。
キリストは倫理革命者として、ただひとりロ−マ帝国に抗拒した神徒であった。奴隷解放
と植民地解放をかかげヨ−ロッパは地下洞窟でキリストを受け入れる。ヨ−ロッパのエネ
ルギ−の象徴である十字架にキリストの受難肉体を貼り付けるモンタ−ジュによって、キ
リスト教は誕生した。

 西ロ−マ帝国に勝利し、市民を東へと追いやり植民地解放をなしとげたヨ−ロッパ。ロ
−マは政治軍事統合の首都からキリスト教の帝都となった。ロ−マ帝国のソフトは投げ捨
てられた。ハ−ドとしての遺跡のみが残る。ロ−マ帝国に勝利したイデオロギ−たるキリ
スト教こそソフトであったが、宗教は文明を勃興できない。次なる外部の敵を発見するま
で長い停滞が続く。

 敵はついに浮上した。イスラムとそのソフトを生成させるユダヤである。イスラム文明
と帝国という他者を発見したとき、壮絶なイデオロギ−戦争は、ロ−マ教皇から全ヨーロ
−ッパに発令された。ヨ−ロッパ言語のDNA、その自然生成とは何か。

 イスラム・そのソフトとしてのユダヤという他者に対し、壮絶なイデオロギ−戦争を仕
掛け、貧困なヨ−ロッパは、その戦争を通し、これらの他者から実践的に学習した。ヨ−
ロッパ言語のDNAとは、方法・思想・イデオロギ−を他者から動物的本能と闘争心で学
ぶ。それこそ戦争を通して戦争を学ぶ他者を前提としたところの戦略的体系のDNA言語。
ゆえにそれは空間と他者を前提とした数学と哲学思考の音声言語でなくてはならない。神
と人間の闘争と契約に歌の始源・歌の発生・語るべき物語のエネルギ−はあり、外部の空
間と他者が存在しなければヨ−ロッパDNAは自壊する。

 「スペインから始めよう・情熱のボレロ……」
 日本語は恐怖に蒼ざめ絶句する。虐殺の堕天使の耳に唸っていたのはあのボレロだった
とは!その反復旋律こそ古代道教の遺伝子をゆさぶる。そして九二年・平成四年と二九年
・昭和四年、この数学的類似性のシミュレ−ションこそ驚愕すべきである。他者を排除し、
己の血液の延長によって他者の空間を蹂躙してきた「単一民族」の共同幻想たる今日の日
本システムが過去の模倣子。他者を発見できね自己遺伝子こそは自己模倣子である。他者
を認知し自己遺伝子を他者に似せて改良するのだが、それは自己遺伝子の延長と増殖のた
めにあるがゆえに、あるうしろめたさがつきまとい、自己遺伝子の歴史は閉じられる。自
己生活史のみの市民主義こそ帝国。

 欲望・心理・ギャンブル・予測・推論・自己模倣子増殖を推進するのは、数字の前衛た
る資本主義リアリズム。模倣子はある極限を表出し、数字言語の場と空間を支配する。九
十年代の模倣子たる日本経済を支配しているのは、見えざる神の手ではない。ヨハネ黙示
録によって記録されてきた数の獣たる見えざる怪物の額によって支配されている。

 虐殺の堕天使イザベル女王のスペイン軍がグラナダを攻め落とし、ヨ−ロッパの地から
イスラム世界を追い出したのは一四九二年。同時に彼女の援助によりコロンブスはこの年、
新世界アメリカ大陸を発見する。その五百年後こそ一九九二年。

 ロ−マ帝国植民地の轍から脱出し、その後ロ−マ教皇のもとで王権の配合によって支配
ソフトを蓄積してきたヨ−ロッパ各国は、十字軍遠征の過程で再度、軍を再建しロ−マ法
をとりいれた制度の構築、ユダヤ人を呼び寄せ、財政国庫の構築、農業の革命(氷河時代
の石をとりのぞく土地整備)、あの四分の一人口は絶滅したペスト危機内と外との他者と
の戦争事態によって、世界の中心へと周辺から浮上する。その文化的象徴としてイタリア
・ルネサンスと再度イスラムを回路にして習得したギリシア哲学の学習として文芸復古は
あった。ダンテ「神曲」の力強さこそ、ペストへの勝利宣言。

 内延的発展こそが自己遺伝子、その本能としての遺伝子はよりペスト・ウィルスの試練
を受けて、大西洋にくりだす。中南米、南北アメリカ大陸、アフリカの文明を壊滅させ、
インド・中国・イスラム商人たちの貿易ル−トを剥奪し、世界をつなぐ円環世界システム
を完結させる。今日、アフリカと南アメリカがいまなお経済的に低迷しているのは基層文
化が根底からヨ−ロッパによって破壊されたからだ。マザ−ボ−ドなしのハ−ドウェイは
ありえない。アジアはヨ−ロッパによる基層文化破壊を半分にくとめることができた。ゆ
えに経済は自立できるのであろう。

 近世からの世界システムを円環として完結させ地球を誕生させたヨ−ロッパDNAのす
ざましいパワ−をシミュレ−ションしないかぎり、現代世界システムを支配するイギリス
・USA(アングロサクソンによる二重帝国)・金融ユダヤネットワ−クを理解すること
はできない。文明とは帝国と城内領域の市民に他ならず、ゆえに領域をめぐって文明は衝
突する。人間の顔をした自己遺伝子と模倣子こそ文明の衝突である。戦略的部品としての
日本語はあらかじめ文明意識が欠落し、強烈な危機意識もなく、おめでたく自己遺伝子と
模倣子が自壊している敗北の過程にある。不良債権としての国債にたよってリスクを未来
に先延ばししながら生活する「わが亡き後に洪水よ、来れ」の死を取り込んだ孤独な老人
となった。閉じられた文明の衰退。日本市民主義の終焉として死の教室がやってきた。

 死の踊り、死の教室はウィルスに感染した虐殺の堕天使たちによって、表土喪失上の第
三自然たるデジタル数字言語がシミュレ−ションする仮想現実によって表出する。一九九
二年三月五日朝、高知市で女子中学一年生が三歳年上の姉・私立高校一年生によって刺殺
された疑い。「妹が陽気で自分と余り性格が違い、ねたんでいた。包丁を準備していた」
と姉は自供する。メディア機関の報道に日本語は恐怖に震撼する。続いて三月五日夕刻、
市川市で十九歳の少年による一家4人殺害事件がおきる。またしてもマスメディアがたれ
流すテレビのブラウン管映像に日本語は打ちのめされる。おそらく姉は性格分析の心理学
の本でも読んだのであろう。心理学とは近代が誕生させた資本主義数字ゲ−ム・ギャンブ
ルにあった。

 忘れてならないのは、八十年代の十年間、日本住民の日本語はテレビ局がたれ流すサス
ペンス殺人事件のシミュレ−ション・ドラマを脳天に刷り込まれてきた。テレビとは印刷
機。殺人の方法と死体を毎日・毎間昼間・毎夜中、テレビのブラウン管・閉ざされた四角
のフレ−ムから、見せられ聴かされ、日本語は死の教室で飼いならされてきた。耳から電
波が印刷機として脳天に刷り込み・書き込み・デ−タ−改竄洗脳しCMは東京株式市場一
部に上揚されている企業提供。

 リブングル−ムは死の教室・ネクロフェアの香り、無防備のまま周波数によって飼育さ
れてきた虐殺の堕天使たち。殺人が日常であり、幼少の頃からその心に殺意が蓄積され、
最終解決は刺殺、他はなしとする虐殺の堕天使は八十年代が産み落とした日本周波数の産
物であろう。かつて日本軍兵士は中国大陸を「殺し尽くし、奪い尽くし、焼く尽くす」三
光作戦を展開した。血債の復讐の女神は八十年代において虐殺の堕天使たちを日本市民社
会におくりこんだのである。

 彼・彼女たちが日本鬼子としてシミュレ−ションを現実の出来事に転化する最終解決で
ある死の舞踏を開始するやいなや、その衝撃によって資本主義リアリズムの不均衡数字心
理は株式市場に感染し、三月十六日、日経平均は二万円を割り、ずるずると崩落していく。
性格を分析する近代心理学の破綻である。

 こうして心理学は九十年代事象を説明・分析できずに破綻を証明してきた。家族関係に
おける抑圧を古典的に説明するが、現代社会の病状を説明することはできない。日本株式
崩落と少年・少女殺人事件は連動しているウィルス周波数である。日本文明の壊滅と全的
滅亡が現出しているのだ。秩序なきモラルが展開される。

 テレビ電波のウィルス(周波数)によって基層文化が破壊された虐殺の堕天使たちの日
本語は、その不均衡衝動がきわめて簡単に殺人に自己完結する。その自己遺伝子の心のか
たちは、まろやかな円または球ではない。四角の牢獄、テレビ画像・フレ−ムのように閉
ざされた四角としてのハイパ−モダンである。つねにギスギスと角張って、画一化された
トレンドとして日本語から自己遺伝子を防衛すべく、己の感受性を疎外する“もの”を殺
すのである。

 日本の国旗は現在、日の丸としての紅い円であるが、それはうそである。白地に紅い四
角それが現在の日本精神を正確に表出する国旗であろう。四角のフレ−ム・四角の帝国に
われわれは閉ざされ、日本語のウィルスに犯されながら、死の舞踏を開始しろと、情熱の
音楽“ボレロ”によって耳から浸入する周波数によって強制されている。 

 ひとつの文明が全面的展開として崩落する、それが近代の終焉としての現在であり今日
も嵐が丘から死者たちの呼び声が聞こえる。あれは復讐の女神。

 他者が発見できぬ文明は自壊する。アステカ王国・インカ帝国が滅んだのはイタリア・
ルネサンス以後である。なぜか? システムが自己完結した神話にあった。やがて海の向
こうからまれびとはくるスペイン人の白い人。世界史とは西ヨ−ロッパが戦争によって形
成した円環である。

「スペインから始めよう・情熱のボレロ」
「やっぱり私と同じ気持ちの人がいるんだとうれしくなった」
 虐殺の堕天使たちの表層皮膚にウィルスは確実に自己遺伝子戦争として陣地を拡張して
いる。十六世紀のヨ−ロッパによる新大陸十字軍遠征。

 アステカ王国、インカ帝国文明を壊滅し、北アメリカ大陸の先住民を壊滅状態に追いや
ったのは、ヨ−ロッパから持ち込まれたウィルスであった。ヨ−ロッパはアメリカ大陸か
ら種をもちこんだジャガイモ、さまざまな穀物の遺伝子によって食糧事情は革命的に発展
した。ヨ−ロッパ農業革命は南北アメリカ大陸の農業遺伝子に依存している。他者の自己
遺伝子を奪還し己の自己遺伝子に移植する、これがヨ−ロッパの動物的学習能力である。
なぜか? 対象を主体化できる・おそるべきイデオロギ−戦闘力が内在しているからだ。
ルネサンスによってギリシア哲学を復興させたエルルギ−こそ、ペストとの死闘が生成さ
せた。ホワイトハウスによる各国の国力ランキングにおいては、イデオロギ−が軍事力と
同じレベルで評価されている。イデオロギ−・思想なるものを蔑視し、思考する者を排除
してきた日本。

 黒死病たるペストウィルスとの死闘は、六・七・八世紀の三百年間続く。そして世界
の終末を予感する一〇〇〇年、古代、植民地解放をなしとげたヨ−ロッパは、暗黒の森の
なかでひっそりと生き延びてきた。暗黒と孤独と絶望のなかで、ヨ−ロッパは神と対話し
てきた。内面の対話こそイデオロギ−力である。こうしてヨ−ロッパは暗黒の森のなかで
強靭な内面と思考を形成する。戦闘的個人の誕生。

 一〇〇一年、世界を継続させてくれた神への感謝として、ヨ−ロッパは教会を建設する。
広場の誕生とコミュニティが誕生する。そして深い森の中に街が。中世は明るい希望に満
ち溢れたかにみえたが、十四世紀、再度、ペストウィルスがヨ−ロッパを襲う。またして
も中世は暗黒となった。「世界は暗黒だった、はじめに光が誕生した。光こそ言葉だった」
ヨ−ロッパは古代から中世、九百年間をかけて、言葉を主体化したのである。言葉はペ
ストウィルスに打ち勝つ強靭な自己遺伝子となった。ペストウィルスとの死闘こそヨ−ロ
ッパを周辺から中心に浮上させ大航海時代を生成させるのである。モンゴル帝国への旅を
記録した書物こそバイブルとなった。記録する力としてのイデオロギ−、ある世界観をも
った言葉こそ、ヨ−ロッパが暗黒の九百年間を生き延びてきた自己遺伝子である。それ
は他者システムを評価する力でもある。ヨ−ロッパは大航海時代を他者を発見するイデオ
ロギ−戦争としてかまえた。その前衛こそ宣教師である。ヨ−ロッパが黄金を求めて航海
したというのはうそである。ヨ−ロッパは食料の品種を求めて航海したのだ。

 事実、アフリカ・アメリカ・アジア大陸から持ち帰った新食料の種は、ヨ−ロッパを飢
餓から解放した。いまだ氷河期の残像を残すヨ−ロッパの土地は貧しかった。

 一九九一年湾岸戦争とソビエト連邦解体をもって、五〇年代からの冷世界大戦、強烈度
各個撃破戦争にUSA・イギリスは中途半端のまま勝利した。新世界秩序とはアナクロニ
ズムと反動的要素の反復としてあり、USAに国際政治で追随する日本語は天皇制結婚フ
ィ−バ−の入管言語となる。「戦争が終わったなら天皇制である故郷の丘に帰ろう」これ
が日本語の琴線であり、美しい和音の調べである。幕末内戦後明治維新における明治天皇、
三千万人の中国人・朝鮮人・台湾人・香港人・マレ−シア人・ベトナム人・カンボジ
ア人・フイリピン人・シンガポ−ル人・インドネシア人をぶち殺した大日本帝国の敗戦に
おける昭和天皇、朝鮮戦争休戦後における平成天皇結婚式、ベトナム戦争終戦後における
昭和天皇、そして昭和史と敗戦後四五年間を気分としてふりかえる天皇代替わり、冷戦終
結・湾岸戦争の国際政治と日本国内の動揺をひとつの感情に統合する皇太子弟結婚・皇太
子結婚祝祭。

 この自己遺伝子は七世紀からの古代律令体制による血液主義に原点がある。
自然生成する虐殺の堕天使たちの不均衡衝動と政治支配統合を推進するシステム成員たち
の日本語は、あますことなく現在の日本精神である極限的な四角の心を表出する。他者と
しての世界を理解するのでなく、己の感受性を四角の監房に閉じ込め、外部との回路を封
鎖する。日本の国是はいまなお天皇制自己遺伝子にあり、日本語の故郷はこの人間不在の
中心なき権威ある場所である。堕天使たちは人間不在のウィルスに犯される。そのウィル
スは日本語として無防備な耳から浸入する周波数だった。

 大日本帝国による大東亜共栄圏を自己実現させ、アジアによって敗北をとげた日本語は、
一九四五年八月十五日、再度、己を人種差別主義者として自然生成させるべく天皇制自己
遺伝子に組織された。その日、虐殺の堕天使たちは全員、ラジオの前に座らせられ昭和天
皇の声をはじめて聞かされたのである。メディア神学の誕生だった。

 敗戦という事実の前に虚脱化された日本語の存在と無は、耳から浸入した天皇自己遺伝
子によって再組織・再システム設計の書き込みを印刷された。周波数によって書き込みさ
れるのは、堕天使たちの脳天内部にあるハ−ドディスク。ラジオこそがWINDOWS。
どのソフトが堕天使たちの脳天に印刷機をオフセットするのか。これがイデオロギ−の本
性たる自己遺伝子の記録装置の容量をめぐる、見えない闘争であろう。そして堕天使のハ
−ドディスクはスキャンディスクできない。すぐさま天皇自己遺伝子である日本語によっ
て書き込まれるそのプログラム言語とは周波数である。

 CONFIGをめぐる目は批判能力を持つが耳はあまりにも無防備である。耳の内部に
あるバランス装置は起動し、人は立ち歩行をする。耳はシステムディスクである。耳は空
間で人が生き延びるためのセンサ−であるから、マザ−基盤にあるCPU。日本語のウィ
ルスは耳を制度化し、次に目を制度化する。堕天使たちのバランス感覚と中枢神経は日本
語によってシステム設計されてきた。

 一九四五年八月以降、すぐさま労働運動の先頭をきって闘ったのは、強制連行され収容
され労働を強いられていた中国人・朝鮮人・台湾人の人々だった。治安維持法を撤廃せよ
と刑務所におしかけ、日本政治犯を出迎えたのも、その人々だった。日本人は虚脱にあっ
た。朝鮮と台湾は日本の植民地であり、中国の満州と呼ばれた東北部は日本が生成させた
擬似国家である。中国人・朝鮮人・台湾人は大日本帝国の臣民とされた。しかし、恐怖し
た天皇自己遺伝子は、すぐさま植民地から連行してきた日本臣民を外国人登録法の天皇命
令による成立によって、植民地臣民を外国人と法律として制度化したのである。この大日
本帝国最後のそして敗戦後最初の法律施行は、敗戦後日本国是として、今日まで規定して
いる。ゆえにいまでも在日外国人は税金を納めているが市民権も選挙権もない。

 外国人登録法の成立と天皇戦争犯罪責任皆無は、敗戦後日本の人種差別政策を、システ
ム化し、敗戦後日本の主体として自然生成する。犯してはならない神聖な価値観は軍国主
義から経済主義へとみごとに転回された。すでに、耳の制度化によって天皇自己遺伝子に
よって再組織されていた日本語は、外国人登録法に反対する運動を表出できなかったばか
りか、みずからが戦争の被害者であったとする生活人へと転回する。日本市民主義の誕生
である。豊臣秀吉以来の侵略戦争として展開した大東亜共栄圏という世界イメ−ジの奪還
に失敗した日本語は、憎悪したUSA・イギリス・鬼畜米英ひれふした。自己遺伝子を笑
ってかくしながら経済戦争へ一億総決起していった。模倣子が再起動する。倫理と論理な
き動物的本能たる自己遺伝子の方向がシステム設計される。

 自己遺伝子は己の都合の悪い事実を消却し、現在の自己解釈物語を模倣子によってコピ
−する。模倣子とは学習能力であり、ハ−ドディスクという世界を認知、自己遺伝子を送
り込むための前線である。ヨ−ロッパの自己遺伝子と模倣子は“植民地”である。ロ−マ
帝国からの植民地解放こそヨ−ロッパの自己遺伝子であり、大航海時代以後、ヨ−ロッパ
は植民地を形成する、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸、太平洋・オ−ストラリア・オセ
アニア、東南アジア、そしてヨ−ロッパからの入植者自身が母国に対し、植民地解放・自
主独立国家建設を、ヨ−ロッパの原点であるロ−マ帝国からの植民地解放を反復するので
ある。太平洋・太平洋に囲まれた新大陸にふたたびヨ−ロッパ諸国が誕生する。スペイン
・ポルトガルからロ−マ教皇の指導のもとで、南アメリカ大陸に植民者による独立国が誕
生する。スペインとの戦争に勝利したイギリスからUSAがカナダが、太平洋のオ−スト
ラリアが、ニュ−ジランドが植民者によって自主独立国家が誕生する。イギリス教会の王
に指導されたアングロ・サクソン族の世界連邦である。ヨ−ロッパの自己遺伝子と模倣子
はまず植民地を形成し自主独立する、この再起動である。反復こそが動物的本能としての
自己遺伝子と模倣子、これが民族と文明の衝突だ。

 洗練された西ヨ−ロッパが倫理と論理において隠しているのは、おのれ自身が動物的本
能として内臓しているシステム設計としての遺伝子と模倣子。イギリス王族が教皇である
イングランドと、いまなおイギリス島を支配したアングロサクソン族に屈服していないロ
−マ帝国時代からのアイルランドの死闘こそは、スペイン・フランスに類似する。世界は
古代部族なのだ。

 人類解放の理想が葬り去られた社会主義以後の資本主義を世界モデルとして絶望として
表出したのが、ユ−ゴスラビア解体と民族主義による戦争であろう。第二次世界大戦、ド
イツ軍を敗北させ、バルカン民族の恒久平和の理想として誕生したのが、チト−と共産主
義者同盟に指導されたユ−ゴスラビア連邦だった。ユ−ゴスラビア共産主義者同盟は、自
主解放したインド、中国とともに、第三世界の希望の星だった。

 一九七三年の春、わたしは三田にあるNECの工場に高卒としてつとめていた。その頃
の三田工場は外見は古びた工場だったが内部はやがて来るコンピュータ社会に向けた技術
開発の活気に満ちていた。朝はいつも駅から工場へいく路地にある店の立ち食いうどんだ
った。五月になると、仕事が終わる五時は、まだ明るかった。地下鉄の三田駅へ工場の門
から、細い路地を通っていくのだが、路地にはいつもいく喫茶店があった。ある日、遅刻
したのでNECの工場にはいかず、そのまま喫茶店に入った。日本共産党が発行している
「世界政治」は月二回の発行だが、よくそれを読んでいた。わたしは二十歳だった。

 その頃の「世界政治」必ず掲載されていたのが、ユ−ゴスラビア共産主義者同盟とチリ
共産党の政策文章であった。ソ連共産党と中国共産党の全体主義とは違う、自主独立の路
線と第三世界運動に希望があった。しかし七三年の晩夏だったかもしれない、チリ民主連
合政府はク−デタ−によって転覆されてしまうのである。わたしは落胆する。そしてまた、
冬季オリンピックの街、ユ−ゴスラビア連邦の理想を体現した都市は、内戦によりズタズ
タに切り裂かれてしまう。世界イメ−ジと文明の全的滅亡は、理想を捨て、民族主義の自
己遺伝子と模倣子という動物的本能を全体主義として表出したとき、九十年代現実として
自然生成したのだ。

 八十年代、世界イメ−ジを希望として推進したのが、ポ−ランド労働運動である“連帯”
だ。八九年十一月、ベルリンの壁が解体する、そして十二月末、民衆によってル−マニア
の独裁者は処刑された。ミラノ広場で処刑されたムッソリ−のごとく。わたしはル−マニ
ア民衆蜂起のテレビニュ−ス映像を、戸塚にある自宅で妻の真知子とみていた。九〇年か
九一年、岩波書店が発行する月間雑誌「世界」で読んだポ−ランド“連帯”活動者の言葉
は衝撃だった。「社会主義以後の資本主義とはなんだろう」

 人類解放、これが倫理革命として1世紀に浮上したキリストの理想だった。そして十九
世紀、論理革命として浮上したマルクスの人類解放と共産主義の命題。二十世紀、レ−ニ
ンによる社会主義革命の浮上。八九年革命以降、十年が経過し、バルカン半島の現実が
表出した九十年代、人間とははたして類的存在なのかこれらが、思想としてわたしに突き
つける。マルクスが解明したように、資本主義とは動物的本能の世界である。八九年革命
以後、人間の地球世界そこでの地勢はより動物的本能である自己遺伝子と模倣子が、理想
というシステムを削除して書き換え、システムを設計してきた。部族を止揚する共産主義
とは古代以来からの人間の理想でもあった。理想を喪失し思想の混迷としてわたしの90
年代はあった。

 資本主義・市場主義などは貨幣の運動として古代から存在していた。八九年世界革命に
よって、“市民”などという概念が占有した。市民とは市場に依拠するがゆえに、おのれ
の動物的本能をかくす。日本の動物的本能を解明するのは詩人の任務である。詩人とは個
人としての思想者。

 七九年の春、わたしはNEC工場での仕事が終わると田町駅から御茶ノ水駅まで電車で
行き、明治大学がある駿河台の坂を降り神田の古本屋によくたちよった。土曜日は半ドン
だったので、十分に古本屋さん回りができた。発見したのは敗戦後すぐ出版された「新生」
だった。七十年代を総括することは敗戦後からの、そして二十世紀を総括することだった。

 そこで発見したことは、大東亜共栄圏から帰還した兵士にとって、おそろしかったのは、
自然であったことである。中国大陸で日本兵士は中国共産党のゲリラ戦に悩まされていた。
南方戦線では先住民のゲリラと、USA・オ−ストラリアニュ−ジランドの各個撃破戦略
によって殲滅させらてきたのである。戦争の自然こそ帰還した兵士の恐怖だったに違いな
い。そして大日本帝国軍隊は三千万人のアジア民衆を虐殺してきた堕天使であった。
関東軍であり陸軍である。

 世界通でありモダニストがそろっていた海軍はなにゆえに真珠湾攻撃を発動したのか?
山本五十六大将はUSAの工業生産力と国力を認知していたといわれている。その当時大
東亜戦争は中国、朝鮮、アジア各地の反日ゲリラ戦争によって泥沼に入っていた。海軍は
大日本帝国を救わんとしたのだ。フイリピンはアメリカの植民地だった。南太平洋戦線は
いずれUSAと制海権と制空権をめぐって衝突する。USA軍が出てくる前にUSA太平
洋艦隊をつぶそうとしたのだろう。敗戦後、日本語はアジア侵略戦争を太平洋戦争と置換
することに成功した。

 帰還した虐殺の堕天使たちは、おのれが行使した殺人と暴虐の快楽と後味の悪さを帰還
してから、おのれの個人的な沈黙闘争を起動した。永遠にかれらの内部に現場は閉じ込め
られたのである。なぜか。すでに日本は敗戦として戦争から経済に絶対主義価値観が変貌
し転回していた。もはや虐殺の堕天使たちが「おれは中国人の首を何人切って落とした」
とか「中国人の女を何人犯した」などの英雄武士凱旋は過去の物語となったのである。

 こうして敗戦後、物語としてその唇と言葉によって物語となったのは、戦争による被害
者としての市民主義である。歴史とは古代以来、動物的本能が起動する自己遺伝子と模倣
子を恥かしい“もの”としてかくしてきた。倫理と論理はかくされ自己解釈の講釈のみが
歴史として自然生成してきた。

 帰還した兵士たちと戦争をシステム設計した戦争企画者たちが、もっとも個人的に恐怖
したのが、アジア民衆の復讐である。こうして占領軍とマッカ−サ−は、日本の自己遺伝
子と模倣子によって、取り込まれた。USA占領軍隊がアジア復讐の女神から本土を防衛
してくれる。本土決戦の代替わりをした沖縄の悲劇は、敗戦直後の日本の言説に登場しな
い。知識人も帰還したが、かれらはフランス哲学に向かった。あるいは再度、ドイツ哲学
へ。もはや現場を分析できる思考は皆無であった。しかし抽象は言葉のゲ−ムができる。
自分の貌たる虐殺の堕天使・日本鬼子と対話することなく……

 日本は原爆が落とされ、大空襲の被害にあった、戦争被害者の国として自然生成する。
やがてこれらは文学として登場するが、戦争時、少年か少女であった人が体験した物語と
して自然生成する。実際に戦争を担った年代は総沈黙である。沖縄は米軍治世下となり、
「原爆投下はしかたがなかった」これが天皇遺伝子とその権威によって、日本動物的本能
をかくし継続することに成功した大東亜戦争設計者のコンセプトであり、吉田茂の世界戦
略であろう。

 サンフランシスコ条約によって、日本は独立するが、日本USA安保条約を、積極的に
望んだのは、日本システム設計者の側であろう。USA駐留軍はアジアを犯した罪、その
呪いとしての復習の女神から自分たちを守ってくれる。中国共産党による中国革命と中国
国民党の台湾遷都は、日本システム設計者にとって都合がよかった。中国現代史の一時的
切断と分割は、自分たちのことがせいいっぱいで、中国共産党も中国国民党も日本に対し、
戦争賠償金を請求する余裕がない。そしてすぐさま幸運がまたやってくる。金日成・主体
思想に指導された朝鮮労働党による朝鮮革命と朝鮮戦争である。自由主義をかかげUSA
は共産主義軍と全面戦争に突入する朝鮮戦争の勃発、マッカ−サ−将軍の作戦。朝鮮戦争
は休戦となり朝鮮半島は三十九度で分割された。その戦争と境界線の緊張が日本経済を復
興させ、資本の原資蓄積を達成した。五十五年体制といわれた日本システムは設計された。
敗戦後から十年の出来事。日本遺伝子と模倣子はみごとに冷戦を取り込むことに成功した。
共産主義と自由主義の緊張した世界戦争その戦争は全面戦争でなく各個において体現され
る、これが冷たい強烈度戦争としての冷戦構造だった。この世界構造を逆手にとって利用
し、経済戦争において占有する、これが満州国を建設した革新官僚と革新経団連のシステ
ム設計であった。ここに日本権力構造の謎があった。日本民族主義の担い手は大日本帝国
から反転して、右翼から日本共産党・日本社会党の左翼となる。

 この現出が一九六〇年の日本・USA安保条約改定へ反対する安保闘争だった。「帝国
主義から抑圧された民族は自主独立しなければならない」レ−ニン民族論の命題によって、
国会を包囲しエネルギ−シュに闘われたが、日本システムによってつぶされ、運動は挫折。
ここでも日本システムの模倣子は学習能力を起動した。つまり左翼民族主義闘争を利用す
ることである。安保条約に反対する国民的運動は、USAに対して「共産主義の脅威」と
説明できる。USAはこうして自民党を保護し日本システムを擁護してきた。USAの関
心事項を優先課題を政治緊張へともっていき、そのすきまをついて、世界市場に乗り出す。

 USAの労働者・民衆を侮蔑した衆議院議長桜内の発言は、制度化された日本の労働運
動にとって全く問題にならないばかりか、己の問題としてとらえ返すことはできない。他
人事にニュ−スを楽しんでいるかのようである。無神経な桜内発言は、日本の人種差別シ
ステムを全世界・特にUSAの労働者・民衆の前に表出し、彼らを深く傷つけたという点
が重要であり、その傷は消して消え去ることはない。しかし日本で「桜内はただちに辞任
しろ!」という声は、どこからも上がらない。規制野党からも労働組合からも街頭からも
聞こえない。それがいっそうUSAをイラだたせる。「日本には顔がない」というUSA
・ヨ−ロッパからの批判は、日本政府や経団連だけを指しての言葉ではない。それはすで
に日本システムにより戦略的部品として自然生成された、ひとりひとりへの批判。世界に
通用する人権意識は前提として欠落している。

 日本語の論理構造は「その最後を言ってしまったら論理の和が崩れてしまう」ことによ
り、なにものかをかくすことによって自然生成する。しかしながら日本語の詩的構造に生
きるのは、庶民である民衆詩人たちである。短歌と俳句人口は圧倒的であり、最後に残さ
れた日本語によっていやされ、圧縮され磨ぎ落とされた言葉の意思によって生きようとし
ている。しかし日本システムの言語はある事実をかくすことによって自然生成する。なぜ
か? 圧倒的人口として存在する詩人と思想者の帝国において、言葉は前線であるがゆえ
に二重言語となり、ダイレクトな現場は排除され記号へと向かう。動物的本能である自己
遺伝子と模倣子によって、バランス感覚という秩序を強力に組織するためには、風景と過
去はふだんに消却され、日本システムが既成事実として出現させた巨大要塞によって設定
されるからだろう。日本の二十世紀とはスタ−リン資本主義。事実と人間の思想は虐殺の
堕天使たちが沈黙したように、アンダ−グランドに潜伏する。こうして個人による個人の
ための個人への表現と思想は、古代以来、もうひとつの日本を建設する。

 日本人とは血液主義制度によって証明され、日本語を話し読み書きして、日本語によっ
て思考し、日本語によって表出、唯我構造によって、異質を侮蔑し、なおかつ他者の方法
を己の拡張にとりこみ、「日本人はまったく」と発言するときは、すでに自己は歴史的存
在という主体を忘れ、現在に敏感に反応する原生動物と退行する。民衆を侮蔑するシステ
ム設定者は己と天皇自己遺伝子との結合が模倣子によってなされ幸福感の絶頂をあび、琴
線が故郷の草原と丘から饗宴する肉体的同一、これが日本システムにおける個人であろう。

 悪魔的な狡猾を秘めた衆院議員議長桜内の顔こそ、現代日本の貌として世界の人々は知
覚している。日本システム設定者は己が血を流すことはけしてしない。大東亜共栄圏戦争
設定者は現場ではなく、摩天楼にいた。そこから大本営指令をだして、満州国建設、東南
アジア侵略命令を出していた。実際にシステム計画と設定したのは革新官僚たちであった。
満州国建設を構想し中枢神経として起動していたのは、A級戦犯でありながら、敗戦後総
理大臣になった岸信介である。六十年安保条約を締結した人物。その弟が佐藤栄作、池田
隼人から政権をもぎとった人物。いずれも長州人。敗戦後、吉田茂からの保守主流派を七
〇年代田中角栄が戦闘集団として形成する。自民党とは一九五五年、満州国建設で暗躍し
た大陸浪人児玉機関による資金によって誕生した。その児玉機関に資金を提供したのが共
産主義の拡張を阻止するUSAのCIAである。

 自民党とは日本において共産主義を阻止するためにUSAによって飼育され擁護されて
きた政権党。冷戦構造の産物。この権力党が今日まで四十五年間、権力を自民党としてシ
ステム設定してきた。ゆえにスタ−リン資本主義国家なのである。その中央集権の密度は
社会主義国家を超越している。そこでは官僚が分配し再分配する特権階級制度が定着して
いる。すでに問題解決能力はない。四十五年間である。腐食するのはあたりまえだ。US
Aに飼育・擁護されてきたゆえに、つねに民族主義のフラストレ−ションが蓄積される。
突然、ストレスが爆発し、「日本は天皇の国家である」などと発言し、アジアから弾劾さ
れるのはそのためである。システム設定において二重言語で書き込みするなら、シテム設
定は永遠にゼロに戻る。OSと記憶容量のメンテナスはできない。日本の国是が明治憲法
にあるのか昭和憲法にあるのか、いまでも現実において日本は設定できず、あいまいな二
重言語にある。ゆえに国家めぐる政治言語の領域は抽象となる。一九五五年以降四十五年
間国会とはつねに日本語自己解釈をめぐる二重言語ゲ−ムとして自然生成してきた。

 朝鮮戦争の特需によって復活した日本経済シテム、五十五年体制とよばれる日本政治シ
ステムの成長神話によって、二十一世紀の〇一年代を生き延びようとしている、日本シス
テム設定者は血を流した経験がないから悲しみを知らない。USAが親として擁護してく
れたからである。ゆえに安保軍事体制とIMF経済体制によって、USAの世界戦略と深
く結合したにもかかわらず、人間的苦悩としてのUSAを理解することはできない。日本
システム設定者の感受性は、冷戦期、世界中でもっとも満たされてきた部族だからである。
大東亜戦争の泥沼を突破するため、USAに戦争宣言したとき、当時の戦争計画者はヒッ
トラ−と同様、USAを侮蔑していた。一九五五年体制とは総力戦体制としてシステム設
定された一九四〇年体制の反復である。侵略戦争から経済戦争へ領域を転回したシステム
設定者は、USAに擁護されていたにもかかわらず「アメちゃん」などと根源として他者
を侮蔑してきた。その感受性に戦前・戦後のフレ−ムは存在しない。

 資本主義の前衛とは証券・金融市場に表出する数字が集約する。そこではイノベ−ショ
ン・シミュレ−ション・予測する欲望・数字人間のあらゆる活動形態の全面的展開がリア
ルタイムで市場の祭壇にデジタル数字によって点滅する。市場の見えざる神の手とは、数
字人間の心理のコンセプトである。何よりも重要なのはこの心理なのである。その意味で
資本主義の前衛とは数字戦争である。数字は物質による形によって均衡を保つのだが、市
場の数字に形はない。抽象としての不均衡でしかない。それは常に流動する。この数字を
朝鮮戦争以来、システム設定者たちは、あるシナオリによって操作してきた。

 毛沢東戦略による中国革命、朝鮮革命とUSA軍の介入による朝鮮戦争、一九五三年三
月スタ−リンの死、東南アジア植民地解放による独立の嵐、第二次世界大戦後の植民地解
放と戦争に対応するUSAを中心とした共産主義封じ込め世界戦略。日本自己遺伝子と模
倣子は東アジアの激動を狡猾にとりこみ、大航海時代に誕生した世界システムとしての帝
国主義とスタ−リン主義の二元世界分割を利用し、経済絶対価値観による自己遺伝子と模
倣子の拡張によって今日まで生き延びてくることに成功した部族こそが日本システム設定
者である。

 その基礎こそ朝鮮戦争であった。朝鮮戦争こそは、ヒロシマ・ナガサキ原爆投下による
核戦争以後の限定された地域、強烈度戦争としての第三次世界大戦である。USAが総動
員体制をとるときは世界戦争となる。帝国と世界は同義語である。第4次世界大戦とはイ
ンドシナ・ベトナム戦争であり、第5次世界大戦とは湾岸戦争である。これまでの世界大
戦規定は、ヨ−ロッパが戦場になったということによる、ヨ−ロッパ世界史とヨ−ロッパ
中心史観によるコンセプトである。

 核戦争をはじめて表出させた第二次世界大戦以後、それがプルトニウムであれ、ウラン
であれ、水爆であれ、核爆弾を使用すれば世界の終わりというピリオドに絶対規定され、
戦争は核弾頭ぬきの地域強烈度戦争として現出する。湾岸戦争で発射されたトマホ−クも
核弾頭巡航ミサイルとして八十年代当初、ヨ−ロッパ・アジアに配備される予定だったが、
世界的な八十年代の核配備反対闘争によって中止されたのである。核弾頭をはずしUSA
は大量生産したトマホ−クを湾岸戦争で消費することができた。資本主義による最大消費
こそ現代では地域強烈度戦争として生成する。


 八九年革命によって「東側」は崩壊した。世界核戦争による世界の終わりへの恐怖は消
えた、ゆえに世界的なUSA軍事体制への反対運動はヨ−ロッパからもアジアからも消え
たかのようである。社会主義以後の資本主義は最大消費としてユ−ゴスラビア内戦で出現
する。世界終末の恐怖と絶望は全世界から地域強烈度へと転回した。

 人類史・世界史・地球史の終末から規定されたことによる軍事戦略として現出する地域
強烈度戦争はUSAドルを中心とした世界システム設定者にとってもぎれもなく世界戦争
である。ロ−マ帝国の反復としてUSAはもうひとつの世界であり、USA軍に攻撃をあ
びせられる当事国の民衆は、世界の真っ只中・現場にいる。ロ−マ帝国以来、帝国の意味
に変わりがない。韓国朝鮮の民衆は、核弾頭という世界終末から逆規定された地域強烈度
戦争という世界大戦を体験し、この型はその後の戦争の基本システムとなった。

 戦争の限界をヒロシマ・ナガサキの人々は身をもって体験した。その想像力・シミュ−
レションは、世界と地球と人間の終わりに限りなく近づき、われわれの破滅を予感する。
侵略戦争を推進した日本帝国の帝都であり、日本システムの中心地であった東京は、ヒロ
シマ・ナガサキ・オキナワの破滅を体験していない。B二九の空襲により十万人の住民
が殺されたが、皇居の森と中心地は焼けることはなかった。下町に爆弾は計画的に落とさ
れた。ヒットラ−は自殺とげたが、昭和天皇は一九八九年まで生き延びた。そして帝都東
京はベルリンの荒廃と悲しみを体験していない。帝都東京が体験したのは空襲と敗戦後の
飢えである食欲としての“物欲”だ。

 民衆の血は流れたが、システム設定者の自己遺伝子と模倣子は血を流していない。その
経験はベルリンではなく、ドイツの空爆によって一定程度破壊されたロンドンの体験であ
り、ドイツ軍の占領を受けたパリの体験である。そのパリであれ解放後、ドイツ軍兵士と
関係をもった女性は、頭髪を刈られ街頭で糾弾され引き回されたのだ。ののしられる女性
も指弾する側も精神の血はどくどくと流れていた。そのような不条理な体験から、人間の
本性を冷酷にみすえたイデオロギ−は生まれる。フランス哲学はドイツ軍占領の時代ファ
シズムへのレジスタンス・パルチザン都市ゲリラ戦争の体験によって、抵抗としての実存
主義を表出する。すでに人間の不条理・不均衡をみすえながら。ナチス・ファシズム体制
にからめとられていった詩人と思想者のドイツ哲学は、敗戦後、沈黙する。
「君たち日本人は、日本の戦争犯罪よりも、ドイツの戦争犯罪の知識欲に熱心だね」

 このようなわれわれに対するドイツ人の皮肉には根拠がある。イタリアはファシズムと
レジスタンスによる内戦を経験した。そして北部は連合軍にたよらず自主解放した。ミラ
ノ広場で独裁者は民衆によって処刑された。

 ファッシズム同盟、イタリアとドイツは血を流し総括したが、日本はついに総括できな
かった、これが「失われた九十年代」の骨格である。

 大日本帝国・帝都東京は、日本国の首都東京に変貌しても、律令制度のシステムは保守
しきる。朝鮮戦争に突入する前夜、占領軍によるレッドパ−ジ政策に寄生して、敗戦後に
高揚した民衆の変革の要求とたたかいを封じ込め動物的本能である自己遺伝子と模倣子は、
朝鮮戦争という他者の犠牲の上に成立する経済復興によって、再度、政界・財界・官界に
おいて復活する。

 解体されたかにみえた財閥銀行は、朝鮮戦争による収益によって、金融という血管をは
りめぐらし、死んだかにみえた系列の巨人体をよみがえらせるのである。一九九二年、U
SAによって批判されている日本市場の不透明、持ち合い株制度、系列という独占体質は、
朝鮮戦争において形成される。さらに下向すれば大東亜戦争総力戦経済体制であり、さら
に下向すれば明治初期に出発する国家官僚主導による資本主義の律令制度的形成にまでた
どりつく。

 日本の資本主義とはアングロサクソン的な自然発生的に生成してきた市場経済ではない。
律令制度システムによる統制によって自然生成してきた資本主義である。ゆえにスタ−リ
ン資本主義となる。

 スタ−リンは孤独であり誰も信用せず、彼が主体化したのはマルクス主義の前提である
ヨ−ロッパ哲学史・ヨ−ロッパ経済学史ではなく、ロシア皇帝政治警察との死闘の体験で
ある。革命者は逆説的に政治警察との死闘により政治としての民衆支配方法を学ぶ。なぜ
か? 十九世紀は個人の世紀であったが、二十世紀は組織の世紀となったからだ。組織と
は組織との死闘により建設される。スタ−リンは流刑地のシベリヤから歩いてモスクワに
戻ってきたという英雄伝説がある。

 スタ−リンは政治警察との死闘に打ち勝ったが、逆に皇帝ツア−政治警察のウィルスに
感染し、ロシア皇帝の自己遺伝子と模倣子はスタ−リンの体内に浸入した。民族の牢獄を
スタ−リンはウィルスの進化として、ソビエト連邦として再編した。これがスタ−リン民
族主義の理性と正義であった。

 革命による反革命の悲劇はなにゆえ起きるのか? それは革命戦争が政治警察やあるい
は軍隊により、民衆から引き離され、孤立した空間に封じ込められることにより、革命者
に民衆不信あるいは他者不信を引き出しながら、政治警察のウィルスは革命者の模倣子に
浸入する、こうして自己遺伝子は革命が成功した後に再起動する。歴史とは動物的本能と
しての自己遺伝子と模倣子の反復である。模倣子こそは自己遺伝子と往復する回路として
の衝動であり、シミュレ−ション、構想力であろう。

 地方自治国を認めた封建幕藩体制を打倒し、律令制度の反復としてあった日本の明治体
制の成立と近代の出発。明治十四年の政変で、イギリス・USA型の資本主義国家を志向し
ていた筆頭参議大隈重信と福沢諭吉の勢力が、政府から追放され、伊藤博文・山県有朋の
長州が勝利し、プロシア型国家官僚システムによる資本主義−富国強兵戦略が選択される。
自由民権運動は粉砕され天皇絶対主義システムが古代より再起動する。古代天皇制を自壊
させたのは後醍醐天皇の野望としての鎌倉幕府つぶしだったが、後醍醐天皇まで退行した
のであり、足利尊氏は逆臣となった。「天皇の世は千年そして八千年続け、太古のさざれ
石に苔がむすように永遠なれ」これが国歌であり日本国是の誕生。

 革命と反革命が二重言語として一体になり進行する、これが明治維新としての革命であ
り反革命であった。ゆえに論理と倫理は沈黙し、アンダ−グランドへ押しやられるのであ
る。 

 「建前」と「本音」、「近代」と「封建」この二重言語とはいかに自然生成し、天皇制
を廃棄すれば自己そのものが崩壊するという恐怖が、自己遺伝子と模倣子から突き上げて
くる。言葉は二重に引き裂かれ、言葉は自己から離れ、自己の体験と歴史は沈殿する泥と
なる。日本の根幹に迫り「日本イデオロギ−論」を現出した戸坂潤は近代の牢獄で殺され
た。日本とは何か、その根幹をデジタルワ−ルドに移植する作業とは、明文化することで
ある。デジタルワ−ルドの出現とは、地球資源の限界が一九七〇年、ロ−マにおいて資本
主義の危機として宣言されたことに出発する。資本主義は無限に拡張していく運動である。

 月に行ってみたが、月とは資本主義が展開できる場所ではないことが冷厳な事実として
USAに突きつけられる。そこで宇宙進出競争で発展したコンピュ−タ・ネットワ−クに
おけるデジタルワ−ルドが選択された。資本主義はデジタルワ−ルドにおいて無限的な運
動をしていくことができる。資本主義崩壊の回避としてデジタルワ−ルドは七十年代に選
択された。しかしここでは裸体のごとくにされる。情報とは裸体である。曖昧な日本の二
重言語は通用しない。日本自己遺伝子と模倣子はデジタルワ−ルドによって裸体にされて
いくのだろうか? 資本主義は暗闇市場を嫌うのだ。

 数々の妨害にあいケネディは民主党大会において大統領候補指名を勝ち取る。それまで
大統領は二期八年、第二次世界大戦ヨ−ロッパを解放したアイゼンハウア−将軍だった。
その副大統領として支えたのがニクソンである。一九六〇年の大統領選挙においてケネデ
ィは、アイゼンハウア−の弟子ニクソンに勝利した。世界はこうしてファシジムに勝利し
た世界大戦の英雄物語から機軸が転回した。これがUSAが存続できるかをめぐる危機感
である。このときクリントンとゴアは中学生だった。そのニュ−フロンティア戦闘精神と
しての自己遺伝子と模倣子は彼らに継承される。これがイデオロギ−である。

 一方、一九六〇年の日本総理大臣といえば、満州国建設者A級戦犯岸信介である。世界
の機軸がいかにあたらしく変わろうと日本は変わらず、天皇制のごとく狡猾に生き延びて
いけ、これが一九五五年吉田茂が創設した自民党の自己遺伝子と模倣子。その国家官僚と
の合体権力構造は四十五年間一貫として変わらず継承されてきた。隣国である韓国との政
治史との対比をみれば、日本がいかに現状維持であったかが明確になる。

 六〇年安保をめぐる闘争の季節は同時に、エネルギ−基幹産業の転換としてもあった。
石炭から石油への機軸転換である。石炭つぶしに抗拒したのが九州・三池闘争であった。
労働と資本の総対決として現出した。しかし政治において新安保条約は成立し、エネルギ
−産業は石炭から石油へと一挙に転覆された。わたしも中学校までのスト−ブは石炭だっ
たが、六八年高校へ入学すると石油に変わっていた。政治における永久保守国家官僚独裁
政権現状維持(保守)と経済産業における革命、これが自民党独裁政権下における生活
であり、民衆の労働と生活は不断にあたらしい経済への適用へと追いやられていく。これ
が経済における革命と競争である。庶民はとにかくいそがしい生活なのだ。新時代になん
としても適用すべく明日に追われ行く効率への道である。これが高度経済成長を実現した。

 一九六〇年安保闘争による世論をおさめるべく岸信介が退陣し、池田隼人が新総理大臣
になる、彼のブレ−ンによって国民統合のプログラムが準備された。所得倍増計画である。
「政治革命から経済革命へ」高度経済成長戦略の機軸価値観。労働者は安保闘争と三井三
池闘争から職場に戻った。企業内労働運動、労働組合は自分の賃金をアップするだけでよ
しとする、生活向上委員会に変節していった。動物的本能である「商」の自己遺伝子と模
倣子が反復する。政治はUSAとケネディにまかせ、自分たちはそのすきに世界市場へと
のりだしていく。USA賛美論が巻き起こり、テレビ番組はUSAから提供されたドラマ
番組。ハリウッド映画が日本映画を市場において駆逐する。

 CIA極東委員会による、「文化においてUSAの自己遺伝子と模倣子を浸入させ拡張
させる」「USAの文化生活が世界の規格となる」スポ−ツ・スク−リン・セックスの三
S政策の全面展開が、六十年安保闘争による反USA意識の現出に対応する答えであった。
「政治と文化はUSAにまかせ、日本はひたすら労働せよ」これが世界戦略に組み込まれ
た高度経済成長の六十年代であろう。しかし六三年十一月、ケネディ大統領の暗殺は、日
本の民衆に再度、USAへの不安をかきたてた。「やはりアメリカはB二九で空襲し原爆
を落とした恐ろしい国なのだ」つねに日本民衆からよみがえってくるのは戦争犠牲の記憶。
これがUSAと日本の複合意識として奥底に起動している。USAにとってはいつ日本が
真珠湾攻撃をしかけてくるのかわからないという恐れである。

 九一年湾岸戦争で起動したのは、日本民衆にとって、B二九による空爆の記憶である。
USAの財政赤字・貿易赤字そして経済の停滞をもってUSA帝国主義の没落を八十年代
から「アメちゃん」などとやゆしていた日本民衆は、湾岸戦争のリアルタイム映像に動転
する。判断能力は喪失し、続いて北欧三国の独立からついにソビエト連邦の消滅。九二年
十一月には四十代の若さでクリントンとゴアがケネディ大統領の再現を果す。USAのニ
ュ−フロンティア戦闘精神が再起動する。自己遺伝子と模倣子の再起動周波数は三十年で
ある。

 わたしはなぜ六〇年の類似を、一九九二年の十一月に気づかなかったのだろう。ケネデ
ィが大統領に当選した六〇年十一月、世界はキュ−バ革命に代表されるごとく、中国革命
からアジア・アフリカ諸国の独立の嵐だった。八九年革命も冷戦という四十五年間にわた
る世界大戦を終焉させ、独立国をソビエト連邦から誕生させた。帝国主義としてあったソ
ビエト連邦はアフガニスタン侵略戦争の泥沼を背負い自壊する、もう一方の帝国主義とし
てあったUSAは、長期冷戦大戦の終結をみすえ、地域覇権として登場するイラクを世界
へのみせしめとして各個撃破したのである。

 九一年一月、湾岸戦争に衝撃を受けたわたしは、九二年まで判断停止・思考停止という
自失と絶望にあった。現状を理解するためには過去の類似をみよ、という思想の原点に無
知だったのである。なによりも思想とは個人による作業であり、過去との対話であること
に勇気をもって踏み出すことができなかった。高度経済成長価値観によって教育されたわ
たしは、世界の変化を理解することができなかったふるいタイプの人間であった。おしよ
せる天皇結婚式祝祭と圧倒的な日本回帰に思想として反発し、七十年代以来の日本批判精
神の一点を死守することに精一杯だった。

 高度経済成長をなしとげた日本イデオロギ−あるいは日本哲学は「商」の自己遺伝子で
あり模倣子である。それは十七世紀西ヨ−ロッパによって形成された世界システムと世界
市場から身をかくすことによって自然生成した。徳川幕藩体制三百年間にわたり「商」の
哲学は熟成した。支配階級としての武士は藩を持ち暴力武装を私有化する官僚であり、
「商」は士農工商の最低身分制度に甘んじて、権威にすりよることによって生き延び財を
構築したのである。都市の市場と群れに目立たず埋もれ、したたかに狡猾に「商」の自己
遺伝子は進化し模倣子は拡張していく。

 三井・住友・三菱といった明治近代に表出する国家資本主義を体現する独占系列機関、
その数字人間たちの背骨と哲学、徳川幕藩体制の場所に蓄積されてきた実践的イデオロギ
−にこそ日本資本主義の強さが内包し存在すると言われてきた。七十年代においては経団
連システム設定者たち大企業の社長とか社長たちは、住宅街につつしみふかく生活してき
た。八十年代にふってわいたボウフラとは自己遺伝子の質が違うのである。

 日本資本の数字人間の実践的イデオロギ−と組織戦略指導主体は、個人において質を放
出する西ヨ−ロッパやUSAアングロサクソン的あるいはプロテスタンシティズムな資本
の明確な身分差、階級的な富のイデオロギ−とは違っていたかにみえた。法人資本主義の
個を捨て組織のノルマ数字達成に生きる集団的数字闘争による場の独占をめざす拡張主義
の日本的経営は西洋(EC、USA)の経営者たちをおびやかしてきた。世界市場から身
をかくすことによって、三百年間という子宮によって形成された日本主義の自己遺伝子
は世界市場のウィルスとして、EC・USA・アジアから知覚される。

 人は己の肉体をむしばむウィルスが発見されれば、己の肉体と空間からウィルスを排除
し、ウィルスとの戦争を開始するのは必然。こうして特許戦争USA独占禁止法の日本適
用、規格戦争は表出する。

 経団連のシステム設定者たちは、それが己の会社でないかぎり、法人資本主義の組織か
ら離れると、個人として富はのこらない。富はどこまでも企業体としての法人資本主義組
織に保持されなければならない。しかし日本システム設定者たちはシナリオを操作してき
た者・富のネットワ−クを形成する族であることにかわりはない。日本が世界の金持ち国
家として世界に表出した八十年代、とくに円高ドル安の八五年プラザ合意移行、バブル形
成によって、持たざる者と持てる者との階層は明確に分裂した。

 こうして日本システムはUSA金融ネットワ−クを中核とする世界システムによって、
おだてられ、うまくのせられ、八五年移行のバブルを形成するのである。特徴的にはイギ
リス・サッチャ−、USA・レ−ガン、日本・中曽根がおしすすめた国家政治経済体制が
ある。いわゆる金への貪欲、裕福な人々が自分の所有する富を自分だけのために拡張せん
と疾走する病気である。こうして社会性が喪失し、人々は金銭第一主義となり「金食えば
金が成るなりお札かな」の成金となった。

 中曽根がやったことは八五年体制と称して、社会の壊滅である。陰謀集団とくんで、成
田空港のゼネコン大規模工事、国鉄民営化分割によるバブル土地の発生、NTT民営化に
よる株投機へのあおり、すべて成金主義の土壌はサッチャ−経済とレ−ガノミクスを模倣
した中曽根によって自然生成した。資本主義そのものをかれらは国家によって破壊した。
成金主義の日本と正義の人々との闘争こそ八十年代にほかならない。まさに機軸をめぐる
内戦であったのである。八十年代におけるゲリラ・パルチザン戦の炸裂はそれを物語るだ
ろう。しかし多くの人々は株をもち、土地を持つ成金主義へと転向していった。金こそが
成功であると。ゆえに八十年代とは壮絶なイデオロギ−戦争であった。価値観と人間の死
生観をめぐる機軸転回であったが、多くの国民は金と成功を選択した。国家と結託し国民
は社会の破壊をおのれの自由意思で選択したことを、わすれてはならないだろう。八七年
多くの国鉄労働者が自殺をとげた。九十年代の日本とは死者たちを愚弄し汚辱した上に成
立したシステムであった。その社会はやがて復讐の女神によって覆されるだろう。

 日本資本主義の自己遺伝子は徳川幕藩体制以来、進化し上昇してきた数字の臨界点に世
界システムによって押し上げられ、世界市場のウィルスとして変貌をとげる。第二次世界
大戦による敗戦、形式としてのUSAから外部注入されたアングロサクソン型市場経済と
平等主義、公平なル−ルにもとづく数の闘争としての民主主義。日本システムにとってこ
うした連合軍による構造改革は世界市場への絶好の機会をあたえた。資本主義がより発展
するためには、明治近代に形成された天皇家を頂点とした地主制度は世界市場に通用する
ことがない桎梏なシステムだった。

 フィリピン経済がいまなおテイクオフできないのは、多国籍企業による支配が原因であ
るが、主体的要素は強力な地主制度にある。八六年の民主主義革命として表出した地主階
級のアキノ政権でもっとしても土地革命はいまだにやりとげることができなかった。土地
を地主から農民のものとする土地革命は、ロシア革命、中国革命、キュ−バ革命を例にあ
げても革命そのものとしてなしとげられる。日本システムは己が血を流すことなくUSA
にシステムの書き換えを代行させたのである。こうして日本イデオロギ−あるいは日本哲
学の「商」の自己遺伝子は、本来のエネルギ−を具現する実践的空間をわがものとした。
世界市場への再起動は目の前にあった。

 機略と狡猾にとんだ日本イデオロギ−の自己遺伝子は、将軍家と武士天皇家と軍人、U
SAと日本官僚にそのつど権威の対象をすりかえながら他者と自己をだましだまされなが
ら変貌をとげる。明治近代成立以降、日清戦争・日露戦争の勝利によって、おのれを一等
国民として放漫に朝鮮半島から中国大陸へ侵略し、満州国を世界をだましながらつくりあ
げ、フィリピンから東南アジアへと拡張欲望を表出し、他者の空間を踏み荒らした土足の
血液主義は自然発生的な臣民の爆発的エネルギ−。それが敗北するや否や、臣民から国民
への平等主義をUSA軍という解放軍からもらいうけ、本来の姿にもどれる幸福を手にす
る。日本国民にとってUSA軍はまぎれもなく天皇軍国から自由にしてくれた解放軍であ
った。その神話が労働運動史上、初めてであり終わりであった日本労働者階級のゼネスト
を自壊させるにいたる。

 大日本帝国最後の天皇による政令が外国人登録法であった。こうして日本システム成員
たちはまず、強制労働にあった在日朝鮮人・中国人労働者の反乱をおさえると同時に、今
度はUSA軍を利用し、日本労働者階級の反乱をつぶすことに成功したのである。レッド
パ−ジ政策と重なるように戦争犯罪者たちは日本システムネットワ−クに復帰する。その
とき、臣民の圧倒的多数者はUSA軍による占領の幸福をかみしめ酔いしれて、生活のエ
ネルギ−にばく進していたに違いない。朝鮮戦争は隣国の地では残酷に血を流し人々を引
き離す悲しみに満ちた光景であったが、日本は経済復興による明るいエネルギ−と興奮だ
ったのである。

 自由と経済復興の明るさの前では、おのれが犯した侵略戦争と殺人犯罪を告白する理由
はない。暗いものは隠し通さねばならぬ。過去にこだわる者は乗り遅れてしまう。大日本
帝国の敗北と侵略戦争の罪はすべてかつての軍隊の上層部にあるとする国民的合意が強力
に形成され、とどのつまり、天皇とわれわれ国民は軍部にだまされていたのだと、罪の意
識といまいましい過去から解放され、「商」の自己遺伝子をおのれの模倣子とする。成長
神話はこうして軍事組織から経済組織へと転回する。この変貌こそが原光景である。


 ヒロシマ・ナガサキの実態をUSA軍とともに隠そうとしたシステム成員たちは大日本
帝国の敗北を総括し自己改造したとはいえない。自己改革とは主体がまたはシステムを構
成する人間が血を流すということである。すべて軍部の責任とした日本システム成員たち
は、プロシア型国家資本主義から、アングロサクソン・USA型資本主義にのりかえたに
過ぎなかった。日本経済自己遺伝子はUSA型資本主義にのろかえたに過ぎなかった。ア
メリカ産業の品質管理、技術、ビジネス、思考方法をエネルギッシュに学習し、模倣子は
アメリカをめざしていく。こうして日本システムその組織が事実として戦略が根底から敗
北したのだという、戦争産業総力戦組織は突きつめて総括されることなく、大日本帝国の
時代はノスタルジアの氾濫として、ロマン主義に回収されてきた。これが日本イデオロギ
−の本性である。イタリア・ドイツとの格差がここにある。

 自己と他者をだます、おどろくべき能力を持った機略と陰謀と狡猾にとんだ動物的本能
である。関係を利用することをもって生き延びる者は、おのれの貌をしらなければ他者も
しらない。人間関係が恐ろしいものであるように、国家と国家の関係も恐ろしいのである。

 天皇を頂点にとした大日本帝国の軍事戦略は東アジア全体に戦線をのばす。その結果、
植民地においては民族解放闘争のゲリラ・パルチザン戦争に悩まされ、中国戦線では毛沢
東の持久戦争によって、広大な中国のふところ深くひきづられ、伸びきった戦線はズタズ
タに切断され敗北する。そして東南アジア戦線においては、USA海軍によって、まず海
軍が壊滅させられ、島・陸地の陣地はひとつひとつ戦略的に奪還され、ついに海軍と陸軍
は日本列島まで後退させられ封じこめられていく。アングロサクソンの軍隊はドイツ軍を
壊滅させたヨ−ロッパ戦線においてもそうであるが、敵の戦略的陣地をひとつひとつ徹底
的に容赦なく壊滅撃破し、一歩一歩勝利を積み重ねていくのである。その勝利への執念と
リアリズムこそ、おそれるべきである。中国戦線の日本軍兵士は生き延び本土に帰れたが、
東南アジア戦線の日本軍兵士は海と陸において、九十%が戦死した。オキナワ戦の実態を
みても、アングロサクソンの軍隊とは封じ込めによる各個撃破戦略である。本土決戦を経
験しなかった日本は、おそるべき世界史と他者を発見できなかった。

 ニュ−ヨ−ク株価一九二〇年代とプラザ合意・八五年九月主要五カ国蔵相・中央銀行総
裁会議・G五によるドル高是正の合意。各国の協調介入の結果、ドル相場が急落し、円高
不況の懸念から日銀は公正歩合を再三引き下げた。長期の低金利でだぶついた資金が株や
土地投機に大量に流れ込み、バブルを形成した、紙幣印刷機経済である。円は紙となって
空から落ちてきた。

 レ−ガノミックスと呼ばれたレ−ガン経済政策は、高金利設定でドル相場をあげていく
金融ゲ−ム政策であり、これと連動したのがサッチャ−と中曽根である。列島金融空母
化を中曽根と宮沢は推進した。金融列島改造である。そのために駅の土地を資本主義に投
げ込むために、国鉄を民営化しNTT株でもうけるためにNTTを民営化したのである。

 八五年からの株価グラフはニュ−ヨ−ク一九二〇年代株価の模倣子となった。八九年十
二月二十九日、三万八千九百十五円を頂点に一挙に下降する。九〇年十月一日、二万二百
二十一円となり、一九九二年四月九日には、一万六千五百九十八円となった。一九二〇年
代の模倣子たる日本が死んだ日である。この資本主義の死を隠してきたのが重心なき九十
年代の浮かれた構造であろう。資本主義とは生産と破壊の反復としてある。これこそが消
費。生産様式の消費と破壊として経済戦争はあり、資本主義の前衛こそが数字である。庶
民的なバブル空間は九十年代に入ってからであった。

 日本の過去が主体的に問われはじめたのは、六〇年安保闘争の挫折と敗北からである。
革命的左翼の登場による帝国主義分析からであった。歴史的自己批判は敗戦から25年を
得て登場した。それまでの運動は日本国民が戦争の犠牲者であった、ふたたび戦争の惨禍
はもうたくさんだ、という反戦意識であった。六五年、戦争賠償金を問わない日本に都合
がいい、日韓条約に反対する学生運動から、日本帝国主義批判が登場する、そこで、侵略
戦争の主体的内省が開始されていった。そこから沖縄問題が連鎖していった。自己否定の
課題が問題意識にのぼる。

 スチュ−デント・パワ−としての世界的連関、九七年、中国における文化革命と紅衛兵
運動、USAにおけるベトナム反戦運動と人種差別撤廃運動の高揚、六八年・パリ五月革
命、日本における学園闘争と青年労働者による反戦運動、韓国の民主化闘争、これらが世
界的に連関していった。日本にとわれたのは七〇年に現出した出入国管理法上程をめぐる、
侵略戦争への主体的自己批判だった。自己と日本現代史への根底的批判は九八年から開始
されたのだが、日本システムは全力をあげて壊滅するのである。

 日本は民衆の時間とシステム成員たちの時間は決定的に分裂している。民衆の時間の現
実はみすぼらしい。絶望と無力と悔恨と敗北が連続が生活である。敗戦後から今日まで、
システム成員たちは民衆の時間と空間を奪い貧しくみすぼらしくすることをもって、おの
れの自己実現・欲望達成の操作可能な空間を占有してきた。おのれの思考とアイデアが実
現することは人間にとって快楽である。そうした快楽をシステム成員たちは、世界に隠れ
ながら市場・空間・情報を私有化することでもって、わがものを謳歌してきた。株食えば
金が成るなり法政治。

 同じ日本語を話ながら、システム成員たちと民衆は別人種。感受性、思考、行動様式、
生活様式は決定的に違う。民衆の物語と現実はあってはならぬものとして、その表出と歴
史的空間は殺され、機略と狡猾と言語操作とフレ−ムアップにとんだ、システム成員たち
の列島空間は全面転回として表出する。それはさらに民衆の時間を悲劇の空間に閉じこめ
る。民衆の物語は俳句・短歌といった詩的運動に表出するが、その感受性が詩的武装にと
ぎすまれ、能動的な論理と悪魔のごとき執念で地獄から立ち上がり、システムの物語と貌
をはぎとり暴露することは困難である。

 八五年体制としてあったプラザ合意は日本を金融大国として、世界に押し上げる。関心
のまなざしが他者によって日本にそそがれる。八十年代後半からシステム成員たちの物語
は、USA・西ヨ−ロッパのジャ−ナリストたちによって表出した。日本に滞在し彼らは
システム成員たちの物語を、インタヴュ−と取材によって、その表層と歴史をえぐりだす
ことに成功した。システム成員が白人に対しては無防備だったからである。

 白人のジャ−ナリストは他者としての異邦人の感受性で、日本システムという固有な対
象を分析し思考し論理的に再構成した。日本資本主義の原点が江戸時代にあったことが分
析され、高度成長の原点たる国家資本主義の秘密が権力構造の謎として、満州国を建設し
た統制計画経済にあったことが、暴露される。システム成員たちへの実践的な取材によっ
て。日本のジャ−ナリストがシステム成員たちに接近しても、彼らは天皇制言語である
「和」の自己遺伝子によって、取り囲まれてしまうか、暴力装置によって排除されてしま
うだろう。システム成員たちが一番おそれているのは、日本住民である。彼らほど、帝国
内の階級構造に敏感な人間はいない。彼らは転覆こそおそれている。ゆえに自国内の批判
勢力としてある革命運動をつぶしてきたのである。転覆されれば明治近代以来の既得権と
再分配同盟が崩壊してしまう。ゆえに八十年代の日本とは場所において分裂していたのだ。
八十年年代のバブルとはレ−ガン・キンユウゲ−ム経済の破綻と失敗を救うために、図ら
れたのだが、ついに日本システムそのものを内部から自壊させた。その尖兵となったのが、
労働貴族の典型となった「連合」という陰謀集団である。権力に接近する者は、まずおの
れの出身階級を殺さなくてはならない。八十年代とはまた、壮大なゼロへの転向の季節で
あった。ゆえに個々人のイデオロギ−が問われたのである。なぜならイデオロギ−とは、
世界をつくる先行として人間存在の原点をめぐる実践の場所から発生するから。これが思
想である。

 世界市場の深層に生活する民衆はシステムの表層がみえない。国民国家に閉じ込められ
た民衆とはすでに、感受性・思考・知覚そのものが、だましとみせかけのウィルスによっ
て洗脳されている。国家暴力装置と対決し、存在空間がおびやかされることによって、は
じめて民衆は自分自身が人間であることを発見する。こうして実存者は生まれる。実存者
こそがシステムの表層を発見できる。

 民衆の空間は切断されバラバラにされる。敗北したものが「和」のウィルスに感染し、
模倣子に組み込まれたとき、イデオロギ−の変節は完成し数字人間の群れは誕生する。数
字こそは空間のウィルスである。システムの深層は唯我となった個人を全体において統合
する。個人はいがみあう関係の破壊からくる、殺意をみせかけのシオテム上にかくす。階
級性を解体された階級の関係は不信がとってかわり、階級を利用するシステム成員たちは
みごとに団結している。マフィアのように。日本システムと徹底対決する武装せる表出者
でないかぎり民衆は他者をとおしてシステムの表層をかろうじて発見できるのである。

 ソ連軍をたくみに峡谷におびきよせ、ゲリラ戦によって世界史に登場した一九五二年生
まれのアフガニスタンの指導者マヌ−ド司令官は、徹底して毛沢東からフランス・レジス
タンスまで世界の戦略戦術書を学習し、アフガニスタンに実践適用したという。彼は他者
を通してこの地がおのれの主体的実践の場であるアフガニスタンの表層を発見したのであ
る。

 中東湾岸戦争でイラクのフセインは神においのりするばかりであった。そこにはもはや
表層をみる力はない。神学の深層がなにか神秘的な力に満ちており奇跡をよびおこし、や
がて勝利するのだという幻想は戦争の前にふきとぶ。戦争の表層と神学の深層は人間の内
部において再構成され再現実される。それぞれが異相の動物的本能であることに気づかぬ
者は交通関係において勝利できない。なぜなら戦争を含めて交通関係とは他者との関係。
人間関係が恐ろしい出来事を表出するがゆえに、われわれは他者から学ぶのである。神学
の深層に逃げこんでも交通関係は何ら解決しない。ゲリラ戦は表層としての空間を問題に
するがゆえに、他者から(それは敵もふくむ)徹底的に学ぶのである。イスラムの神を信
仰するがパレスチナ・ゲリラもアフガン・ゲリラも世界の他者としての表層から学び表出
することによって今日までたたかいぬいてきた。

 二十世紀最後の十年間が九十年代だった。これまで世界というイメ−ジはどこか奇跡
のようにおのれを救ってくれる存在のように思えてきた。第三世界などはもはや存在しな
い。存在するのは、限界・限定・死・閉ざされた地球上に表出するありとあらゆる万物・
万人の表層表出だ。世界のイメ−ジとは、ユダヤ教的世界の旧約聖書、キリスト教世界の
新約聖書、イスラム教的世界のコ−ラン、仏教的世界の仏典、そしてマルクス主義的世界
の共産党宣言、ロシアマルクス主義世界のインタ−ナショナル、中国マルクス主義世界の
第三世界論(林彪)・ファノン「地に呪われた者」等による帝国主義世界に対する告発の
書によって生成してきた。すでにロシアマルクス主義のインタ−ナショナルと中国マルク
ス主義の第三世界論は消えている。東欧・ソ連邦の自壊によって、第三世界はバラバラと
され、G七・国連安保理を中心とした帝国主義世界システムによって封じ込め各個撃破さ
れているのが今日の表層として進行している。

 それが神学としてのユダヤ教・キリスト教・イスラム教であれ、思想の武器としてのマ
ルクス主義方法であれ、民衆のイメ−ジは世界システムとの衝突によって、内部に形成さ
れてきた。抑圧者は抑圧者の世界イメ−ジをもって反乱者を撃破せんとする。それらが世
界イメ−ジの対決として人間の交通関係の表層に出来事としてあらわれる。

 EC統合を起因としたブロック経済の闘争と、東欧・ソ連の労働者国家の解体と市場経
済の混乱、国連安保理による世界システムに反抗するものへのみせしめ的各個撃破戦略。
ユ−ラシア大陸・中央アジアの表出。旧ユ−ゴスラビア民族内戦。旧ソ連民族内戦。イギ
リスにおける宗教戦争と独立運動の表出。イラク・トルコ・イランにまたがるクルド民族
解放闘争の表出。チベットの局地紛争。ペル−の内戦。これら世界システム経済のブロッ
ク化と宗教戦争もからんだ民族戦争は、近代システムとしての「国民国家」形成以来、世
界イメ−ジとしての外部も内部も解体されたことによって、すべてがありとあらゆるもの
が、近代的枠組みを突き破り、あらたなる中世の乱世に向けて突入している。

 世界の外部が解体され死臭をかぎとったのであれば、もはや私の世界・私の内部・私の
深層などは一度崩壊をとげる。乱世の時代においては、私の内部は他者との交通関係をめ
ざし、表現することによってのみ生き延びられる。なにも表現しない私の内部などは、も
はや死体そのもの。もはや外部としての世界も内部としての世界も存在しない。第一自然
の死とともに世界イメ−ジはみごとに死んだ。

 万人の万人よる闘争。たしか哲学者ロックはこう物語る。アングロサクソン・一万年の
問いは、こうして二十世紀最後の十年間を規定する。あらたなる中世と乱世の地球史に
万人の闘争が参入する。日本語によって他者をごまかし、いつのまにか世界市場を占有し
てきた日本システムは、この万人の闘争・あらたなる中世と乱世の前に、戦略的無準備性
をさらけだし、いまや朝鮮戦争以来のシステムの鉄筋は折れ、コンクリ−トにはひびが入
りきしみ音をうなりながら自壊しようとしている。

 「歴史の終わり」とあなたが言うように、イデオロギ−は終焉をとげたのではない。死
んだのは近代「国民国家」形成以来の世界イメ−ジ。資本主義は外部という敵なしに内部
を形づくることはできない。資本主義の内部こそ国内市場としての「国民国家」である。
「国民国家」を基盤に資本主義は世界市場に挑戦する。その場合、外部とはまだ開発され
ていない領域である。未踏の流域といってよい。さらにはシステムが異質なおのれをおび
やかす存在としての外部、つまり敵が必要となる。敵が存在しなければ資本主義の内部は、
不合理・非理性的な共食いをはじめる。数の獣の手にあけわたすことになる。

 市場の見えざる神の手とは、つまり理性のことであるが、この理性は「国民国家」を基
盤にした動物的本能の自己遺伝子と模倣子のことである。資本主義の外部の敵として労働
者国家群は存在した。国内の敵とは資本主義打倒をめざす革命党派・労働運動・企業を告
発する住民運動・国家と対決する運動の存在によって、はじめて資本主義の理性は市場の
見えざる神として自己を保守できる。

 資本主義システムの成長と発展のためには、社会主義国家という敵・未踏の領域と異質
なシステムとしての敵がどうしても必要であり、資本主義とは敵なしには自己運動が回転
しない。資本主義とは物質が神である物神による自己運動だからである。おのれの物神シ
ステムをくつがえすイデオロギ−と革命勢力が存在してこそ、「国民国家」資本主義の内
部は自然生成できる。

 外部としての敵の存在によって資本主義システム成員たちは団結できるし、世界市場に
生成する世界企業・多国籍企業も市場を占有するという新植民地収奪を可能とする。こう
して社会主義なき以後の資本主義は、あらたに敵をシステム設定する。こうして宗教イデ
オロギ−と民族イデオロギ−が浮上する。資本主義の最終とは個人が国家の敵として設定
されるはずである。たしか中世には暇人を興奮させるための「魔女狩り」というゲ−ムが
あった。宗教戦争として。

 やはり資本主義上の映像と表層・最後の人間とは、中世から飛び出す。資本主義の模倣
子は過去を未踏の領域として触媒を延ばした。デジタルワ−ルドの恐竜時代は幕をあける。
興奮と幻滅このゲ−ムこそ、資本主義の動物的本性である。

 資本主義とは原理である。ゆえに原理なき場所に資本主義は成立できない。ドイツ観念
哲学の引用者であるあなたは、共産主義が終焉し自由と民主主義の市場経済が勝利し、イ
デオロギ−の闘争としてあった歴史は終えたと、高らかに宣言した。ヨ−ロッパ北方民族
神学としてあるヘ−ゲルの閉じられた円環にまいもどり。あなたは、いささかも九十年代
を予感させる最後の人間を説明しなかった。

 人間の動物本能は洞察し表象する、そして無意味なものに意味をあたえ、世界をつくる、
人間は前世代の到達点から出発する、絶えずあたらしい更新から人間は先行する、これが
人間の存在様式である。ゆえに過去との対話は重要となる。

 人間とは出来事を発生させる社会的動物である。出来事は不断に更新される。社会は肉
体である。体は頭脳より先行する。ゆえに社会の出来事は、人間のイメ−ジを不断に超え
ていく。なぜなら、あらかじめ、人間の頭脳はブレ−キが資本主義によってかけられてい
るから。資本主義は、なんとか人間を商品にするためやっきになっている。物神だからで
ある。学校とは賃金労働者を規格生産するための工場である。そしてまた資本主義を洞察
する人間の表象行為も工場である。世界はふたつの工場による熾烈なイデオロギ−競争。

 規格化された日本の多くの人々は個人としての思想が問われたことがない。ゆえに論争
はできない。つまり個人としての綱領が不在なのである。商品への同一化これが人間的内
容を喪失した日本の未来社会である。重心なき。全的滅亡は近い。しかし世界はイデオロ
ギ−の力によって、かろうじて成立している。世界をつくる人間は同時に世界からも不断
に問題解決能力をめぐって問われているから。冷戦構造を利用しうまく成金になった日本
はゆえにイデオロギ−をおそれている。かれらの価値観は生活向上のために金だけである
と、世界から認識されているから、その洞察をおそれている。つまり日本は個人と人間存
在様式をおそれている。世界をおそれている。自己がうしろめたいからである。ゆえにU
SAの精神奴隷となるしか世界への道はないのである。人間存在様式からはずれた日本は
ゆえに世界から孤立する。彼らの最後の人間とはやはり天皇制に帰還するだろう。あの草
原と丘のふるさとの輝き、白い馬の琴線かなでる子宮へと。

 あなたがその言説、ヘ−ゲル世界精神である自己絶対化がよみがえる。商品は自己完結
しているがゆえに、商品となった市民は自己中心となる。こうして都市に自己中心型人間
は大量生産された商品となってあらわれる。そのイデオロギ−は、すでに破綻した効率な
る近代合理主義である。かれらは無意味なものを嫌悪する。自己拡張にとっての意味のみ
を求めているから共有をしならい。しかし資本主義の私有は自壊をとげようとしている。
世界は私有から共有へ転回した。資本主義の自己遺伝子と模倣子は社会主義という敵を喪
失たことにより、デジタルワ−ルドへと先行した。私有ではなく共有をめざすものこそが、
資本として成立できる逆転が開始された。近代とは私的所有の世紀であった。私的所有制
度に基盤をもって資本主義は物神の自己運動を展開してきた。資本主義の自己遺伝子と模
倣子は更新しながら自己運動する半永久革命物神である。ゆえに私有をめざすふるい近代
的合理主義者は、現在の資本主義によって打倒される。こうしてマルクスはデジタルワ−
ルドにおいて復活する。終焉したのはマルクス経済ではなく近代経済であることが立ち上
がるだろう。政治においても六〇年安保から四十年間日本国家権力と世界の更新をめぐり、
ソスト書き換えで熾烈に記憶装置の内部でたたかってきた革命的党派がいよいよ本性をみ
せるだろう。誰がシステム設定するのか? 政治さえも私有から共有へ移動している。そ
の意味で湾岸戦争の英雄政権であるブッシュ二世は、二十一世紀ゼロ年代に適用できない
であろう。ブッシュ二世もやはり羊たちの沈黙その犠牲者となるのだろうか? 死神はU
SA最後の人間を発生させる。出来事の特異発生こそが進化論だった。

 処女作・精神現象学においてヘ−ゲルは、変化するものへのダイナミックな人間の精神
運動を弁証法的神学として思弁化していった。それはやがて北方ゲルマン民族によるプロ
イセン国家形成のイデオロ−グとしておのれの立場を固める。

 マルチン・ルタ−による宗教戦争は神学への幻滅と荒廃を民衆にあたえた。ヘ−ゲルは
イエナにおいてフランス革命とナポレオンの進軍に衝撃をうけ、哲学によって世界をつく
った。哲学史は自分によって総括され、みごとな円環を閉じた、とされドイツ神学を復興
させたのである。ヘ−ゲルの内部はドイツの動物的本能である自己遺伝子と模倣子に回収
され、世界精神を語りながら、ドイツ民族と国家神学に閉じ込められた。

 アングロサクソンのイギリスやフランスにおけるブルジョア革命、近代「国民国家」の
登場として、ヨ−ロッパに革命的に表出したナポレオンの戦争。その反動としてもたらさ
れたドイツ民族意識。ドイツは宗教としてのイデオロギ−戦争を「農民戦争」として国土
が荒廃するまで長時間・徹底的に戦いぬいてきた。経済・産業・国家統一などはくそくら
えで、イデオロギ−(カトリックかそれとも宗教革命としてのプロテスタントか)の勝敗
が重要だった。こうして幾つもの村が消滅した。それが他者としてのナポレオンに領道さ
れた史上はじめての国民軍との激突によって、おのれ自身を知る。

 ドイツには宗教戦争を通してダイナミックな人間の精神運動としてあるイデオロギ−哲
学が観念上に形成された。観念とは民族言語によって形成される内面・深層であり、詩人
と思想者の王国が、やがて「土と血」のファシズムに全面組織された理由がここにある。
ドイツ観念哲学はドイツ民族言語の歴史的ゲバルト内戦によって形成されてきた。

 人間の内面は民族言語によるところの神学・思いこみとしての観念、そしておそるべき
人間関係がもたらす精神的受動と攻撃、家族という制度からはじまり地域・国家それら制
度上の表層に出現する交通関係の衝突作用によって生成する。人間関係の悲しみと喜びを
民族言語によって現出されるのが文学。

 共同体構成員の感受性がダイレクトに構成として表現され、それが共同体の多数者の心
に共鳴すれば、その詩と小説は民族文学に上昇する。近代国民国家が形成されていれば国
民文学となる。

 近代世界市場が形成されていれば、他民族言語に翻訳され他者の思考と精神にとどく。
だがそのとき化学変化がおきる。内面を放出したかにみえた民族の文学は翻訳されると同
時に異化され相対化され表層へと転化する。

 ヘ−ゲルが生きていた時代はすでに世界市場が形成されていた。文学は人間の感情・情
・情念として線・関係を物語る人物を現出するが、哲学はひたすら思考技術として洞察を
先行させる「人間とはどこからきて、どこへいくのか?」命題を表層へと上昇させる、そ
のために下向への道をあるく。

 ヘ−ゲルはヨ−ロッパ哲学を総括し哲学的歴史はヘ−ゲルによって円環が閉じられ、自
己完結したといわれている。哲学史の宗教改革マルチン・ルタ−であらんとしたヘ−ゲル
は他者としとのユダヤ思想・ギリシア哲学・イギリス・フランス哲学をひとつの宗教改革、
イデオロギ−戦争として、ドイツ「土と血」民族言語内部にとりこんでいった。それが神
学の自己完結である。「土と血」はナチスのスロ−ガン。

 老化するにしたがってヘ−ゲルは人間の出来事が現出する変化するものへの恐怖により、
彼の情念は世界精神の自己絶対化のうえに、おのれの体系たる哲学史の円環を閉じ、哲学
史をおのれの言語によって終わらせようとした。それはフランス革命とナポレオンによる
近代国民の登場による世界市場への恐怖といってもよい。

 表層に恐怖するものは、おのれの幻想・観念としての内部と深層に閉じこもる。そして
ヘ−ゲルの世界精神とは、やがて自分たち北方ゲルマン民族が世界の真理を体現するとい
う第三ロ−マ帝国への渇望である。こうしてドイツ観念哲学は、旧約聖書以来の神の時間
を体現するユダヤ人を抹殺し、第三帝国というドイツを中心としたロ−マ帝国の再現をヨ
−ロッパに建設するという、ヨ−ロッパ最終解決に向けて暴走したナチズムのイデオロギ
−と連結する。日本の「土と血」は天皇制であった。ファシズムとはやはり地主たちの運
動であり、土(郷土)から工場に追われ血(家族から引き離された)労働者の復讐の情念
がゲバルトとなった。擬似郷土と擬似家族の頂点として最大地主天皇はいた。明治政権と
は勝利者による土地の占有である。ほとんどの森林は天皇と明治官僚たちの私有財産であ
った。「土と血」をめぐる民族浄化はユ−ゴスラビア内戦においてもあらわれたのだが、
日本ファシズムを現出させた日本イデオロギ−はいまだ解明されていない。

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