投稿者 考察者K 日時 2005 年 11 月 29 日 06:53:39: JjkI8nWTpj0po
最近の風潮は「権利の主張」が大きくなっている。
ここにKは問題があるのではないかと感じ始めている。
確かに「権利はあるもので、全ての存在は本来自由である」という考え方は間違いではないだろう。しかし、社会というのは多数の人の共同の生活の場である。そこには一定のルールがある。と、すべきである。
義務というのは「政府とか、支配者層に対しては無いが、共同生活の場の共有者に対しては有る」と考えるのが妥当ではないだろうか?
義務の存在がデジタル思考の二元論の中で混同され軽視されていく、政府に対して何の義務も感じないようにしたいと言う思考が「他人に対しても何の義務も無い」という思考に変化していく、権力に対する義務と社会共有者に対する義務は区別されるべきであろう。
自分が気持ち良く暮らすためには「他人にも気持ちよく暮らせる社会造りが必要である」そのためには「利己的では駄目なのである」
政府(権力サイド)が変わっても良いが、日本が存在する限りは日本で生活する人はいる。そこで暮らす人は「明日の日本を良くする努力をする義務が有る」のではないだろうか?
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