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高校生の授業のため、英語の教科書を読んでいた。
一枚の写真が掲載されていた。
赤ん坊をおぶっている少年の写真だ。少年は見事に「気をつけ!」の姿勢をとっていた。
戦後、進駐軍の兵隊がとった写真のようだった。
あの頃の日本人は、少年でさえこんな見事な面魂をしている。たいしたものだよなあ・・・。
それにひきかえ、今の・・・・。まあ、あの頃は貧しい時代だったから、弟や妹をおんぶして
遊ぶのはあたりまえの風景だったんだろ。それにしても、この見事な「気をつけ」はどうだ。
外人に写真を撮られるんで精一杯「日本男児」してるんだろうか。なんて、思いながら説明の
英文を読み進めていた。
ばかだった。とんでもないバカだった。
あの、あどけないようすで眠っているとばかり思っていた赤ん坊は、
死んでいたのだ!
撮影されたのは、被爆後の長崎。まだ小学生である少年は、赤ん坊を背負い、裸足で一人、
焼き場に歩いてきたのだ。背負っている自分の弟妹である赤ん坊を火葬するために。
少年は、あの姿勢のまま、焼き場の前で5〜10分たたずんでいたという。
少年のまっすぐ向けられた視線の先には、焼き場の炎が映っているのだろうか。その炎の中に
少年は何を見ているのだろう。何を見つめているのだろう。
堅く、堅く少年は口を結んでいる。声をあげて泣き出したい衝動を、必死で少年はこらえている。
父は戦場へ行ったのだろうか。母は原爆で亡くなったのだろうか。他にだれもいなかったの
だろう。あの小さい体で、運命の全てを一身に負い、気をつけの姿勢のまま屹立している少年。
涙が止まらなかった。今から60年前に確実にあった光景。しかも、どこにでもありふれていた風景。
あの風景から戦後が始まったのである。
今、僕らはあの少年に対し、どんな言葉が投げかけられるだろうか。
何もありゃしない。語れる言葉など何一つない自分のうすっぺらさが強烈に身に沁みる。
ただ、泣くしかないのだ。
撮影した米軍の兵士は、後に写真家となったジョー・オダネル。彼のリビングにはこの写真が
今も飾られているという。
絶望と悲惨さのただなかで、全身全霊で運命をこらえながら必死に屹立しようとする小さな、
本当に小さな存在。僕らは、この子たちに何を語れるのだろう?
*未見のかたは、ジョー・オダネルのこの写真、ぜひに見ていただきたい。
そして、既にご存知の方は、私のアホさかげんを笑ってください。
なお、授業は泣き崩れてしまったため、できませんでした。